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偽装彼女編

013 退くか進むか

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 季節外れの台風が上陸してから、一週間が経つ。廃墟にある庭園は再建不能にまで追いやられ、外部から吹き飛ばされたバケツや鉄骨が首から埋まってしまっていた。

 その英語名タイフーンは大陸に乗り上げて力を失うどころか、土壌から水蒸気を吸い上げて勢力が拡大していっている。台風の中心気圧は、宇宙遊泳が無料で体験できる程度にまで小さくなっているのではないだろうか。『一生に一度の体験ツアー』と格安で広告が流れてきても、参加したくはない。

 台風への命名は国際ルールなる足枷が邪魔をするはずなのだが、地名や都市名をメディアが勝手に名付けているくらい束縛が緩い。規則などどこ吹く風と、巨大で警戒心を煽る真っ黒のテロップが飛び出すだろう。

『佐田台風 今日も日本上空で停滞か』

 台風の目は晴れていて蒸し暑いというのは、気象をかじった人間なら三度の飯より唱えている。彼らなら、こう考えるに違いない。無生物の殻が真っ二つに割れて自我が生えてくるなど、非科学的なエセ情報だ、と。

 例外なく法則にしたがうのは、限られた狭苦しい世界に閉じ込められている都合のいい集団だけだ。空気抵抗を考慮に含まない速度計算がいかに無駄であるかは、板書をコピーしている学生が深く理解している。

 ……なにも、上空で停滞することもないだろうに……。

 気象予報士の資格を取らなくとも、これから一か月の天気予報での代役は務められる。サンマをくすねたドラ猫が執拗に魚屋を狙うのと同様で、カンペを持ったADを押し倒して傘マークを表示さえしておけばいいのだ。

 それも、ただの雨ではない。鋼鉄の傘を背負っても構わず貫通してくる、硝酸と硫酸が混ざった絶望のキングオブウォーターだ。金メダルがメッキされていることが表沙汰に出るのも時間の問題だろう。

 心も体も溶かされてはたまらないが、雨宿りできそうな素材の屋根が見つかるはずがない。物陰に身を隠そうにも、物体は全て穴ぼこで使い物にならない。

 ……佐田さん、恐るべし……。

 受験で一点も落とすまいと見直しをしようとも、受験生は嫌らしい出題者の秘められし牙に気付けない。バイアスがかかってしまっては、鹿も馬に見えるのだ。

 荒天の到来を知らせる結莉の偽告白から、早くも一週間。反撃の手を片っ端から潰され、ジャブで体力を削ることすらままならなかった。

 ……単純な言い合いだと、一生勝てないだろうな……。

 天才に屁理屈を並べて、辻褄が合わないまま寄り切って勝てるのなら苦労はしない。矛盾点を一から指摘されてプライドがミンチになるのが普通だろう。

 勉強でもスポーツでも、結莉は隆仁の上位互換と銘打って異論はない。興味がないの一点張りで教師陣の熱烈な医学部ラブコールを突っぱねた能力は、生物分野以外のどこでも猛威を振るう。

 一般的な対戦車地雷と陰口をたたかれる女子は、努力の欠片すら捻出してこようとしなかった人たちだ。いや、人間と比べては失礼か。

 年齢で好かれているとは露にも思わない彼女らは、自らが常に地球の自転軸だと他人にすり寄る。が、現実をミルクチョコレートだと考えているのでは未来が暗い。

 ……本当に、なんで見ず知らずの男子に奢らせようとするんだよ……?

 どんなゲームでも、倒せない敵と言うものが存在する。いくら勇者や従者のレベルを鍛えても、禁止技の組み合わせであえなく撃破されるのがオチだ。

 プログラムで決められている事柄には、誰も逆らえない。創造神のお言葉に反逆を起こすキャラクターはいないのだ。

 裏技やバグを血眼になって探すゲーム廃人には悪いのだが、敵と同じ土俵に立ってもいない状態で立ち向かうのは無理難題というものなのである。

 ……佐田さんと、同じ立場にいないからだよな……。

 サブマシンガンが全開になっても結莉の身体を綺麗に透過してしまうのは、過ごしている次元の違いによるものだ。逆襲して自分に振り向かせたい隆仁と、何でもいいからお金を得すればどうでもいい彼女。向いている方向がバラバラでは、弓矢を放っても命中しない。

「……それでさ、昨日は勉強付けだったんだ……」
「……へー。結莉みたいな出来る子は、やることも一流だねー……」

 女子たちの会話が、遭難船となって耳元まで届く。盗聴する気は無くとも、結莉が混じっている会話は自然と脳が情報を受け取ろうとするのだ。

 ……一流なのは違いないんだろうけど……。

 昨日はまさに、隆仁がお使いで走らされていた。一応学力で上の下くらいには位置している隆仁に上から目線で命令を下せるのは、誇り高きお嬢の結莉だけである。

 脳の性能が一級品であることは認めるが、バカ正直さで負けるつもりはない。人を過労死させそうになった経営者が、証拠を隠蔽しているのは抗議の声を上げたいところだ。

 彼女が勉学に励むという行為を、この目で間近にしたことがない。宿題の提出は平常通りこなしているところを見ると、無関心と言うわけでもなさそうなのだが。

 ……天才型なのかもしれないな……。

 褒めて伸ばすのでもなく、縛って引っ張るのでもなく、自ら太陽に向かって茎をのばしていく。伸びすぎたものは間引きされやすい日本でも、彼女ほど突出していると尊敬を置かれるようである。

