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漫画家編

024 暴発

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 風呂でのぼせることはあっても、日光浴で血管は開かない。熟れたリンゴを実に付けた美少女は、言葉にならないうめき声を上げていた。

 ……熱中症じゃ無さそうだけど……。

 事前の告知無しに症状が悪化することもあるだろうが、先程まで両足で地面を踏みつけていた結莉の身体が蝕まれていたとは思えなかった。手を近づけただけで噛みちぎられそうな野生の威圧感を纏っていて、手のひらという肉体式体温計で体温を計測出来ないのが残念である。

 結莉は漫画のワンシーンが目に入って停止ボタンが押されたと言うよりも、タイトルとペンネームだけで非常ブレーキがかかってたような気がする。

 しかし、何が彼女のセンサーに反応したのかは不明だ。推しの作者が話題に取り上げられたことへの感激の嵐が、我を忘れさせたのかもしれない。

「……佐田さん? 聞こえてるかなー」
「……ポポポポポ……」

 お化けとして紹介される八尺様になりきっていて、まともな日本語を話してくれそうにない。身長が足りていないのは大幅な減点になる。惚れた者を呪い殺すことはその秀才頭で自粛してもらえないものだろうか。

 蒸気機関車の煙突の代わりに、体感の弱いアホ毛がゆらゆら結莉のてっぺんで揺れている。本体が危機的状態に陥ると、必ず起動するシステムなのだろう。解剖してプログラムを分析したくなるのが人の常だが、対象を死なすわけにはいかない。

 ……斜めからチョップを入れたら、直るかな?

 古い家電製品は、衝撃を加えることで正常な動作に復帰する場合がある。少女の高性能コンピュータも、真っ二つに叩き割ればいつもの調子に戻ってくるのか。基盤にセットされているピンを折ってしまいそうで、中々手を出せるものではない。

「……えーっと、更新プログラムでもインストールしてるんだよな?」
「……た、ただいま、最新パッチを適用中です……。しば、しばらくお待ちください……」

 タイムラグが発生している。不具合が直らないようなら、中古品店にでも売り払ってやろう。

 与えられた設定を忠実にこなしている結莉に、致命的なバグが残っている確率は低い。突然の別れや再起不能エンドと言った、恋愛シミュレーションゲームを遊ぶ上で避けたいバッドエンドに遭遇しないのはありがたい。

「……この漫画、何といってもネタの深さがウリなんです! 小学生には理解されなさそうなブラックジョークや時事ネタが豊富に詰まってて、人は選びますが大当たりの可能性はありますよ!」
「……買います! できれば少額で!」
「佐田様、ご連絡ありがとうございます。こちらは見本となっておりますので、店頭で……。これ買ったの先月だった」

 通信販売にあるまじき失態を犯してしまった。在庫を売りつくして客の電話を切るのは良くても、無在庫販売は法律という地面に墜落している。サムネイルで釣った動画だと低評価を大量に付けられるに違いない。

 ……佐田さんのキレが悪い……。

 強化ガラスも鉄筋コンクリートも切断する切れ味のいい日本刀と、研磨されていな文化包丁。刀狩り初心者の隆仁にも、見分けるのは容易だ。

 流れに乗って無理難題をパスしてくるコートの支配者結莉と、後を引きずっているがばかりにレイアップシュートを失敗するダメっ娘は別人である。

「……佐田さん、どうしちゃったんだよ。そんなにこの漫画、買いたくてしょうがなかったのか?」
「……ある意味、そうかも。須藤くんみたいな人の恥を散布しちゃうような人に見せたくなかったな……」
「女子全員に俺の醜態を晒した貴方様が言える事では無いんだけどな……」

 結莉がジャンプをして漫画本を奪い取ろうとするが、身長が足りず届いていない。指先が本をほんのり揺らすくらいである。

 猫じゃらしにつられて、猫は天まで飛び上がる。釣り竿で二階から吊り下げれば、いとも簡単に美少女釣りが楽しめそうだ。

 ペンネームを見て悶絶し、諸悪の根源を回収しようと試みてくる……。結莉は会話に合わせることで逃れようとしていそうだが、隆仁の節穴は誤魔化せない。

 ……これ、漫画を描いた張本人なのでは……。

 自作の小説や絵は、後に黒歴史となりやすい。禁断の段ボール箱にしまわれて、可燃ごみに出される日を待つだけの日々になる。

 プロの絵師ならまだしも、アマチュア漫画家に全世界へ作品を公開する度胸が身についているはずがない。家族や親戚に自作を覗かれるのは、裸を見られるよりも屈辱的に感じる人もいるだろう。

