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唯一の安らぎ

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「お帰りなさい、お兄ちゃん」

寝台の上からブランを見つめる少女は、か細い声でそう言葉を発する。ヴィオレ・アルフテッド――ブランの妹である彼女は、病弱な体を抱えながらも、いつも兄の帰りをこうして待っていた。


「ただいま、ヴィオレ。具合は朝よりも少しは良くなったか?」

ブランは紙袋をテーブルに置き、彼女の元へと歩み寄る。ヴィオレは笑みを浮かべながら頷くが、その笑顔には無理があるのが明らかで、体調がよくないことが一目で分かる。


「うん……今日は少しだけ、良いかも。それにお兄ちゃんの姿を見ることが出来たから、もっと元気になれた気がする」

彼女の言葉に、ブランの胸が締め付けられる。自分の力ではどうにもできない現実が目の前にあり、たとえ自分が魔法を行使できたとしても、彼女の病を治せないという無力さが胸を押し付ける。

「そっか。それじゃあ、今から夕飯の準備するから出来たら教えるよ。だから今は横になってて」

ブランは精一杯の笑みを浮かべて、ヴィオレの頭をそっと撫でた。彼女の名前と同じ紫色の髪が視界に入り込む。ヴィオレはブランの言葉に応えるように微笑んだが、その微笑みはあまりにも儚く、消え入りそうに見えてしまう。


「ありがとう、お兄ちゃん。……ごめんね、いつも」

「謝らなくていいよ。これは俺がやりたくてやってることだから」

そう優しく言い残すと、ブランはそのまま食事の準備に取り掛かった。
ブランがキッチンへ向かい、手早く食材を取り出し始める。静かな部屋に調理の音が響き始めた。包丁がまな板に当たる音や、野菜を炒める香ばしい匂いが、ささやかながらも温かい空間を作り出していく。

ヴィオレは静かにそれを見守っていたが、ふと目を伏せた。彼女の体調が悪化しているのは明白で、実際、起き上がることさえ辛い。しかし、ブランに心配をかけまいと、彼女はそのことを口にしなかった。

「今日も……おいしそうだね」

ヴィオレの声がかすかに震えていた。それでも、ブランはその言葉に応えるように振り返り、柔らかい笑顔を向ける。

「今日も元気が有り余るような料理を作ってやるからさ。楽しみにしててよ」

彼女のために少しでも美味しいものを作りたい。その一心で彼は調理を作っていく。二人が過ごすこの静かなひとときが、彼にとってはかけがえのないものであり、少しでも彼女を笑顔にできる時間であり続けるようにと、心の中でブランはそう祈る。


しばらくして、ブランは出来上がった料理をお盆に載せ、ヴィオレのもとへ運んだ。湯気が立ち上るスープと、シンプルだが丁寧に作られた料理が並んでいた。彼はヴィオレの前にお盆を置き、優しく微笑んだ。

「さあ、召し上がれ。スープには薬も混ぜてあるから、薬の苦みは消えているはずだよ」


ヴィオレの身体を蝕んでいく病――魔力過剰貯蓄症の進行を抑える薬が、そのスープには入っている。魔法が溢れるこの世界であっても、病を完治できる魔法は存在しない。東の大陸に生まれたという、翡翠の色彩を宿した子供――治癒の権能を授かった魔法の子と呼ばれるものであれば、もしかしたらヴィオレの病だって治せるかもしれないが、それも遥かに遠い希望の話だ。

「ありがとう、お兄ちゃん……」

ヴィオレはその言葉に感謝を込め、そっとスプーンを手に取った。手が少し震えているのがブランの目に入るが、彼は気づかないふりをして、ただ彼女が食べ始めるのを見守る。

スプーンでスープをすくい、一口飲んだヴィオレの表情が少しだけ緩んだ。温かいスープが体の奥まで染み渡る感覚に、ほっとしたように息を吐く。

「おいしい……本当に、おいしいよ」

その言葉を聞いて、ブランの胸にじんわりとした安堵が広がる。自分の作った料理が、少しでも彼女を元気づけているのだと感じる瞬間が、彼にとっては何よりの報いだった。

「よかった。でも、無理はしなくていいからな」

ブランはそう言って、ヴィオレの隣に腰掛ける。そして、自分も食事に取り掛かった。二人で静かに食事を続けるこの時間、ヴィオレと過ごすことの出来る時間だけが彼にとって唯一の安らぎでもあった。外の世界の冷たい視線や困難な現実は、この家の中では遠いものに思えるほどに。

