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第十三章 和解と未来と 2
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「羨ましい? どこが? こんな何もない人生だぞ?」
楽辺は半笑いで指摘する。
自分自身を卑下した笑い方だ。
「羨ましいさ。結局無い物ねだりなんだ。お前からしてみれば、俺の立場が羨ましい。天音に好かれ、周りからチヤホヤされて注目を集める。だけど俺から見れば逆なんだ」
「そういうもんなのか?」
楽辺は信じられないとでも言いたげだ。
「俺からしてみれば、物心ついた時に自分の未来が決まっていないのって滅茶苦茶羨ましい。俺はもう決まっていた。下手したら生まれた時から、俺は天才ピアニストとして生きることを強制されていたのかもしれない。俺にとっては普通が特別なんだ」
俺は正直に打ち明ける。
普通とは、特別とは、所詮当人たちだけの一つの物差しでしかない。基準でしかない。もっと言ってしまえばただの主観だ。
「そっか……お前も大変だったんだな菅原」
楽辺は納得いったのか、声のトーンを下げる。
「そりゃそんだけいろいろ背負ってりゃ、早坂さんもお前に夢中になるわけだ」
楽辺は心底諦めがついたのか、すがすがしい顔で笑う。
「悪いな。俺もアイツなしでは生きていけないんだ」
これは事実。
それをまざまざと見せつけられた三ヶ月だった。
どれだけ俺が天音に依存していたか、どれだけ彼女に負担を強いてきたか。
しかしその結果、彼女を死なせてしまう未来まで待ち受けているとは思いもしなかった。
「のろけやがって」
「悪い悪い」
楽辺に突っ込まれ、俺も軽いノリで返す。
この感覚がそもそも初めてなのかもしれない。
同年代の男友達自体が、今まで一人としていなかったように思う。
幼少期もピアノを弾き続けた俺と、他の男の子たちの趣味があうはずもなく、一人でずっとピアノにうちこんでいたのだ。
「そろそろ戻るか」
「そうだな。お互い確実に怒られるだろうが」
楽辺は顔をしかめる。
確かに普通に一限目サボったからな。
「俺は微妙かな? 天音が上手いこと言ってくれていると信じてる」
「ズルいな~」
「お前も彼女作れよ~」
「余計なお世話だ!」
俺は叫ぶ楽辺を残して、一足先に音楽室を後にする。
向かうは教室、清水先生が話をしておくと言っていたがどうだろうか?
一限目が終わり、チャイムが鳴る。
休み時間に入れば、廊下を生徒がうろついていても目立たない。
俺は急いで階段を駆け上がり、二階の自分の教室へと急ぐ。
「なんだか緊張するな……」
俺は自分の教室の前で立ち止まる。
妙に緊張している。
なぜだろうか?
久しぶりだからという訳でもないだろう。
これぐらいの期間学校に来ないことなどいくらでもあった。
「真希人? 何してんの?」
気づけば天音が隣りに立っていた。
「天音……なんか緊張しちゃってさ、足が震えるんだ」
震える俺の足を、天音は静かに凝視する。
凝視して、軽く笑う。
軽く笑って背中をさする。
「大丈夫だよ真希人。もう心配するものな何もない」
「心配というより不思議なんだ。どうしてこんなに震えているのか、どうしてこんなに怖いのか」
俺は恥ずかしげもなく、正直に天音に尋ねる。
すると天音はまたも微笑みながら、俺の耳元で囁く。
「それはね、真希人がちゃんと向き合おうとしているからだよ。今までは、誰に何と思われようがどうでもいいとか考えてたでしょう? それは逃げなんだよ。今は違うでしょ? 今はなんて思われてるのかが怖くて、どういう反応されるかが怖くて震えてるんでしょ? だったら問題ないよ。それが普通なんだから。真希人がずっと望んでいた普通なんだよ」
天音は優しく、まるで小さな子供を諭すように囁いた。
不思議と彼女の声を聞いていると震えが収まる。
自然と心が暖かくなる。
勇気が出てくる。
一歩を踏み出す勇気が、俺の心に小さな炎を灯す。
「ありがとう天音……やっぱり俺は天音がいないとダメみたい」
お礼を告げて深呼吸をし、教室のドアに手をかける。
意を決して扉をスライドさせる。
ガラガラと音が鳴り、扉が開く。
教室中の視線が俺に集まる。
「お、おはよう……」
俺は自分でも驚くほど小さな声で挨拶をする。
消え入りそうな声量で発せられた言葉は、それでもクラス中に行き届いたのか、クラス全員から同じ一言が返ってきた……。
「おはよう!」
一斉に発せられたその一言を皮切りに、今まで碌に言葉も交わしてこなかった生徒たちが俺に詰め寄る。
それぞれが思い思いに語る。
謝る。
これからのことを話す……。