 跳躍力で漫画そのものの強奪は難しいと悟った結莉は、狙いを本体に切り替えてきた。頭部を腕で保護して、ミサイルを発射した。

 一歩横にズレて回避しようとした隆仁。無ひじなことに、ミサイルに搭載されていたのは無機質な核弾頭ではなく、意志を持った人間だった。

「どーん! 女子だからって甘く見てたから、酷い目に遭うんだよ?……」
「……一時たりとも監視の目を緩めたこと無いんだけど……」

 外的要因による腹痛を底力で耐えきり、辛うじて突っ込むことが出来た。コメントを求められているように感じるのは、強迫概念である。

 結莉の勝ち台詞は、救急車のサイレンだった。勢いに任せた突撃で、ドップラー効果は活動したのだ。

 ……佐田さんは、何処に行ったんだ……?

 一メートルほど後退した隆仁の正面に、人影は見当たらない。活力を運動エネルギーに変換して挨拶の一撃をぶちかました美少女は、失踪してしまった。

 着弾地点は、住宅のブロック塀だった。人体との接触事故を起こした地点から距離が足りず、激突してしまったらしい。

「……それ見たことかぁ! 正義は勝つんだよ!」

 不敵な笑みを浮かべている結莉だが、前方不注意の代償として左腕を負傷していた。宙ぶらりんになった腕を、もう片方で支えている。

 ……正義ならこっちにあると思うんだけど……。

 人の物を奪えないからと言って、身体攻撃を敢行してくる野蛮人が官軍の旗を振れるはずがない。邪道を進んでいった先に辿り着くのは、卑怯のレッテルだ。

 議論の争点をすり替えて、事を穏便に進ませようとしている。波を荒だてないように平静を装っているのは、透視メガネでお見通しだ。

「……もしかしてでもないけど、この漫画は佐田さんが……?」

 核心を、鉄の槍で突いてみた。

「……私のを返してくれないなら、もう一回いっちゃうよ?」
「買ったのは俺だよ。ところで、この漫画は佐田さんが……?」

 所有権を勝手に移動させてくるのは、クレクレの絶対手である。将来彼女は土地関係の書類で詐欺を働きそうだ。金を出しているのは、いつでも隆仁なのだが。

「他のやつで、面白いものは無かったの?」
「この『塗り固められた嘘』っていうのしか無かったかな、ダイヤの原石は。ところで、この漫画は佐田さんが?」

 勿体ぶるのが鬱陶しくなってきた。オウム返しは馬鹿の仕事だと思われていそうだが、一言一句違わずに繰り返すのは単調で気が抜けやすい。途中で噛もうものなら、たちまち総突っ込みされて日が暮れてしまう。

 彼女の作品にも、粗削りなところは数多あった。今時の流行りであるアニメ絵には程遠く、かと言って少女マンガのぱっちりおめめにも出来ていない。オリジナリティは要らないが、普遍的で特徴が無いのも無味無臭で悲しい。

 言葉遣いも、上流階級あるあるの堅苦しい文面だ。もっと砕けた文章にしなければ、読者は付いてこれない。語彙力を競う大会ではなく、平易で分かりやすい言葉を使うことが求められる。

 ……でも、ネタはピカイチだ。

 どこの異世界で波乱万丈を経験したんだと探りたくなる、山より高く谷より深いストーリーの重厚さ。関西人でなくとも、ボケに合いの手を入れられる目線の低さ。佳作となっているが、隆仁が審査委員を務めていたのなら大賞に推薦してもおかしくないクオルティだ。

 満遍なく平均点を取れているものと、一点が突き抜けているもの。受験で重宝されるのは、正五角形の学生であるが、芸術の世界では判断基準がひっくり返る。棒の先端が平坦だと審査という紙を破れないが、鋭利だと突破出来るのだ。

「……そうだよ、私が描いた。まさか店頭で売られてるなんて、知らなかったけど」
「応募要項に書いてなかったのか?」
「あったような……気がする」

 長ったらしい利用規約をスルーして同意してしまうタイプの人間だ。権限の確認や規約の熟読を怠るなとデジタル警察から怒られても、大半のユーザーは読み飛ばしてしまうのである。結莉が特別ではない。

 彼女を象徴するアホ毛は、うねって正弦波を映し出していた。音波などに見られる、奇妙なアレである。

 ……これは、どういう感情なんだ……?

