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2、【ドーワ】くん
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ぼくはかつてH小の教師だった。カバンも服も自由なN小に比べ、H小には指定された制服とランドセルがあった。たとえ遺伝で茶髪だったとしても、両親が西洋人でない限りは黒に染めなければならなくて、天然パーマも矯正させるほどに校則が堅苦しいところだった。
「地毛ならいいじゃありませんか」
「それが原因でイジメが起こった前例があるんです。軽はずみな発言はよしてください」
ぼくが意見を言うと、おまえはなんにもわかってないなという呆れた眼差しを年配の先生から向けられた。
なんというか……“イジメが起きないように”気をつけるのはいいけれど、個性の統一をおこなうことで“イジメられないように”気を配っているように思えた。
配慮もむなしく、三年一組ではイジメが起きていた。とある男子が勇気を出してくれて、【ドーワ】くんがAくんたちからイジメを受けていることをこっそり明かしてくれた。なぜ担任の先生ではなく三組担任のぼくに教えてくれたのかというと、チクリがばれたら自分がイジメられるかもしれないからだ。
【ドーワ】くんはカギっ子で、カギをペンダントのように身につけていて、それをムリやり取って捨てたり、ヒモを引っぱって尻もちをつかせたりしているという。【ドーワ】くんの首にはアザが残っていた。
教員の本採用で初めてのイジメ問題に、ぼくはものスゴくやる気を出した。というのも、ぼくが小学生の頃、ぼくのクラスでもイジメがあった。ぼくは見ているだけだった。
……【テッタ】はいつも「くさい」と言われていた。彼が触ったものはみんな「テッタ菌がついてばっちぃ」と、クラスは拒絶した。クシャミすら許されない。女子が落とした筆箱を【テッタ】が拾ってあげると、女子は泣いてゴミ箱に捨てた。女子はみんな彼が悪いと怒った。ぼくもそう思っていた。
やがて【テッタ】は転校した。理由は思いつかなかったし、考えようともしていなかった。彼がいなくなってから、ぼくに役が回ってきた。ようやく【テッタ】の気持ちに気がついた。気がつくのが遅すぎたということにも気がついた。
当然、同窓会に現れるワケがなく、謝る機会は永遠に訪れることはないだろう。実は大手企業の専務になっているとか、総合格闘家のチャンピオンになっているとか、闇金業者のボスになっているとか……ぼくらが土下座をせざるを得ない力強いオーラをまとった男になって登場してくれたらどれだけ良かったことか。とにかく、ぼくが教員を目指そうと思ったのは、そういう土台があってのことだった。
まず、休み時間や放課後を利用して【ドーワ】くんと世間話することから始めた。最初は肩をすくめて、曖昧にぼくの話に相槌を打っていたのが、やがて家のことをぽつぽつと話してくれるようになった。
両親は共働きで、帰っても誰もいないこと。父親は単身赴任。母親が夜遅く仕事から帰ってくるまで、宿題や通信教育をしながらドラマの再放送を見たりすること。一度だけ家族三人でディズニーランドに行って、パンチート(どうしても思い出せなかったので、慣れないウィンドウズでネット検索した。カウボーイ風の赤っぽい鳥のキャラクターだ)に肩を組まれてからファンになったこと。最近よく聞くCDは『B'z』で、呼び方のアクセントは前にあるということ。
それから、想像力豊かにおもしろい話を話してくれるまでになった。例えば、性格も追い立ちも異なる七人の子どもたちが夜の学校で大冒険をする話だ。魔法の実験の授業を受けたり、オバケとドッジボール対決をしたり。
愉快痛快な想像を泉のようにあふれ出させて語るものだから、試しに絵にしてみたらどうだなんて言ってみれば、翌朝にはぼくのためだけに画用紙一杯に描いて提出してくれた。ぼくは今でも書斎に飾ってあるし、彼からの年賀状や暑中見舞いが毎年楽しみだ。今でもパンチートが好きらしく、リスペクトしてオリジナルの鳥のキャラクターをサイン代わりにしている……。
