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「あ、あの……」
「んー……なんだい、青年?」


 雨の日、電信柱の下に落ちていたお姉さんを見つけた。こういう時の定番は段ボール箱の中の猫なのだろうが、何故か俺の場合は傘も差さずに湿気ったタバコを右手に持ち、左手には銀色の缶のビールを持った年上の女性だった。

 雨に濡れてペシャっとした長い栗色の髪が綺麗なその人は、白いシャツの上から青いデニムのジャケットを着ていて、下はカーキのパンツといった格好だった。せっかくのメイクも雨に濡れてぐちゃぐちゃであり、その姿がなんだか痛ましく見えた。


「濡れませんか?」
「もうすっかり濡れてるよ。それに、空模様も気分も真っ暗さ」
「嫌なことでもあったんですか?」
「まあね」


 お姉さんはゆっくりと立ち上がったが、アルコールが回ってるのかすぐにふらついた。


「おっとと……」
「だ、大丈夫ですか?」
「酔いも焼きも回ったかな……アンタみたいな年下の男に心配されるなんてさ」
「あ、やっぱりとしう……」


 すると、お姉さんはタバコを缶の中に入れ、空いた手で俺の頬をつねった。


「いたたっ!?」
「女の前で年の話はするもんじゃないよ。わかった?」
「ひゃ、ひゃい……」


 人の頬をつねりながら怒るだけの元気はあるようだ。そしてお姉さんは俺の頬から手を離したが、やがて顔をしかめ始めた。


「へ、へ……へくちゅ!」


 お姉さんのクシャミは中々可愛らしかった。どうやら怖いだけではないようだ。


「とりあえずウチに上がっていってください。ウチ、この近くなんで」
「こんな夜に女を家に連れ込もうなんて……アンタ、結構肉食系なのかい?」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。ほら、肩に掴まってください」


 お姉さんが肩に掴まった後、俺は傘でお姉さんがこれ以上濡れないようにしながら家に向かって歩き始めた。気分転換のための散歩だったのだが、とんだ拾い物をしてしまったものだ。

 そうして数分かけて歩いた後、俺は家の鍵を開けて中へと入り、お姉さんを玄関の壁にもたれさせてから声をかけた。


「とりあえずタオル持ってきます。少し待っててください」
「仕方ないから待つよ。ここまで来といて嫌だとは言えないからね」


 お姉さんの言葉に嬉しさを感じた後、俺は乾いた清潔なタオルを持ってきた。そしてお姉さんがタオルで頭を拭く姿に色気を感じていた時、ふと首もとに何かがあるのが目に入った。


「これって……アザ?」
「ああ、元カレにつけられたものだよ。元カレはDV気質な奴でね、その上癇癪持ちだったからよく殴られたり蹴られたりしたもんだ。だから、脱いだらもっと傷があるよ」
「酷い……」
「どうにか今日別れる事は出来たんだけど、結構長い期間やられてたからかこんな暗い性格にもなって、話を聞いてくれてた友達だってさっき無くした。それで、自棄になってビール片手に酔っぱらってたら雨が降りだして、初めて吸ってたタバコも湿気ったからどうしたもんかと思ったらアンタに拾われたってわけだ」
「拾えてよかったですよ、本当に」
「それで、何かお望みなのかい?」
「え?」


 お姉さんはまだ髪が濡れた状態で顔を近づけてくる。その姿だけでも色っぽかったが、濡れたシャツが体に張り付いて細身だけど出るとこは出ているスタイルのよさが際立ち、誘惑するように舌で唇を舐める姿に俺はドキドキした。


「こんな夜中に女を連れ込んだんだ。ただおねんねさせたいってわけじゃないだろ?」
「お、お姉さん……」
「まあ一宿の恩義として一晩くらいなら可愛がっても……」


 そこで言葉が途切れると、お姉さんは俺に体を預けるようにして倒れこんできた。


「お、お姉さん!?」


 俺は驚いたが、お姉さんはどうやら寝てしまったらしく、すうすうという寝息を立てていた。


「ね、寝たのか……」


 安心したような残念なような気持ちで息をついた後、俺はお姉さんを客間に運んだ。そして着替えさせるために濡れた服を脱がせていると、お姉さんは下着姿になった。たしかに身体には幾つもの傷があったが、それ以上に大人の色気がむんむんなその姿に俺は思わず喉をゴクリと鳴らしてしまった。


「……いかんいかん。早く着替えさせないと」


 そして俺の部屋から運んできた男物の服やズボンを着せた後、俺はお姉さんをベッドに寝かせて、自分の部屋に戻った。


「はあ……気分転換のはずが、思わぬ展開になったな。まあでもこれでまた書けそうだし、少しでも進めるか」


 机に向かい、パソコンの画面をつける。そして小説家としていま抱えていた仕事に手をつけ始めたが、やがて俺も眠くなっていき、いつしか意識を手放した。




「……い、おき……」
「んー……?」
「起きなよ、青年」
「……んえ?」


 変な声を出しながら俺は目を覚ます。目を擦りながら声がした方を見ると、そこにはお姉さんがいた。


「あ、れ……もう朝、か……」
「そうだよ。パソコンをつけたまんま寝落ちしてたんだよ、アンタは」
「そういえば、仕事をしてたんだった……」
「仕事って……ああ、もしかしてアンタは小説家なのかい?」
「はい。といっても、まだ新人ですけど」
「ふーん、そう。とりあえず飯作ったから食いな。食材とかは勝手に使わせてもらったけど」
「あ、はい……」


 お姉さんと一緒にリビングに行くと、そこにはとても美味そうな朝食が並んでいた。


「す、スゴい……!」
「これでも料理人をしてるから料理は得意なんだ。味も保証するよ」
「い、いただきます!」


 俺は作ってもらった朝食を食べ始める。料理人というだけあってその腕はたしかなのかどれも絶品だった。


「う、美味いです!」
「それならよかった。これから毎日食わせてやるからね」
「は、はい……え?」
「なんだ、嫌なのか?」
「そうじゃないですけど……もしかしてここに住むんですか?」
「元カレの家で同棲してたからね。よく見ればアンタも中々いい男だし、色々満たしてやるよ。腹もその中にある男の欲求もね」


 お姉さんはクスクス笑う。どうやら俺はとんだ拾い物をしたようだ。俺の胃袋も心も掴む不思議なお姉さんを。
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