12 / 26
第三章 初めてのはなればなれ
タクトとアリス
しおりを挟む
――『界の狭間』から落ちて、ヴィオレットの森にやってきて十年。タクトは十六歳になった。
もうこちらでの生活の方が長い。
昨年、『扉の魔女』ゾエが亡くなった。寝付くことが増えたと思ったらあっという間で、ある朝眠ったまま二度と起きてはくれなかった。
タクトはもちろん悲しかったけれど、それよりもエマが心配で仕方なかった。ふとした瞬間に泣き出して、そうでないときも呆然としていたエマだけれど、最初の満月の夜に迷子が現れて『扉の魔女』の仕事を迫られたことで立ち直ったようだった。
それから一年、タクトはヴィオレットの森の『魔女の家』で、『扉の魔女』を継いだエマ、魔女の使い魔のカイの三人で暮らしている。
「あれ? エマは?」
ヴェール村の商店にエマが染めた布を卸して、いつものようにアリスの店に行くと、さっそくそう聞かれた。
いつもはエマと一緒のタクトが一人で来たのだから当然だろう。
「今日は辺境伯家に呼ばれてるから、後から来るって」
「ふぅん。タクトはいいの?」
「ブリジット様のお招きだから、僕は行かない方がいいんだ」
騎士団の訓練に参加させてもらうのはまだ週に一度続いている。そのときはいいし、辺境伯オーブリーや令息セドリックに呼ばれたらタクトも一緒に行くけれど、令嬢ブリジットや辺境伯夫人サビーナに呼ばれたときは行かないことにしている。
今日はブリジットの社交界デビューの衣装合わせだそうだ。ドレスに使う布を依頼されてエマが染めたのは半年ほど前だ。出来上がったドレスを見せてもらうのだとうれしそうに話していた。
「タクト、ブリジット様に気に入られてるんだって?」
アリスはおもしろそうに笑った。
「誰から聞いたの?」
「ヴェール村から辺境伯家に働きに行ってる人がいるのよ」
「ああ、そう」
厨房で、アリスの父である料理長とアリスと最近結婚したばかりのドニに挨拶して、今日の一品を一緒に作らせてもらう。もう教えてもらうことはあまりなくて、二人分だと不経済になる材料を分けてもらったり、まとめて作った方がおいしいおかずを分けてもらったりするほうが多かった。
アリスは気にせずに、カウンター越しに話し続ける。
「ブリジット様のこと、正直どうなの?」
「面倒くさい」
「ひどい言い方ねぇ」
「正直にって言ったのそっちだろ」
昔からブリジットには好かれているような気がしていた。成長したら貴族の付き合いも出てきて自分のことなどどうでもよくなるかと思っていたのに、今でも続いている。
辺境伯家は『扉の魔女』の庇護者だ。アリス達領民とは少し関わり方が違うとは言っても、向こうは貴族だし気を使う。思い切り傷つけてでも断っていいならよほど楽なのに。それができないとなると避けるしかない。とはいっても、ブリジットはヴィオレットの森に来ることはないし、騎士団の訓練に顔を出すこともないから、それほど難しいことではなかった。一人で辺境伯家に出かけていくエマを待つ間少しやきもきするくらいだ。
ブリジットがデビューしたらきっと婚約者が決められて、どこかに嫁ぐのだろう。それまでの辛抱だとタクトは考えていた。
ピクルスにする根菜を切る役目をこなすタクトに、アリスはさらに話し続ける。
「ねえ、エマとは正直どうなの?」
「どうって?」
「結婚するの?」
「姉さんが望むならね」
「え、タクトはいいの? 好きなんでしょ?」
アリスはカウンターから身を乗り出す。ふと振り返ると、料理長もドニも興味津々でこちらを見ていた。
「僕は姉さんとずっと一緒にいられたらそれでいい」
エマはヴィオレットの森から離れられないから、タクトが出て行かなければそれは叶うのだ。きょうだい愛や家族愛だけれど、一緒に暮らすのに必要な愛情はある。無理に恋愛や結婚を迫る必要はなかった。
「エマに好きな人ができたらどうするの?」
「できないようにするから大丈夫」
「できないようにって、あなたねぇ」
アリスは呆れた声で、タクトを指さすと、
「エマを森に閉じ込めたりしないでよね?」
「しないよ」
本当はしたいけれど、エマに嫌われたくはない。
今だって、日常生活の世話を焼くことで、エマを囲い込んでいるようなものだ。タクトがいないと何もできないとエマに思ってほしかった。
