人をふにゃふにゃにするスイッチ

まさかミケ猫

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第二話 変なスイッチを使った

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 人をふにゃふにゃにするスイッチ。
 その効果は覿面てきめんでした。

「…………ふにゃ?」

 なんということでしょう。先ほどまであんなに怒り狂っていたリカコちゃんは、ケンゴの持つスイッチによってこのとおり、ふにゃふにゃな女の子に大変身。
 視点を虚ろに彷徨わせながら、口元をだらしなく緩めて、体の力もすっかり抜けてしまったのでした。

「リカコちゃん、リカコちゃん」
「ふにゃ?」
「ごめん、言い過ぎたよ。少し場所を変えて話し合おうか」
「ふにゃあ……うん」

 ぼんやりしている彼女からは、いつものような意思の強さが感じられません。クラスメイトも怪訝に思っているでしょうから、スイッチの効果を確認するには彼女を教室から連れ出す必要がありました。

 空き教室の一つにやってきたケンゴは、リカコちゃんを対面の椅子に座らせると、持ってきたノートを開いて彼女の状態を記録していくことにしました。
 ちなみにこれは、博士に教えてもらったやり方でした。思ったことを頭の中に溜め込まず、何かにアウトプットしながら観察していくと、より色々なことに気付くことが出来るのです。

「まずリカコちゃん。会話はできる?」
「うん。できるよぉ」
「なるほど。言葉のやり取りは可能。だけどいつもより思考力が落ちているみたいだから……ちょっと危険かもね」

 これは気をつけるべきポイントです。両親の仕事に影響するでしょうから、スイッチを使用するのなら翌日が休みのタイミングを狙わないといけません。ケンゴはそういった気づきをどんどんノートに書き記しながら、リカコちゃんを観察していきます。

「……少し手の甲をつねるけど、いい?」
「なんでぇ?」
「えっと、リカコちゃんの今の幸せな気持ちが、本当にずっと続くのか確かめてみたくて」

 こくりと頷いたリカコちゃんは、何の躊躇ためらいもなくスッと手を差し出して来ます。
 ケンゴはその手を掴むと、これも必要な実験なのだと自分に言い聞かせて、日頃の鬱憤もほんのり込めて、彼女の手の甲を思いっきり抓りました。

「痛い痛い痛い痛い……でも幸せぇ」
「えぇぇ……」
「なんでだろ。いつもの私だったら絶対ゆるさない、仕返ししてやるって思うのに……ケンゴくんだから? もしかして私、ケンゴくんのこと」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 危険。これは危険です。
 何をしても幸福を感じるということは本当に危ないことなんだと、ケンゴはこの時はじめて実感してゾッとしました。

 もしもこの状態のリカコちゃんが、交通事故に遭ってしまったとしても……きっと撥ねた車に感謝までしながら、笑顔で居続けるのでしょう。それはもう、面白さを通り越して恐ろしいことだと思います。
 妙な悪寒が背筋を走りますが、ケンゴは気を取り直して、別の側面から観察を続けていきます。

「リカコちゃん。これから僕の言うことを聞いて」
「うん」
「右手を上げてみて?」

 すると、リカコちゃんは指示通りに動きます。

「どう? 幸せを感じる?」
「うん。ケンゴくんの言うことに従うのって、こんなに幸せだったんだねぇ……脳みそがけそう。私ぜんぜん知らなかったなぁ……もっと命令してくれない?」
「ごめん。その反応は予想できなかった」

 今のリカコちゃんには極端な危うさを感じます。
 ケンゴにそのつもりはありませんが、もしこのスイッチが悪い大人の手に渡れば、酷いことをされる人もきっと出てくることでしょう。博士の発明はいつもこうだから、すごい道具なのに世の中に公開できないのだと、ケンゴは常々思っていました。

「よく聞いて……これから僕が、リカコちゃんがもっと幸せになれる方法を教えるからね。僕の言うことに従うんだよ」
「はぁい。なんでもするよぉ」

 これが成功するなら、両親の夫婦喧嘩を止めることができるかもしれない。そう思いながら、ケンゴは一つずつ確かめるように話し始めます。

「まずは……イジメをやめること。シホちゃんにも、もちろん他の人にもやっちゃダメだ。周囲の友達も説得して、ちゃんとクラスを平和にしてね。それは絶対だから」
「わかったぁ」
「それから、イジメの内容を覚えている限り紙に書き出すこと。写真やSNS投稿なんかの、証拠になりそうなものを思いつく限り集めること。できそう?」
「うーん、たぶん。がんばるよぉ」

 このふにゃふにゃリカコちゃんがどこまで役に立つのか、少し心配ではあります。しかし、こういった細かい指示にまで従ってくれるのなら、両親の不仲を解決する道筋だって立てやすくなるでしょう。

 ケンゴはそんなことを考えながら、話を続けます。

「証拠を集めたら……先生や親にイジメの内容をちゃんと説明して、もうしませんって約束すること。それからシホちゃんの家に行って、親御さんとシホちゃんにちゃんと謝罪すること。できる?」
「うーん……できるかなぁ。自信ないよぉ」
「できる範囲でいいから、頑張ってみて。無事にやり遂げることができれば、きっとリカコちゃんは今よりもっともっと幸せを感じることができるから」

