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第二章 フィオレンツァは乙女ゲームの世界に迷い込みました!?
09 婚約破棄の顛末
しおりを挟む「ブレイク・タルボットよ、こちらへ」
「はい、国王陛下」
一気に勢いをなくして黙り込んだヘイスティングズ王子とスーザンをよそに、ガドフリー国王は先ほど名前が出たブレイクを呼ぶ。ブレイクはいつもの官吏の服ではなく、貴族の礼服姿だった。
「ブレイク・タルボット、発言を許す。二日前の午後四時、スカーレット・ティンバーレイク公爵令嬢がどこにいたのか証言せよ」
「かしこまりました」
ブレイクは顔を上げると、良く通る声で話し出した。
「二日前のバーンスタイン夫人の授業は、十月に行われる豊穣祭の歴史と儀式の手順でした。授業の後、ティンバーレイク公爵令嬢は一時間ほど教室に残り、バーンスタイン夫人に細かく質問をされていました。教室を離れたのは午後五時過ぎと記憶しております。バーンスタイン夫人の専属侍女が主を呼びに来た際、時刻を口にしていました。そしてバーンスタイン夫人と別れた後、私がティンバーレイク公爵令嬢を真っすぐ公爵家の馬車までお送りしました」
「う…嘘だ。嘘です!きっと教室を離れた後でスーザンを突き落としに行ったのです。一時間くらいの誤差はよくあることでしょう!」
「そうですわ。そういえば思い出しました。四時をだいぶ過ぎていました。私が時間を勘違いして…」
「スーザン嬢が突き落とされたという話は、ティンバーレイク公爵令嬢を見送った後で聞きました。随分派手に騒がれていましたからね。スーザン嬢が階段から突き落とされた現場を見た者はおりませんが、階段から落ちたスーザン嬢を見た者は何人かおります。夕餉の準備に入る時間帯でしたから、そのうちの何人かが、階段から突き落とされたと騒ぐスーザン嬢を午後四時頃に見たと証言しております。王宮の使用人は決められた時間に行動する者が多いですから、一時間ものずれはありえませんよ」
「そ、そうですわ、きっとスカーレット様に命令された誰かに…そうよ、フィオレンツァだわ!フィオレンツァに突き落とされたんです!」
「最初にあなたは、突き落とされたときにスカーレット様を目撃した、とはっきりおっしゃいましたよね。証言を覆すのですか?」
ブレイクが冷静に指摘するが、スーザンも必死だった。
「気が動転して見間違えたんです!フィオレンツァよ!スカーレット様の手下のフィオレンツァをここに呼んで!!」
え、呼ばれるの?
現場…ではなく、会場の隅っこで気配を消していたフィオレンツァ・ホワイトリーです。
皆さん、ご機嫌よう。ちゃーんといましたよ?状況の説明は…いらないですよね?いるの?仕方ないなぁ。
ヘイスティングズ王子がスカーレット様に婚約破棄を言い渡し、スーザンを虐げていたという冤罪をかぶせている最中なのはご存じの通りです。罵詈雑言に私物破損、そして二日前にスーザンを階段から突き落としたという殺人未遂を犯したとのこと。ヘイスティングズ王子がこんな公の場で声高に発言してしまった以上、殺人未遂だけは今ここでスカーレット様の容疑を晴らしておかねばなりません。でなければ王家とティンバーレイク公爵の関係にひびが入ってしまいますから…どうしてヘイスティングズ王子はそんな簡単なことが分からないのでしょうか。
