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第25話 ドラマの見過ぎ
しおりを挟む今日は午前中に一本だけ取材の予定が入っていて、朝から仕事に行く準備をしていた。ソファに座ってメイクをしている最中、イヴェリスが近づいてきて、ポスンと隣に座ってくる。
「今日はすぐ帰ってくるのか?」
「うん」
メイク中の顔を覗き込むように聞いてくるから、スッと顔を背けてメイクを続ける。
「なら、その後にこの前言っていた買い物に行こう」
「いいけど」
背けたことで、今度は手に持っていた鏡の中にイヴェリスが映り込んでくる。
「来週、雨が降るようだ」
「そうなの?」
至って平常心ぶっているが、あれ以来、イヴェリスの顔をまともに見られなくなってしまった。目が合うと、すぐ顔が赤くなるかニヤけそうになるからだ。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
バタン
顔すらまともに見られないくせに、『いってらっしゃい』のたった一言で、顔が自然とゆるんでしまう自分が気持ち悪い。でも、それだけで今日も仕事頑張ろ! って思えちゃうから、不思議である。電車のなかでニヤけそうになるのを堪えながら、朝イヴェリスを脳内でリピートしてしまう。ああ、早く仕事終わらせて、早く帰って、早く買い物行きたい。
って、思ってたのに――
「ごめん、この後もう一本取材お願いしたいんだけどいい?」
「え!?」
「予定ある? すぐ終わると思うから」
「あ、はい、大丈夫です……」
すぐ終わるって言うから、OKしたのに
「いやー話長かったなー」
「そ、そうですね」
クライアント先の社長さんがとんでもないお喋りで、取材のお礼に軽食でもと言いながら連れて行かれた先でまた長い話が始まってしまう。やっとのことで解放されたころには、すっかり空には月が輝いてた。
あーあーイヴェリスと約束してたのに! 一応ゴグ伝手に「ちょっと仕事が長引きそう」ってことだけは伝えてもらったけど、こんなに遅くなるとは。
今なら買い物もギリギリ間に合うかな。一分でも早く帰れるように、最寄りの駅から小走りで家まで向かう。普通に歩くだけでも疲れるほど体力ミジンコなのに、小走りなんてしようものなら、家に着くころには猛ダッシュしたかのように息が上がってしまった。
ガチャ
上がったままの息を整える暇もなく、家の扉を開けて中に入ると――
「おかえり」
私のただいまよりも先に、玄関で待っていてくれたイヴェリスの姿が目に入る。
「ごめっ、イヴェリス。遅くなっちゃった」
「いや、気にするな」
「まだ間に合うから、行こっ?」
「疲れたろ。また明日にでもしよう」
「でも――」
「別に急いでいるわけじゃないだろ」
「そうだけど…‥‥」
あからさまにガッカリとしてしまった私を察してか、イヴェリスは少し困った顔で
「そんな顔をするな」
と言いながら、まるで子どもを宥めるかのように、なだれた私の頭に優しく手を置いた。
「ごめんね」
いつもと違って、胸にズキンと切ない痛みを覚える。
イヴェリスとの約束を守れなかったっていう罪悪感もあるけど、本音を言うならば、私が行きたかったのに行けなかった気持ちの方が大きかった。
「俺はお前とゆっくり買い物がしてみたい」
それなのに、イヴェリスは優しい目で、優しい声で、私の気持ちを拭うような言葉をかけてくれる。
「だから明日にしよう。今日はドラマもあるしな」
「うん」
私の手から鞄を取ると、そのまま奥の部屋へと戻っていく。
その後ろ姿を見ながら、触れられそうで触れられない距離にもどかしさを感じながら。
「明日は家で仕事だから、夕方から行けるからね」
「ああ」
イヴェリスが毎週楽しみに見ているドラマが始まる時間が迫って、ソファの上に片足を乗せながら待機をはじめた。
「私、先にお風呂入ってきちゃうね」
「見ないのか?」
「うん。見てたら眠くなりそうだから」
「そうか」
