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第三皇女セイレティア=ツバキ
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小高い丘の上に建つ城は、正面北側からは堅牢な石積みの城壁に囲われているように見える。
しかし城の奥、皇族の居住区がある南側に壁はなく、ただ森が広がっているだけだった。
とはいえ始祖の森と呼ばれるその森は魔物の巣窟となっており、最もやっかいな城壁と言えるかもしれない。
そんな森を眺めながら、第三皇女セイレティア=ツバキは自室で朝食後の紅茶を嗜んでいた。
カップを傾けると同時に白銀色の長い髪がさらりと揺れる。
香りがいいのはもちろん苦味が後に残らず最後の一滴まですっきりとした甘さが続くライ茶。平民街の料理も美味しいが、この高級な茶葉は城でしか得られないものの一つだ。
「その後トキツさんは?」
侍女のサクラが紅茶のお代わりを注ぐ。
彼女はツバキより一つ年上の少女で、気が合うため街での出来事をいつも話していた。
「なかなか目覚めなかったから、カオウが下宿先へ置いてきたわ」
チョコレート菓子を一粒口に運ぶ。甘苦い味がライ茶によくあい、ツバキは至福の時を噛み締めた。
「トキツさんがお強くて安心致しました。一昨日はカオウが散々文句を言っていて、少し気がかりでしたから」
「ロウの推薦なんだから強いに決まっているのよ。どうしてあんなに突っかかるのかしら」
「ツバキ様をとられると思ったんですよ。いつもは二人で街を散策していたのに、護衛がつくことになったんですもの」
クスクスと柔らかく笑ってはいるが、サクラは内心心配していた。
契約した人と魔物の絆は強い。
印を結ぶと思念(頭の中)で会話をしたり、相手がいる方角もなんとなく感じ取れるようになる。
個々の性格にもよるが四六時中一緒にいることもあり「私と授印どっちが大事なの」的な会話が交わされることも少なくない。
従って異性の魔物との契約は本来避けるものだが、幼い頃に印を結んだ二人にそんな常識は持ち合わせていなかった。
だからトキツの存在にさえ疎ましく思うカオウが今後のツバキの人生に影響を与えないか危惧しているのだ。
具体的に言えば、ツバキが結婚するとき。
皇帝にも州長官にもなれなかった直系皇族は過去にもたくさんおり、今回のように子の数が多いときや、魔力が最低水準に満たない場合、他国の王族や国内貴族と結婚するのが通例で、ツバキもそれに倣うと思われていた。
早ければ約ニ年後の十八歳になったら。その時、カオウはどんな反応を見せるのだろう。
「どうしたの? サクラ」
呼ばれてはっと顔を上げると気遣わしげに微笑むツバキと目があった。
スカートをキュッと握る。
「いえ……その……。トキツさんは二年間だけの護衛なのですよね? それは、ご結婚されるまでということでしょうか?」
「そう思うわ。私はじゃじゃ馬のようだから」
案外気にしているようだ。
「護衛は本当に必要なのでしょうか」
ツバキはサクラの目をじっと見つめた後、紅茶を一口飲んでからカップを置いた。
「必要でしょうね。学園を卒業したら公務しかすることがないもの」
大抵の生徒は卒業後、希望する仕事の専門学校へ入るか、大学へ行き官吏を目指すか、家業を手伝うかという三つの道に分かれる。
ツバキは結婚前提であることから学業は続けられず、皇女として公務に専念するよう命じられていた。
しかし、施設訪問や他国王族への接待、社交会への出席などツバキにとっては退屈でしかない。
だからこそ暇があれば必ず城を抜け出すと予測され、護衛という名の見張りをつけられたのだ。
「だけどね、むしろ喜ぶべきよ」
サクラが首をかしげると、ツバキは一見上品に微笑んでみせた。この顔はよからぬことを考えているときの顔だ。
「ロウの一存で私の護衛が決まるわけないわ。おそらく、いえ絶対にジェラルド兄様が絡んでいる」
「第一皇子様が?」
「そう。私が今以上に自由に動くことを懸念しているのよ。考えようによっては、ご期待に添えるくらい自由に動いても問題ないってことじゃない?」
「そ、そういうことではないと思います……」
顔が見る見る青くなるサクラ。
ツバキがこれからのことを考えて無邪気な笑みを浮かべたとき、ドアをノックする音が聞こえた。
女官が入室する。
「失礼いたします、セイレティア様」
女官はツバキの主名を呼んだ。
皇族の名はセイレティア=ツバキのように主名=副名をつけるが、主名は貴族以上または官吏のみ呼ぶことを許されており、平民は副名もしくは第三皇女などの身位で呼ばなければならないという決まりがある。
女官は前者で侍女は後者にあたった。
女官は入り口付近に立つと一礼する。
「今日の予定をお伝えいたします。この後、ジェラルド皇太子様が始祖奉告の儀へ向かわれますのでお見送りに。昼からは明日の任命の儀のご説明と、今後のご公務についてご相談がございます」
始祖奉告の儀というのは、次期皇帝が始祖の陵へ参り即位の挨拶と今後の国の加護を祈る儀式。
森の中でも歴代皇帝と授印のみ入ることが許されている聖域にある。
その始祖奉告の儀を皮切りに、任命の儀、戴冠の儀、民衆へのお披露目となる祝賀パレード、来賓を招いての盛大な祝賀パーティーと休みなく行事が続く。
その間は帝都全体がお祝いムード一色で他国からの露店も増えお祭り騒ぎだ。
