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木屋町の女豹
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「そうや、 笹屋伊織の抹茶パフェ食べてこうよ」
咲希がつぶやく様にそう言うと黄色になりかかった信号の下を構わず突っ切っていく。
「ちょっと、待ってよ!」
慌てて私も立ち漕ぎしながら黒髪のポニーテールがゆれるその背中を追う。
目の前には御所の今出川御門。奥に見える景色は眩しいほどの艶やかな新緑の木々が折り重なるように列なっていた。
「咲希ぃ!、自転車は降りて押すってば!」
「わかってますってば」
咲希が急ブレーキをかけると後輪のタイヤが滑って御苑のじゃり道を大きくえぐった。
「ほらぁ、そういうのがあかんねん」
御所は久しぶりだった。隣接して南北に伸びる烏丸通りや今出川通りは毎日のように通るけど中まで分け入ることはあまりなかった。
自転車は押して歩かなければいけないという先人の教え。
(御所を自転車なんかで通ったらあきまへん。天子さんのお住いをタイヤの痕で汚すなんてもってのほかえ)
小さい頃から大人たちに言い聞かされてきたそんなもんが私には染み付いていたから。自分の中にある根っからの京都人気質みたいなものがそうさせているのかもしれない。
「羅羅ならではの律儀さやな」
距離を置いて前をさっさと歩く咲希の呟きが5月の涼風に乗って聞こえてくる。
烏丸通りの車の流れが信号で止まると遠くで祇園囃子の鐘の音も微かに聞こえた。祇園祭まではまだ1ヶ月あまり。けれど京都市内はフライング気味にもう祇園祭一色だ。
祭りが始まるまでの一ヶ月、通りから路地裏迄あちこちに響くコンチキチンの稽古の調べを京都人は京都人にしか分からない特別な高揚感を持って耳を傾ける。京都に住まうという幸せを五感で感じながら京都の暑い夏は過ぎてゆく。
「うそ!羅羅の実家って、あの伊佐倉酒造なん!?」
食べていたどら焼き抹茶パフェのクリームを吹き出しそうになりながら咲希は目を丸くした。
最近できた御所内の近衛邸跡の休憩処、笹屋伊織。
カウンター席からガラス越しに見る御所の深々とした新緑の青さが目に染みた。
「あのって…… そんなに有名なん?」
「有名っていうか、業界ではそうだよ」
「うちのお店には伊佐倉のめい柄はけっこう並んでるもん」
「そっかぁ、咲希んちは居酒屋だもんね」
母の実家が酒蔵という話をしたのは咲希が初めてだった。別に隠してる訳じゃないけど私の中ではお酒というイメージを肯定的に捉えられなくて何かそこに後ろめたさみたいなものを感じているのは確かだった。
母自身が実家の話をあまり口にしないというのもあった 。
実家の話を避けていると言うよりあまり突っ込んでは語らない
自分の家なのに俯瞰で見ているというか。。
「そうだ、夏休み一緒に行っていい?帰るんでしょ実家」
「そのつもりやけど」
「じゃあ連れてってよ。一度酒蔵って見ときたかったんだよね、二代目としては」
洞院咲希。私とは高校時代からの親友で今は共に京洛女子大に通う四年生。同学年だけど高校は留年してる為、私よりはひとつ年上になる。
実家は京都市内に複数店舗展開する居酒屋チェーン店で兄弟や姉妹はおらず一人娘。高校時代から店を手伝っているせいか物腰や言葉遣いは 世間に熟れてるアラサー女の雰囲気を漂わせている。
「決めたんやて。もう継ぐって」
「うん。まさかやったけど。そうなるみたいやわ」
「なんやえらいひとごとみたいに聞こえるけど」
「成り行きやから。高校の時やったら店継ぐ人生なんて思いもせえへんかったし」
「木屋町の女豹、洞院咲希が居酒屋の女将やて、界隈ではえらい騒ぎやろな」
「女豹て……」
咲希の口角が上がって小さな吹き出すような笑い声が漏れた。
「そんなん面と向かって言われたことないわ
「いいや、みんな言うてたし」
「 言われたことないし」
