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第一章 フィオレンツァと愉快な乙女たち

01 ちょっと王宮に乗り込んでくる

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 フィオレンツァ・ホワイトリー。
 ホワイトリー伯爵家の四女で、花も恥じらう16歳の乙女である。
 急になんだが、彼女には前世の記憶というものがあった。八年前、難産の末に命を落とした母親の葬儀の時に急に別の世界で過ごした記憶が蘇ったのだ。前世では今よりずっと文明が進んだ世界で、フィオレンツァは30代になったばかりの独身OLだった。仕事は楽しかったが恋人はおらず、家族とも疎遠だったと思う。
 あちらの世界でどうして死んだのかは覚えていないが、前世の記憶はフィオレンツァに、それまで培っていたのとは全く違う価値観を植え付けた。貴族の女子として生まれた以上、最終目標は結婚し、子供を産むことだ。そのために淑女教育を受け、社交をして、美しさを磨く。
 しかしフィオレンツァは気づいてしまったのだ。

 ―――そんな金、この家にはねーよっっ!
 ホワイトリー伯爵家は建国の時代からある由緒正しい家柄だ。
 だが、三代前の当主がどうしようもない骨董好きだった。彼は怪しげな壺や絵画を買いあさり、伯爵家の金庫を空にした。そのうえ金がなくなると税を上げて民に負担を敷こうとした。これはいかんと先代と当主の弟…これがフィオレンツァの祖父に当たるのだが、二人で当時の当主を幽閉し、表向きは病気で弟に爵位を譲ったことにして代替わりをした。幸いにも夫人は夫の骨董好きに呆れて夫婦仲が冷え切っており、間に子供がいなかったためにスムーズに祖父が当主となった。
 祖父は何とか民に負担をかけずに傾きかけた伯爵家を立て直そうとした。博打のような大きな事業は起こさず、農地に麦だけでなくトマトやナスなど育てやすい野菜を栽培させてみたり、織物業を支援してそこそこの結果を出した。超貧乏貴族から、ちょっと貧乏な貴族になったかと思いきや、父の代に大雨による水害が起こった。父はその対応に追われ、せっかく少し貯まった金庫もすぐ空になってしまった。国から多少は援助金が出たものの、親族の救済がなければ借金まみれになっていただろう。ホワイトリー伯爵家の金庫はまたしても空になってしまった。

 さらに頭の痛いことに、ホワイトリー伯爵家には跡継ぎのミリウスの他に四人の娘がいる。娘が嫁げば、相手の家に持参金を払わねばならない。
 幸いなことに長女のシャノンは裕福な商家に請われ、シャノンも爵位よりは金だと平民に嫁ぐことを了承した。相手の家はシャノンをもらえるなら持参金はいらないと言ったため、この婚姻は障害なく結ばれた。
 問題は次女のベラドンナの結婚だった。ベラドンナは美しい容姿と社交的な性格をフル活用し、見事辺境伯の跡継ぎの心を射止めた。その時の持参金を用意するのは相当骨が折れた。家の骨董品はもちろんできるだけの調度品も売り払い、シャノンの嫁ぎ先に借金をしてようやく持参金を用意することができた。
 そして今度は三女のニコールだ。彼女は幼馴染の子爵家の嫡男と結婚が決まり、ホワイトリー伯爵はまた金策に駆けずり回った。これ以上シャノンの嫁ぎ先に借金はできない。幸い相手の子爵家はこちらの事情を知っていたので通常の半分程度の持参金でいいと言ってくれ、さらに遠縁のバーンスタイン伯爵家が援助を申し出てくれたためにニコールも無事に嫁ぐことができた。

 さてさて、次はフィオレンツァの番…にはならない。フィオレンツァは前世の記憶を取り戻してから、父には結婚相手を無理に探さなくてもいいと伝えていた。だってお金がない。これ以上伯爵家から持参金は絞り出せない。無理にどこかの貴族と縁付こうとして借金してしまったら、跡継ぎのミリウスが苦労する。前世で兄弟と疎遠だったフィオレンツァは、母親の顔を知らないミリウスを溺愛してきた。
 フィオレンツァなりに伯爵家の役に立とうとしてみたが、OLの経験しかないから、何か事業を起こしたり、開発したりするチートスキルは持っていない。思いつく手は結婚をせずに父の補佐をし、亡き母に代わって伯爵家を切り盛りすることだけだった。
 

