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本編
09 ラドルファス大公屋敷
しおりを挟むラドルファス大公家の二度目の訪問には、ヴァレンティーナとティファニーも伴った。
「大きなお屋敷!お城見たいですわね、お母様」
「すごい、こんなところに住めるのですか?」
二人は屋敷の外観だけでかなり興奮していた。
物語のお姫様が出てきそうな立派な造りなのだ。
年頃の娘にはロマンだろう。
門に着くと、少し騒がしいようだった。
門番と若い女性が何やら言い争っている。
「アーロン様に会わせてちょうだい!きっと何かの間違いよ!!」
「お引き取り下さい。お通しすることはできません」
「嘘よ、選ばれるのは私よ!お願い、アーロン様!!」
「いい加減にしろ、役所に突き出されたいのか!?」
しびれを切らした門番が女性を恫喝する。
すると女性は今度は座り込み、しくしくと泣き出した。
騒ぎに野次馬たちが集まっている。
「ね、ねえ、お母様…。お屋敷に入らなくていいの?」
「…まだ様子を見ましょう」
ヴァレンティーナがまだ入らなくていいのかと私を促すが、私はむしろ一歩下がって野次馬たちに紛れた。
しばらくすると、警邏の兵が幾人か走ってきた。
屋敷の門番たちと目配せし合うと、あっという間に女性を拘束してしまった。
「きゃあっ!何するのよ」
女性は暴れるが、たった一人の女性が鍛え抜かれた兵たちにかなうはずもなく、ずるずると引きずられていく。
「離して、離して!アーロン様のお傍に立つのは私よ、アーロン様ーーー!!」
女性が視界から見えなくなってから、私はようやく娘たちを促して門に近づいた。
またか、という顔をして槍を構える門番もいたが、三人のうちの一人が私の顔を覚えていたようだ。
他の二人の門番に待つように指示を出し、私たちの前に進み出る。
「お名前を伺っても?」
「本日11時から面会予定の、ケイトリン・ウォーターハウスでございます。ここにいるのは娘のヴァレンティーナとティファニーです。面会時間に遅れ、誠に申し訳ございません」
私はそう言いながら、採用を告げられた時の書類を門番に見せた。
門番は納得したように頷くと、中に通してくれた。
そのまま門番の一人が先頭に立ち、広い前庭を通っていく。
「少し前からあの場におられたでしょう。申し訳ございませんでした、足を止めさせてしまって」
「もしかしてあの女性は、私同様家庭教師志望の方だったのでしょうか」
「…ええ、名目はそうですね。とある伯爵家のご令嬢なのですが…。不採用だったことが納得いかなかったようです。実は以前もこの屋敷で騒ぎを起こしたことがあるのですよ。ですから…」
「そうですの。大変なお仕事ですわね」
恐らくラドルファス大公閣下の後妻の座が本命なのだろう。
家庭教師という名目で子供たちから取り込もうと思ったのか。
はたまた、屋敷の中に入りさえすれば既成事実を作る自信があったのか。
騒ぎを起こしたのは初めてではないというから、相当しつこくアタックをかけていたのだろう。
門番のあしらい方と警邏の兵たちの動きが手馴れていたのも納得である。
屋敷の中からは、前回同様侍女が案内してくれた。
応接間に一度通されるも、私だけ大公の執務室に呼ばれる。
執務室に入れてもらえるなんて、よほど信頼されていないとできない。
…いいのか?