【ドーワ】くんは両親を気をつかうあまり引っ込み思案の性格になっていた。自分から話しかけることができなくて、だからクラスのみんなは彼の魅力に気づかない。だからクラスで作品の展覧会をするとか……みんなで何かを発表する時間を設ければいいんじゃないか。それで【ドーワ】くんはスゴイヤツだって、味方ができないか。そう思ったぼくは、相談してくれた子の名前は明かさずに、一組の担任にAくんたちのイジメについても含めて話を持ちかけた。
驚いたことに、Aくんはマジメに授業を聞くし、テストの成績もいいし、掃除だってちゃんとやっている、笑顔が素敵な大変優秀な子で、生徒の“お手本”の彼がイジメをしているというのは信じられないと一組担任は言った。嫉妬でデマを流しているとまで言ってのけた。
うちはうち、よそはよそという具合に、一組担任は提案を却下した。食い下がってアンケートは取ると約束してくれたが、結果を聞き出せなかった。今思えば、もっと手順を踏んでいれば、あの人ももっと耳を傾けてくれていたかもしれないし、Aくんたちとも一人一人きちんと面談しておけば、引き出せたものもあったかもしれない。イジメ問題の渦中は【ドーワ】くんで、彼を軸に問題を解決できると、あの頃のぼくはこだわってしまっていた。
休み時間になると、すぐに【ドーワ】くんは職員室にいるぼくのところに避難した。ぼくがそうするように言ったのだけれど、イジメのステージは校内から校外に移動しただけだった。カギを溝に捨てられて家に入れなくなったり、溝に突き落とされたりしたらしい。ぼくの父が酔っぱらって溝にはまり、スネは血だらけ、骨にヒビが入ってしまうほどのケガをしたことがあるから、その行為がどれだけキケンか知っていた。
焦ったぼくは一組担任に黙ってAくんたちの保護者に会った。フシギなことに、親たちは“イジメられてないか”を心配するも“イジメていないか”を心配しない。イジメられっ子よりもイジメっ子の方が人口率は高いというのに。
一組担任を介してぼくにクレームが来た。他の教員からも注意を受けたが、ぼくはムキになっていた。ヒジョーに甘かった。ぼくのクラスの女子グループの一つに「どうしてアイツばかりかまってんの?」と引きつらせた笑みで言われた時に気づくべきだった。【ドーワ】くんが申し訳なさそうに教えてくれるまで、まさか自分の生徒までもが彼をイジメていたとは夢にも思わなかった。イジメとは学級内でとどまらず、学年全体にまで広がっていく恐れも十分にあったのに、Aくんの担任と同様に、ぼく自身も自分のクラスを信じていた。
裏切られたと、ぼくは許せなかった。“おわりの会”に教室に入るや、しんと教室は静まり返った。ぼくは【ドーワ】くんをイジメた者、それを見たことある者は挙手するよう言った。ワークシートの方が良かっただろうに。
全員そろってうつむいて黙ったものだから腹は煮えくり返り、一人一人平手打ちをした。最後の一人を残した時にはぼくもみんなも泣いていて、異常を察した二組の担任がぼくを止めにかかった。ぼくは振り払って最後の一人をぶち、イジメを黙殺することがどれだけ醜いことか訴えた。その時のぼくの顔こそが醜かったろう。
ぼくは【テッタ】に許しを請いたかった。彼に許されたかった。それができないから、まともな良い人間になって少しでも罪をやわらげたかった。もしかしたら、いつの日か彼の子どもがぼくの生徒になるかもしれない……なんて都合の良すぎる夢も抱いてさえいた。そんなどうしようもない理由で教師を目指した男だ。根本的なところはクズのまんまであったということだろう。そして罪を重ねてしまったのだ。
PTAと教育委員会を交えた会議が体育館でおこなわれた。この子は本当に何も知らなかった、などと保護者からの膨大なクレームをほぼ一人で対応し謝罪したあとのことだ。時代が時代ならニュースに取り上げられて、社会からも強烈な批判を受けていたことだろう。
疲れ果てていたぼくは、あの人たちの話をしっかりと聞けていなかった気がする。それでもクラス全員ビンタの件を反省し切れずに、ずっと顔をしかめていた記憶はある。今にも泣きそうな表情に見えたのだろう、かばってくれた人もいたけれども、むなしく思えた。
