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覚悟
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「怪異」の本体が飛び去った方向を目指して、陸の翼が、陽の落ちかけた空を切り裂いていく。
やがて陸は、一旦は止んでいた、胸の奥の不快な灼熱感が蘇ってくるのを感じた。
「その感じが、『悪しきもの』の気配である」
「うん、だんだん近づいてきてる……もうすぐ追いつけそうだね」
ヤクモの言葉に、陸は頷いた。
「……陸、我は其方に詫びねばならぬ」
「いきなり、どうしたの?」
沈んだ声で言うヤクモに、陸は違和感を覚えた。
「あの『怪異』に出会って、思い出したのである。我の役目は、あのような『悪しきもの』を滅することだった。それは本能の如く刷り込まれていて、我は其方たち人間から見たならば途轍もなく長い時の中、何も考えることなく、ただひたすらに戦い続けていた」
不意に始まったヤクモの述懐を、陸は無言で聞いていた。
「あの時……我は『悪しきもの』の一体と戦っていた。奴は大きな力を持っており、我の力を以てしても、相討ちに持ち込むのが精一杯であった。その戦いの煽りを受け、陸の乗っていたバスは事故を起こしたのである」
「……そうだったんだ」
「敵は滅ぼしたものの、肉体を失い魂のみの存在と成り果てて漂っていた我は、たまたま傍にいた其方の身体に潜り込んだのである。其方は瀕死状態で、体内に入り込む際も抵抗される心配がなかったゆえな」
「そのお陰で、俺は死なないで済んでいるということだね」
「……記憶を取り戻したことにより、我が其方の人生を狂わせてしまったのに気付き、申し訳ないと思うたのだ。こうなる以前の我なら何とも思わなかったであろうが、其方の中で過ごすうち、我の中にも『心』が生まれたのかもしれぬ」
普段の、ある意味傲慢にすら思える天真爛漫さが影を潜め、力なく語るヤクモを、陸は別人のように感じた。
「俺は、君を憎く思ったり責めたりするつもりはないよ」
「まことか? 陸は、自分に関することは我慢して流すところがあるゆえ、文字通りには受け取れないのである」
ヤクモの言葉に、陸は苦笑いした。
「そうかもしれないけど、今の話については言った通りだよ。むしろ、俺は君に感謝してる。とっくに死んでいた筈なのに、君は俺に続きの人生をくれたんだから」
「……その言葉がまことであれば、我は救われるのである」
そう言うヤクモの声は、どこか涙声のように聞こえるものだった。
「――見えてきたのである。『奴』である!」
ヤクモの声と同時に、陸の目が点のように見える「怪異」を捉えた。
更に飛行速度を上げた陸は、瞬く間に「怪異」に接近する。
彼の気配に気付いたのか、突然「怪異」が空中に停止し、振り返った。
シルエットは巨大な鳥のようだが、よく見れば、その頭部には「顔」と思われる部分が存在しない。滑りを帯びて蠢く表皮に覆われたアンバランスな姿が、明らかに自然の生き物とは異なるものであると思わせる。
相手の攻撃に備え、陸もある程度の距離を取って停止した。
陸も敵の「怪異」も、翼の羽ばたきで揚力を得ているというよりは、自分の周囲に不可思議な力場を形成して浮揚している形だ。
――「怪異」というのは、時に物理法則の埒外へ逸脱してしまうものなのか……
ヤクモの力を借りて浮揚しながら、陸は改めて、その強大さを思った。
「まことに、しつこい連中だ。だが、一人で来たのが運の尽きだな。『仲間』の助力なしで儂に勝つつもりか」
「怪異」の不快な思念が、挑発するかのように入り込んでくるのを、陸は感じた。