スーザンは二日前の授業の直後におそらく自分から階段を転げ落ちて事件を模造したようです。ところが王太后様がバーンスタイン夫人の後ろ盾であるという事実を知り、さらに事件の時刻に彼女がスカーレット様と一緒にいたことが判明。するとヘイスティングズ王子とスーザンは苦し紛れに事件の時間をずらしてきました。確かにこの国では時計を持参して行動する習慣はないので、「一時間くらいの誤差がよくある」というのは大げさな言い方ではありません。しかしそれはブレイク氏によってあっさりと論破され、今度は目撃証言を変えてきました。いやいや、「振り返って相手の顔をはっきりと見ました。間違いなく、スカーレット様が私を突き落としたのです」って言ったじゃない。その舌の根の乾かぬ内に「やっぱり突き落としたのは手下のフィオレンツァだったわ」って…。
誰が手下だ。
「フィオレンツァ・ホワイトリー!いるのならここに来い!スーザンを突き落としたことを認めて詫びろ!!」
あー、ヘイスティングズ王子…名前が長くて面倒だから、もうヘッポコ王子でいいだろうか…ヘッポコ王子まで同調し出してしまった。しかもこっちの話も聞かずに実行犯だと決めつけて謝罪させようとしてますよ。凄すぎるよ王族…。
「早く出てこい、フィオレンツァ・ホワイトリー!」
「フィオレンツァ!隠れたって無駄よ、出て来なさい!今謝ったら許してあげるわ!!」
で、出たくない…。でもここで黙っていたら、あの支離滅裂な冤罪を認めることになってしまう。この場でヘッポコ王子たちの醜態を見た貴族たちはスーザンの証言を信用しないだろうが、この話が後日流れれば、どんどん尾びれ背びれが付いて、フィオレンツァがスーザンを突き落としたと信じる者もいるだろう。どうしてもこの場で彼らの話を否定しなくてはならない。意を決して足を踏み出そうとしたフィオレンツァだったが、寸前で手を引かれてたたらを踏んだ。
「だめだよ、ここにいてフィオレンツァ嬢」
「アレクシス殿下…」
いつの間に隣にいたのか、アレクシス王子がフィオレンツァの手首をしっかりと握っていた。
「アレクシス殿下、ですが私は…」
「何も心配ないよ、ブレイクに任せていて」
「落ち着いてください、ヘイスティングズ王子。フィオレンツァ・ホワイトリー伯爵令嬢もスーザン嬢を突き落としてはおりません」
「なんだと?」
「嘘よ!!」
「先ほど二日前の午後四時から午後五時までのティンバーレイク公爵令嬢のアリバイを証言いたしましたが、同じ時間同じ場所にホワイトリー伯爵令嬢もいらっしゃいました」
そうなのだ。スーザンが突き落とされたとされる時刻、フィオレンツァはスカーレット共に教室に残り、片付けの手伝いをしながらバーンスタイン夫人とスカーレットのやり取りを聞いていた。バーンスタイン夫人の侍女が呼びに来たことも、彼女が時刻を口にしたのもよく覚えている。
「馬鹿な!ならばスーザンは誰に突き落とされたというのだ?」
「私に聞かれましても…間違いなく証言できるのは、スーザン嬢が階段から落ちた時、ティンバーレイク公爵令嬢とホワイトリー伯爵令嬢は別の場所にいたということだけです」
「嘘…嘘…そんなはずないわ!だいたいあなたは何なのよ!?あんたの証言なんて信用できないわ」
「そ、そうだ!子爵家の人間に過ぎないお前の証言など信用に値しない…大方、公爵家に取り入ろうと嘘の証言をしたのだろう?それともスカーレットに体で誑し込まれたのではないか?その女、体つきだけは立派だからな!」
ばしんっ!
