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第五章 フィオレンツァは王宮に舞い戻る。そして…

11 国王と王妃の行く先

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 数時間後。
 いつものようにガドフリー国王とグラフィーラ王妃は食堂で朝食を取っていた。
 二人がまとっている雰囲気は全く正反対だった。 
 ガドフリー国王は、顔色が悪く沈んだ様子。
 対するグラフィーラ王妃はとても機嫌がよさそうだ。

 「王妃よ、フィオレンツァ夫人が水死したのは間違いないのか?」
 「今日から湖を捜索させますわ。…でも、落ちたのは事実でございますから…」
 「そうか、姫たちは可哀想にのう」

 フィオレンツァの始末はグラフィーラ王妃の一存でやったことで、ガドフリー国王は関与していなかった。
 彼は本気でフィオレンツァを側妃にすれば全てが解決すると思っていたようだ…今は母親を亡くした孫娘たちを哀れんでいる。
 グラフィーラ王妃はなんとも言えない気持ちになった。
 フィオレンツァはもちろん、ルナマリアたちも彼女にとっては駒でしかないが、ガトフリー国王にとっては可愛い可愛い孫なのだ。
 グラフィーラ王妃は夫を熱烈に愛しているわけではないが、彼が悲しんだり苦しんだりするのを進んで望んだことはなかった。
 ガトフリー国王もまた、かつて国内の貴族の圧力に負けてヘロイーズという側妃を取ったが、彼女とは常に一線を引き正妃を蔑ろにしたことはない。
 今の愛人たちも年を取ってからグラフィーラ王妃の方から進めたもので、侍女に手を出すなどというありがちな問題を起こしたことはなかった。
 当然落胤を作るなどという迂闊な真似もしたことがない。
 ―――孫たちに手を出すのは最後の手段にしようかしら。
 これからアレクシスにこちらの条件を呑ませるために利用しようとしたルナマリアたちの身柄だが、友人たちやフィオレンツァの家族など、一度別の方向から攻めてみようか。 

 「過ぎたことを言っても仕方ありませんわ。そんなことより、今日から忙しくなりますわよ」
 「わかっておる。かの国との交渉はそなたとスピネット卿に任せるぞ」
 「かしこまりました」
 「わしは重臣たちの説得か…。まあ、イリーナ嬢がアレクシスの御手付きになったとなれば正妃にするのを阻止することはできまい」
 唯一の、けれどもとびきりの武器だ。
 もし逃れたアレクシスの部下たちが西館に駆け込み、現状を議会やあの女公爵に訴えたところで、アレクシスとイリーナが一夜を過ごしたという事実があれば、バザロヴァ王国の介入を食い止めることは難しいだろう。
 「イリーナを呼びに行った女官はまだかしら。イリーナには議会でアレクシスと深い仲になったと証言してもらわないと」
 グラフィーラ王妃はそうぼやきながら食後の紅茶にミルクを入れている。
 …しかし、彼らの余裕もそこまでだった。

 廊下から何やら言い争う声が聞こえてきたと思えば、勢いよく扉が開いて国王の従者の一人が飛び出してきた。
 「へ、陛下…!大変でございます」
 普段なら従者の無礼を窘めるところだが、国王夫妻も不測の事態が起こったことをすぐに感じ取った。
 慌てて立ち上がったところで、武装した兵たちが食堂になだれ込む。
 給仕をしていた下女たちが悲鳴を上げた。
 彼らはあっという間に取り囲まれる。
 「ぶ、無礼者!どういうつもりだ!?」
 「ここにおわすのは国王陛下よ!?誰の命令でこのような無礼を…」
 兵たちを睨みつけていたグラフィーラ王妃だったが、扉の奥から現れた二つの人影に目を剥いた。
 それは紺色のドレスに身を包んだテルフォード女公爵スカーレットと、味方だとばかり思っていたスピネット卿だったのだ。
 決してありえないと思っていた組み合わせが並んでこの場にいる…。
 国王夫妻はずっとスピネット卿に裏切られていたことを理解した。
 「こ、この裏切り者め…!スピネット!!」
 喚くガドフリー国王を、スピネット卿は冷めた目で見つめる。
 「裏切り者は一体どちらですか…。議会を無視して『竜の道』を自分たちの都合で使い、この国をバザロヴァに売ろうとしているあなた方にそのように罵倒される筋合いはありません」
 「…」
 ガドフリー国王は黙り込む。
 多少なりとも自覚はあったらしい。
 「イリーナは?イリーナをどうするつもり!?あの娘を傷つければ、バザロヴァ国王が黙ってはいないわよ」
 もはや切り札はイリーナ公女だけだった。
 この国に留学という名目でやってきた公爵令嬢であるイリーナに、この国の貴族はおいそれと手を出すことはできない。
 イリーナがアレクシスとの関係を祖国に訴えれば、まだ挽回できる可能性は残っていた。

