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くじらの一生③
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「ありがとう。
君が淹れるお茶は美味しいね。
そうそう、私はいつまで続くか分からない人生、あまり先のことは知りたくないのです。
しかし知りたいという欲求を抑えるのは難しいものでして、まあ、事前に知っていれば回避できる危険もあるかもしれませんし。
少し先の記述を読んでしまう悪い癖がございます。
それでね、ここまでは昨日の出来事が書かれている。
ここから先は、未来もしくは現在進行形の出来事ということになります。
ただここだけインクがかすれて読みにくいんですよ。
これは一体何と書いているのでしょうか?
奇っ怪な本ですから、好奇心だけは無駄に刺激されるのですよ」
真也は本を覗き込んだ。
『ウ…………ミタ…………に……謁……救……れる』
と書かれている。
「救われるってことですかね? うーん、前半部分が全然分からないなあ」
頭を悩ませる真也に興津くじらも
「そうなんだ。救われるということは、私が何らかの危険に遭遇するということか……? お嬢さ、いや、ご主人はどう思いますか?」
茉美は大きくため息をつき、こう言い放った。
「知らん」
「ちょっ、茉美さん!! お客様に失礼ですよ!!」
咎める真也をよそに、茉美は嫌そうに口を開いた。
「そこに何が書かれているか、その本はどこから来たのかなどどうでも良いではないか。
読んで過去や未来を悟った気にでもなかったか?
いいや、お前は何も知らないのさ。
お前が28の時に自費で出版した処女作『グッドイヴニング』。
そのうちの一冊は何人ものやつらにたらい回しにされ、今は福留早紀という主婦が持っている。
彼女はお前の作品をいたく気に入り、今でも年に2回は暇を見つけて読了している。
彼女はそうそう書店に足を運ばない。
だからお前が次に新作を出版したとして、必ず手に取ってくれる保証はない。
それでも彼女はお前の作品の大ファンだ。
偶然書店に立ち寄った時、お前の名前を探すかもしれない。
お前が作品を完成させるのに費やした時間は決して無駄ではなかった、ということだ」
茉美はいつになく早口だった。
興津くじらは
「それは……それは嘘でも嬉しいことだなあ」
と言い、溢れ出る涙を抑えることができなかった。
「嘘ではない」
茉美はボソリとつぶやいたが、興津くじらは涙を拭うので精一杯である。
「この本は置いていけ。心の弱いお前がにらめっこするには、危険なものだ」
「ありがとうございます。ここはとても温かい場所だ」
興津くじらは店を出て、寒空の下を歩いて帰った。
もらい泣きしていた真也も落ち着いたようだ。
「興津さん、きっともう一度筆を執ってくれますよ!」
「フンッ。別にアタシはそんなこと望んじゃいない」
真也はずっと前から気になっていたことを、ついに訊ねることにした。
「茉美さん、茉美さんって何者なんですか? 幽霊とか妖怪に妙に詳しいし、今だって実際に見てきたみたいに……。一緒に働く仲間なんですから、教えてくれても良いと思います」
茉美は妖艶な笑みを浮かべた。
「アタシは高納茉美。それ以外に何を知りたい? ……そうだねぇ、アタシの全てを知りたいのなら、ずっとここで働くことだ。1年後かもしれないし、10年後かもしれない。アタシはお前を気に入ってるんだ。これからもよろしく頼むよ、真也」
真也は以前にも同じことを言われたと思い出した。
――よろしく頼むよ、真也。
あの時と何も変わらない。
変わるのは奇抜な髪色だけという不思議な女性。
真也は茉美に認められていることが無性に嬉しくなった。
「しょっ、しょうがないですね! 僕は必ず茉美さんの秘密を教えてもらいますから!!」
1月の第2水曜日、終電間近の夜遅く。
年が明けて日が浅い週の真ん中でも、酒に酔うことで自我を保つ者は大勢いる。
2人の会社員が千鳥足で気持ち良く酔いながら帰宅中だ。
若白髪の男が言った。
「知ってるか? 幽霊を見たら、『Tisa』っつーところに行けば良いらしい。何でもそこの女主人に話をするだけで、憑き物がとれるんだと」
小太りの男は半信半疑のようだ。
「お前、騙されるクチだな? そういうのはウマイ話で釣って、しっかり金は請求するんだよ。何かと理由は付けてさあ!」
「いやいや、本当に金はいらんらしい。確か、ここら辺にあるはずなんだが……。あれ? 場所が違うのか?」
alouetteとKIの間には、小さな稲荷神社が鎮座している。
「ハハハ! 金とらねぇで除霊するって、そんな神様みたいな人がいるかよ~」
ゴチソウサマ、ゴチソウサマ。 (完)
君が淹れるお茶は美味しいね。
そうそう、私はいつまで続くか分からない人生、あまり先のことは知りたくないのです。
しかし知りたいという欲求を抑えるのは難しいものでして、まあ、事前に知っていれば回避できる危険もあるかもしれませんし。
少し先の記述を読んでしまう悪い癖がございます。
それでね、ここまでは昨日の出来事が書かれている。
ここから先は、未来もしくは現在進行形の出来事ということになります。
ただここだけインクがかすれて読みにくいんですよ。
これは一体何と書いているのでしょうか?