でもそれは嘘じゃないかもしれない。言われてる事は知ってても彼女に面と向かってあんたは木屋町の女豹だなんて、そんなさぶい子が居たとは思えない。
ただ彼女が女豹と評されるその所以は界隈の誰もが知っていた。
「どっちにしても女豹やて。かっこええにも程があるわ」
「はいはい、その話はもう終わり終わり。木屋町の話されたら、なんやお尻がこそばゆうてかなわんわ」
咲希は祇園の先斗町で産まれた。実家は江戸は寛政の頃から代々続く老舗の置屋まる吉。女将は祖母の宵松で母は芸子の小宵。
小宵は客と良い仲になり咲希を産んで駆け落ち同然のようにして祇園を離れた。まだ一歳にも満たなかった咲希は祖母であるその宵松に育てられた。
置屋は代々女系がその代を継いでいくもの。娘が居なくなった置屋まる吉は当然のごとく宵松の孫である咲希が継ぐのが自然な成り行きだったのだが。
「けど世が世なら祇園の売れっ子芸妓やったはずのあんたが、今や京都有数の居酒屋チェーン店の社長さんとはなぁ」
「しゃあないやろ。お父はんはあんな人やし、家にはぜんぜん帰って来はれへんし」
唇を尖らせ、ぷっと頬を膨らませたその咲希の横顔にはまだ少女のような面影があった。ぷくっと膨れたその桜餅のようなそのほっぺに愛おしさが弾けて堪らず人差し指でムニュっとつつく。
ウーっと小さく唸って歯をむき出しにして甘噛みで返してくる咲希。
顔を見合わすと堪えきれずに一緒にぷっと吹き出した。
「平和やなうちらは」と咲希。
うんか、ふふんか分からない鼻息の様な吐息の様な甘ったるい相槌が漏れた。
母に似たのか祖母の宵松に似たのかそれは知らんけど、その咲希の端正な横顔を見ながら思った。
3年前の増水した鴨川の四条大橋の上から河原町のレディース総長の首根っこ掴んで一緒に飛び降りたんも木屋町の女豹洞院咲希なら、1年に一回だけ会える実の母親の胸にすがって1時間泣きじゃくれるのも洞院咲希。
どっちがほんまの咲希かは私もまだ今ひとつわからんけど
確かなことは、
何があってもうちは子のことだけは一生の友達やと。。
咲希がつぶやく様にそう言うと黄色になりかかった信号の下を構わず突っ切っていく。
「ちょっと、待ってよ!」
慌てて私も立ち漕ぎしながら黒髪のポニーテールがゆれるその背中を追う。
目の前には御所の今出川御門。奥に見える景色は眩しいほどの艶やかな新緑の木々が折り重なるように列なっていた。
「咲希ぃ!、自転車は降りて押すってば!」
「わかってますってば」
咲希が急ブレーキをかけると後輪のタイヤが滑って御苑のじゃり道を大きくえぐった。
「ほらぁ、そういうのがあかんねん」
御所は久しぶりだった。隣接して南北に伸びる烏丸通りや今出川通りは毎日のように通るけど中まで分け入ることはあまりなかった。
自転車は押して歩かなければいけないという先人の教え。
(御所を自転車なんかで通ったらあきまへん。天子さんのお住いをタイヤの痕で汚すなんてもってのほかえ)
小さい頃から大人たちに言い聞かされてきたそんなもんが私には染み付いていたから。自分の中にある根っからの京都人気質みたいなものがそうさせているのかもしれない。
「羅羅ならではの律儀さやな」
距離を置いて前をさっさと歩く咲希の呟きが5月の涼風に乗って聞こえてくる。
烏丸通りの車の流れが信号で止まると遠くで祇園囃子の鐘の音も微かに聞こえた。祇園祭まではまだ1ヶ月あまり。けれど京都市内はフライング気味にもう祇園祭一色だ。
祭りが始まるまでの一ヶ月、通りから路地裏迄あちこちに響くコンチキチンの稽古の調べを京都人は京都人にしか分からない特別な高揚感を持って耳を傾ける。京都に住まうという幸せを五感で感じながら京都の暑い夏は過ぎてゆく。
「うそ!羅羅の実家って、あの伊佐倉酒造なん!?」
食べていたどら焼き抹茶パフェのクリームを吹き出しそうになりながら咲希は目を丸くした。
最近できた御所内の近衛邸跡の休憩処、笹屋伊織。