信頼関係築くのこれからじゃないのか。
前回の不可解な面接といい、大公様は変わり者なのだろうか。
入室を許可されて足を踏み入れれば、上品なインクの匂いがした。
「お久しぶりです、ウォーターハウス夫人」
「お待たせいたしました、大公閣下。今回はご採用いただきありがとうございます」
「実は窓の外から様子を伺っていました。あの令嬢が退場するまで待っておられるなんて、危機管理能力が高いですね」
そりゃそうだ。
あんな山猫みたいなお嬢さんの前で、「私、採用されましたわよー」という顔で門をくぐれるはずもない。
逆恨みされ、「あの女さえいなければ!」と勘違いされ、買い物中に後ろからぐっさりなんてこともありうる。
私だけならともかく、娘たちも伴っていたのだ。
危険はできるだけ排除したかった。
「早速ですが、条件の確認に入ろうと思います」
ラドルファス大公は私に書類を差し出した。
今回の仕事に関する給与の額や、与えられる屋敷の住まいのことなどが事細かに書かれている。
私はざっと一読すると、ラドルファス大公の顔を見つめた。
「大公閣下さえよければ、条件を追加していただけませんでしょうか」
「条件によりますが…何をお望みでしょう?」
青い瞳がすっと細められた。
私を測ろうとしているのか。
あんな令嬢が周囲をうろついていたのだ、用心深くなるのも仕方ないのかもしれない。
「前回このお屋敷にお邪魔したとき、働く方々のレベルの高さに驚いたのです。皆様、ある程度の身分で、高度な教育を受けられたのではないでしょうか」
「それは…そうですが」
「連れて来た二人の娘なのですが、このお屋敷で侍女として雇ってはいただけませんでしょうか」
「お嬢様方をですか?」
「すでに私のことはお調べになっているかと思いますが、娘二人の父親は元男爵で、すでに故人です。今は私の実家の姓を名乗っていますが、貴族の籍はありません。淑女教育も施してはいますが、将来のためにも侍女としての仕事を覚えさせたいのです」
「ふむ…」
「二人ともまだ幼いですし、一人前と認められるまでは給与もほとんど出ないでしょう。そこは私の給与と調整していただいて結構です」
「…お嬢様方は、子供たちの遊び相手と考えていたのですが」
「お言葉ですが、先ほど言ったように娘たちは貴族ではありません。大公家のお子様たちの遊び相手では、自分たちの立場を勘違いするやもしれませんわ」
「…よくわかりました。お嬢様たちのことに関しては、執事と侍女長と相談することにしましょう。他には何かありませんか?」
「特にはございません。お部屋まで用意していただき、恐れ多いですわ」
「それでは、早速子供たちに会っていただけませんか」
「まあ、今日は会わせていただけますのね」
ラドルファス大公は呼び鈴を鳴らし、外で控えていた従者を呼んだ。
「ウォーターハウス夫人を応接室へ。子供たちと面会できるように手はずを整えてくれ」
「かしこまりました」
「それと、執事と侍女長をすぐにこの部屋に呼ぶように」
私の提案はすぐに審議にかけてくれるらしい。
ドアの前で一礼すると、私は案内役の侍女に連れられて応接室に戻った。
娘たちと合流し、応接室で待っていると、侍女が二人の子供を連れて来た。
この子たちがラドルファス大公のお子様たちなのだろう。
「はじめまして、ウォーターハウス夫人。グリフィン・ラドルファスと申します」
最初にはきはきと挨拶をしてくれたのはご長男のグリフィン様で10歳。
真っ赤な髪に緑色の綺麗な瞳をしていて、妹を持つお兄ちゃんらしい落ち着きと利発さを感じた。
「あの…マルゲリータ・ラドルファスです。はじめまして…」
ご息女のマルゲリータ様は7歳ということだが、かなり小柄で事前に知らなければ5歳くらいだと思っていただろう。
お父上譲りの金髪碧眼で、肌は白いというよりは青白い。
部屋に引きこもりぎみということだが、それだけが理由だろうか。
大きな瞳はおどおどと宙を泳いでいた。
私は一歩進むと、カーテシーをする。
「お初にお目にかかります。グリフィン様、マルゲリータ様。ケイトリン・ウォーターハウスでございます。本日より、お二人の教師を住み込みでさせていただきます。こちらは私の娘たちですわ」
「ヴァレンティーナと申します。9歳です。よろしくお願いいたします」
「妹のティファニーです。8歳になりました。よろしくお願いいたします」
「娘たちも今日からこのお屋敷に住まわせていただきます。お屋敷のお手伝いをさせていただくつもりです」
「娘さんたちは、僕たちの遊び相手と聞いていました」
「申し訳ございません。娘たちは貴族ではないので、お二方の遊び相手には不適格です。お父上様にもお伝えしましたが、遊び相手のお役目は辞退させていただきました」
「そうですか。…ちょっと残念だな」