奇っ怪な本ですから、好奇心だけは無駄に刺激されるのですよ」
真也は本を覗き込んだ。
『ウ…………ミタ…………に……謁……救……れる』
と書かれている。
「救われるってことですかね? うーん、前半部分が全然分からないなあ」
頭を悩ませる真也に興津くじらも
「そうなんだ。救われるということは、私が何らかの危険に遭遇するということか……? お嬢さ、いや、ご主人はどう思いますか?」
茉美は大きくため息をつき、こう言い放った。
「知らん」
「ちょっ、茉美さん!! お客様に失礼ですよ!!」
咎める真也をよそに、茉美は嫌そうに口を開いた。
「そこに何が書かれているか、その本はどこから来たのかなどどうでも良いではないか。
読んで過去や未来を悟った気にでもなかったか?
いいや、お前は何も知らないのさ。
お前が28の時に自費で出版した処女作『グッドイヴニング』。
そのうちの一冊は何人ものやつらにたらい回しにされ、今は福留早紀という主婦が持っている。
彼女はお前の作品をいたく気に入り、今でも年に2回は暇を見つけて読了している。
彼女はそうそう書店に足を運ばない。
だからお前が次に新作を出版したとして、必ず手に取ってくれる保証はない。
それでも彼女はお前の作品の大ファンだ。
偶然書店に立ち寄った時、お前の名前を探すかもしれない。
お前が作品を完成させるのに費やした時間は決して無駄ではなかった、ということだ」
茉美はいつになく早口だった。
興津くじらは
「それは……それは嘘でも嬉しいことだなあ」
と言い、溢れ出る涙を抑えることができなかった。
「嘘ではない」
茉美はボソリとつぶやいたが、興津くじらは涙を拭うので精一杯である。
「この本は置いていけ。心の弱いお前がにらめっこするには、危険なものだ」
「ありがとうございます。ここはとても温かい場所だ」
興津くじらは店を出て、寒空の下を歩いて帰った。
もらい泣きしていた真也も落ち着いたようだ。
「興津さん、きっともう一度筆を執ってくれますよ!」
「フンッ。別にアタシはそんなこと望んじゃいない」
真也はずっと前から気になっていたことを、ついに訊ねることにした。
「茉美さん、茉美さんって何者なんですか? 幽霊とか妖怪に妙に詳しいし、今だって実際に見てきたみたいに……。一緒に働く仲間なんですから、教えてくれても良いと思います」
茉美は妖艶な笑みを浮かべた。
「アタシは高納茉美。それ以外に何を知りたい? ……そうだねぇ、アタシの全てを知りたいのなら、ずっとここで働くことだ。1年後かもしれないし、10年後かもしれない。アタシはお前を気に入ってるんだ。これからもよろしく頼むよ、真也」
真也は以前にも同じことを言われたと思い出した。
――よろしく頼むよ、真也。
あの時と何も変わらない。
変わるのは奇抜な髪色だけという不思議な女性。
真也は茉美に認められていることが無性に嬉しくなった。
「しょっ、しょうがないですね! 僕は必ず茉美さんの秘密を教えてもらいますから!!」
1月の第2水曜日、終電間近の夜遅く。
年が明けて日が浅い週の真ん中でも、酒に酔うことで自我を保つ者は大勢いる。
2人の会社員が千鳥足で気持ち良く酔いながら帰宅中だ。
若白髪の男が言った。
「知ってるか? 幽霊を見たら、『Tisa』っつーところに行けば良いらしい。何でもそこの女主人に話をするだけで、憑き物がとれるんだと」
小太りの男は半信半疑のようだ。
「お前、騙されるクチだな? そういうのはウマイ話で釣って、しっかり金は請求するんだよ。何かと理由は付けてさあ!」
「いやいや、本当に金はいらんらしい。確か、ここら辺にあるはずなんだが……。あれ? 場所が違うのか?」
alouetteとKIの間には、小さな稲荷神社が鎮座している。
「ハハハ! 金とらねぇで除霊するって、そんな神様みたいな人がいるかよ~」
ゴチソウサマ、ゴチソウサマ。 (完)
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