「貴様こそ、尻尾を切り落とした蜥蜴の如く逃げ出したくせに、よく言うのである」
ヤクモの煽るような言葉に、表情など無い筈の「怪異」が醜悪な笑いを浮かべたように見えた。
「それでも、本来の力を失っているであろう貴様に後れを取ることなどないわ!」
「怪異」の思念と同時に、そのシルエットが崩れた。
たまゆら、不定形になったかと思うと、次の瞬間、「怪異」は様々な生き物の特徴が合わさった、だが人間にとっては生理的嫌悪感を催す姿へと変化した。
オウムガイを思わせる、渦を巻いた分厚い殻から蠢く無数の太い触手が絶えず出入りしている頭部の下にあるのは、人間に似た筋骨隆々の胴体と鉤爪の付いた手足だ。背中に生やした、羽毛を持つ翼が、ひどく場違いな印象をもたらしている。
その身の丈は、陸の三倍はあろうかという大きさだった。
「……これほど絵に描きたくない杜撰な造形は、中々ないよ。美しくない」
悍ましい「怪異」の姿は、陸にさえ嫌悪感を露わにさせた。
「人間などには分からぬだろうな。これは、あらゆるものを食らい吸収し、手に入れた力の集大成なのだ」
巨大な見た目に似合わぬ速度で躍りかかる「怪異」の攻撃を、陸は間一髪で躱した。
「速い……?!」
「陸よ、油断するな。分身を切り離した分、奴は身軽になっているやもしれぬ」
飛び退り、陸は一旦敵から距離を取った。
すかさず、相手に向けた掌から連続して「破壊光線」を発射する。
「破壊光線」は全て命中したものの、「怪異」の身体は光線で削られたそばから再生していく。
「そんなもので儂を消滅させようなど、片腹痛いわ」
再び襲いかかってきた「怪異」の鉤爪を、かろうじて躱しながら、陸は、どうすべきか考えた。
――要するに、奴が消滅するまで、再生速度を上回る威力で攻撃し続ければいいんだ。逃げ回りながら「破壊光線」を撃つだけでは、どうしても攻撃の「間」が空いて再生の時間を与えてしまう……それなら……!
「ヤクモ、悪いけど接近戦に持ち込むよ。無傷では済まないと思うけど、ごめん」
「承知した」
ふと、陸は遠くから羽虫の羽音のようなものが聞こえるのに気付いた。
彼は、かなり離れた場所に、カメラ付きドローンらしきものが複数飛行しているのを見て取った。
火草の屋敷で、あれだけ激しい戦闘が行われているのだ。何かあったと気付く者も多いだろう。
「もしかしたら、動画配信してる人もいるかもしれないね」
「なるほど、『ぎゃらりー』に無様な姿を見せる訳にはいかぬのである」
ヤクモの言葉に陸は頷くと、全速力で「怪異」との距離を詰めた。
敵に肉薄した陸は、そのままの勢いで敵の身体に拳を叩き込んだ。
それは単なる殴打ではなく、命中の瞬間に「破壊光線」を合わせて打ち込むというものだ。
先刻まで攻撃を避けるべく逃げの姿勢をとっていた陸が、突然接近戦を挑んできたことに対し、不意を突かれる格好になった「怪異」は、防御もできず殴られるままだった。
ほんの数秒の間だが、無数の連打を浴びた「怪異」の身体は、其処此処が抉られ、ずたずたになっている。
一度に大きな損傷を受けた為か、「怪異」の身体の再生にかかる時間が延びているように感じられた。
いける、と陸が思った瞬間、「怪異」の拳が彼を襲った。
接近していた為、凄まじい速度で迫る拳を完全に躱すことができなかった陸は、自分の肋骨が折れる音を聞きながら、口の中に溢れる血液を吐き出した。
「陸、気をしっかり持て!」
ヤクモの声と共に、陸の身体の損傷が修復されていく。
ほんの刹那、意識が飛びかけて墜落しそうになった陸だが、何とか翼を動かし、空中に踏みとどまった。
「痛覚は、人並みにあるんだよね……でも、ダメージ覚悟なら、何とかなりそうだ」
「其方の覚悟、受け取った。思うままにやるがよい。肉体の修復は我に任せるのである」