「ゾエさんが亡くなったあと、しばらくエマが村に来なかったでしょ? あのときはすごく心配したんだから」
「うん。わかってる」
最初の満月までの数週間だ。あのときは、タクトが食べさせたり寝かしつけたりしていた。エマが心配だったし早く元気になってほしいと思っていたけれど、自分に全てをゆだねてしまっているエマに背徳的な満足感を得てもいた。タクトは、エマを誰にも渡したくないと思うたび、あのときの気持ちを思い出して後ろめたかった。
もうこちらでの生活の方が長い。
昨年、『扉の魔女』ゾエが亡くなった。寝付くことが増えたと思ったらあっという間で、ある朝眠ったまま二度と起きてはくれなかった。
タクトはもちろん悲しかったけれど、それよりもエマが心配で仕方なかった。ふとした瞬間に泣き出して、そうでないときも呆然としていたエマだけれど、最初の満月の夜に迷子が現れて『扉の魔女』の仕事を迫られたことで立ち直ったようだった。
それから一年、タクトはヴィオレットの森の『魔女の家』で、『扉の魔女』を継いだエマ、魔女の使い魔のカイの三人で暮らしている。
「あれ? エマは?」
ヴェール村の商店にエマが染めた布を卸して、いつものようにアリスの店に行くと、さっそくそう聞かれた。
いつもはエマと一緒のタクトが一人で来たのだから当然だろう。
「今日は辺境伯家に呼ばれてるから、後から来るって」
「ふぅん。タクトはいいの?」
「ブリジット様のお招きだから、僕は行かない方がいいんだ」
騎士団の訓練に参加させてもらうのはまだ週に一度続いている。そのときはいいし、辺境伯オーブリーや令息セドリックに呼ばれたらタクトも一緒に行くけれど、令嬢ブリジットや辺境伯夫人サビーナに呼ばれたときは行かないことにしている。
今日はブリジットの社交界デビューの衣装合わせだそうだ。ドレスに使う布を依頼されてエマが染めたのは半年ほど前だ。出来上がったドレスを見せてもらうのだとうれしそうに話していた。
「タクト、ブリジット様に気に入られてるんだって?」
アリスはおもしろそうに笑った。
「誰から聞いたの?」
「ヴェール村から辺境伯家に働きに行ってる人がいるのよ」
「ああ、そう」
厨房で、アリスの父である料理長とアリスと最近結婚したばかりのドニに挨拶して、今日の一品を一緒に作らせてもらう。もう教えてもらうことはあまりなくて、二人分だと不経済になる材料を分けてもらったり、まとめて作った方がおいしいおかずを分けてもらったりするほうが多かった。
アリスは気にせずに、カウンター越しに話し続ける。
「ブリジット様のこと、正直どうなの?」
「面倒くさい」
「ひどい言い方ねぇ」
「正直にって言ったのそっちだろ」
昔からブリジットには好かれているような気がしていた。成長したら貴族の付き合いも出てきて自分のことなどどうでもよくなるかと思っていたのに、今でも続いている。
辺境伯家は『扉の魔女』の庇護者だ。アリス達領民とは少し関わり方が違うとは言っても、向こうは貴族だし気を使う。思い切り傷つけてでも断っていいならよほど楽なのに。それができないとなると避けるしかない。とはいっても、ブリジットはヴィオレットの森に来ることはないし、騎士団の訓練に顔を出すこともないから、それほど難しいことではなかった。一人で辺境伯家に出かけていくエマを待つ間少しやきもきするくらいだ。
ブリジットがデビューしたらきっと婚約者が決められて、どこかに嫁ぐのだろう。それまでの辛抱だとタクトは考えていた。
ピクルスにする根菜を切る役目をこなすタクトに、アリスはさらに話し続ける。
「ねえ、エマとは正直どうなの?」
「どうって?」
「結婚するの?」
「姉さんが望むならね」
「え、タクトはいいの? 好きなんでしょ?」
アリスはカウンターから身を乗り出す。ふと振り返ると、料理長もドニも興味津々でこちらを見ていた。
「僕は姉さんとずっと一緒にいられたらそれでいい」
エマはヴィオレットの森から離れられないから、タクトが出て行かなければそれは叶うのだ。きょうだい愛や家族愛だけれど、一緒に暮らすのに必要な愛情はある。無理に恋愛や結婚を迫る必要はなかった。
「エマに好きな人ができたらどうするの?」
「できないようにするから大丈夫」
「できないようにって、あなたねぇ」
アリスは呆れた声で、タクトを指さすと、