 リカコちゃんは少し考え込むような仕草をしましたが、最終的にはコクリと頷いてケンゴに熱っぽい視線を向けています。

「あ、僕が指示をしたってことは誰にも秘密にしておいてね。できれば指示した内容は守りつつ、この場の出来事は記憶から消してくれると嬉しいけど……そういうのって可能かな」
「わかんないけどぉ……わかったぁ」
「ものは試しだね。ちょっと頑張ってみてよ。あとはしばらく経過観察ってとこかな」

 こうして催眠術のように言うことを聞かせられるのなら、両親の夫婦仲の再構築だって決して不可能ではなくなるでしょう。ケンゴは祈るような気持ちで、リカコちゃんに優しく語りかけます。

「今日のところは早退して、明日は学校を休んでね。理由は体調不良ってことにして、親に迎えに来てもらうんだ」
「はぁい」

 人をふにゃふにゃにするスイッチの効果は丸一日。少なくとも明日の朝まで、リカコちゃんはこの状態で居続けることになります。
 何かトラブルが起きてリカコちゃんの身に危害が及ぶのはケンゴの本意ではありませんから、この点は慎重に指示をする必要がありました。

「念のため明日一杯まで、家族以外の人とは不要な接触をしないこと。分かった?」
「はぁーい」
「できるだけ会話も避けてね」
「それって、やきもち?」
「は? 全然違うけど」

 ケンゴの言葉に、リカコちゃんは満面の笑みを浮かべました。

「返答が雑ぅ。だけど……なんか幸せぇ」

 もう駄目かもしれない、とケンゴは目頭を押さえて俯きました。

 さぁ、リカコちゃんはどこまで意図通りに行動してくれるのでしょうか。その結果次第では、ケンゴの両親仲直り作戦はかなり有効なものになるでしょう。

   *   *   *

 リカコちゃんをふにゃふにゃにして一週間。
 彼女の様子を観察していたケンゴは、なんだか少し怖い気持ちになっていました。
 というのも、リカコちゃんの普段の言動はほとんど元通りになっていたのですが、あの催眠のような指示にはしっかりと従っているのです。それはもう寒気を感じるくらい。

 自分がイジメをしていた証拠をしっかり揃えたリカコちゃんは、先生と親に力強く「シホちゃんの家に謝罪に行きたい」と言い放ち、実に堂々とした謝りっぷりをみせました。
 そんなリカコちゃんの雰囲気に飲まれて数人の同級生も一緒に謝罪をしたらしく、シホちゃんもそれを受け入れて、クラスの雰囲気は以前とは比べ物にならないほど明るいものになっていました。

 気まずい思いをしているのはただ一人、全ての原因を知っているケンゴだけです。

「ケンゴくん。一緒に帰ろ?」
「あ、シホちゃん。うん、行こうか」

 あの日からシホちゃんはいつもケンゴの隣にいるようになりました。
 それもそのはず、シホちゃんにしてみれば、ケンゴはイジメられていた自分を庇ってくれたヒーローそのもの。しかもその後リカコちゃんをどこかに連れて行ったと思ったら、そのリカコちゃんが突然改心して謝罪を始めて、挙げ句これまでのイジメが綺麗サッパリ無くなったのです。何をどうやったのかは分かりませんが、ケンゴのおかげなのは間違いないとシホちゃんは確信しているようでした。

 二人一緒に教室を出ようとすると、そこにハァハァと息を荒げたリカコちゃんが現れます。

「ケンゴくん!」
「どうしたの、リカコちゃん」
「ねぇ、私と一緒に帰ろうよ!」
「え。嫌だけど」

 ケンゴがそう答えると、リカコちゃんは恍惚とした表情になって床に膝をつきます。そう。彼女はケンゴから雑に扱われると、条件反射で幸福を感じてしまう変な女の子になってしまったのです。
 他の人に対しては元通りの振る舞いなのに……リカコちゃんがそんな風に壊れてしまった原因が自分なのだと思うと、ケンゴは申し訳ない気持ちで一杯になります。せめてもの償いとして、今後もリカコちゃんのことは雑に扱ってあげようと心に決めていました。

 シホちゃんと手を繋ぎ、ゆっくり歩く帰り道。
 ケンゴは少し照れくさい気持ちで歩きながら、頭のどこかでやはりスイッチのことが気になってしまっています。

「ケンゴくん、何か悩んでることある?」
「あー……分かっちゃう?」
「うん。なんか上の空だし」

 ケンゴは少し考えましたが、結局シホちゃんに相談することにしました。リカコちゃんが壊れてしまったのを考えると恐ろしくなって、この秘密を自分ひとりでは抱えきれなくなってしまったのです。

 ケンゴは一つずつ、ぽつりぽつりと打ち明けます。
 年の離れた友達のフジ博士から人をふにゃふにゃにするスイッチをもらったこと。自分の両親にそれを使おうと思っていること。実験のため、学校でリカコちゃん相手にスイッチを使い、イジメをやめて謝罪するように刷り込みを行ったこと。
 ケンゴが話す内容を、シホちゃんは真面目な表情で聞いていました。