【ドーワ】くんをイジメから救うのに熱心なあまり多少に行き過ぎてしまっただけだと、トゲトゲしくて痛々しい空気が薄まりつつあると、これは立派な体罰だとPTAの副会長が異議を唱えた。
そのご婦人こそAくんの母親。ぼくが顔をしかめていたのは彼女が息子の悪事を根っから否定していたからでもあった。我が子をかばいたい気持ちはわかるが、態度が不快だった。
このA氏がまたクセのあるヒステリーな人物で、真珠のピアスを耳たぶの下で揺らしながら、被害者面してぼくを責め立てた。これならAくんがイジメっ子になってしまうのも、一つの原因としてうなずけた。Aくんもある意味で被害者だったと思う。だからといって、誰かを傷つけるなんて許されるものじゃない……なんて、ぼくが言う資格は失われている。
また爆発しそうだった右手の震えを押さえ込み、あくまでも冷静に彼女にイジメの存在を認めるよう言った。しかし彼女は、議論すべき問題はぼくの体罰だと一貫して主張し続け、提示されていたイジメ問題の行方があやふやとなった。どうやらこのPTA副会長はH小界隈では恐れられているらしい。なるほどこれが”イジメられないように“だったワケだ。
子どもたちの声も届かず、とうとうぼくは、教育指導が児童に合わなかった、そっちのけで学級全体をちゃんと見渡せていなかったと、ぼく個人の問題として来年度まで謹慎を命じられた。
ニ、三日経って、【ドーワ】くんが気がかりで学校に電話すると、ずっと欠席だと知った。直接電話してみると、先生が学校に来ないならぼくも行かない、とのことだった。
「先生、全員にビンタするのはよくないよ。何も言えない子とか、ビンタするなんてよくない」
と、叱られてしまった。何も言えない子だった彼の本音が胸に刺さった。
「先生あのね、うれしいけどうれしくないげん。だってぼくのせいで痛いことされるんはイヤやもん。先生だって、そんなことされたらいややろ?」
ぼくはうなだれた。イジメっ子に対し「同じことされたらどう思う?」という問いかけをよくされるが、まさか子どもの方から問われるとは情けない。
「でも先生はまだイジメっ子の仲間入りしとらんと思うよ」
明るめに【ドーワ】くんは言った。
「家にずっとおったらヒマやないけ? そん時はおもしろい話聞かせたげるよ」
今までしてきた会話の中で一番元気な声で、ぼくも思わず笑ってしまった。一番情けない笑い声だった。
「地毛ならいいじゃありませんか」
「それが原因でイジメが起こった前例があるんです。軽はずみな発言はよしてください」
ぼくが意見を言うと、おまえはなんにもわかってないなという呆れた眼差しを年配の先生から向けられた。
なんというか……“イジメが起きないように”気をつけるのはいいけれど、個性の統一をおこなうことで“イジメられないように”気を配っているように思えた。
配慮もむなしく、三年一組ではイジメが起きていた。とある男子が勇気を出してくれて、【ドーワ】くんがAくんたちからイジメを受けていることをこっそり明かしてくれた。なぜ担任の先生ではなく三組担任のぼくに教えてくれたのかというと、チクリがばれたら自分がイジメられるかもしれないからだ。
【ドーワ】くんはカギっ子で、カギをペンダントのように身につけていて、それをムリやり取って捨てたり、ヒモを引っぱって尻もちをつかせたりしているという。【ドーワ】くんの首にはアザが残っていた。
教員の本採用で初めてのイジメ問題に、ぼくはものスゴくやる気を出した。というのも、ぼくが小学生の頃、ぼくのクラスでもイジメがあった。ぼくは見ているだけだった。
……【テッタ】はいつも「くさい」と言われていた。彼が触ったものはみんな「テッタ菌がついてばっちぃ」と、クラスは拒絶した。クシャミすら許されない。女子が落とした筆箱を【テッタ】が拾ってあげると、女子は泣いてゴミ箱に捨てた。女子はみんな彼が悪いと怒った。ぼくもそう思っていた。
やがて【テッタ】は転校した。理由は思いつかなかったし、考えようともしていなかった。彼がいなくなってから、ぼくに役が回ってきた。ようやく【テッタ】の気持ちに気がついた。気がつくのが遅すぎたということにも気がついた。