陸は、ヤクモの言葉に励まされながら、再び「怪異」に向かっていった。
やがて陸は、一旦は止んでいた、胸の奥の不快な灼熱感が蘇ってくるのを感じた。
「その感じが、『悪しきもの』の気配である」
「うん、だんだん近づいてきてる……もうすぐ追いつけそうだね」
ヤクモの言葉に、陸は頷いた。
「……陸、我は其方に詫びねばならぬ」
「いきなり、どうしたの?」
沈んだ声で言うヤクモに、陸は違和感を覚えた。
「あの『怪異』に出会って、思い出したのである。我の役目は、あのような『悪しきもの』を滅することだった。それは本能の如く刷り込まれていて、我は其方たち人間から見たならば途轍もなく長い時の中、何も考えることなく、ただひたすらに戦い続けていた」
不意に始まったヤクモの述懐を、陸は無言で聞いていた。
「あの時……我は『悪しきもの』の一体と戦っていた。奴は大きな力を持っており、我の力を以てしても、相討ちに持ち込むのが精一杯であった。その戦いの煽りを受け、陸の乗っていたバスは事故を起こしたのである」
「……そうだったんだ」
「敵は滅ぼしたものの、肉体を失い魂のみの存在と成り果てて漂っていた我は、たまたま傍にいた其方の身体に潜り込んだのである。其方は瀕死状態で、体内に入り込む際も抵抗される心配がなかったゆえな」
「そのお陰で、俺は死なないで済んでいるということだね」
「……記憶を取り戻したことにより、我が其方の人生を狂わせてしまったのに気付き、申し訳ないと思うたのだ。こうなる以前の我なら何とも思わなかったであろうが、其方の中で過ごすうち、我の中にも『心』が生まれたのかもしれぬ」
普段の、ある意味傲慢にすら思える天真爛漫さが影を潜め、力なく語るヤクモを、陸は別人のように感じた。
「俺は、君を憎く思ったり責めたりするつもりはないよ」
「まことか? 陸は、自分に関することは我慢して流すところがあるゆえ、文字通りには受け取れないのである」
ヤクモの言葉に、陸は苦笑いした。
「そうかもしれないけど、今の話については言った通りだよ。むしろ、俺は君に感謝してる。とっくに死んでいた筈なのに、君は俺に続きの人生をくれたんだから」
「……その言葉がまことであれば、我は救われるのである」
そう言うヤクモの声は、どこか涙声のように聞こえるものだった。
「――見えてきたのである。『奴』である!」
ヤクモの声と同時に、陸の目が点のように見える「怪異」を捉えた。
更に飛行速度を上げた陸は、瞬く間に「怪異」に接近する。
彼の気配に気付いたのか、突然「怪異」が空中に停止し、振り返った。
シルエットは巨大な鳥のようだが、よく見れば、その頭部には「顔」と思われる部分が存在しない。滑りを帯びて蠢く表皮に覆われたアンバランスな姿が、明らかに自然の生き物とは異なるものであると思わせる。
相手の攻撃に備え、陸もある程度の距離を取って停止した。
陸も敵の「怪異」も、翼の羽ばたきで揚力を得ているというよりは、自分の周囲に不可思議な力場を形成して浮揚している形だ。
――「怪異」というのは、時に物理法則の埒外へ逸脱してしまうものなのか……
ヤクモの力を借りて浮揚しながら、陸は改めて、その強大さを思った。
「まことに、しつこい連中だ。だが、一人で来たのが運の尽きだな。『仲間』の助力なしで儂に勝つつもりか」
「怪異」の不快な思念が、挑発するかのように入り込んでくるのを、陸は感じた。
「貴様こそ、尻尾を切り落とした蜥蜴の如く逃げ出したくせに、よく言うのである」
ヤクモの煽るような言葉に、表情など無い筈の「怪異」が醜悪な笑いを浮かべたように見えた。
「それでも、本来の力を失っているであろう貴様に後れを取ることなどないわ!」