 きっかけは、細々と続けているバーンスタイン伯爵夫人との手紙だった。
 バーンスタイン夫人は父の後見人であり、フィオレンツァたちのこともよく気にかけてくれていたという。四年前の姉シャノンの結婚式に参加してくれたのを機に、フィオレンツァは彼女と文通をしていた。自慢ではないが、この文通のおかげで先の援助を勝ち取ったともいえる。
 そして援助のお礼の手紙を送った際、何の流れだったが、自分はミリウスのためにも嫁ぐつもりはない、しかし領地経営に詳しいわけでもなく歯がゆい思いをしている、といった内容を書いたのだ。するとバーンスタイン夫人は、結婚するつもりがないのなら自分の後継者にならないかと進めてきた。
 彼女の仕事は、王宮で王族の子女に教育を施す、いわゆる王族専属家庭教師だった。現在の王妃様の輿入れの際には、バーンスタイン夫人が淑女教育を施したという話を亡き祖父が自分の手柄のように話していたのを思い出す。
 現在王家に姫はおらず、三人の王子がいるのみだ。
 24歳のユージーン王子、22歳のヘイスティングズ王子、そして12歳のアレクシス王子である。このうち上のユージーン王子とヘイスティングズ王子の妃の候補を集め、淑女教育を施すことになったという。バーンスタイン夫人は今年53歳で、おそらくこれが最後の仕事になる。いずれ王子の誰かが後を継ぎ、姫が生まれたときや次の王子の婚約者が決まった際にはまた淑女教育を施す教師が必要になる。
 フィオレンツァはその話に飛びついた。自慢ではないが、前世では真面目で勉強熱心という点で一目置かれていた。人を育てた経験はないが、領地経営よりもずっと自分に向いている仕事だと思ったのだ。
 
 「そういうわけでお父様、ちょっと王宮に乗り込んでまいります」
 話は伯爵家の執務室に戻る。
 娘が身の程知らずにも王子妃になろうとしたわけではないと知り、ちょっとほっとしたホワイトリー伯爵だったが、他の令嬢とはややずれているフィオレンツァが王宮に行くのはやっぱり不安だった。
 「その…すまない、フィオレンツァ。私が不甲斐ないばかりにお前にいらぬ苦労を…」
 「いいえ、お父様。お父様はどうかそのままでいてくださいませ。災害があっても常に領民に寄り添い、自らの身を削ってまで彼らの生活を支えんとするお父様の姿勢を私は尊敬しております」
 「フィオレンツァ…」
 「家のことはバーナードに任せます。ミリウスはまだ小さいですが、あの子は次期当主です。いつまでも姉の私の後をついているようではあの子のためになりませんもの」

 ホワイトリー伯爵家の屋敷は大きく立派だが、使用人は少ない。
 家令のバーナードと彼の部下が一人、当主一家の身の回りの世話をする年配の侍女が二人、コック長兼掃除夫長が一人と、当主家族を除けば五人しかいない。ニコールが来週嫁ぐ時に侍女を一人連れて行くので、今度は四人になる。だがフィオレンツァも王都に行けば、残るホワイトリー伯爵とミリウスの世話は侍女一人で十分だろう。何せフィオレンツァはもちろん、伯爵やミリウスも貧乏生活が染みついて、自分のことはある程度自分でできる。着替えの手伝いをするくらいなら天井にぶら下がっている無駄に大きいシャンデリアの掃除をしてもらいたい。
 
 ホワイトリー伯爵も覚悟を決めた。娘がここまで言っているのだ。それを応援してやらねばなるまい。
 「お前の気持ちはよくわかった、フィオレンツァ。ミリウスは私が必ず立派な跡継ぎに育てる。お前は必ずバーンスタイン夫人の跡継ぎの座をもぎ取るのだ!」
 「はい、お父様!かならず王宮で職を得て、高給を食み、伯爵家を立て直して見せますわ!」
 「その意気だ、フィオレンツァ!我が娘よ、お前ならできる!!」
 「ほーーーっほっほっほ!」
 「わーーーっはっはっは!」
 父と娘はがっちりと握手を交わす。
 その光景を覗き見た執事長バーナードによれば、まさに歴戦(貧乏暮らし)を潜り抜けた戦友たちの、熱い別れの一幕のようであったという。


 父と熱い友情…もとい崇高な誓いを交わした次の日、フィオレンツァは家族と使用人たちに見送られて王都行きの馬車に乗った。
 もちろんこの世界に車なんてないが、馬車は思いのほか快適だ。馬車にもいろいろグレードがあるが、それほど高くないホワイトリー伯爵家の馬車でもさほど揺れはない。なぜなら馬車の車にゴム素材が使われていて、衝撃は吸収されているのだ。前世の記憶を取り戻したフィオレンツァが気になって調べたところ、八十年ほど前の隣国の発明家がゴムを発見して広めていた。 
 ―――私の他にも転生者がいるのかもしれない。
 そう思ったが、その発明家はすでに亡くなっているので確かめるすべはない。しかし石鹸や下水道、水洗トイレなど、暮らしに便利なものを次々に発明していたようなので、まず間違いなく転生者だったのだろう。
 さすがに電話やテレビなどの精密機械の知識はなかったようだが、いずれ出てくる可能性はある。フィオレンツァにその知識があればよかったのだが…。
 「あーあ、暇…。スマホがあれば便利なんだけどなぁ」
 自分が生きている間に、スマホを作る知識のある転生者は現れるのだろうか。そんなことを考えながら、王都に付いたのは五日後のことだった。

 バーンスタイン夫人の紹介状があったため、何の問題もなく城門をくぐり、王宮に入る。馬車を降り、白亜に輝く大きな城を見上げながらフィオレンツァはこぶしを握り締めた。
 行くわよ、フィオレンツァ!ミリウスのため、伯爵家のため、お金のため!

 絶対に王家専属教師になって、成り上がってやるわ!!!

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