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第十二章 清水とクラスメイトたち 3
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「まず今回の件にあって、君たちの決定的な誤解を解かなければいけない」
「誤解ってなんですか?」
遠野さんが恐る恐る尋ねる。
「それは君たちがしきりに口にする”菅原君が君たちを見下している”という言説だ。これは大きな誤解で、この誤解こそが全ての問題の引き金となっている」
「で、でも実際……」
遠野さんは納得していない様子だ。
クラスのみんなも同様の反応。
「何か具体的に言われたりされたりしたのかい?」
「い、いえ……そうではないですけど……」
遠野さんの主張は声とともに小さくなっていく。
当然だと思う。
真希人君は周囲を見下すような態度をとるはずがない。
仮に心のどこかで過ぎることがあったとしても、それを表に出さない術を彼は心得ている。
そうでなければ、芸能界などというプライドと欺瞞に満ちた世界を生き抜くことなど出来ないからだ。
「ほかのみんなはどうかな? 何か具体的なエピソードはあるかな?」
僕の問いかけにクラス中が静まり返る。
これといった反論はない。
「なさそうだね? つまりなんとなく雰囲気で、彼が君たち皆を見下していると思っていたと?」
僕の再度の問いかけにもだんまりのまま。
これが集団の怖いところだと感じた。
どうせクラスの中で発言力のある生徒が、勝手に解釈して広めたのだ。
確たる証拠はないけれど、みんながそう言っているのだからきっとそうに違いない。
”菅原真希人は、自分たちを見下している鼻持ちならない奴だ”
そんな風潮がクラス全体に蔓延し、反対意見を言える空気ではなくなったのだ。
放置していた僕が言うのも違う気がするが、なんとも情けない。
単純にそう思った。
「ここでは君たちを責めるつもりはない。だから今後のアドバイスのために言っておく。いまのこのクラスの状況は”イジメ”だ。れっきとしたイジメだ。何の証拠もないのに、多数で個人を追い立てるのはある種のイジメ。だから金輪際やめることだ。今回の件は僕が回収する。上手く収めて見せる。確かに彼にも落ち度はある。それは間違いない。だけれど彼の事情も分かって欲しい。ここからは君たちに黙っていた彼の事情を説明しよう。今から話すことが正しいかどうかは分からない。人によっては言うべきではないと、声をあげる人もいるかもしれない。だけどここまで話が拗れてしまった以上、何かを隠したまま話すのでは無理があると判断した。だから……もうこれ以上聞きたくないという者は、いますぐ教室を出て行って構わない。お咎めはない。ここからは君たちの選択の問題だ」
僕はそう言って出口を指さす。
あくまで聞くかどうかは彼らの意思で決定させたい。
教師が押しつけたところで何の意味もない。
「先生、私たち全員が聞きたいと思っています」
クラスのどこかから、そんな声が聞こえてきた。
誰も席を立たないし、誰も笑っていない、誰もがこちらに熱い視線を送っている。
ああ、なんだ。君たちは……ただ知りたかったのか。
知りたかっただけなのか。
よくわかった。
知らないから怖いのだ。
怖いから遠ざけるのだ。
安全に知るチャンスがあるのなら、知って安心したい。
それが彼らの本心なのかもしれない。
「それでは話そう」
僕はそう言って語ることにした。
菅原真希人という存在を。
彼がどのように成長し、どれだけのプレッシャーの中で生きてきたのかを。
「まず前提条件として、菅原君は昨日まで気づいていなかったみたいだけど、僕は彼が生まれた時から知っている」
「どういうことですか?」
遠野さんが驚きの表情を浮かべる。
「彼のお父さん。世界的な音楽家である菅原琴雅と僕は同じ大学で学んでいた。同級生だった。当時から彼は天才と言われていたから、君たちの立場はすごくよく分かる。なんとなく劣っている気がして、劣等感に苛まれた時もあった。だけど彼の側にい続けるうちに、それが傲慢な考えだと変わっていった」
「傲慢ですか?」
「そうだよ。傲慢さ。だって彼が僕に見せていた側面なんて、本来の一〇パーセントにも過ぎなかったからね。それで全てを知った気になって、勝手に劣等感を抱いて距離を取ろうとした。これを傲慢と言わずに何と言う?」