 「あらぁ、わたくしをお呼びですの、おば様?」
 
 だが、最後の望みもすぐに絶たれてしまった。
 別の扉から姿を現したイリーナは、離宮に籠っているはずのアレクザンドラ王太后と共に現れたのだ。
 スピネット卿だけではない。
 イリーナにも、アレクザンドラ王太后にも、みんなに欺かれていたのだ。

 「ハーヴィー!…メルヴィン…、どこにっ…!?」
 
 慌てて頼りになる部下たちを探す。
 いつもグラフィーラ王妃が望むときに、誰かしらは傍にいてくれた。
 「無駄ですわ、王妃様」
 「…」
 「あなたの部下たちは先ほど死亡、あるいは拘束しました。ハーヴィー、メルヴィン、メラニアと呼ばれていた三人は死亡を確認しております」
 「ハーヴィーが…死んだ?」
 ついに負けを悟ったグラフィーラ王妃は、へなへなとその場に座り込んでしまった。
 「王妃!」
 ガドフリー国王はグラフィーラ王妃に駆け寄ろうとするが、兵たちが突き出した槍に動きを止められてしまう。
 その様子を冷めた目で見ていたスカーレットが、凛とした声で言い放った。
 「国王陛下、王妃様。これはクーデターではありません。議会はあなたたちを国家反逆罪で拘束するという命を昨日のうちに下しました。我々は正規の手続きを経てここへやってきたのです」
 ガドフリー国王もグラフィーラ王妃も何も言葉を発さない。
 肝心のイリーナが味方でなければ、足掻いても無駄だと悟っているのだ。
 「…このようなことになって残念です」


 
 同時刻の西館。
 フィオレンツァとアレクシスはようやく二人の娘たちと再会していた。
 「おかあさまーーー!おとうさまーーー!」
 「ルナマリア、アルトステラ!」
 「ああ、可愛い子たち、会いたかったわ」
 一度は互いの死も覚悟しただけに、再会の感動はひとしおだった。

 あの日、本館をヨランダ、ノーリーンと共に脱出した姉妹は、半日かかったものの無事に西館にたどり着いていた。
 アレクシスからの手紙はブレイクの元には届かなかったものの、スカーレットたちは西館と本館を繋ぐいくつかの通路を抑えており、すぐに彼らを保護することができたのだ…とはいえ本当に逃げ込んでくるかどうかは半信半疑だった。
 スカーレット曰く、正規のルート以外で本館から西館に向かうのは東方の国のニンジャくらいしか無理らしい。
 実際ヨランダはともかく、ノーリーンはぼろぼろで半泣きだったという。
 「ヨランダ凄かったの。すっっっごく高い壁を上って、縄でびゅびゅーーっん!って」
 「あーーーああーーー!!」
 「そのあとくるくるくるーーっ。ばひゅん!」
 「うーーー!うーーー!」
 「ノーリーンは縄でゆっくり降りてたの。でもルナとステラは順番にヨランダとくるくるしたんだよ」
 「そう…頑張ったわね。…主にノーリーンが」
 是非とも直接ねぎらいたいところだったが、あの時フィオレンツァたちを護衛した者たちはザカリーとヨランダ以外は何らかの怪我を負い、皆手当の最中だということだ。
 テッドメイン家に預けられていたアガタがようやくフィオレンツァたちの元に戻り、子供たちの世話に奔走している。
 ちなみに西館までは共に行動していたロージーは、「説教してやるからそこに正座しなさい」とフィオレンツァに威丈高に言い放ったのだが、「よろこんで!!」とスライディング正座をかましたフィオレンツァに驚いて硬直したところを、すかさず護衛の皆さんが拘束して去っていった。
 相変わらず見事な手並みだった。