カウンター席からガラス越しに見る御所の深々とした新緑の青さが目に染みた。
「あのって…… そんなに有名なん?」
「有名っていうか、業界ではそうだよ」
「うちのお店には伊佐倉のめい柄はけっこう並んでるもん」
「そっかぁ、咲希んちは居酒屋だもんね」
母の実家が酒蔵という話をしたのは咲希が初めてだった。別に隠してる訳じゃないけど私の中ではお酒というイメージを肯定的に捉えられなくて何かそこに後ろめたさみたいなものを感じているのは確かだった。
母自身が実家の話をあまり口にしないというのもあった 。
実家の話を避けていると言うよりあまり突っ込んでは語らない
自分の家なのに俯瞰で見ているというか。。
「そうだ、夏休み一緒に行っていい?帰るんでしょ実家」
「そのつもりやけど」
「じゃあ連れてってよ。一度酒蔵って見ときたかったんだよね、二代目としては」
洞院咲希。私とは高校時代からの親友で今は共に京洛女子大に通う四年生。同学年だけど高校は留年してる為、私よりはひとつ年上になる。
実家は京都市内に複数店舗展開する居酒屋チェーン店で兄弟や姉妹はおらず一人娘。高校時代から店を手伝っているせいか物腰や言葉遣いは 世間に熟れてるアラサー女の雰囲気を漂わせている。
「決めたんやて。もう継ぐって」
「うん。まさかやったけど。そうなるみたいやわ」
「なんやえらいひとごとみたいに聞こえるけど」
「成り行きやから。高校の時やったら店継ぐ人生なんて思いもせえへんかったし」
「木屋町の女豹、洞院咲希が居酒屋の女将やて、界隈ではえらい騒ぎやろな」
「女豹て……」
咲希の口角が上がって小さな吹き出すような笑い声が漏れた。
「そんなん面と向かって言われたことないわ
「いいや、みんな言うてたし」
「 言われたことないし」
でもそれは嘘じゃないかもしれない。言われてる事は知ってても彼女に面と向かってあんたは木屋町の女豹だなんて、そんなさぶい子が居たとは思えない。
ただ彼女が女豹と評されるその所以は界隈の誰もが知っていた。
「どっちにしても女豹やて。かっこええにも程があるわ」
「はいはい、その話はもう終わり終わり。木屋町の話されたら、なんやお尻がこそばゆうてかなわんわ」
咲希は祇園の先斗町で産まれた。実家は江戸は寛政の頃から代々続く老舗の置屋まる吉。女将は祖母の宵松で母は芸子の小宵。
小宵は客と良い仲になり咲希を産んで駆け落ち同然のようにして祇園を離れた。まだ一歳にも満たなかった咲希は祖母であるその宵松に育てられた。
置屋は代々女系がその代を継いでいくもの。娘が居なくなった置屋まる吉は当然のごとく宵松の孫である咲希が継ぐのが自然な成り行きだったのだが。
「けど世が世なら祇園の売れっ子芸妓やったはずのあんたが、今や京都有数の居酒屋チェーン店の社長さんとはなぁ」
「しゃあないやろ。お父はんはあんな人やし、家にはぜんぜん帰って来はれへんし」
唇を尖らせ、ぷっと頬を膨らませたその咲希の横顔にはまだ少女のような面影があった。ぷくっと膨れたその桜餅のようなそのほっぺに愛おしさが弾けて堪らず人差し指でムニュっとつつく。
ウーっと小さく唸って歯をむき出しにして甘噛みで返してくる咲希。
顔を見合わすと堪えきれずに一緒にぷっと吹き出した。
「平和やなうちらは」と咲希。
うんか、ふふんか分からない鼻息の様な吐息の様な甘ったるい相槌が漏れた。
母に似たのか祖母の宵松に似たのかそれは知らんけど、その咲希の端正な横顔を見ながら思った。
3年前の増水した鴨川の四条大橋の上から河原町のレディース総長の首根っこ掴んで一緒に飛び降りたんも木屋町の女豹洞院咲希なら、1年に一回だけ会える実の母親の胸にすがって1時間泣きじゃくれるのも洞院咲希。
どっちがほんまの咲希かは私もまだ今ひとつわからんけど
確かなことは、
何があってもうちは子のことだけは一生の友達やと。。
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