グリフィン様は少し口を尖らせたが、それ以上追及してこなかった。
一方のマルゲリータ様は、顔をうつむかせたまま視線を合わせようともしない。
「お二人とも、こちらへ来てお座りになってください。明日からの授業のために、色々と話を聞きたいのです」
そう言えばグリフィン様はすぐに私に向かい合うようにソファに座るが、マルゲリータ様はゆっくりと戸惑うように足を進めている。
長い前髪の間から時折ちらりとこちらを見るが、その瞳には怯えが浮かんでいた。
一瞬シンデレラの継母時代の悪い噂のせいかと思ったが、こんな小さなお嬢様の耳に、平民の中で暮らしていた私の悪評(誤解だけど)が届くとは思えない。
ラドルファス大公をはじめ屋敷の大人たちは知っている者がいるかもしれないが、主君の娘の耳に軽々しく噂を吹き込む質の悪い使用人がいるとも思えなかった。
「マルゲリータ、早く座りなさい。ウォーターハウス夫人が困っているだろう」
見かねたグリフィン様が小さく叱責すると、マルゲリータ様は少しだけ歩みを早め、ソファにちょこんと座った。
顔は俯けたままだ。
マルゲリータ様のことはひとまず置いておくとして、私は話を続けることにした。
「それでは、まずはお二人の好きな本を教えてください…」
そのまま夕食前まで談笑を交えながらゆっくりと話をした。
グリフィン様は騎士に憧れていて、剣技と乗馬を覚えたいという。
ただ小さいころはあまり体が丈夫でなく、最近ようやく屋敷の外へ出られるようになったらしい。
勉強は得意な方で、語学の点数が特にいいという。
マルゲリータ様は言葉少なながら、様々な分野の本を読むのが好きだと教えてくれた。
ラドルファス大公は王宮図書館で働いておられるので、持ち出し可能な本をよく借りてきて見せてくれるらしい。
少し掘り下げて聞いてみたが、7歳の子供が読むにしては難しい心理学の本まで網羅していて驚いた。
そうして夕食前に、再びラドルファス大公の執務室に呼ばれた。
「子供たちと色々話したそうですね」
「はい。明日から早速授業を始めたいと思っておりますから情報収集ですわ」
「そうでしたか。…ああ、ヴァレンティーナ嬢とティファニー嬢の件ですが、侍女長が侍女として教育するのを了承してくれました。二、三年のうちに、マルゲリータと歳の近い娘を侍女として屋敷に上げるつもりだったので、今から教育できるのならそれに越したことはないと張り切っていましたよ」
「それはようございましたわ。…ところで、そのマルゲリータ様なのですが」
穏やかだったラドルファス大公の顔が少し険しくなった。
私がマルゲリータ様のことを話すのは予測していたのだろう。
「私が見たところ、大人の女性を怖がっているようです。グリフィン様や私の娘たちのような子供や、大公閣下や執事長のような男性は大丈夫のようです。でも…」
「ええ。把握しています。お恥ずかしい話なのですが、いつから何が原因でそうなってしまったのか分からないのです。ですが、気が付いた時には長年仕えてくれている侍女長や乳母も怖がるようになってしまい…。身の回りの世話は、侍女の立ち合いのもと、年配の私の従者にやらせています」
「そうでしたか…。本人に直接理由は聞いたのですか?」
「何度かあります。ですが『特に理由はない』と…」
「わかりました。しばらくお嬢様とは二人きりにならないようにして様子を見ましょう」
私がそう切り上げると、ラドルファス大公がじっとこちらを見ていることに気が付いた。
やたら美形なので、すごくどきどきする。
「あ、あの…。何か?」
「いや、すみません。思いのほか子供たちのことに関して熱心なので驚いていまして」
「?だって、お子様たちの家庭教師として雇われたんですのよ」
「もちろんその通りです。ただあまりに理想通りだったもので…。なにしろ、前の家庭教師は子供たちの性格や好みを知ろうとしなかった様子でしたから」
「前にも家庭教師を雇われていたのですか?」
「ええ。マルゲリータの淑女教育のために親戚に紹介されたので雇ったのです。あなたと同じ歳で、伯爵家の縁者でした。ですが問題を起こして…」
「問題、ですか?」
「ええ、…まあ」
ラドルファス大公は口ごもってしまった。
問題の内容を聞きたかったが、これ以上は難しそうだ。
折を見て、屋敷の誰かにそれとなく聞き出した方がいいのかもしれない。
そのまま二人で夕食の席に着き、美味しい食事をいただいた。
今日だけは私も娘たちも客人なので、大公一家と同じ席で食べる。
夜はゆっくり体を休め、用意された部屋で眠りについた。
こうして、私と娘たちの新しい生活がスタートしたのだった。
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