「怪異」の思念と同時に、そのシルエットが崩れた。
たまゆら、不定形になったかと思うと、次の瞬間、「怪異」は様々な生き物の特徴が合わさった、だが人間にとっては生理的嫌悪感を催す姿へと変化した。
オウムガイを思わせる、渦を巻いた分厚い殻から蠢く無数の太い触手が絶えず出入りしている頭部の下にあるのは、人間に似た筋骨隆々の胴体と鉤爪の付いた手足だ。背中に生やした、羽毛を持つ翼が、ひどく場違いな印象をもたらしている。
その身の丈は、陸の三倍はあろうかという大きさだった。
「……これほど絵に描きたくない杜撰な造形は、中々ないよ。美しくない」
悍ましい「怪異」の姿は、陸にさえ嫌悪感を露わにさせた。
「人間などには分からぬだろうな。これは、あらゆるものを食らい吸収し、手に入れた力の集大成なのだ」
巨大な見た目に似合わぬ速度で躍りかかる「怪異」の攻撃を、陸は間一髪で躱した。
「速い……?!」
「陸よ、油断するな。分身を切り離した分、奴は身軽になっているやもしれぬ」
飛び退り、陸は一旦敵から距離を取った。
すかさず、相手に向けた掌から連続して「破壊光線」を発射する。
「破壊光線」は全て命中したものの、「怪異」の身体は光線で削られたそばから再生していく。
「そんなもので儂を消滅させようなど、片腹痛いわ」
再び襲いかかってきた「怪異」の鉤爪を、かろうじて躱しながら、陸は、どうすべきか考えた。
――要するに、奴が消滅するまで、再生速度を上回る威力で攻撃し続ければいいんだ。逃げ回りながら「破壊光線」を撃つだけでは、どうしても攻撃の「間」が空いて再生の時間を与えてしまう……それなら……!
「ヤクモ、悪いけど接近戦に持ち込むよ。無傷では済まないと思うけど、ごめん」
「承知した」
ふと、陸は遠くから羽虫の羽音のようなものが聞こえるのに気付いた。
彼は、かなり離れた場所に、カメラ付きドローンらしきものが複数飛行しているのを見て取った。
火草の屋敷で、あれだけ激しい戦闘が行われているのだ。何かあったと気付く者も多いだろう。
「もしかしたら、動画配信してる人もいるかもしれないね」
「なるほど、『ぎゃらりー』に無様な姿を見せる訳にはいかぬのである」
ヤクモの言葉に陸は頷くと、全速力で「怪異」との距離を詰めた。
敵に肉薄した陸は、そのままの勢いで敵の身体に拳を叩き込んだ。
それは単なる殴打ではなく、命中の瞬間に「破壊光線」を合わせて打ち込むというものだ。
先刻まで攻撃を避けるべく逃げの姿勢をとっていた陸が、突然接近戦を挑んできたことに対し、不意を突かれる格好になった「怪異」は、防御もできず殴られるままだった。
ほんの数秒の間だが、無数の連打を浴びた「怪異」の身体は、其処此処が抉られ、ずたずたになっている。
一度に大きな損傷を受けた為か、「怪異」の身体の再生にかかる時間が延びているように感じられた。
いける、と陸が思った瞬間、「怪異」の拳が彼を襲った。
接近していた為、凄まじい速度で迫る拳を完全に躱すことができなかった陸は、自分の肋骨が折れる音を聞きながら、口の中に溢れる血液を吐き出した。
「陸、気をしっかり持て!」
ヤクモの声と共に、陸の身体の損傷が修復されていく。
ほんの刹那、意識が飛びかけて墜落しそうになった陸だが、何とか翼を動かし、空中に踏みとどまった。
「痛覚は、人並みにあるんだよね……でも、ダメージ覚悟なら、何とかなりそうだ」
「其方の覚悟、受け取った。思うままにやるがよい。肉体の修復は我に任せるのである」
陸は、ヤクモの言葉に励まされながら、再び「怪異」に向かっていった。
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