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第四章 公爵夫人フィオレンツァは、王宮に思いを馳せる暇がない

閑話 ハーヴィーという男(1)

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第二章の11で名前だけ出ているハーヴィー(王妃の部下)の視点です。
三話ほどで終わります。

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 ハーヴィー・ウェストは、もともと伯爵家の次男だった。姉と兄との三人姉弟で、優しい両親もいて、幸せに暮らしていた。
 ある日、姉に縁談の話が来た。代替わりしたばかりのガドフリー国王の側室に迎えたいということだった。
 姉は幼い頃から婚約していたが、半年前に婚約者が結婚目前で病死していたことで、条件のいい次の結婚相手がなかなか見つからなかった。姉も同意したことでこの話はまとまり、慌ただしく王宮に入る準備を進めていたのだが…。
 ある日、姉はタウンハウスの近くで侍女と買い物をしている最中にさらわれてしまった。
 家族や憲兵は必死で探し、半日後に姉は娼館で発見された。すでに何人もの男たちに弄ばれた後だったらしい。当然姉が側室になる話は立ち消えになり、姉は逃げるように自領に帰った。
 しかも事件はそれだけでは終わらなかった。姉が娼館にいたという話が広まり、尾ひれ背びれが付いて悪質な醜聞となったのだ。絶望した姉は、半年後に首を括って自殺した。さらに実家の伯爵家もあらぬ噂を立てられるようになり、やがて父が病に倒れ、母の実家の領地へと引き籠っていった。兄は伯爵家を存続させることは不可能と判断し爵位を返上、一家は離散したのだった。

 9歳だったハーヴィーは一緒に暮らそうという両親の申し出を断り、一人王都に残った。
 そして姉が発見された娼館に使用人として潜り込んだ。家族をばらばらにした、姉をさらった男たち…そいつらを全員抹殺してやるつもりだった。そうして働いて分かったことは、姉は何者かの依頼で攫われたらしいということだった。姉は偶然攫われたわけではなく、狙われていたのだ。
 しかしそれ以上のことはわからず、オーナーを脅して聞くしかないかと思っていたら、とある人物が接触してきた。メルヴィンと名乗ったその男は、娼館でハーヴィーを指名した。ハーヴィーは顔立ちが整っているので、たまにある話だ。すでに小遣い稼ぎのために何人かの男たちの相手をしていたハーヴィーは、特に何も考えずに部屋に向かった。

 「君のお姉さんを陥れた黒幕を知っている」
 
 メルヴィンはそう言った。復讐したいかと問われ、すぐに「したい」と言った。メルヴィンはその場でハーヴィーを買い取ると、とある屋敷に連れてきた。
 そこにはピンクブロンドの髪をした、美しくも冷たい目の女がいた。
 「王妃様の御前だ、無礼があってはならぬ」
 「王妃…」
 「グラフィーラよ。…そこに座って頂戴。名前は…」
 「今はハーヴィーです」
 自分の本名を言おうとした女の言葉に、被せるように今の名前を言う。メルヴィンと同席していた侍女…後でメルヴィンの妹メラニアだと聞かされた…は、目を吊り上げるが、グラフィーラ王妃は唇の端をわずかに吊り上げただけだった。
 「いいわ、ハーヴィー。…私はあなたみたいな子を探してたのよ」
 「僕みたいな?」
 「ヘロイーズに不幸にされた、不憫な令嬢たちの家族よ」
 「…」
 ヘロイーズの名前は知っている。ガドフリー国王の側室になった侯爵家の女だ。
 姉の事件があってからしばらく王室のことも調べていたが、側室の話はいくつもの家に打診されていたにも関わらず、実際に嫁いだのはヘロイーズだけだった。
 「犯人はヘロイーズ妃だと?」
 「そうよ。ちなみに被害者はあなたの姉上だけではないわ。顔に傷をつけられた娘や、抵抗して殺された娘もいる」
 「証拠はあるんですか?」
 「あなたの姉を襲った男たちは全員は調べられなかった…彼らは娼館のオーナーに騙されて、本当に娼婦だと思って乱暴したのでしょう。…でも、攫った男ならばどうかしら」
 「…」
 
 はたしてグラフィーラ王妃の言った通りだった。
 彼女は姉を攫って娼館に売り飛ばした男を調べていて、しかもその屋敷の中にすでに拘束していた。
 ハーヴィーはありとあらゆる拷問を加え、依頼人が当時侯爵令嬢だったヘロイーズだったことを吐かせた。ヘロイーズはライバルの令嬢たちを、この男を使って襲わせていた。ハーヴィーの姉は王都にいたためにその場で怪我を負わせるのは難しく、攫って娼館に放り込んだようだった。
 ハーヴィーはヘロイーズを自分の手で殺させてくれることを条件に、その日からグラフィーラ王妃の駒になった。

 グラフィーラ王妃の部下になった時、姉の死からはすでに12年が経過しており、ハーヴィーは21歳になっていた。グラフィーラ王妃は第一王子ユージーンと生まれたばかりの第三王子アレクシス、そしてターゲットのヘロイーズは第二王子のヘイスティングズを生んでいた。
 ハーヴィーは王妃の紹介でとある子爵家の養子に入ると、王宮に上がってヘイスティングズの従者になることに成功した。その子爵家はすでに王妃に買収されていたが、もともとはヘロイーズの実家の寄り子だったらしい。
 グラフィーラ王妃とヘロイーズ妃は、互いに王子ができてから毒殺や暗殺などを水面下でやりあっていたらしく、王子たちの従者になりたいと手を挙げるものは少なかった。