一方私は、ドラマを見ずにお風呂に入ることにした。朝も早かったし、一日ずっと人の話を聞いていたせいか、思っているより疲れてたみたい。イヴェリスが明日にしようって言ってくれて、よかったのかもしれない。
イヴェリスがキレイに洗って畳んでで置いといてくれたバスタオルを一枚とる。
柔軟剤の使い方までは教えてないのに、柔軟剤のいい匂いがして、思わず顔をうずめた。
今日は髪を乾かすのが面倒くさい。このまま自然乾燥でいいかな。
肩が濡れないようにタオルをかけて、部屋に戻ると、ドラマを見ていたイヴェリスの視線が一瞬私にうつり、すぐにテレビへと戻る。
体があったまったせいか、イヴェリスの隣が安心するのか、急に眠気が襲ってくる。ドラマも見たいのに、瞼が重くていうことを聞いてくれない。気を抜くと、いつの間にか目を瞑り、頭がコクンと落ちるたびに目が覚める。
「寝ろ」
「ううん」
「髪、乾かさないのか?」
「うん。めんどくさい」
そう言うと、ドラマの途中なのにイヴェリスが立ち上がりどこかへ行く。
アイスでも取りに行ったのかと思ったら、戻ってきた右手には、ドライヤーが握られてた。コンセントを差し、スイッチを入れると、おもむろに隣に座りながら私の頭を乾かしはじめた。
「ちょ、いいよっ」
「人間は、こういうので風邪というものをひくのだろう」
「こんくらいじゃひかないって」
ドライヤーからの風が髪にあたり、それと同時に私の髪をバサバサとかき分ける手がぎこちない。
「これで乾くのはすごいな」
「ドラマ観なよ」
「観ながらしている」
楽しみにしてたドラマのくせに。
「自分で乾かすよ」
「いいから、大人しくしていろ」
ドライヤーを奪おうとする私の手を抑えるように遮り、また髪を左右にパサパサ振りながら乾かしていく。
『ドラマの見過ぎ』なんて言葉がよくあるけど、イヴェリスはまさにそれだ。ドラマでやっていることを、平気でやってくる。何も知らないから、これが人間の常識とでもいうばかりに。
でも、私にとっては、ドラマの世界過ぎて現実が追いついていかない。
ずっと体育座りをしながら、恥ずかしさと嬉しさの両方の気持ちがこみあげてくるのを隠すのが精いっぱいで。これじゃあ、本当にただのカップルみたいじゃん。って、私だけ下心あるのがイヴェリスを騙しているみたいでいやだけど。
何度も何度も撫でられるように頭に触れられるのが気持ちいい。
胸キュンなシチュエーションで、頭ポンポンが最強って言われる理由を、たった今理解した。いつもゴグが、もっと撫でろって言ってくるのも。
頭を触ってもらえるって、なんでこんなに嬉しくて、安心するんだろう――
「これくらいか?」
「……」
「蒼?」
遠くでイヴェリスが呼んでいる声がする
「寝てしまったか」
イヴェリスに名前を呼ばれるのが好き。低すぎなくて、高すぎない声で。
顔がイケメンなら、声もイケボだ。天は二物を与えないなんてのは嘘だ。イヴェリスは100個くらい持っていると思う。
「まったく、世話のかかる」
「ん……」
フワッと体が浮いた感覚。どこか不安定で、しっかり捕まっていないと落ちてしまいそうで。だから、落ちないようにしがみつく。なんだか、イヴェリスに抱き着いているような気がして。夢なのか現実なのか、ずっと境目を行き来している間に、夢だったらもう少しくらいくっついてもいいんじゃないかって。首のあたりに腕をまわすと、イヴェリスの手も腰にまわってくるような気がした。
ああ、こんな夢なら、ずっと見ていたい。現実では無理だけど、夢だったら許されるんだもん。
「ほんとにお前は、俺のことばかり考えているな」
すぐ近くで聞こえてくるその声は、少し困ったような呆れたような声。
「隠さなくていい。なにも」
また優しく頭を撫でられているような気がする。帰りを待っていてくれたことも、髪を乾かしてくれたことも。ぜんぶ嬉しすぎて、夢にまで出てくるなんて、どれだけ私はイヴェリスのことが好きなんだろう。気持ちを抑えるのが苦しいくらいには、もう大好きなんだろうな――
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