俺がふと後ろを見ると、天音は俺がクラスにとけ込んでいる光景を見て微笑む。
ずっと彼女の望んでいた光景。
ずっと追いかけた景色。
俺が普通を享受するために必要な儀式。
「何の騒ぎだ、静かにしなさい」
遅れて教室に入ってきた清水先生が大きな声でみんなを席につかせる。
俺は清水先生の正面にたち頭を下げる。
絶対に先生が上手いこと説明したに違いないのだ。
だから感謝しかない。
「待ってたよ。さあ授業の時間だ」
清水先生は耳元で小さく囁いた。
俺が顔を上げると先生は悪戯っぽく笑い、ジェスチャーで席に着くように促した。
これが普通だと示すように、俺が過ごしやすくなるように、特別扱いはしないぞという意思表示。
俺にとってはそれが心底ありがたかったのだ。
「昨日の続きをやるぞ。資料集を出しなさい」
先生はそのまま何事もなかったかのように授業を開始させた。
「久しぶりの学校はどうだった?」
授業が全て終了したと同時に、天音が素早くこちらに寄ってきた。
「ちょっと疲れたかな」
正直勉強なんてあんまりしてこなかったから、これはこれで疲れるものだと思った。
「そっか。楽辺君とはもう?」
「ああ。修復した。声も聞こえた。それと、天音は俺の物だとも伝えた」
俺が答えると、天音は分かりやすく赤面して無言になる。
無言のまま肩パンされた。
痛くはないけれど、ちょっと驚く。
まさか天音がこんなに照れるなんて思ってもみなかったから。
「もう! みんながニヤニヤしてる! 早く行くよ!」
天音は恥ずかしさに耐えられなくなり、俺の手を引いて教室を飛び出す。
「おい天音! 落ち着けって」
俺の声は届いているはずなのだが、天音の走る速度は一向に収まる気配はなく、一息の間に下駄箱までやって来てしまった。
「早く帰ろう!」
天音は俺を急かして校庭に出る。
一緒に手をつないだまま校門に向かう途中、遠くに楽辺と一緒になって歩く西条先輩の姿があった。
俺と天音が軽く会釈をすると、彼女は一言も発さないまま深々と頭を下げ、手を振ってきた。
さようなら、ということだろうか?
「あそこはあそこでお熱いようで」
天音はいやらしく笑う。
実に楽しそうである。
さっきまで恥ずかしさで沸騰しそうだった彼女とは随分と違う。
「俺の部屋に来ないか?」
俺は天音を誘う。
俺の家の俺の部屋。
すると、天音はクスクス笑いながら答えた。
「何を今さら、当たり前でしょう? 学校が終わったら、どちらかの部屋に行くって決まってたじゃない」
そう宣言して、天音は俺の手を引いて歩き出した。
楽辺は半笑いで指摘する。
自分自身を卑下した笑い方だ。
「羨ましいさ。結局無い物ねだりなんだ。お前からしてみれば、俺の立場が羨ましい。天音に好かれ、周りからチヤホヤされて注目を集める。だけど俺から見れば逆なんだ」
「そういうもんなのか?」
楽辺は信じられないとでも言いたげだ。
「俺からしてみれば、物心ついた時に自分の未来が決まっていないのって滅茶苦茶羨ましい。俺はもう決まっていた。下手したら生まれた時から、俺は天才ピアニストとして生きることを強制されていたのかもしれない。俺にとっては普通が特別なんだ」
俺は正直に打ち明ける。
普通とは、特別とは、所詮当人たちだけの一つの物差しでしかない。基準でしかない。もっと言ってしまえばただの主観だ。
「そっか……お前も大変だったんだな菅原」
楽辺は納得いったのか、声のトーンを下げる。
「そりゃそんだけいろいろ背負ってりゃ、早坂さんもお前に夢中になるわけだ」
楽辺は心底諦めがついたのか、すがすがしい顔で笑う。
「悪いな。俺もアイツなしでは生きていけないんだ」
これは事実。
それをまざまざと見せつけられた三ヶ月だった。
どれだけ俺が天音に依存していたか、どれだけ彼女に負担を強いてきたか。
しかしその結果、彼女を死なせてしまう未来まで待ち受けているとは思いもしなかった。
「のろけやがって」
「悪い悪い」
楽辺に突っ込まれ、俺も軽いノリで返す。
この感覚がそもそも初めてなのかもしれない。
同年代の男友達自体が、今まで一人としていなかったように思う。
幼少期もピアノを弾き続けた俺と、他の男の子たちの趣味があうはずもなく、一人でずっとピアノにうちこんでいたのだ。
「そろそろ戻るか」
「そうだな。お互い確実に怒られるだろうが」
楽辺は顔をしかめる。
確かに普通に一限目サボったからな。
「俺は微妙かな? 天音が上手いこと言ってくれていると信じてる」
「ズルいな~」
「お前も彼女作れよ~」
「余計なお世話だ!」
俺は叫ぶ楽辺を残して、一足先に音楽室を後にする。
向かうは教室、清水先生が話をしておくと言っていたがどうだろうか?
