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第十二話 綾音とお祈り地蔵
しおりを挟む清歌が綾音の家がある通りに着いたのは、裏山を出発して三十分が経過したころだった。
時間で言えばまだ八時にもなっていない早朝。
遠目に見える彼女の家。
小さく見える窓にはいつも通り綾音の姿があった。
しかし普段とは違って下を見下ろしているように見えた。
不思議に思った清歌が静かに近づいていくと、綾音の視線の先にいるものの正体がわかった。
「なんでここに?」
予想外過ぎたその存在に、清歌は恐怖を感じた。
足が震えるという体験をしたのは久しぶりだった。
それぐらい恐ろしい現象だ。
だって、裏山から消えてしまったお祈り地蔵が綾音の家の前に立っていたから。
清歌は信じられない思いと、見てはいけないものを見てしまったという思いに駆られて咄嗟に電信柱の影に身を隠した。
なんでここにお祈り地蔵様がいるの!?
思考の大半をその疑問に持っていかれる。
なにもわざわざ綾音さんの家の前に置かなくたって……。
清歌の中で、お祈り地蔵をこの場所に置いた犯人がいるはずだという思いがあったが、清歌の考えは瞬く間に破壊されることになった。
「まさかご神体ごとこちらに来られるとは思ってませんでしたよ?」
綾音の声が清歌の耳に届く。
電信柱の影から綾音の表情を窺うが、こわばっているように見えた。
ご神体ごと来られる? その言い方だとまるでお祈り地蔵が自分でここに来たみたいじゃないか!
あり得ない。
流石に信じられない。
綾音さんが元神という話でさえ眉唾なのに、神が籠った地蔵が自律して動けるなんて……。
「流石に看過できなくてな。お前を堕天させただけでは、罰としてじゅうぶんではなかったということか? あの小僧は最近しょっちゅう祈りに来るようになった。信心深いのはけっこうだが、願いの内容が、すべてお前のことだ神道綾音。お前を解放しろとうるさくて敵わない」
お祈り地蔵はさも当たり前のように、綾音の言葉に反応して言い返す。
その様を見て、その声を聞いて、清歌は全身が凍り付いたような気がした。
もう何度目かもわからない”ありえない”という思い。
普通に考えれば、科学的に考えれば、ありえないだろう。
しかしいま、清歌の前で会話をしている二人は”神”なのだ。
「それがなにか? 空神町の住人がお祈り地蔵に願いを聞いてもらう。これはこの町の昔からの管理システムでしょう? そんなことをわざわざ私に言いに来たのですか?」
綾音の声はやや怒っているようにも、警戒しているようにも聞こえた。
清歌もそんな綾音の様子を見て息を飲む。
その姿は神に喧嘩を売る人間のそれだった。
恐ろしい光景だ。
清歌にとって大事な想い人が神に喧嘩を売っているのだ。
「町の管理システム?」
清歌の口から気になった言葉がついこぼれた。
誰にも聞き取れないほどの小さな声で発せられたその言葉は、しかし清歌からすれば聞き捨てならない言葉だった。
管理システム?
町の管理システムと綾音さんは口にした。
一体どういう意味だろう?
清歌の頭の中で様々な想像が巡る。
もしかしたら御伽話の世界が現実にあるのかもしれない。
恐怖と好奇心が同居する心中を振り切って、清歌は二人の会話に集中する。
「その通りだ。お前がなぜ堕天させられたか、それを分かっているお前があの小僧と接点を持とうとしたのが全ての過ちだ。分かっているのか? 自分の罪を、自らの行いを。神としての立場を忘れた行動をとったのだ、あの小僧のために町の管理システムのルールを破ったからお前はいまこうして堕天させられている。その元凶にお前が接触するなど、まったく反省していない証拠ではないか! このままだと本当に天に戻ることができなくなるぞ?」
お祈り地蔵は口調激しく、綾音を問い詰める。
声色は老人のようなしゃがれた声だった。
二人の言葉使いや関係を見る限り、なんとなく二人の神の関係値が
見えてくる。
きっとお祈り地蔵のほうが、どういう理屈かは分からないが綾音よりも立場が上なのだろう。
お祈り地蔵の言葉の端々から過ちや堕天というワードが出てくる。
話を聞いていた清歌は青ざめていく。
なぜなら綾音が堕天させられた理由が自分にあったからだ。
まさか自分が、綾音の現状に関与していたなんて思ってもみなかった。
罪の意識で頭が、胸が塗りつぶされていく。
不思議な息苦しさを覚え、清歌は引き攣った顔で二人を見た。
「反省? 過ち? 何を言っているのか分かりません。私は確かに町の管理システムに反しました。それは認めます。しかし、間違ったことをしたとは思っていませんし、間違っていないと思っているからこそ、反省などしないのです。天に戻れない? 全然かまいません。私は元から天の座に興味などありません」
綾音はさっきまでの表情が嘘のように、覚悟を決めた様子で言い切った。
力強く、確固たる意志を感じる宣言に、清歌の胸の内は熱を帯びたような気がした。
彼女の宣言の中で、一つ嬉しい言葉があった。
天に戻る気はない。
つまり、このまま人間として生きていくという宣言だった。
あんな鎖につながれたままでも、彼女は自らの解放を選ぶことはなかった。
「なので私がどうなってもかまいません! しかし彼だけは、斎藤清歌だけは見逃してください! 彼がああなってしまったのは私のせいなのです!」
綾音の言葉は嘘だった。
清歌にはすぐにわかった。
自分が綾音に夢中になったのは自分の意思だ。
決して綾音さんのせいなんかではない。
「この期に及んで……一体なにがお前をそこまで動かす? あんな小僧、ただの空神町の一人だろう?」
お祈り地蔵は綾音にたずねる。
確かにその通りだ。
なぜ彼女は自分のことを、こんなに認識してくれているのだろう?
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