 再会の感動に浸っている彼らがいるのは、スカーレットが用意した西館の一室だ。
 そこへスカーレットの義弟デクスターが現れたのは、陽が高く上る頃だった。
 「お久しぶりです。公爵閣下、フィオレンツァ夫人。ご無事でなによりです」
 デクスターは本館の捕り物には参加していなかったが、ずっとスピネット卿の代理で議員との調整に駆け回っていたらしい。
 スカーレットとスピネット卿は今もまだ本館にいるため、伝言を持ってきてくれた。
 また今後王位を継ぐアレクシスはじめその家族の護衛も、ティンバーレイク家の跡取りであるデクスターに一任されている。
 
 「先ほど連絡がありました。国王夫妻の身柄を無事確保できたようです」
 「移送先は?」
 「ひとまずは貴族牢に。…ですが、明日にでも王太后様と入れ替わりに南東の離宮に移送されるでしょう」
 アレクシスの眉間にしわが寄った。
 「甘すぎないか?自分たちの都合だけで私の妻を害し、国を売ろうとしたんだぞ。南西の離宮にすべきでは?」
 南東の離宮はアレクザンドラ王太后が静養先に使うくらいには過ごしやすく、設備の整った場所だ。
 対して現在ユージーン廃太子が軟禁されている南西の離宮は、かなりつらい環境らしい。
 老体の二人には堪えるだろう。
 「閣下…。お気持ちは分かりますが、あなたはまだ王ではない…王妃様の処分は議会が決めることです。それにバザロヴァ王国との交渉もこれからですので」
 「わかっている。しかし…」
 「ご安心を。国を売ろうとしたばかりか、何の落ち度もないフィオレンツァ夫人を殺めようとした王妃様に、議会が温情をかけることはございません」
 今回グラフィーラ王妃の目論見が崩れたのは、運が良かっただけだ。
 運とはもちろん、イリーナ公女の存在である。
 彼女がこの国の王太子妃になろうとグラフィーラ王妃の意をくんだ行動をしていれば、結果がどう転んでもバザロヴァ王国からの何らかの圧力は免れなかっただろう。
 事実を知った議員たちは改めて裕福な隣国の存在感を認識し、グラフィーラ王妃への憤りを感じるに違いない。
 国王夫妻に対する処分の検討はこれからだが、万が一にも二人が公共の場に顔を出すことはないだろう。


 
 後の話になるが、国王夫妻は退位と共にそのまま南東の離宮に生涯幽閉となった。
 最初の案ではガトフリー国王は比較的甘い東館での軟禁、グラフィーラ王妃は南西の塔への幽閉のはずだったのだが、ガトフリー国王の方が王妃と共に南西の塔に付いていくと言い出した。
 東館の軟禁の処分のままであれば愛人たちとの接触も許されていたのだが、ガトフリー国王は王妃と共にあると頑として受け入れなかった。
 結局処分は検討し直され、共に南東の離宮での幽閉に落ち着いたのだ。

 それを聞いたアレクシスは、父を最後に説得した時に「まだ隠居したくない」という彼の台詞を思い出していた。
 あの時は情けなさと怒りでいっぱいだったが、冷静に思い返してみれば、父王らしくない言葉だと思ったのだ。
 ガトフリー国王はヘロイーズの嫉妬がユージーンやアレクシスに向くことを恐れてグラフィーラ王妃にそっけなく振る舞っていたが、本当は彼女を溺愛していた。
 いつもグラフィーラが喜ぶ言葉を使い、彼女が失態を起こしても優しく諭すだけでとにかく甘やかしていた。
 エステルを虐げたのも、今回の作戦に協力したのも、全てグラフィーラを喜ばせたいがためだったのではないだろうか。
 もちろん正しくない行為だ。
 彼は国王なのだから…それにどんな立場であれ、国を売る行為を許してはいけなかった。
 それでも、王位と自由を失ってでもグラフィーラに寄り添おうとするガトフリーに、アレクシスは自分の妻を思って共感せずにはいられなかった。


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