クラス全体が黙ってしまった。
これは全員に通じることだ。
一を知って、全てを知った気になる。
「たまたま見た一部分で全てを知った気になって決めつける。非常に浅はかで愚かで情けないことだが、安心して欲しい。これは何も若い人だけではない。大人だってするし、誰だってする。人間なんて結局こんなもんさ。僕はそれを大学生の時に痛感した」
耳の痛い話だったろう。
でもこれは必要なことだ。
人間一人を理解しようというのなら、ちゃんと正面から向き合わなければならない。
「そして琴雅が結婚して生まれたのが、みんなのよく知る菅原真希人君だ。彼も幼いころから天才の片鱗を見せていた。父親の血を受け継いでいたのと、琴雅の厳しい英才教育を受け続けてきた結果だ。そうして彼は天才ピアニストとしてメディアに取り上げられ始めた。みんなからしたら、彼は何もかもを手に入れていたように映っただろう。お金、名声、人気……。だけど彼は満足しなかった」
「どうしてですか?」
他の生徒たちから疑問の声が上がる。
仕方ないだろう。
彼らからしたら、自分たちが欲しくても得られないものを全て持っているのが菅原真希人だ。
「何故なら彼は、君たちが当たり前に享受していたものを持っていないからだ。親からの愛情、学校生活、誰かとどこかに行く自由、プライベート等々……。そのどれもを手にできなかったのが、菅原真希人という少年のここまでの人生だ」
「英才教育されていたのなら愛されていたのではないのですか?」
遠野さんは指摘する。
でも違うのだ。
あれは愛情ではない。
「愛情と英才教育はイコールじゃない。彼に課された英才教育はハッキリ言って異常だった。常にピアノピアノピアノ……指を痛めても、どんなにぐずっても、幼いころに叩きこまれた教育は、彼をピアニストにするために琴雅が強行したものだ。物心つく前から、彼の人生は琴雅によって決定されていた。これは愛ではない。琴雅が自分の子供を天才ピアニストにしたいというエゴだ」
僕はそれを影でずっと見ていた。
何度か琴雅を宥めたこともある。
母親から相談されたこともある。
だけど僕には変えられなかった。
あくまで他所の家庭の事情、そこに僕の入る余地はなかったのだ。
「誤解ってなんですか?」
遠野さんが恐る恐る尋ねる。
「それは君たちがしきりに口にする”菅原君が君たちを見下している”という言説だ。これは大きな誤解で、この誤解こそが全ての問題の引き金となっている」
「で、でも実際……」
遠野さんは納得していない様子だ。
クラスのみんなも同様の反応。
「何か具体的に言われたりされたりしたのかい?」
「い、いえ……そうではないですけど……」
遠野さんの主張は声とともに小さくなっていく。
当然だと思う。
真希人君は周囲を見下すような態度をとるはずがない。
仮に心のどこかで過ぎることがあったとしても、それを表に出さない術を彼は心得ている。
そうでなければ、芸能界などというプライドと欺瞞に満ちた世界を生き抜くことなど出来ないからだ。
「ほかのみんなはどうかな? 何か具体的なエピソードはあるかな?」
僕の問いかけにクラス中が静まり返る。
これといった反論はない。
「なさそうだね? つまりなんとなく雰囲気で、彼が君たち皆を見下していると思っていたと?」
僕の再度の問いかけにもだんまりのまま。
これが集団の怖いところだと感じた。
どうせクラスの中で発言力のある生徒が、勝手に解釈して広めたのだ。
確たる証拠はないけれど、みんながそう言っているのだからきっとそうに違いない。
”菅原真希人は、自分たちを見下している鼻持ちならない奴だ”
そんな風潮がクラス全体に蔓延し、反対意見を言える空気ではなくなったのだ。
放置していた僕が言うのも違う気がするが、なんとも情けない。
単純にそう思った。
「ここでは君たちを責めるつもりはない。だから今後のアドバイスのために言っておく。いまのこのクラスの状況は”イジメ”だ。れっきとしたイジメだ。何の証拠もないのに、多数で個人を追い立てるのはある種のイジメ。だから金輪際やめることだ。今回の件は僕が回収する。上手く収めて見せる。確かに彼にも落ち度はある。それは間違いない。だけれど彼の事情も分かって欲しい。ここからは君たちに黙っていた彼の事情を説明しよう。今から話すことが正しいかどうかは分からない。人によっては言うべきではないと、声をあげる人もいるかもしれない。だけどここまで話が拗れてしまった以上、何かを隠したまま話すのでは無理があると判断した。だから……もうこれ以上聞きたくないという者は、いますぐ教室を出て行って構わない。お咎めはない。ここからは君たちの選択の問題だ」