「やっぱり全部ケンゴくんのおかげだったんだ」
「いや、実験の副産物だけどね……今までシホちゃんを助けられなかったのに、今更こうやって感謝してもらうのはどうなんだろうって、申し訳ない気持ちになるけど」
「そんなの気にしなくていいのに」

 シホちゃんはケンゴの手をギュッと握ります。

「それでケンゴくんは何を悩んでるの?」
「うーん……両親にスイッチを使うのがちょっと怖いなぁと思って。リカコちゃんが想定外の歪み方をしちゃったから」
「そっかぁ。それは確かに悩ましいね」

 シホちゃんは小さくため息を吐いてから、ゆっくりと、何かを思い出すようにして話し始めます。

「私のお父さんとお母さんはね……去年離婚したの」
「……そうだったんだ」
「うん。お母さんは、お父さんじゃない男の人を好きになっちゃったんだって。だから、私とお父さんと一緒に暮らすよりも、その男の人と一緒に暮らす方がいい……そう言って、家を出ていっちゃった」

 そんな事情があったなんて知らなかった。ケンゴは気の利いた言葉が何も思い浮かばず、ただシホちゃんの手を握り返すことしかできません。

「あの時は悲しかった。でもね……今はそんなに気にしてないんだ。またお母さんと暮らしたい、とは思わなくなった」
「……そうなの?」
「うん。あのね、楽しかった思い出はあるの。それはそれで、忘れないようにしようって思ってる。だけどそれとは別に……家族をやっていくのって、大変なんだなぁって分かったから」

 シホちゃんはゆっくりと、一言ずつ確かめるように自分の考えを口に出しました。

――家族って、何もしなくても当たり前にあるモノなんかじゃない。好きな人と一緒に頑張って作るもので……どうやっても頑張れなくなっちゃったら、離れるしかない場合だってある。

 彼女の紡ぐそんな言葉を、ケンゴは静かに受け止めます。

 自分のお父さんとお母さんは、まだ頑張れる段階にいるんだろうか。それとも、もう頑張れないところまで来てしまっているんだろうか。ケンゴには判断がつかなくて……どうすればいいのか、だんだん分からなくなってきてしまいました。

「私は、スイッチは使わない方がいいと思う」
「……そうかな」
「うん。本当はもう頑張れないのに、無理やり頑張らせるのは可哀想だよ。それより……お父さんとお母さんと、ちゃんと話をした方がいいと思うんだ」

 シホちゃんはそう言って、少し悲しそうな顔をしました。

「それだけは本当に後悔しているの。仲が悪くなっていくお父さんとお母さんを見ていたのに……私が思ってることを、ちゃんと伝えられなかったから。本当にそれだけは今でも……いろいろ考えちゃう」

――そっか。そうだな。

 ケンゴは少しだけすっきりしたような気持ちになって、ぼんやりとしか考えられていなかった今後の方針を決めました。
 残り二回、この人をふにゃふにゃにするスイッチを使うのはやめて、このまま博士に返却してしまおう。お父さんとお母さんのことはどうなるか分からないけれど、ちゃんと話をして、思っていることを伝えよう。

 そうして、二人は口を開かず、それでも穏やかな気持ちのまま手を繋いで、ゆっくりと歩いていきました。

「シホ……シホよね!? あぁ、こんなに痩せて」

 ケンゴの知らないオバサンが割り込んで来たのは、そんな時でした。胸元の開いた服に厚化粧、香水をプンと臭わせたその人は、突然シホちゃんの肩を掴むと、強引にケンゴから引き離します。

 一体何なんだ。ケンゴは混乱して立ち止まりました。

「お母…………さん?」
「ごめんねぇ、シホ。私が間違っていたわ。これからは一緒に暮らせるからね。今まで辛い思いをさせてごめんなさい。さぁ、一緒に行きましょう」
「痛っ、ま、待ってよ!」

 シホちゃんの痛がる様子に、ケンゴは慌ててオバサンの手を引き剥がそうとします。

「邪魔すんなクソガキ!」

 パン。
 オバサンの平手が、ケンゴの頬を打ちました。

「ケンゴくんっ!」
「さぁシホ。一緒に行きましょうね。やっぱり女の子は女親のもとで育たないと……あの人もシホと一緒に暮らしたいって言ってくれてるのよ? 大丈夫、新しいお父さんはあの馬鹿と違って紳士的な人だから」
「嫌っ! 離して! あんな男のところになんか行かない! 私はお父さんと一緒に――」
「シホっ!」

 オバサンが拳を握り、振り上げた瞬間です。
 ピタッ、と静止するオバサン。その目は焦点が合わないままふらふらと彷徨い、口はだらしなく開いて、全身から力が抜けていきます。

 シホちゃんが振り返れば……そこには、人をふにゃふにゃにするスイッチを握ったケンゴがいました。

「……ふにゃ」
「落ち着いて話をしましょう。大丈夫、僕はあなたが幸せを感じる話しかしませんから」

 そう言って、ケンゴはにっこりと笑いました。
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