一限目が終わり、チャイムが鳴る。
休み時間に入れば、廊下を生徒がうろついていても目立たない。
俺は急いで階段を駆け上がり、二階の自分の教室へと急ぐ。
「なんだか緊張するな……」
俺は自分の教室の前で立ち止まる。
妙に緊張している。
なぜだろうか?
久しぶりだからという訳でもないだろう。
これぐらいの期間学校に来ないことなどいくらでもあった。
「真希人? 何してんの?」
気づけば天音が隣りに立っていた。
「天音……なんか緊張しちゃってさ、足が震えるんだ」
震える俺の足を、天音は静かに凝視する。
凝視して、軽く笑う。
軽く笑って背中をさする。
「大丈夫だよ真希人。もう心配するものな何もない」
「心配というより不思議なんだ。どうしてこんなに震えているのか、どうしてこんなに怖いのか」
俺は恥ずかしげもなく、正直に天音に尋ねる。
すると天音はまたも微笑みながら、俺の耳元で囁く。
「それはね、真希人がちゃんと向き合おうとしているからだよ。今までは、誰に何と思われようがどうでもいいとか考えてたでしょう? それは逃げなんだよ。今は違うでしょ? 今はなんて思われてるのかが怖くて、どういう反応されるかが怖くて震えてるんでしょ? だったら問題ないよ。それが普通なんだから。真希人がずっと望んでいた普通なんだよ」
天音は優しく、まるで小さな子供を諭すように囁いた。
不思議と彼女の声を聞いていると震えが収まる。
自然と心が暖かくなる。
勇気が出てくる。
一歩を踏み出す勇気が、俺の心に小さな炎を灯す。
「ありがとう天音……やっぱり俺は天音がいないとダメみたい」
お礼を告げて深呼吸をし、教室のドアに手をかける。
意を決して扉をスライドさせる。
ガラガラと音が鳴り、扉が開く。
教室中の視線が俺に集まる。
「お、おはよう……」
俺は自分でも驚くほど小さな声で挨拶をする。
消え入りそうな声量で発せられた言葉は、それでもクラス中に行き届いたのか、クラス全員から同じ一言が返ってきた……。
「おはよう!」
一斉に発せられたその一言を皮切りに、今まで碌に言葉も交わしてこなかった生徒たちが俺に詰め寄る。
それぞれが思い思いに語る。
謝る。
これからのことを話す……。
俺がふと後ろを見ると、天音は俺がクラスにとけ込んでいる光景を見て微笑む。
ずっと彼女の望んでいた光景。
ずっと追いかけた景色。
俺が普通を享受するために必要な儀式。
「何の騒ぎだ、静かにしなさい」
遅れて教室に入ってきた清水先生が大きな声でみんなを席につかせる。
俺は清水先生の正面にたち頭を下げる。
絶対に先生が上手いこと説明したに違いないのだ。
だから感謝しかない。
「待ってたよ。さあ授業の時間だ」
清水先生は耳元で小さく囁いた。
俺が顔を上げると先生は悪戯っぽく笑い、ジェスチャーで席に着くように促した。
これが普通だと示すように、俺が過ごしやすくなるように、特別扱いはしないぞという意思表示。
俺にとってはそれが心底ありがたかったのだ。
「昨日の続きをやるぞ。資料集を出しなさい」
先生はそのまま何事もなかったかのように授業を開始させた。
「久しぶりの学校はどうだった?」
授業が全て終了したと同時に、天音が素早くこちらに寄ってきた。
「ちょっと疲れたかな」
正直勉強なんてあんまりしてこなかったから、これはこれで疲れるものだと思った。
「そっか。楽辺君とはもう?」
「ああ。修復した。声も聞こえた。それと、天音は俺の物だとも伝えた」
俺が答えると、天音は分かりやすく赤面して無言になる。
無言のまま肩パンされた。
痛くはないけれど、ちょっと驚く。
まさか天音がこんなに照れるなんて思ってもみなかったから。
「もう! みんながニヤニヤしてる! 早く行くよ!」
天音は恥ずかしさに耐えられなくなり、俺の手を引いて教室を飛び出す。
「おい天音! 落ち着けって」
俺の声は届いているはずなのだが、天音の走る速度は一向に収まる気配はなく、一息の間に下駄箱までやって来てしまった。
「早く帰ろう!」
天音は俺を急かして校庭に出る。
一緒に手をつないだまま校門に向かう途中、遠くに楽辺と一緒になって歩く西条先輩の姿があった。
俺と天音が軽く会釈をすると、彼女は一言も発さないまま深々と頭を下げ、手を振ってきた。
さようなら、ということだろうか?
「あそこはあそこでお熱いようで」
天音はいやらしく笑う。
実に楽しそうである。
さっきまで恥ずかしさで沸騰しそうだった彼女とは随分と違う。
「俺の部屋に来ないか?」
俺は天音を誘う。
俺の家の俺の部屋。
すると、天音はクスクス笑いながら答えた。
「何を今さら、当たり前でしょう? 学校が終わったら、どちらかの部屋に行くって決まってたじゃない」
そう宣言して、天音は俺の手を引いて歩き出した。
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