けれど、ふとヴィオレが口を開く。

「……お兄ちゃん、最近は、どんなことをしてるの?」

彼女は穏やかな口調で問いかけたが、その瞳には不安と心配が浮かんでいるのが分かる。

「お前は心配しなくていいさ。大人にも負けないくらい稼げることを見つけたんだ。今日の買い物だってそのおかげだ」

ブランは笑顔を浮かべて答えるが、その笑みの裏には、自分自身へのプレッシャーがあることを目の前の少女には隠した。
ヴィオレにこれ以上の負担をかけたくないからだ。
そう強く思うあまり、彼もまた、無理をしているのは確かだった。


食事が終わり、その片付けも済ませると、次はヴィオレの身体を拭いてあげる時間だった。毎日の習慣となっているこの作業を、ブランは手慣れた様子で進めていく。しかし、彼女の同年代と比べるとあまりにも細い背中を目にするたび、ブランの心は締めつけられるような痛みを覚えてしまう。
彼女の肌はひどく冷たく、そして白い。
しかし、拭いている間だけはわずかに暖かさが戻り、肌の色も少しだけ良くなっている気がする。

「痛くないか?」

ブランが優しく尋ねると、ヴィオレは微笑みながら小さく頷く。

それが終わると、次はヴィオレを眠たくなるまで、今日学んできたことを彼女に教えてあげる時間だ。ブランが養成学校に通う理由の半分は、ヴィオレのためでもある。彼女は小さい頃から知識や学問に興味を持っていたから、ブランはできるだけ分かりやすく、読みやすいノートを作り、彼女に見せるようにしていた。

ノートを広げながら、ブランは優しく説明を始める。ヴィオレの瞳に灯る輝きを目にして、彼の心も安らぐ。少しでも彼女の苦しみを和らげるために、どんなに疲れていても、この時間だけは心を込めて教え続けることがブランの支えとなっていた。


「今日はこれでおしまい。続きは明日にしよう」

時計の長針が十の数字を超えたあたりで、ヴィオレはいつも眠くなっていく。
ブランは優しくノートを閉じ、彼女の横に座って、静かに寝かしつける準備を始めた。

「おやすみ、ヴィオレ。明日も元気に過ごせるよう、しっかり休め」

彼女の上にかかる毛布を整えながら、ブランは優しく言葉をかける。ヴィオレは微笑み、目を閉じる。その顔には、ほんの少しの安らぎが浮かんでいた。

ブランは部屋を出て、外へと向かう。ヴィオレに気づかれないように、扉を静かに開け、外に出ると、夜の静けさが辺りを一層深く暗くしているように感じた。
そんな闇の中で、少年は深く息を吸い込み、頬を思いっきり叩いた。

これは自分自身に活を入れるための行動だ。

今からは命を賭けた挑戦が始まる。
気を抜けば簡単に死んでしまう場所へと足を運ばなければならない。
少年の腰には、剣がしっかりと帯刀されていた。

「……いくか」

少年は夜の闇に包まれながら、確固たる決意を胸にその場所へと向かう。
夜空で輝く星の光が微かに夜空に散らばって、彼が歩む道を照らす。

危険に伴う報酬の高さは、常に比例する。未踏の地に存在する宝物や希少な資源は、その難易度と危険度に応じて、非常に価値が高いものへと変化するからだ。

成功を収めれば、一攫千金や名誉だって手に入れることができる。しかし、それは失敗すれば『死』を意味した。

希望と絶望が入り混じった未知の場所。

人はそれを、死へと誘う夢の場所ダンジョンと呼ぶ。




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ゆっくりと書いていく予定です。
時々修正加えていくと思います。
白が一番好きな色。

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