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十一、八

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「うわっ。なんやこれ」

 トールがクラちゃんの下から這い出てきた。「ばーちゃんちのカーテンかよ」とタケも転がり出た。

 最後におっさんが暖簾をまくるようにしてクラちゃんの触手の下から顔を出して、

「白桃様、花御堂様、扇ヶ谷様、サンシンさんも早く外へ!」

 と、一人ずつ顔ぶれを確認しながら切迫した声音で言った。

 トールとタケが先に出て、サンシンは子クラゲ一号と裏口から出ようとして、つっかえた。ずっとそばにいた二号が一号にポイーンと体当たりして押し出した。あとは住人の俺たち三人と。

「おっさんも!」

 おっさんはまだ触手の下にいた。

「僕はこの家の管理人ですから。守らないと皆様が住めなくなるんで。音漏れしないように裏口は閉めてください。鍵もちゃんとかけてくださいね。そうすれば契約していない方と契約した人から鍵を預かっていない方は地上へ出れませんので」

 おっさんは二コッと、家族愛に満ちた父性の笑顔で引っ込んだ。

「おっさん!」

 俺は触手の下に潜って扉を手探った。

「おっさん!」

 ノックをしても反応がない。どんなに気張って引っ張ろうとも扉は硬くて開かない。たったひとりで敵の対応をするつもりだ。自分だけ犠牲になろうとしているのだ。
 俺は驚怖きょうふした。何度も声をかけ扉を殴った。おっさんがいなくなったらすべての魔法が解ける。

「おっさん! おい! うわっ」

 家が横へ急発進し、俺はバランスを崩して横倒しになった。

「うわぁ! そいつは無理だろぉ!」

 タケが騒いでいる。クラちゃんがサンシンを追って裏口から出ようとしていた。

「これじゃあオギたちが出れないじゃないッ!」
「おいオーギガヤツ。水色の光が近づいているぞ」

 二階から川中島に言われ、俺はクラちゃんの触手を押し退け、踏んづけ、足を滑らす。うつ伏せで窓を見上げると、五つの水色の光がはっきりと視野に捉えた。母船から離脱したヴァチイネ海賊船団だ。ほんの米粒程度ではあるが、距離感がつかめない以上は規模がわからない。

「花御堂、アレってどれくらいのデカさなん!?」
「母船がアルカディア号並ですからね。少なくともこの家より大きいですよ」

 ハッコウソラクラゲの群れの光の流れに、おっさんがわずかばかりの体力で必死に足踏みしている姿が目に浮かぶ。それでも水色の光は小さくなるどころかじわじわ大きくなっていく。
 小指の爪ほどに達した時、一つの光の中に一点の赤が浮かんだ。花御堂が仰々と窓にへばりついた。

「トーキョーさん砲火してきました避けてぇッ!」

 赤い閃光が大きくなる。

「旭さんドア閉めてえッ!!」
「マブールマボール、エーボウビーボウ!!」

 俺の絶叫とおっさんの呪文が同時に上がった。

「アカン旭ちゃん!」
「おい、ぶつかるぞ」

 トールの慌てる声がして。川中島の言葉のあと。赤い光が家の中に差し込んだ。俺は目が眩み、気がついた時には体が宙に浮いていた。

 爆音に叩きつけられる。視界が赤黒白と点滅して火花が散る。意識が飛びかける。
 触手が顔をなでる。どうやらクラちゃんがクッションになり、俺は床に転がったらしい。

「家は……? 無事なんか……?」

 くらくらして視界が安定しない。仰向けになると、何かがクラちゃんの上から滑り落ちてきた。座布団であった。目の前がはっきりしてきたのと同時に、全身の痛みに見舞われる。

 どうやら家自体は無事らしい……が、テレビの画面は割れ、どんな軌道で飛んだのか円卓は二階の手すりに引っかかっている。点滅するシーリングライトにはこともあろうにメーテルらしき黒い物体が突き刺さっているのをクラちゃんの傘越しに見えた。

 特にキッチンが滅茶苦茶だ。もうフィギュアのことを謝らなくてもいいんだなあ、などと気の抜けた思考がよぎる。家具が俺にぶつからなかったのもクラちゃんの巨体のお陰だろう。

 そういえば他のクラゲはどうなっただろう。一匹も砲撃の被害に遭っていなければいいのだが。そんな思いも余裕が出てきた証拠なのだろうか。立ち上がるとよろめき、キッチンカウンターにすがった。

 ああ、まだまぶたの裏が赤くてちかちかする。謎の赤い石のせいでこんなことに。ラッキーカラーだったはずの色が、今や真逆の意味を孕んでいる。アクベンスさんの占い結果の期間が切れたのだ。

「アコベ……」

 束の間の焦燥。体の一部であるがゆえに、ずっと手持ちか身近にあると錯覚していた。しかしこんがらがった記憶を冷静に広げれば、リハーサルを終えたあの後、俺は一度魔術愛好会の部室に寄っているのだ。そこに当日必要な道具を保管していて、えんじぇるすの楽器も置かせてもらっている。
 部室の鍵は誰が管理しているのかというと、あそこの戸の鍵穴はどれも壊れていて使えない。初代会長の時代に何度かいたずらで侵入されたことがあるらしいが、みんな翌日に不幸な出来事に遭ってしまって誰も不用意に近づかなくなったらしい。さらに歴史をたどればあの教室で自殺した学生がいるらしい。