当然、同窓会に現れるワケがなく、謝る機会は永遠に訪れることはないだろう。実は大手企業の専務になっているとか、総合格闘家のチャンピオンになっているとか、闇金業者のボスになっているとか……ぼくらが土下座をせざるを得ない力強いオーラをまとった男になって登場してくれたらどれだけ良かったことか。とにかく、ぼくが教員を目指そうと思ったのは、そういう土台があってのことだった。
まず、休み時間や放課後を利用して【ドーワ】くんと世間話することから始めた。最初は肩をすくめて、曖昧にぼくの話に相槌を打っていたのが、やがて家のことをぽつぽつと話してくれるようになった。
両親は共働きで、帰っても誰もいないこと。父親は単身赴任。母親が夜遅く仕事から帰ってくるまで、宿題や通信教育をしながらドラマの再放送を見たりすること。一度だけ家族三人でディズニーランドに行って、パンチート(どうしても思い出せなかったので、慣れないウィンドウズでネット検索した。カウボーイ風の赤っぽい鳥のキャラクターだ)に肩を組まれてからファンになったこと。最近よく聞くCDは『B'z』で、呼び方のアクセントは前にあるということ。
それから、想像力豊かにおもしろい話を話してくれるまでになった。例えば、性格も追い立ちも異なる七人の子どもたちが夜の学校で大冒険をする話だ。魔法の実験の授業を受けたり、オバケとドッジボール対決をしたり。
愉快痛快な想像を泉のようにあふれ出させて語るものだから、試しに絵にしてみたらどうだなんて言ってみれば、翌朝にはぼくのためだけに画用紙一杯に描いて提出してくれた。ぼくは今でも書斎に飾ってあるし、彼からの年賀状や暑中見舞いが毎年楽しみだ。今でもパンチートが好きらしく、リスペクトしてオリジナルの鳥のキャラクターをサイン代わりにしている……。
【ドーワ】くんは両親を気をつかうあまり引っ込み思案の性格になっていた。自分から話しかけることができなくて、だからクラスのみんなは彼の魅力に気づかない。だからクラスで作品の展覧会をするとか……みんなで何かを発表する時間を設ければいいんじゃないか。それで【ドーワ】くんはスゴイヤツだって、味方ができないか。そう思ったぼくは、相談してくれた子の名前は明かさずに、一組の担任にAくんたちのイジメについても含めて話を持ちかけた。
驚いたことに、Aくんはマジメに授業を聞くし、テストの成績もいいし、掃除だってちゃんとやっている、笑顔が素敵な大変優秀な子で、生徒の“お手本”の彼がイジメをしているというのは信じられないと一組担任は言った。嫉妬でデマを流しているとまで言ってのけた。
うちはうち、よそはよそという具合に、一組担任は提案を却下した。食い下がってアンケートは取ると約束してくれたが、結果を聞き出せなかった。今思えば、もっと手順を踏んでいれば、あの人ももっと耳を傾けてくれていたかもしれないし、Aくんたちとも一人一人きちんと面談しておけば、引き出せたものもあったかもしれない。イジメ問題の渦中は【ドーワ】くんで、彼を軸に問題を解決できると、あの頃のぼくはこだわってしまっていた。
休み時間になると、すぐに【ドーワ】くんは職員室にいるぼくのところに避難した。ぼくがそうするように言ったのだけれど、イジメのステージは校内から校外に移動しただけだった。カギを溝に捨てられて家に入れなくなったり、溝に突き落とされたりしたらしい。ぼくの父が酔っぱらって溝にはまり、スネは血だらけ、骨にヒビが入ってしまうほどのケガをしたことがあるから、その行為がどれだけキケンか知っていた。
焦ったぼくは一組担任に黙ってAくんたちの保護者に会った。フシギなことに、親たちは“イジメられてないか”を心配するも“イジメていないか”を心配しない。イジメられっ子よりもイジメっ子の方が人口率は高いというのに。
一組担任を介してぼくにクレームが来た。他の教員からも注意を受けたが、ぼくはムキになっていた。ヒジョーに甘かった。ぼくのクラスの女子グループの一つに「どうしてアイツばかりかまってんの?」と引きつらせた笑みで言われた時に気づくべきだった。【ドーワ】くんが申し訳なさそうに教えてくれるまで、まさか自分の生徒までもが彼をイジメていたとは夢にも思わなかった。イジメとは学級内でとどまらず、学年全体にまで広がっていく恐れも十分にあったのに、Aくんの担任と同様に、ぼく自身も自分のクラスを信じていた。