僕はそう言って出口を指さす。
あくまで聞くかどうかは彼らの意思で決定させたい。
教師が押しつけたところで何の意味もない。
「先生、私たち全員が聞きたいと思っています」
クラスのどこかから、そんな声が聞こえてきた。
誰も席を立たないし、誰も笑っていない、誰もがこちらに熱い視線を送っている。
ああ、なんだ。君たちは……ただ知りたかったのか。
知りたかっただけなのか。
よくわかった。
知らないから怖いのだ。
怖いから遠ざけるのだ。
安全に知るチャンスがあるのなら、知って安心したい。
それが彼らの本心なのかもしれない。
「それでは話そう」
僕はそう言って語ることにした。
菅原真希人という存在を。
彼がどのように成長し、どれだけのプレッシャーの中で生きてきたのかを。
「まず前提条件として、菅原君は昨日まで気づいていなかったみたいだけど、僕は彼が生まれた時から知っている」
「どういうことですか?」
遠野さんが驚きの表情を浮かべる。
「彼のお父さん。世界的な音楽家である菅原琴雅と僕は同じ大学で学んでいた。同級生だった。当時から彼は天才と言われていたから、君たちの立場はすごくよく分かる。なんとなく劣っている気がして、劣等感に苛まれた時もあった。だけど彼の側にい続けるうちに、それが傲慢な考えだと変わっていった」
「傲慢ですか?」
「そうだよ。傲慢さ。だって彼が僕に見せていた側面なんて、本来の一〇パーセントにも過ぎなかったからね。それで全てを知った気になって、勝手に劣等感を抱いて距離を取ろうとした。これを傲慢と言わずに何と言う?」
クラス全体が黙ってしまった。
これは全員に通じることだ。
一を知って、全てを知った気になる。
「たまたま見た一部分で全てを知った気になって決めつける。非常に浅はかで愚かで情けないことだが、安心して欲しい。これは何も若い人だけではない。大人だってするし、誰だってする。人間なんて結局こんなもんさ。僕はそれを大学生の時に痛感した」
耳の痛い話だったろう。
でもこれは必要なことだ。
人間一人を理解しようというのなら、ちゃんと正面から向き合わなければならない。
「そして琴雅が結婚して生まれたのが、みんなのよく知る菅原真希人君だ。彼も幼いころから天才の片鱗を見せていた。父親の血を受け継いでいたのと、琴雅の厳しい英才教育を受け続けてきた結果だ。そうして彼は天才ピアニストとしてメディアに取り上げられ始めた。みんなからしたら、彼は何もかもを手に入れていたように映っただろう。お金、名声、人気……。だけど彼は満足しなかった」
「どうしてですか?」
他の生徒たちから疑問の声が上がる。
仕方ないだろう。
彼らからしたら、自分たちが欲しくても得られないものを全て持っているのが菅原真希人だ。
「何故なら彼は、君たちが当たり前に享受していたものを持っていないからだ。親からの愛情、学校生活、誰かとどこかに行く自由、プライベート等々……。そのどれもを手にできなかったのが、菅原真希人という少年のここまでの人生だ」
「英才教育されていたのなら愛されていたのではないのですか?」
遠野さんは指摘する。
でも違うのだ。
あれは愛情ではない。
「愛情と英才教育はイコールじゃない。彼に課された英才教育はハッキリ言って異常だった。常にピアノピアノピアノ……指を痛めても、どんなにぐずっても、幼いころに叩きこまれた教育は、彼をピアニストにするために琴雅が強行したものだ。物心つく前から、彼の人生は琴雅によって決定されていた。これは愛ではない。琴雅が自分の子供を天才ピアニストにしたいというエゴだ」
僕はそれを影でずっと見ていた。
何度か琴雅を宥めたこともある。
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だけど僕には変えられなかった。
あくまで他所の家庭の事情、そこに僕の入る余地はなかったのだ。
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