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六 蛇足

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「…ん」

外から聞こえる子供たちの声で、エルセンシアは眠りから覚めた。

「…この声は、ルーイね。子供は朝から元気ね…」

ルーイはこの領地に住む孤児だ。
エルセンシアの乗っていた馬車にいたずらを仕掛けた小さな襲撃者達のボス。

この地の領主を訪ねてやって来たエルセンシアを、隣国の悪い貴族だと判断して彼らは襲ったのだ。

頭に泥団子の攻撃を受けたエルセンシアは、怒り狂い子供たちを追いかける侍女の姿に、目を丸くし、笑った。
お腹を抱えて笑ったのは記憶にある限り、初めてだと思う。

そんな惨状に駆けつけたのが、エルセンシアが身を寄せる予定だった屋敷の子息グラカント。

泥を被り、涙を流しながら笑うエルセンシアと、走り回る侍女と子供らの姿を見て全てを察した彼は、片膝をついてエルセンシアに謝罪した。
御者は子供の出現に驚いて御者席で足を滑らせ気を失っていたが、誰も怪我がなかったので、エルセンシアは彼の謝罪を受け入れた。

子供らは怪しい人間から恩義ある領主を守らねばと思っただけだ。




「…確かに。だが、まだ朝の六時だぞ。早起き爺じゃあるまいし」
「六時…」

自分は何時に眠りについたのだろうか。
逆算してまだ三時間しか眠れていない、と布団に潜る。

「ああ。もう少し眠っていい」

エルセンシアの背に腕を回して、グラカントの大きな手が背中を撫で眠りに誘う。


エルセンシアは婚約解消を受け入れて出国した。
しばらく静かに過ごしたいと望めば、母の祖国での滞在を勧められた。
国内はどこに居てもきっと騒がしくなると案じて、母は祖国の知り合いに頼った。

本当は家族と過ごしたかったけれど、侯爵家に王太子と婚約解消をしたエルセンシアがいれば家族に迷惑がかかるのはわかっている。
王太子がどんな嫌がらせを仕掛けてくるかもわからない。


身体を包む男の体温に眠気がやって来る。

「グラカント…」
「エルが望むまま抱いたが、無理をさせたな。悪い」
「ううん、」

この屋敷では、王城にいた頃のように妬みや奇異の目に晒されることはない。
悪意のある噂を流されることもない。
近所の教会に住む孤児たちが時々やって来て、エルセンシアと侍女を遊びに誘う。
エルセンシアは息ができる場所をみつけた。


そんな中『王太子がエルセンシアをあきらめていないかもしれない』と、マグノリエ様から連絡があったと兄からの伝書が届いて怯えた。

エルセンシアに飽きて婚約解消をしたのだと思っていた。
まだ、あの男はエルセンシアに嫌がらせを続けるつもりか。

ならば、貴族令嬢として終わろう。

二度とあの場に戻らぬ為には、安易かもしれないが一番手っ取り早い方法で。

純潔など失ってしまえばいい。

侯爵令嬢としてはあるまじき発想。

でも、もう王家にもあの王太子にも振り回されたくはない。

エルセンシアは、月も見えぬ夜にグラカントの部屋に忍び訪れた。身近にいて、エルセンシアの希望を叶えてくれそうなのは彼しかいない。

エルセンシアの訪問に驚いては見せたが、彼は追い出すことはしなかった。

事情を知っていたからか。余りにもエルセンシアが怯えていたからか。

今まで紳士的だった男は、深夜に部屋を訪れたエルセンシアを諌めることも窘めることもせず、誘われ寝台に引っ張りこんだ。

『据え膳は食らうものだ』

唇を合わせ、エルセンシアの肌に直接触れて快楽を与えた。

『初めは王太子の婚約者だった令嬢が来ると聞いて、どんな令嬢かと思っていたら、泥団子をつけて笑っていた。
貴方の初対面は印象は悪いものではなかった』

まさか、情交の最中に告白を受けるとは思わなかった。

愛している、好きだ、と囁いてエルセンシアを穿つ。
何度も、何度も。

終わりのない行為に、エルセンシアの思考は焼ききれそうだった。




グラカントにあやされ、微睡み眠りの世界に落ちるエルセンシアの耳元で昨夜何度も聞いた低音の「好きだ」が落ちる。
ずくりと腹の奥が反応した事に気づいたように、密着している男の喉が鳴る。

「今度はあの王太子から逃げるためじゃ無くて、…俺を欲しがってほしいな」

グラカントの独り言を最後に、エルセンシアは夢の国へ旅立った。

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