 アホ毛状態判別表の作成を、至急出版社にお願いしたい。ハンドブックが公式にリリースされた日から、結莉の取り扱いは劇的に改善するだろう。

「……それにしても、受賞したなんて通知も無かったんだよ? 印税に加えて、著作権違反で訴えようかな……?」
「隙あらばお金だな……」

 理不尽を社会に対して振り撒いているのではなく、結莉の正当な主張だ。個人の作品が商業利用されていて、本人に通知が行かないのは不自然なこと。取り分を請求するのは当たり前である。コーラを持っているのに奢らせようとしてはいない。

 理想的な未来を想像して上の空になった彼女は放っておいて、ストーリーや詳細部分の元ネタを考察してみる。

 ……『佐田』だから、『サターン』……?

 何とも安直な語呂合わせだ。ペンネームで文字る事自体はプロもやっているが、面白味の欠片も無い。由来を尋ねられた時にこれでは、失笑を買ってしまう。

 もっとも、代案を出せと反論されればそれまでだ。

 ……主人公の女子高生がお金をせびってばかりだし、それで男子の方から別れを切り出されてるし……。

 アンテナが敏感になっている作中の女子は、推測しなくても結莉だ。マナーにチェーンソーで切り込みを入れてくる荒業は、彼女にしか成しえない。

 付き合っていた側の財布が耐えきれなくなっているのは、過去の体験談から来ているものだろう。

「……須藤くん、もちろん最後まで読んだよね?」

 自身を漫画に投影した美少女が、内股で上目遣いをしてきた。喜怒哀楽のスイッチが壊れているのではないだろうか。カメレオンより体表が変化している。

 打ち切りが決まっていても最後の一ページまで見逃さない隆仁が、引き込まれた作品を読み飛ばすはずがない。

「読まない方が少数派だと思うけど?」
「……それじゃあ、もう気付いてるよね?」

 一歩で、本丸に忍び込まれた。異性へと近づくのは恥じらいや嫌悪でハードルが高そうなものだが、結莉は一太刀で間合いに踏み込んできたのだ。

 彼女の胸が、触れ合う一段階前まで接近していた。躓いて転んだと嘘を付くのが成立するのなら、喜んで上半身を倒す男性も多い。

 ……距離を置いてもだけど、ここまで近づくと……。

 遠くからでは意識から切り捨てることの出来ていた端正な顔立ちが、殊更強調されている。神が天地を創造したのなら、人間くらい平等に作成しなかったのか。

 じっと、瞳を見つめ合う。発信された電波によって、無線で繋がっているような感覚に襲われた。結莉と隆仁のフォルダが共有されている。鍵付きフォルダばかりで中は閲覧できなかった。

 唾を飲み込む音が、脳内に響き渡った。手先が、にわかに温かくなってくる。

 ……佐田さん、近い……。

 美少女は、すぐそこまで迫っている。

 チャンネルを切り替えようとしても全てが同じ番組を流しているようだ。目線を、彼女から外すことが出来ない。全範囲をカバーされていた。

 カップルではなく、友達付き合い。恋人ではなく、仲の良い異性。恋愛が生まれるのは先だと割り切って来たからこそ、糖尿病になる甘い誘惑にも揺らがなかったのである。フィルターの効かない距離にまで詰まっていては、魔法がかけてあるバイアスも解除されてしまうのだ。

「……気付いてるよね? 漫画の最後に、あったよね?」
「佐田さんが振られたのなら、覚えてるけど?」

 現代文は偏差値が上位だったはずだが、今回の佐田入試で出題された読み取りは難易度が高い。作者の気持ちを文章にして表せと問うのならば、まず作者に聞いてこいと命令したくなる。

 しばしの間隆仁は答えを模索したが、作品中で紹介し切れなかった裏設定も無ければ、キャラクターのセリフを抜き出す問題でもない。

 ……これ、詰みだ……。

 解答ボタンを押すこともままならないまま、数十秒が経過してしまった。

「全く分かってないんだから……。詳しいことは、明日教えてあげる」

 しびれを切らした結莉に、最後通牒の耳打ちをされた。

「……別に、今教えてくれても……」
「つべこべ言わない! 私のことを分かってない須藤くんが、一番悪いからね」

 吐き捨てるが早いか、彼女は全速力で走り去ってしまった。短距離走では、体力の限界を迎えることは無いらしい。

 ……佐田さんって、人の言う事を聞かないキャラだったっけ……?

 突如として日本海上空に発生した異例の台風は、短時間に大雨を降らせて東シナ海へと抜けて行った。次にどのような行動をするかは、予想不可能だ。

 隆仁に出来たことは、曲がり角に消えて行った結莉を呆然と眺める事だけだった。
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