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WIFI

035 電波なにそれ美味しいの

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「電波、どこかな……。なるべく美味しい電波が欲しいんだけど……」
「精密機器をそんなに振り回したら、壊れるぞ……」

 電波は、人体を貫通する。摂取するのに口を開けなくてもいいようで、悠奈も咀嚼する様子が無い。

 ……なんで悠奈は、電波を追い求めてるんだ……?

 天から下界を見下ろすと、彼女の異質なスマホに感づく人も多いはずだ。

 甘味や苦味の無い電波は、基地局があれば誰にでも平等に与えられる。クラスに不都合な情報を握りつぶす麻里政権とは対照的だ。

 健介のスマホも、電波は届いている。中心街で圏外になる地域に、高校は建たない。

 行きつく可能性は、極端に絞られる。電磁波で論理的思考を奪われたか、悠奈が機械音痴か、だ。

「……悠奈、スマホ一回貸してみろ。電波が入ってるかどうか、見てやるから」
「……人のスマホで課金しようだなんて、お金にがめつい健介ならやりかねないね……」
「売上のほぼ全額を分け前として要求したお方が言える事じゃない」

 ぼったくり条例違反で、両手首を健介は抑え込んだ。現行犯逮捕で、悠奈は御用だ。

 立てこもりを決断すると意志は固いもので、頑なにスマホの画面を見せようとしてくれなくなった。彼女もこれで、閲覧履歴を問い詰められてしらばっくれる男子高校生の仲間入りだ。

 ピンクをモデルにした悠奈のスマホは、裏にイラストがセロハンテープで貼られている。何のキャラをモチーフにしたのかは不明だが、生みの親に負けず劣らずの美貌であった。

 手首を握られてなお、手からスマホを離さない。哺乳類で体力テストを行うのであれば、握力部門を悠奈が制覇しそうである。クラスの独裁者兼親友が不正を訴えるのは間違いない。

 健介とて、強引に引きはがせない。ナチュラルに窃盗犯として高校の晒し者にランクアップはごめんだ。

「……普通は、家でWIFI入るだろ? そうじゃなかったら、宝の持ち腐れ……」
「わいふぁい? ……わいふぁい……」

 悠奈が、しゃがみこんで頭を抱えてしまった。護衛用スタンガンを自分に当ててしまったか、左右に体が揺さぶられている。健介は無罪だ。

 彼女の辞書にも、記載されていない言葉がある。その語句をインプットする時、全身を痙攣させてノビてしまう癖があるらしい。麻里の虚言癖に次ぐ、世話の焼ける癖だ。

 衝撃は少なかったようで、意識が飛ぶ前に悠奈の震えは収まった。

「……うん、わいふぁいは覚えた。次から奇襲してきても、倒せないよ?」
「倒すも何も、WIFI知らなかったのかよ……。これは、次回のテストで一位陥落だな」
「私が陥落するなら、健介くんも共々。赤点かもね」

 生きる為に必要ない語句は、悠奈の体に刻まれていない。朝のワイドショーで毎日失神しているのを想像すると、さぞかし親も後始末が大変だろう。

 単位を落としかねないテストの点を『赤点』と呼ぶことがある。赤字で精神が追い詰められるのは評定の方であり、テストの点数は満点でも赤ペンで表記されるのだから違和感満載だ。

 健介は高校最初のテストで、点数が赤で書かれている男子を片っ端から煽りにいった。巡り巡って、自身も赤ペンだったのは言うまでもない。

「……それにしても、インターネットが遅いなぁ……。電波、私のことを避けてるのかな?」
「何も無いところで光は曲がらないぞ。……ネットに繋がってるのかよ」

 拍子を抜かれて悠奈の画面をのぞき込むと、検索エンジンのサイトが表示されていた。輪っかが無限ループしているが、世界の巨大情報網から締め出されてはいない。

 電波の受信強度も、きちんと表示されている。激安スマホにありがちな内部故障の線も消えた。

「原因、分からないな……」
「なんで、いきなり言うことを聞いてくれなくなったんだろう……。マリちゃんでも、従ってくれるのに……」

 麻里は、心から命令に従う忠犬でない。メリットとデメリットの比較で、悠奈には敵わないと身をもって体幹している。

 ブラウザの読み込みが終わり、シークバーと黒い画面が現れた。外部の野良回線で動画視聴とは、通信料が莫大になりそうだ。

 ……外で動画……、通信量が多くなる……?

 空中分解していた飛行機の部品が、ひとりでに合体していく。受験生が悲鳴を上げる難問が、解決に向かっている。

 スマホ振り回し女子を苦しめていた原因は、ここに全て解明された。

「……悠奈、通信制限かかってないか?」
「通信制限? 私、スパイか何かと思われてるのかな……」

 日本人国籍の、全身兵器美少女。腐れ縁幼馴染でなければ、腫れ物扱いしていただろう悠奈。スパイには絶好の環境だ。取り締まろうにも、本格的に罰する法律が存在しないのではどうしようもない。

 これまで、お嬢様で高校進学まで買い物の一つ教わって来なかった麻里が非常識枠を独占していた。正義感に駆られて成敗する特殊稼業を除けば、悠奈は常識人という認識だった。少なくとも、健介の中では。

 ……天才は、認識が一般人とズレるんだな……。

 これから友達として付き合って行けるのか、と語句が理解できず呆けた悠奈を心配する健介なのであった。
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