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血を奪いし者の宿命
しおりを挟む人間とは、愚かな生き物だ。
たった100年も生きられない身体で、身を削り働き、幸せというものを探し、朽ちていく。
魔界の者たちはそんな人間を当たり前のように喰らう。
人間が牛や豚と言った生物を食すように、魔界にとっては人間が食なのだ。
獣族は肉を、魔族は骨と血を。
余すところなく。
我らヴァンアピール一族は人間の血が無くては生きてはいけない。
人間の血さえあれば不老不死でいられるのだ。
しかし、魔界では人間の狩りに制限がある。
やつらは命が短い上に繁殖力も乏しい。
制限をかけずに人間を食せば、すぐに絶滅してしまう。
人間がいなくなれば、我々も長くは生きられない。
だから、必要最小限の人間のみ食すことになっている。
人間のほとんどが、我々の存在を知らずに一生を終え、魔界の者たちに捕食されていることも知らずに生きている。例え生贄になったとしても、周りにいる人間はその者の記憶を奪われ、存在すらなかったことにされている。親や友が目の前で殺され、消えても、なんの疑いもなく最初から存在しない者となる。
本当に愚かな生き物だ。
初めて人間の血を身体に入れたとき、とてつもない力に支配されそうになった。
幼いながらに、この力を使えばすべてを手にいれられると思った。
それからは人間の血が欲しくて欲しくてたまらなくなり、与えられるがまま飲んでいた。
しかし、初めて人間狩りに行ったとき、人間が私と同じように生きていることを知った。
身なりも似ていて、言葉を喋り、日が昇るころから働き始め、日が落ちると眠りだす。
己の手で食物を育て、子を育て、たった50年ほどの短い時間を懸命に生きていた。
仲間が次々に人間を殺していく姿が、残酷に思えた。
我々の姿を見るだけで恐怖し、悲鳴をあげ、涙を流し、命乞いをし、自分の身を挺して我が子を守る。
私は何の罪もないこの人間たちの血を飲み、今まで生きていたのだと、その時に知ったのだ。
私が初めて殺めたのは、若い女だった。
その女のつがいである男が叫び、私の手からその女を奪い返すように抵抗する。
どんなに力を使って私からその女を引き離そうとしても、到底かなわないのに。
――弱い、弱すぎる。
そんな力では、私からこの女は奪えない。
私の手によって首を絞められている女の心からは「私はどうなってもいい、あの人だけは逃してください」と何度も何度も懇願するように涙を流しながら伝えてきた。
お互いにお互いの命を守っている人間が鬱陶しく感じ、女の細い首に爪を立てた。
苦しそうに呻いていた声が途絶え、一瞬にしてくたっと力尽きた。
同時に聞こえて来た男の絶望に悶えるような声が、200年過ぎた今も鮮明に脳裏に焼き付いている。
すぐに男の記憶から女を消せば、嫌な夢から覚めたように、またいつもと変わらぬ日常に戻っていった。
あんなに泣き叫び守った女のことなんて、もう微塵も覚えていないのだ。
魔界に戻り、その女の血を飲んだ。
喉を通る血の味は、身体が震えるほど美味いはずなのに、吐き気がした。
死に際の女の顔と、男の声がまとわりつく。
そんな心に逆らうように、身体は力で満ちていく。
逃れられない力で身体が満たされていくことに恐怖を感じた。
その日から、人間の狩りに行くことはなくなった。
使者となる魔獣を見つけ、契りを交わし、日々の狩りをまかせることにした。
幸い、生まれつき魔力が強かった私は、他の者よりも少ない血で生きていけるのだ。
私の使者となった魔獣は、なるべく人間の血を飲まずに生きていけるようにと、魔力の強い魔獣の血だけを持ってきた。その代わりに、100年に1度は人間の血を飲まなければならないと言う。
しかし、どの人間でもいいわけではない。
魔力の回復が強い、選ばれた人間だけだ。
2度目の人間界は、また世界が変わっていた。
山の上から、ターゲットとなる人間を毎日のように見ていた。
その女は、身体が弱いようでいつも寝ていた。
つがいの男が、毎日のように看病をしている。
そのたびに女は「ごめんなさい」と謝りながら、涙を流した。
ある日の夜、その女のもとに近づいた。
私の気配にすぐ気づいた女は、なぜか私を部屋へと引き入れた。
「もう少ししたら、お前の命を奪わなければならない」
そう伝えると、女は安心したような顔で笑った。
なぜ笑う? と問うと、「私が生きているのは迷惑だから」と弱々しい声で呟いた。
つがいの男が自分の病のための薬代を稼ぐのに大変な思いをしているという。
「無理をしてほしくない。幸せになってほしい」そう言いながら、女はまた涙を流した。
人間は、他者のために自分を犠牲にするのが好きな生き物だと思った。
女のために身体を張って働く男。
男の幸せのために私に命を捧げるのが惜しくない女。
愚か過ぎる。
たった数十年の命だと言うのに。
逆に、たった数十年しか生きられない命だからこそ、ここまで他者を想い生きることができるのかとも考えた。
首筋に牙をたてた瞬間、女は涙を流しながら言った。
「ありがとう」と。
それが最期の言葉だ。
一人目のときはまるで違う血の味がした。
つがいの男は女が死んだことにも気付かず、変わらず働き続け、やがて身体を壊し朽ちていった。
女が生きてようが生きてなかろうが、その男にとっては関係のないことだった。