裏切られたと、ぼくは許せなかった。“おわりの会”に教室に入るや、しんと教室は静まり返った。ぼくは【ドーワ】くんをイジメた者、それを見たことある者は挙手するよう言った。ワークシートの方が良かっただろうに。
全員そろってうつむいて黙ったものだから腹は煮えくり返り、一人一人平手打ちをした。最後の一人を残した時にはぼくもみんなも泣いていて、異常を察した二組の担任がぼくを止めにかかった。ぼくは振り払って最後の一人をぶち、イジメを黙殺することがどれだけ醜いことか訴えた。その時のぼくの顔こそが醜かったろう。
ぼくは【テッタ】に許しを請いたかった。彼に許されたかった。それができないから、まともな良い人間になって少しでも罪をやわらげたかった。もしかしたら、いつの日か彼の子どもがぼくの生徒になるかもしれない……なんて都合の良すぎる夢も抱いてさえいた。そんなどうしようもない理由で教師を目指した男だ。根本的なところはクズのまんまであったということだろう。そして罪を重ねてしまったのだ。
PTAと教育委員会を交えた会議が体育館でおこなわれた。この子は本当に何も知らなかった、などと保護者からの膨大なクレームをほぼ一人で対応し謝罪したあとのことだ。時代が時代ならニュースに取り上げられて、社会からも強烈な批判を受けていたことだろう。
疲れ果てていたぼくは、あの人たちの話をしっかりと聞けていなかった気がする。それでもクラス全員ビンタの件を反省し切れずに、ずっと顔をしかめていた記憶はある。今にも泣きそうな表情に見えたのだろう、かばってくれた人もいたけれども、むなしく思えた。
【ドーワ】くんをイジメから救うのに熱心なあまり多少に行き過ぎてしまっただけだと、トゲトゲしくて痛々しい空気が薄まりつつあると、これは立派な体罰だとPTAの副会長が異議を唱えた。
そのご婦人こそAくんの母親。ぼくが顔をしかめていたのは彼女が息子の悪事を根っから否定していたからでもあった。我が子をかばいたい気持ちはわかるが、態度が不快だった。
このA氏がまたクセのあるヒステリーな人物で、真珠のピアスを耳たぶの下で揺らしながら、被害者面してぼくを責め立てた。これならAくんがイジメっ子になってしまうのも、一つの原因としてうなずけた。Aくんもある意味で被害者だったと思う。だからといって、誰かを傷つけるなんて許されるものじゃない……なんて、ぼくが言う資格は失われている。
また爆発しそうだった右手の震えを押さえ込み、あくまでも冷静に彼女にイジメの存在を認めるよう言った。しかし彼女は、議論すべき問題はぼくの体罰だと一貫して主張し続け、提示されていたイジメ問題の行方があやふやとなった。どうやらこのPTA副会長はH小界隈では恐れられているらしい。なるほどこれが”イジメられないように“だったワケだ。
子どもたちの声も届かず、とうとうぼくは、教育指導が児童に合わなかった、そっちのけで学級全体をちゃんと見渡せていなかったと、ぼく個人の問題として来年度まで謹慎を命じられた。
ニ、三日経って、【ドーワ】くんが気がかりで学校に電話すると、ずっと欠席だと知った。直接電話してみると、先生が学校に来ないならぼくも行かない、とのことだった。
「先生、全員にビンタするのはよくないよ。何も言えない子とか、ビンタするなんてよくない」
と、叱られてしまった。何も言えない子だった彼の本音が胸に刺さった。
「先生あのね、うれしいけどうれしくないげん。だってぼくのせいで痛いことされるんはイヤやもん。先生だって、そんなことされたらいややろ?」
ぼくはうなだれた。イジメっ子に対し「同じことされたらどう思う?」という問いかけをよくされるが、まさか子どもの方から問われるとは情けない。
「でも先生はまだイジメっ子の仲間入りしとらんと思うよ」
明るめに【ドーワ】くんは言った。
「家にずっとおったらヒマやないけ? そん時はおもしろい話聞かせたげるよ」
今までしてきた会話の中で一番元気な声で、ぼくも思わず笑ってしまった。一番情けない笑い声だった。
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