女神の左手

根鳥 泰造

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8月5日 21:30

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 高原は、腕時計を確認しながら、音無親水公園のベンチに腰掛け、時間潰ししていた。
 高原は二十時の面会終了時刻ぎりぎりまで、病院に居座り、チホアからいろいろと話を聞いて過ごしてから、ここにやってきた。
 今日判明したチェットが毎日の様にしていた行動を、なぞって再現しようとしているのだ。

 チホアとの話では、阿川が得た以上の収穫は得られなかった。
 水谷美咲の写真を見せたが、「こんな綺麗な人と……。信じられない」と、目を丸くして驚いていたので、本当に知らなかったみたいだ。
 その後は、時間潰しに、彼女の家族や、日本に来ようと思った理由。風俗で働かざるを得なくなった理由等を訊いた。
 グエン一家は、五人の子供がいて、一番上の長女は既に嫁ぎ、彼女は次女で、下に妹と弟がいるらしい。家庭は比較的裕福な方で、チェットが日本で勉強をしたいと言い出した際も、その旅費等を両親が出したという。
 だが、娘は家を出ていく存在と考えているのか、常に冷たく接し、家の手伝いでこき使かわれていたのだそう。
 彼女には恋人もいたのに、チェットが日本にいくのならと、彼女を無理やり日本に出稼ぎに出させたらしい。
 でも、日本語もロクに話せず、観光ビザだったこともあり、まともな職につくこともできない。アルバイトしてなんとか仕送りしたが、両親が身体を売ってでも、もっと金を送れと催促されたのだとか。
 そんな訳で、やむを得えず、風俗勤めをはじめたという話だった。
 彼女が事故に遭い怪我をしたと連絡した時も、家の改築で借金したのにどうするのと怒ったと言うから、そのご両親の事は理解に苦しむ。
 交通事故なので、治療費は保険で賄われていると思ったが、彼女が保険適用者でない事を理由に、保険会社は全額支給はできないと言い出し、入院費に関しては、彼女の方で負担しているらしい。
 先月までは、チェットがその入院費を支払っていたそうだ。今月はどうするのか、心配になり訊いてみたら、阿川がなんとかするからと、話していたらしい。やはり、大した女だ。

 ベンチに腰掛けていた高原が再び腕時計を確認すると、二十一時三十八分になっていた。そろそろ、北とぴあに向かう時間だ。
 チェットは、面会時間終了後、この公園に立ち寄る。そして、ここで身体を洗ってから、このベンチでぼうっと過し、九時四十分頃に、彼女のアパートの近くを通りながら、北とぴあへと向かう。
 銭湯代をケチるために、ここをシャワー代わりにするのは理解できなくもないが、一時間半もここで過ごす理由は、理解できなかった。
 彼女のアパート前を通ると、彼女の部屋の窓に明かりがついていた。今日の仕事終わりは二十二時の筈だが、既に部屋に戻っているらしい。
 高原は一言挨拶して行こうかとも思ったが、今は彼の行動以外はやめておこうと、そのまま駅に向かって歩きだした。
 線路下のガードを潜り、竹中工務店のビル建設現場の脇を抜け、北とぴあの広場にでた。
 チェットがこの場所で待っていたのは水谷美咲だ。
 あの日、彼女が既に帰宅していた事を知らず、ずっと、しゃぶ葉の営業終了時刻の零時まで待って、その後十分程経過してから、建設現場に向かって歩き始める。
 チェットはどんな気持ちだったのだろうと、その場で暫く立ち尽くしていると、水谷美咲が、店の裏口から現れた。
 高原は慌てて、彼女に駆け寄った。
「あ、誰かと思ったら、女刑事さんと一緒に居た刑事さん」
「高原翔です。アパートまで一緒させてもらっても良いかな」
 高原はズボンポケットから名刺入れを取り出し、彼女に名刺を渡した。
「構いません。その方が私も安心だし。でも、私の家まで調べているんですね」 
「ええ、君はこの事件の重要参考人だから、徹底的に調べさせてもらった。今日は仕事中だったから、明日の朝、迎えに行き、君に話を聞かせてもらう予定だった。あれから、何か思い出したかい」
「ごめんなさい。今は何も話したくありません」
「と言う事は、彼と付き合っていた事を認めるんだね」
 彼女は、返事をせずに、暫く黙って歩いてから回答した。
「すみません。今晩一晩、良く考えさせてください」
「せっかちな性格で、申し訳ありません」
 その後、暫くは、彼女の気分を害さない様に、黙って並んで歩いていたが、高原はまた彼女に話しかけた。
「そう言えば、先ほどアパートの前を通った時、部屋の照明が点いていた。もしかして、防犯対策かい?」
「まぁ、アパートにも行ってたんですか。刑事さんて、恐いですね。はい、照明が消えていると、空き巣に入られる可能性があるので」
「良い心がけだね。で、いつもこの道で帰るの? この辺まで来ると、街灯があっても暗いし、人通りも少ない。怖くないかい?」
「この時間は心配ありません。でも、深夜残業を頼まれて、閉店まで働いた時なんかは、恐いです。変な人に追いかけられたこともありました」
「特にあなたの様な美人は、変な人に付け狙われる。気を付けてください」
 そう話しているうちに、アパートに着いた。
「では、明日の朝、向かいに来ます。彼を殺した犯人を見つけ出すためです。是非、ご協力お願いします」
「有難うございました。それでは失礼します」
 彼女はそう言い残して、アパートの階段を登って行った。
 きっと、明日は、全てを話してくれる筈だ。
 高原はそう思って、自宅への帰路についた。

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