 とにかく初代会長のご加護と死んだ学生の怨念セキュリティを信頼するようにと、旭さんに告げられている俺は無条件に安堵して深呼吸をすると。

「本当に呪ってやる……」

 聞こえてきた旭さんの震えた怨声で、しっちゃかめっちゃかな現実に戻される。クラちゃんの下から鬼の形相でこっちをにらんでいた。

「勘弁してください……」

 俺は困惑しながら彼女を引き上げて抱きしめた。

「呪文で勇気が出たのはいいんですけど……無茶しないでください絶対に」
「私はオギが好きだから、本物の魔術が使えなくてもピンチの時はそばにいたい」
「旭さん……」
「何気に、下の名前で呼んでいるわね……別にいいけど……」

 尖らせた小さい唇に愛しさが込み上げる。彼女の真っ直ぐな瞳は俺を放さない。

「ここでディープキス……の場合じゃないですね。イタタ……」

 またしても現実に引き戻される。花御堂が窓際でヨガのポーズだ。軟質な脚を下ろし、頭をさすりながら起き上がる。

「今ので宇宙ゴミが分散しましたね。危なっかしいったらありゃしない……しかしこれは腹いせでしょうか? エネルギー反応が消えたのかもしれません。奴らは野蛮ですからね」

 石を持つサンシンは地上だ。探知できる距離から一瞬で外れて、急に石の行方が消えたように捉えたのかもしれない。家を破壊すれば進展があるとでもいうのだろうか。

「川中島は大丈夫か?」
「ハクトーさんだ。言ってみろ、ハクトーさんと」

 川中島は二階から一歩も動かないまま、腕を組んで立っていた。

「みんな無事やろうな!? 旭ちゃんは!?」

 トールが裏口を開けた。俺が「はい」と答えて五秒も立たないうちに「また来ました!」と花御堂が叫んだ。

「トールさん閉めて!」
「えっ! そんな――エッ?」

 裏口を閉めたのはクラちゃんだった。おっさんは呪文を唱え、俺は旭さんに覆いかぶさって床に伏せた。床が赤に染まり、黒い影が伸びて、家が激動した。

「どうなっちゃうの……?」

 旭さんは震えていた。

「おっさん! 魔法で反撃できねぇの!?」

 足元から「すみません! 相手を傷つけちゃう魔法は苦手で単位落としてるんです!」と返答が来る。単位ってなんだよ!

「やったら家ごと瞬間移動は!?」
「アレは角を曲がらないとダメなんです! やるなら地球の裏に行かないと!」
「じゃあクラちゃんを周るんは!?」
「家より小さいからムリです!」
「じゃあクラゲを寄せ集めてさ」
「その間に砲撃されたらどうするんですっ? なんて連盟に説明するんですかっ!」

 尖った声で批判したのは花御堂だ。ハッコウソラクラゲは相当なまでに神聖で神経を使う生物らしい。

「じゃあおっさんだけ店長らが乗ってる宇宙船まで行って丸ごと戻ってくるんは!?」
「遠すぎて魔法が届かないです!」

 思いつく限りの提案はことごとく払いのけられた。魔法は万能ではないことを痛感させられて、俺は歯噛みする。窮地に立たされたのか。

「では僕が石を持って家から遠ざかりましょう!」

 サンシンから石を受け取ろうと裏口へ向かう黒い脚が見えた。

「駄目だ花御堂!」

 俺は追いかけた。バイオレットスワンに乗って、囮になるつもりなのだ。

「ヒーローが来るまで何とかするのが僕たちの役目です、とか言ってみますかね」

 奴はクラちゃんの陰から茶化すように言ってのける。

「なんだよオメェの言うヒーローって! 主人公か! スポーツのMVPか! オメェまで犠牲になろうとすんなや!」
「犠牲は最小限に食い止めなければなりません。僕も銀河団の一員ですから、一般人を守る義務があります」
「俺はあんたと家族の一員やねんぞ!」
「かぞく?」

 ぴたりと足が止まった。俺は花御堂の肩をつかむ。振り返った紫の地球人は渋い顔をしていて、眼鏡のフレームが歪んでレンズが傾いていた。

「ほうや! ひとりにはでけん!」

 花御堂は俺を軽く突き飛ばす。

「じゃあ、応援が来るまで耐えればよろしいと?」
「いや駄目や! ここは俺らの家なんやから!」
「うっとうしいヒトですね。宇宙間の争いごとにおいて君は初心者ですらないんです。存亡を黙って見守るか、何も知らぬまま過ごすのがごく一般市民としての在り方でしょう? 君が君にとって得体の知れないエイリアンに立ち向かうなんて賢明ではありませんし僕が許さないぞ」

 俺をあしらおうと早口だ。目は厳しくつり上がり、唇は左右非対称に歪み、俺を指差す手は力を込めるあまり震えていた。

「俺だって許さんわいや! もうちっと待ぢぃ考えるげぇなッ!」

 金田一耕助のように頭をかきむしった。

 俺たちの魔法の家。一方的に攻撃されるだけだなんて絶対に嫌だ。おっさんの体力は無限ではない。魔力だって底をつくだろう。
 こんな時に雉子がいてくれたなら、あの強烈なエネルギー弾をぶちかませられるのに。本当に反撃はできないのか? なんでもいいから何か、攻撃を。攻撃魔法を――


 ――マハリクマハリタ!


 その時、俺の脳裏によぎったのは江井先輩のピアスの光であった。そして。


 ――あのう。天使ってやっぱり――
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