「お父様はいらっしゃらないのよね?」
「そのようです」
昨日は結局露店へ行けなかった。
ツバキはにっこりと笑み、全く悪びれもせずサボることに決めた。
しかし城の奥、皇族の居住区がある南側に壁はなく、ただ森が広がっているだけだった。
とはいえ始祖の森と呼ばれるその森は魔物の巣窟となっており、最もやっかいな城壁と言えるかもしれない。
そんな森を眺めながら、第三皇女セイレティア=ツバキは自室で朝食後の紅茶を嗜んでいた。
カップを傾けると同時に白銀色の長い髪がさらりと揺れる。
香りがいいのはもちろん苦味が後に残らず最後の一滴まですっきりとした甘さが続くライ茶。平民街の料理も美味しいが、この高級な茶葉は城でしか得られないものの一つだ。
「その後トキツさんは?」
侍女のサクラが紅茶のお代わりを注ぐ。
彼女はツバキより一つ年上の少女で、気が合うため街での出来事をいつも話していた。
「なかなか目覚めなかったから、カオウが下宿先へ置いてきたわ」
チョコレート菓子を一粒口に運ぶ。甘苦い味がライ茶によくあい、ツバキは至福の時を噛み締めた。
「トキツさんがお強くて安心致しました。一昨日はカオウが散々文句を言っていて、少し気がかりでしたから」
「ロウの推薦なんだから強いに決まっているのよ。どうしてあんなに突っかかるのかしら」
「ツバキ様をとられると思ったんですよ。いつもは二人で街を散策していたのに、護衛がつくことになったんですもの」
クスクスと柔らかく笑ってはいるが、サクラは内心心配していた。
契約した人と魔物の絆は強い。
印を結ぶと思念(頭の中)で会話をしたり、相手がいる方角もなんとなく感じ取れるようになる。
個々の性格にもよるが四六時中一緒にいることもあり「私と授印どっちが大事なの」的な会話が交わされることも少なくない。
従って異性の魔物との契約は本来避けるものだが、幼い頃に印を結んだ二人にそんな常識は持ち合わせていなかった。
だからトキツの存在にさえ疎ましく思うカオウが今後のツバキの人生に影響を与えないか危惧しているのだ。
具体的に言えば、ツバキが結婚するとき。
皇帝にも州長官にもなれなかった直系皇族は過去にもたくさんおり、今回のように子の数が多いときや、魔力が最低水準に満たない場合、他国の王族や国内貴族と結婚するのが通例で、ツバキもそれに倣うと思われていた。
早ければ約ニ年後の十八歳になったら。その時、カオウはどんな反応を見せるのだろう。
「どうしたの? サクラ」
呼ばれてはっと顔を上げると気遣わしげに微笑むツバキと目があった。
スカートをキュッと握る。
「いえ……その……。トキツさんは二年間だけの護衛なのですよね? それは、ご結婚されるまでということでしょうか?」
「そう思うわ。私はじゃじゃ馬のようだから」
案外気にしているようだ。
「護衛は本当に必要なのでしょうか」
ツバキはサクラの目をじっと見つめた後、紅茶を一口飲んでからカップを置いた。
「必要でしょうね。学園を卒業したら公務しかすることがないもの」
大抵の生徒は卒業後、希望する仕事の専門学校へ入るか、大学へ行き官吏を目指すか、家業を手伝うかという三つの道に分かれる。
ツバキは結婚前提であることから学業は続けられず、皇女として公務に専念するよう命じられていた。
しかし、施設訪問や他国王族への接待、社交会への出席などツバキにとっては退屈でしかない。
だからこそ暇があれば必ず城を抜け出すと予測され、護衛という名の見張りをつけられたのだ。
「だけどね、むしろ喜ぶべきよ」
サクラが首をかしげると、ツバキは一見上品に微笑んでみせた。この顔はよからぬことを考えているときの顔だ。
「ロウの一存で私の護衛が決まるわけないわ。おそらく、いえ絶対にジェラルド兄様が絡んでいる」
「第一皇子様が?」
「そう。私が今以上に自由に動くことを懸念しているのよ。考えようによっては、ご期待に添えるくらい自由に動いても問題ないってことじゃない?」
「そ、そういうことではないと思います……」
顔が見る見る青くなるサクラ。
ツバキがこれからのことを考えて無邪気な笑みを浮かべたとき、ドアをノックする音が聞こえた。
女官が入室する。
「失礼いたします、セイレティア様」
女官はツバキの主名を呼んだ。
皇族の名はセイレティア=ツバキのように主名=副名をつけるが、主名は貴族以上または官吏のみ呼ぶことを許されており、平民は副名もしくは第三皇女などの身位で呼ばなければならないという決まりがある。
女官は前者で侍女は後者にあたった。
女官は入り口付近に立つと一礼する。
「今日の予定をお伝えいたします。この後、ジェラルド皇太子様が始祖奉告の儀へ向かわれますのでお見送りに。昼からは明日の任命の儀のご説明と、今後のご公務についてご相談がございます」
始祖奉告の儀というのは、次期皇帝が始祖の陵へ参り即位の挨拶と今後の国の加護を祈る儀式。
森の中でも歴代皇帝と授印のみ入ることが許されている聖域にある。
その始祖奉告の儀を皮切りに、任命の儀、戴冠の儀、民衆へのお披露目となる祝賀パレード、来賓を招いての盛大な祝賀パーティーと休みなく行事が続く。
その間は帝都全体がお祝いムード一色で他国からの露店も増えお祭り騒ぎだ。
「お父様はいらっしゃらないのよね?」
「そのようです」
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