「エマを森に閉じ込めたりしないでよね?」
「しないよ」
本当はしたいけれど、エマに嫌われたくはない。
今だって、日常生活の世話を焼くことで、エマを囲い込んでいるようなものだ。タクトがいないと何もできないとエマに思ってほしかった。
「ゾエさんが亡くなったあと、しばらくエマが村に来なかったでしょ? あのときはすごく心配したんだから」
「うん。わかってる」
最初の満月までの数週間だ。あのときは、タクトが食べさせたり寝かしつけたりしていた。エマが心配だったし早く元気になってほしいと思っていたけれど、自分に全てをゆだねてしまっているエマに背徳的な満足感を得てもいた。タクトは、エマを誰にも渡したくないと思うたび、あのときの気持ちを思い出して後ろめたかった。
10
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
転生嫌われ令嬢の幸せカロリー飯
赤羽夕夜
恋愛
15の時に生前OLだった記憶がよみがえった嫌われ令嬢ミリアーナは、OLだったときの食生活、趣味嗜好が影響され、日々の人間関係のストレスを食や趣味で発散するようになる。
濃い味付けやこってりとしたものが好きなミリアーナは、令嬢にあるまじきこと、いけないことだと認識しながらも、人が寝静まる深夜に人目を盗むようになにかと夜食を作り始める。
そんななかミリアーナの父ヴェスター、父の専属執事であり幼い頃自分の世話役だったジョンに夜食を作っているところを見られてしまうことが始まりで、ミリアーナの変わった趣味、食生活が世間に露見して――?
※恋愛要素は中盤以降になります。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
【完結】恋につける薬は、なし
ちよのまつこ
恋愛
異世界の田舎の村に転移して五年、十八歳のエマは王都へ行くことに。
着いた王都は春の大祭前、庶民も参加できる城の催しでの出来事がきっかけで出会った青年貴族にエマはいきなり嫌悪を向けられ…
悪役令嬢は二度も断罪されたくない!~あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?~
イトカワジンカイ
恋愛
(あれって…もしや断罪イベントだった?)
グランディアス王国の貴族令嬢で王子の婚約者だったアドリアーヌは、国外追放になり敵国に送られる馬車の中で不意に前世の記憶を思い出した。
「あー、小説とかでよく似たパターンがあったような」
そう、これは前世でプレイした乙女ゲームの世界。だが、元社畜だった社畜パワーを活かしアドリアーヌは逆にこの世界を満喫することを決意する。
(これで憧れのスローライフが楽しめる。ターシャ・デューダのような自給自足ののんびり生活をするぞ!)
と公爵令嬢という貴族社会から離れた”平穏な暮らし”を夢見ながら敵国での生活をはじめるのだが、そこはアドリアーヌが断罪されたゲームの続編の世界だった。
続編の世界でも断罪されることを思い出したアドリアーヌだったが、悲しいかな攻略対象たちと必然のように関わることになってしまう。
さぁ…アドリアーヌは2度目の断罪イベントを受けることなく、平穏な暮らしを取り戻すことができるのか!?
「あのー、私に平穏な暮らしをさせてくれませんか?」
※ファンタジーなので細かいご都合設定は多めに見てください(´・ω・`)
※小説家になろう、ノベルバにも掲載
婚約破棄された地味姫令嬢は獣人騎士団のブラッシング係に任命される
安眠にどね
恋愛
社交界で『地味姫』と嘲笑されている主人公、オルテシア・ケルンベルマは、ある日婚約破棄をされたことによって前世の記憶を取り戻す。
婚約破棄をされた直後、王城内で一匹の虎に出会う。婚約破棄と前世の記憶と取り戻すという二つのショックで呆然としていたオルテシアは、虎の求めるままブラッシングをしていた。その虎は、実は獣人が獣の姿になった状態だったのだ。虎の獣人であるアルディ・ザルミールに気に入られて、オルテシアは獣人が多く所属する第二騎士団のブラッシング係として働くことになり――!?
【第16回恋愛小説大賞 奨励賞受賞。ありがとうございました!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる