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第6話 呼びにくい名前

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 ああ、愛しの平凡な私の生活
 幸せとは程遠いものだったけど、まさかこんなことになるなんてわかっていたら
 あの些細な幸せを噛みしめ生きてきた日常に喜んで戻るのに



「いつまで寝ている」
「話しかけないで」
「強情だな」

 結局、朝日が昇っても、お昼を過ぎても、自称・吸血鬼は私の目の前からは消えることはなかった。
 カーテンを閉め切り、部屋の電気も消され
 ただ、テレビだけはいつのまにかついていて
 見ているのがバレないように布団から目だけを出すと、吸血鬼の姿は無くなり髪も肌も人間のような姿に戻っていた。

 何かを喋るわけでもなく、胡坐をかいてテレビ画面を眺めている後ろ姿は、とてもじゃないけど吸血鬼なんかには見えない。

 って言うか、さすがにおなかすいたな……

「何か食えばいいだろう」
「うるさい」

 ああ、もう声に出さなくても会話が成立している時点で、私はこの現実を受け止めなければいけない気がした。

「で、吸血鬼さんはなんで私の家にいるんでしょうか……」
「おお。ようやく話ができるようになったな。愚かな人間はこれだから大変だ」

 カッチーーーン

「なんだ? そのカッチンなどという言葉は」
「そこまで読まないで結構です」
「ふん。変なやつだ。――俺はそろそろ三百の歳になる」
「……。」
「お前たちの時の流れでいう百の年に一度、人間の生き血を飲まなければ、俺は消えてなくなる。」
「はあ」
「だから来た」
「はあ……え? それって、もしかして私の血を飲むとかじゃないですよね?」
「お前の血を飲む気なんてさらさらなかったが、お前が近づいてきてしまったからな。仕方ない」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! 聞いてませんけど、そんな話」
「先に言ったはずだ。食うぞって。それでもお前は疑いもせずのこのこと……」
「いやだって、あれは――!」
「それに、姿を見られてしまった。」
「それは、そっちが見せてきたんでしょう!」
「結界を張っていたはずなのに、なぜお前は俺を見つけた」
「結界? そんなの、知らないし!」
「魔力が弱まり過ぎていたか」

 目の前で起こっていることを受け止めようとすると、再び異世界に引っ張り込まれたようにプチパニックになる。

 どうせファンタジーな展開になるなら、チート能力持ちの異世界転生とか、悪徳令嬢のほうがよかったんですけど!!! 

 え、私の人生
 この異世界とはかけ離れた現実世界で吸血鬼に血を飲まれて終わるの? 
 アラファーにもなれず? 

「喜べ。俺に血を捧げることができるのだぞ?」
「それのどこが喜べますこと!?」

 こいつ、本当に吸血鬼の王様なのか? 
 本当は下っ端の吸血鬼で、何もしらない人間に王様とでもいえば血を捧げてもらえるとでも思っているんじゃないの? 
 セッコー。顔がイケメンなのに、やっていることセコすぎー。
 ドン引きー。マイナス5億点ー。 

「貴様のそのへらず口はどうにかならないのか」
「勝手に心を読むのが悪い!」
「まあ、まだ生誕の日までには時間がある。それまで、余生を楽しむことだな」
「余生って……」

 やだ、絶対にやだ……! 
 辛いことがあると、死にたいなって思うことは何度もあったし、このまま歳をとるくらいなら、早死にもいいかな、なんて思ってたりもしたけど!
 いざ死を宣告されると、すごく命がもったいなく感じる。

 それにまだ、やりたいことがいっぱいある。
 旅行とかにも行きたいし、好きなアニメが完結するまで絶対に見届けたいし!
 
 まだ恋だって、一度もしてないし

 この際、片思いでもいい。とにかく恋がしてみたい。誰かを愛する幸せを、味わいたい! 

 やっぱりおひとりさまはイヤだ! 
 今すぐ助けてくれる彼氏が欲しい! 

 ――なんて、今さらもがいたところで好きな人ができたら苦労しないって話なんだけどね。


「ところで」
「なんだ?」
「さっきここに住むって言ってたけど」
「ああ、そうだな」
「住む必要はないんじゃないの?」
「逃げられたら困るしな。それに、俺は人間の使う通貨も持っていない」
「え、それって」
「家に住むには、必要なんだろう? その、金とやらが」

 おいおいおい、自分の人生が残り僅かかもしれないっていうのに、こいつの生活費も払えっていうの!? 

「あんた王様でしょ! お金なんていっぱいあるんじゃないの!?」
「ああ、魔界には腐るほどあるが、ここでの金はない」
「魔法で出せたりするんじゃないの? パチンって指鳴らして!」
「あれは魔法ではない。魔力だ」
「ま、魔法だか魔力だか知らないけど……ここで暮らすなんて絶対無理だから!」
「安心しろ。俺は飯も食わないし、湯浴びをする趣味もない」
「飯食わんって。いや、シャワーくらい浴びなさいよ、汚いな!」
「人間のように赤い血はかよっていないからな。魔力は出せても悪臭を放つことはない」
「そういうことじゃなくて……」

 ダメだ、魔族わからん。血がかよってないならゾンビだろ。
 それこそ悪臭しか放たなそうなのに……。
 もう脳内がパンクしそう

「ご飯食べないって、何食べて生きてるの?」
「なんだ、興味あるのか?」
「興味っていうか……」
「ふむ。特別に教えてやろう。これだ」
「……キャンディー?」

 そう言って、得意げな顔しながらどこからともなく出したのは、棒の先に赤い塊のついた、キャンディーみたいなものだった。

「これは魔獣の血を固めたものだ」
「うげ」
「十三夜月に一度ほど口にすればいい。人間とちがって、むやみやたらに命を食したりはせん。」
「うっ」

 魔獣の血、と聞くと一見なんて野蛮な! とも思ったけど、言われてみれば毎日のように肉や魚を食べている人間のほうがよっぽど野蛮か。

「コスパいい体なんだね」
「コスパとはなんだ」
「燃費がいいねってこと」
「ネンピ?」
「あーもういい、忘れて。」
「変な言葉を使うな」

 変な言葉はあんたの方でしょって言いかけてやめた。どうせ、今考えていることもぜんぶ読んでるんでしょうから。


「そういえば、あんた名前は?」
「名か。先に貴様がこたえろ」
「なっ……。はあ。私は柚木蒼。」
「ユズキソウか。いい名だな」
「え、ありがとう」
「呼びやすい」
「そっちかい」
「俺の名はイヴェリス」
「イベリス?」
「イリスだ」
「うわ、呼びにく」
「だまれ」

 イヴェリス

 なんだか名前を聞くだけで、グッと親近感がわくな。いやいや、吸血鬼に親近感なんてありえないか。

 危ない危ない。ありえないことが続きすぎて、ありえないペースになれてしまっている自分がいる。


「イベリスは」

「イヴェリスは、本当に吸血鬼なの?」
「知らん。その名は人間たちが勝手につけたものだ」

 人間が勝手につけた名前か。
 まあ、本当に血を飲むんだから吸血は間違っていないよね。鬼かって聞かれたら、とても鬼のようには見えないけど

 角もないし。


「ねぇ、もっかいイーってして?」
「貴様はほんとうにくだらないことに興味をもつな」
「えーだってやっぱり吸血鬼って言ったら牙でしょ」
「ったく……。ッ――」

 人を軽蔑するような目で見ながらも、イヴェリスは思いっきり歯をむき出しにした。
 すると今度は、さっきまでなかったはずの立派な牙が二本生えていた。

「おおお! すご! え、本物? 触ってもいい?」
「やめろ」

 さすがの私も本物の牙には興奮してしまう。犬にだってあるんだから、別に珍しくもないけど。人間の歯から生えている姿を見ると、やっと”本物だ”という気分にさせられる。 
 そんな私の興奮をよそに、イヴェリスはすぐに口を閉じると、異様に先が尖った舌で前歯をなぞった。すると、鋭く生えていた牙は、みるみるうちに引っ込んでいった。

「あ! もうちょっと見たかったのにー」
「貴様は……さっきまで事実を受け入れることから逃げていたと思えば。おかしなやつだ」

 初めてクスッと笑ったイヴェリスの顔は、まるで人間の男の子と変わらない笑顔で、不覚にもかわいいと思ってしまいそうになり、慌てて別のことを考えた。
 そんなこと読まれたら、たまったもんじゃない。考えていることは口に出さなきゃわからない人間と違って、心でも隠さなきゃいけない魔族は、私にとって厄介な相手かもしれない。

 
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