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十 伯爵

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妻の叫びに頭より先に身体が動いた。

そうだ。
昔はこうやって。

震える妻に記憶が呼び起こされる。

エクシルが生まれる前のことだった。

いつもエリエルの世話に明け暮れる妻に気晴らしを勧めた。
悩んだ末に妻は茶会の招待を受けた。
伯爵も妻の友人が主催の茶会なので気楽なものだと思ったのだ。

思えば、それ以降からだ。
妻が突然叫び出し、夫に助けを求め叫び出すようになったのは。

正常な時はその時のことを覚えていない。

伯爵は医師の診断もあったので育児疲れなのだと結論付けた。
エクシルが生まれるまでの一年間、伯爵が辛抱強く妻に付き添って、改善した。
完治したと思っていた。


「旦那様、私の天使はどこ…?」

涙で濡れた虚ろな瞳をみつめれば、過去の妻と重なった。

呼ばれたと勘違いしたエクシルが、再び歩み寄ってきた。

我が家の天使はエクシル。
エクシルが生まれてからずっとそうだった。

だが違う。妻が求めているのは。

「私の天使エリエルは、どこなの?」

妻の言葉にエクシルがショックを受けた顔をした。
エクシルが生まれてから妻は一度もエリエルを求めたことはない。

名を呼ばれたせいか皆の視線がエリエルに向かった。

エリエルは視線に気づき、驚いてキョロキョロと左右を確認している。
視線を集めているものが自分だと気づかず首を傾げている。

エリエルにはこの異常な事態でも普段通りだった。
興味のなさそうな、退屈そうな顔。
エクシルの婚約者との会話で気付かされた。

エリエルは、私達を家族だと思っていない。
今だってエリエルの名を呼び続ける母がいるのに他人事のようであった。

エリエルからみれば、妻は他人なのだろう。
確かに、エクシルが生まれてからエリエルの誕生日を祝っていない。
彼女エリエルが産まれた日。妻に感謝し、この子を大事に育て守り抜くと誓ったはずなのに。

産婆に一度だけ受けた忠告が過ぎった。

エクシルだけではなくエリエルも大事にしろ。
エクシルは、…いずれ試練が訪れる。
強い子に育てろ。

煩わしいと、二度と産婆を屋敷に近づけさせなかった。


産婆は気づいていたのかもしれない。
他にも取り上げたのだろうあの種馬の子の一人だと。

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