結局働かねば生きていけない人間たちは、自分のためよりも、誰かのために働き生きていくことに幸せを感じるのだ。
生きがいを、自分以外の誰かにみつける。
そんな愚かな人間に、いつしか私は自分を重ねているときがある。
私はなんのために生きているのか、なぜ不老不死を望むのか。
誰かのために生きるとはどういうことなのか。
理解したかった。
王である以上、魔界を守らなければいけないという使命はあるものの、それ以上の何かがあるわけでもない。
暴れる魔物や、悪さをする者たちを制するのは生きがいでもなんでもない。
身を削るほどの仕事でもない。
誰もが私にひれ伏し、誰もが私の言うことを聞く。
自ら動かずとも、言えばすべてが手に入るこの世界で。
「イヴェリス様、そろそろ次の“分け与える者”を選びに人間界へ」
「ああ、分かっている」
100年もすれば、人間の世界は大きく変わる。
人間は魔力がない分、知恵を使う。
その知恵によって、様々な文明が生まれ、時に魔力や魔法をも越すようなものが生まれる。
「ゴグ、準備を」
「かしこまりました」
魔界と人間界を繋ぐには、大きな力を使う。
一度使えば、魔力を消耗し、しばらく動けなくなる。
そのために結界を張り、人間にバレぬよう回復を待たなければならない。
100年前の人間界は、自然が多く、人もそれほど多くはなかった。
だが今は、建物が多く建ち並び、人間の気配がそこら中で感じとれた。
加えて、太陽の光が容赦なく照り付け、回復を遅らせる。
魔力を消耗し衰弱した私は、影のなかでうずくまる。
「ゴグ……すまない、魔獣の血を」
「今すぐご用意します。しばしの辛抱を」
魔界では感じることのない不快なほどの暑さ。
魔力を回復するための血を口にしなければ、張っていた結界が崩れてしまいそうだった。
「あの~……大丈夫ですか?」
「……ッ!」
突然の声に顔をあげると、目の前には心配そうな顔で立っている女人。
私としたことが、人間が近づいてきていることにまったく気づかなかった。
「近寄るなッ!!」
そう言い放っても、目の前の女は屈することなく私に近づいてくる。
結界を強めようと残り少ない魔力を振り絞るも、その女は顔色ひとつ変えずに私に近づいて来た。
人間のような身なりで隠していた私の姿が、徐々に元へと戻ってゆく……。
目の前がクラクラした。
それ以上近づかれては、飢えている私はこの女の血を欲してしまいそうだった。
――私に構うな、近づくな、触れるな
何を言っても聞かない女が、何かをしようとしている。
他の人間を呼ぶつもりだ。
女の手から人間を呼びよせるための何かを奪い取ると、女はひるんだ。
「イヴェリス様!!」
その瞬間。すごい勢いで、ゴグが戻ってくる。
口に魔獣の血の味が広がり、身体に力が戻ってくる。
結界を強めると、すぐに目の前の女がバタッと倒れる音が聞こえた。
「この女、なぜ結界のなかに入りこめた?」
「イヴェリス様……次の“分け与える者”は、この方のようです」
「なんだと」
目の前で倒れている女に視線を戻す。
次はこの者の命を奪わなければならないと思うと、気が重くなった。
指で女の額に触れると、この女が生きてきた時間や思想が私の中に流れ込んでくる。
この女もまた、他者のために自分の意思を隠し生きているようだ。
ただ、今までの人間と違うのは、守るべき人間も守られるべき人間もいないこと。
悲しむときも喜ぶときも、いつも一人だったようだ。
どこか私と似ているような気がした。
「どうしますか?」
「この女の住処はわかるか?」
「はい」
「なら、連れていこう」
ぐったりとしている女を抱きかかえ、この女の住処へと移動する。
その場所は、昔の人間とは違い、狭い空間に色々なものが詰め込まれていた。
「人間は、この短い年月でまた色々と変わったようだな」
「はい。だいぶ文明が進んでおります」
ひとつひとつ、物に触れると女の記憶が流れ込む。
なんて寂しく、なんて弱い記憶なのだろうか。
今までの人間とは何かが違うと、すぐに感じとった。
「イヴェリス様、そろそろ人間の目が覚めます」
「ああ、そうか」
「記憶の方は、どうなさいますか?」
「そのままでいい。少し、この人間のことが知りたい」
「ですが」
「この人間が生きていたことを覚えていられるのは、私しかいない」
私が命を奪えば、その瞬間からこの人間が生きてきた時間がすべての人間の記憶から消えてなくなる。
一人であればなおさら、誰にも気づかれることなく、始めから存在しない者とされる。
だから決めたのだ。
せめて私は、私だけは、この人間が生きてきた時間を覚えておきたいと。
「ん……」
「あ、起きた? よく寝てたね」
目が覚めると、蒼が私の顔を覗き込んでくる
「……お前と会った日のことを夢で見た」
「吸血鬼も夢とか見るんだね」
そう言いながら、笑みをこぼす蒼の頬に手をのばす。
「蒼」
「ん? なあに」
少し顔を赤らめながら、私に触れられるのが嬉しいとでも言うように、こっちを見る。
「いや、なんでもない」
「なに~」
怒る顔も、笑う顔も、恥ずかしがる顔も、すべてが愛おしく思えた。
私は、人間の血がなくては生きてはいけない自分を許せなかった。
しかし、私が血を飲まずとも、この人間の命は別の者によって奪われる。
ならば、私がこの手で、最期のときまで、見守り続けたい。
私の血となり、肉となるその日まで……。
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