異様な音は王族たちがいる席から響いた。いつの間にか椅子から立ち上がっていたアレクザンドラ王太后が、扇子を床に叩きつけていた。
「お、おのれ…よくも…」
「王太后様…」
隣のガドフリー国王は息子の下品な発言と王太后の激高ぶりにさすがに顔色を変え、一方のグラフィーラ王妃は笑みすら浮かべている。異様な光景だった。
「ヘイスティングズ!スカーレット嬢はもちろんのこと、よくもわらわの前で可愛いひ孫を侮辱したな!!」
「え、ひ孫?」
「ど、どういうこと?子爵家の息子なのに王太后のひ孫って?」
本気で驚いているヘッポコ王子とスーザンに、貴族たちが冷めた目を向ける。スーザンはともかく、ヘッポコは王子のくせに親戚のことも把握していないのだろうか…ヘロイーズ妃は今まで何を教育していたのやら。
アレクザンドラ王太后が現国王ガドフリーの実の母ではないことは、国民の誰もが知っている事実だ。かつて先代国王の正妃となってすぐに身ごもったアレクザンドラだったが、生まれたのは女児だった。しかもその出産で二度と子供を望めない体になってしまった彼女は側室を受け入れ、どの子も分け隔てなく育てた。そのうちの一人がガドフリー国王だ。
さすがのヘッポコ王子もそこまでは知っていたはずだが…知ってたよね?…アレクザンドラの唯一の子がその後どうなったかを知ろうとはしなかったようだ。とはいっても別に隠されているわけではない。ガドフリー国王より10歳年上の王女は政略結婚で侯爵家に降嫁し、さらにその一人娘はタルボット子爵家に後妻として嫁いで男の子を産んだ。娘も孫娘も早くに亡くなり、アレクザンドラ王太后にとってブレイクは唯一残った直径の子孫、目に入れても痛くないほど可愛いひ孫なのだ。もちろんそのような素振りは見せないが、アレクシスの従者の職を密かに斡旋したのは王太后である。
「ヘイスティングズ。ブレイク・タルボットは信用に値する人物だと国王である余自身が判断し、一ヵ月間ティンバーレイク公爵令嬢を監視させていたのだ」
「監視?」
「ティンバーレイク公爵令嬢が子爵令嬢を虐げているという噂があったのでな…。しかしいざ蓋を開けてみれば、公爵令嬢は他の令嬢を取り巻きにして子爵令嬢を侮辱したことも、私物を破損したこともない。王宮では西館の定められた場所にしか移動せず、ただ真面目に妃教育を受けているという報告をブレイクから受けている。なのに子爵令嬢が虐げられているという噂は酷くなるばかり…そしてティンバーレイク公爵とホワイトリー伯爵令嬢に対する、階段から突き落とされたという完全な言いがかり…。それらを鑑みるに、全てその令嬢の自作自演だったようだな」
「…」
「…」
もうヘッポコ王子もスーザンも言葉を発しなかった。国王がブレイクを信用に値するとはっきり口にした以上、もう彼の言葉を嘘だとか勘違いだとかケチをつけることができない。…まあ、本当にブレイクの方が真実で、スーザンの方は嘘しか言っていないのだが。さらにスーザンの話は「全て自作自演」と断じられてしまい、これ以上何を言っても彼らの力では覆せない。
二人が完全に沈黙すると、グラフィーラ王妃が手を上げて何やら合図をした。荒々しい足音が響き、人波がさっと割れていく。王家の騎士団だった。
「ま、待て…!父上、どうか話を…!」
「きゃあ!やめて、やめてよ!!」
騎士たちはあっという間にヘッポコ王子とスーザンを拘束する。縄をかけられたわけでもないのに二人は満足に抵抗もできず、鮮やかな手際で会場から連れ出されてしまった。
「皆の者、騒がせたな。随分と待たせたが、第一王子の婚約式を始めようと思う」
国王がそう言うと、奥からユージーン第一王子がエステルを伴って現れた。貴族たちは拍手をしたり、祝いの言葉をかけたりしながら何事もなかったかのように振る舞う。そして婚約式が始まるのだった。
この夜会を境に、ヘイスティングズ第二王子は表舞台から姿を消した。そして第二王子の生母である側室ヘロイーズは実家に戻され、その後すぐに不可解な死を遂げている。これを機に第二王子を王位に押す一派の勢いは削がれ、急速に力をなくす。
そしてユージーン第一王子の立太子が二ヵ月後に発表された際、その決定に異議を唱えられる貴族はいなくなっていた。
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