 そうしてヘイスティングズ王子の従者になったハーヴィーだが、ヘイスティングズ王子はかなりの馬鹿だった。傲慢で乱暴で、贅沢好きで、勉強からは逃げていた。それを許していたのがヘロイーズだ。彼女は息子を溺愛し、楽な方へと誘導し、身分と権力だけの無知な怪物に育て上げていた。
 姉の尊厳を踏みにじり命まで奪ったというのに、それがこんな愚かな王子を産み育てるためだったとは…。ハーヴィーはますますヘロイーズへの憎しみを募らせた。
 しかし感情的に殺しはしない。
 一瞬の死など、あの女にはふさわしくない。
 姉が苦しんだ何倍も苦しめ、甚振らないと復讐とは言えない。
 ハーヴィーは機会を窺い続けた。

 やがて第一王子と第二王子は成人し、とうとう棚上げされていた婚約者が宛がわれることになった。候補の令嬢が王宮で妃教育を受け始めてからしばらくして、グラフィーラ王妃は久しぶりにハーヴィーにコンタクトを取ってきた。実際に接触したのは、今は第三王子の侍女をしているメラニアだ。

 「スーザン・アプトンという子爵令嬢を知っている?」
 「第二王子がお気に入りの娘でしょう?王子の好みの女を演じて、見事に手玉に取っていますよ」
 「その娘を使って、第二王子を失脚させられないかと王妃様が…」
 「随分あの娘を買っているのですね。…王妃様の仕込みではないのですよね?」
 「違うわ。でもあちこちで問題を起こしているくせに第二王子に気に入られているから、行動を注視されているわよ。バーンスタイン夫人は追い出したがっているけど、手をまわしてまだ王宮にとどめているの。第二王子と一緒に馬鹿をやってくれるんじゃないかって。…実際、第二王子の株は下がる一方だしね」
 ヘイスティングズは、最近スーザンを特別扱いし、本来足を踏み入れてはならない本館に入れたり、高価な贈り物をしているようだ。当然、良識ある貴族からは眉を顰められている。
 「ちなみに王子たちの婚約者は決まったのですか?」
 「内々の段階だけど、第一王子はパルヴィン伯爵令嬢を選ばれたわ。王妃様が散々説得したけれど、がんとして折れなかったそうよ。…だから王妃様は焦っているの。きっと第二王子はティンバーレイク公爵令嬢を選ぶわ。あちらが一気に有利になる」
 「…婚約者が決まった後、王子がティンバーレイク公爵令嬢を捨ててアプトン子爵令嬢と真実の愛を宣言するというのはどうですか?」
 「はあ?そんなことできるわけないじゃない」
 メラニアが呆れた顔をするが、ハーヴィーはわりと本気だった。
 「…王妃様のお考えは理解しました。また連絡をください」

 
 数日後、ヘイスティングズ王子の婚約者はスカーレット・ティンバーレイク公爵令嬢に決まった。
 その日からハーヴィーの仕込みは始まった。
 「ティンバーレイク公爵令嬢は、第一王子の婚約者を狙っていたようですよ?ですがパルヴィン伯爵令嬢にその座を奪われ、仕方なく殿下の婚約者になったと専らの噂です」
 「スーザン嬢は可愛らしくて未来の王妃に相応しい。ですが、婚約者はすでに決まっていますからねぇ」
 そんなことを囁けば、ヘイスティングズ王子はスカーレットという婚約者が、まるで兄からのお古のように感じる。そして自分より年上で、ずっと近くで支え続けてくれた(と勝手に思っている)ハーヴィーに、スーザンが王妃に相応しいと言われれば、それが間違いないように感じ始めていた。
 自分勝手でありながら、自分の意見というものを持たず、他人に左右されやすい人間なのだ。もしこの男が国王になったら、見事な傀儡の出来上がりだろう…まあ、今の王も似たようなものだろうが。

 そうして迎えた建国祭の夜会。
 ヘイスティングズ王子は、集められた貴族たちの面前で、スカーレットに婚約破棄を言い渡した。
 しかもスーザンに危害を加えたという冤罪までかけて。
 これもハーヴィーが一枚かんでいた。
 数日前に夜会のことを知ったスーザンが、ヘイスティングズ王子に公衆の面前で婚約破棄をすべきだと言い始めたのだ。最初は戸惑っていたヘイスティングズ王子だったが、ハーヴィーがスーザンに援護射撃したことでその気になり始めるのだからやはり愚かだ。馬鹿娘と馬鹿王子で正直お似合いだと思う。
 すべてグラフィーラ王妃に報告してあった。
 意外だったのが、スカーレットがどうも婚約破棄を予期していたらしいことだった。ヘイスティングズ王子とスーザンの言いがかりを見事に看破し、一部の疑いも残さなかったのはさすがだった…王妃も内心驚いていたはずだ。
 ともあれグラフィーラ王妃は、ヘイスティングズ王子を幽閉に追い込むことに成功した。
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