 ネタで盛り上がった時と何も変わらない、結莉の荷物を背負っていない微笑み。雑誌の表紙に採用すれば、売り上げは伸びるに違いない。

 ……もう放課後なのに、誰も出て行かないな……。

 任意の義務である授業から解放された遊び盛りの高校生は、我先にと外に飛び出していく。部活動が待ち遠しいと、廊下をダッシュして職員室へと連れていかれる。時代こそ違えど、風景は見覚えのあるものになる。

 だが、今日という日においては様子が異なっていた。

「……おい、もう部活にいこうぜ……」
「いや、今日は部活ないからな……」

 月に一度だけやってくる、部活休止日。スポーツ魂宿る大柄の男子たちは、有り余った力をゲームに変換させていた。れっきとした校則違反である。

 高校にスマホを持ってくる善悪を協議するのは、もう時代遅れ。技術革新と共に、無くてはならない器具となっている。

 問題となっているのは、ルールを守らない輩の多さ。休み時間に人目を盗んで投稿するのは序の口であり、指導の恐怖を味わっていない新参者には歩きスマホという猛者もいる。

 ……俺も、そのことで強請られたしな……。

 スマホの無断使用と引き換えに夢への貯蓄を根こそぎ奪われたのは記憶に新しい。

「……結莉は、彼氏とかいないわけ……?」
「……今のところは、フリーだよ? 予定だから、埋まっちゃうかもしれないけど」
「……結莉みたいな子は、すぐにでも予約一年待ちになりそうなものだけどね……」

 黙って見過ごすことの出来ない一文句が、隆仁の理性へクリティカルヒットした。通常攻撃で倒せるときに限って出る会心の一撃をここで受けることになるとは、未来日記にも書かれていなかった。

 ……ふーん、フリーですか……。

 隆仁への詰め寄りを目撃していた女子陣は、一定の情報を守銭奴の結莉から集めているはずだ。甘酸っぱさが水で不味くなった告白シーンこそ写真に収められることは無かったものの、誰かがターゲットになっていることは知っているだろう。

 公表したくないものを、明晰で無駄のない彼女がどうして口から漏らすだろうか。隕石でこの高校がぶち壊しになるよりも可能性は低そうだ。

 ……それでも、刺さるものは刺さるな……。

 女子の粘っこい関係は、焼くなり煮るなりなってしまえばいい。一流調理人でも匙を投げる材料の悪さで、犬も食わない。第一、そのような低レベルの論争を結莉自身が解決できない事態が起こりえるとも思えない。

 万里の長城をも凌駕する障壁となって立ちはだかるのが、何も知らないカモになる男子である。

 ……男子って言う生き物は、単純だからな……。

 『脳筋』とは脳まで筋肉に変換してしまった運動部軍団のことだが、そうでなくとも男は目標に向かって一直線なのだ。少なくとも、隆仁たちの高校では。

 偏差値など関係なく、力はパワーであり筋肉である。何も考慮せず、行き当たりばったりで物事にぶつかっていく。一人では到底持てない重りでも、己の腕だけで持ち上げようとするのだ。クレーンカーを運んでくれば筋肉も痛まないというのに。

「……予約一年待ちも、困るかなー……。好きな時に選べなくなっちゃうし」
「……男子を選べる人にそんなこと言われても、参考にならないなぁ……」

 全世界のモテない男が刀を鞘から抜いて地の果てまで追ってきそうな発言だ。地雷系女子だから爆弾で対抗、と言われても飛躍でよく分からない。

 ……それ、男子のいる教室で言っても良いことなのか……?

 ざっとクラス内を見渡すと、結莉たちの側まで聞き耳を立てる男子どもがアリの行列になっていた。フェロモンのついた場所に群がるのは流石の自然環境だ。

 結莉がカーストでトップを張っていなければ、クラス内ネットワークから総叩きに遭うだろう。あらぬところで陰口を呟かれ、話しかけても口を開かなくなるのだ。これでも彼女は平然と教師に告げ口をしそうだから大した度胸である。

 寄生系彼女の心境は別にして、すました顔で石ころを投げ捨てるように『彼氏はいない』と真正面から発信されては面目が丸つぶれだ。

 ……『それでも、須藤君は何もしてこないの知ってるんだよ?』って言われそうだな……。

 牛丼一杯分の料金を上乗せされて強気に問い詰められなかった隆仁が、薄っぺらいウソごときで怒りスイッチをオンにするはずがない。刀の間合いを的確に読んで踏み込んできた結莉の前提である。つくづく、唇を噛みちぎりたくなってくる。

 思考回路の基盤をダウンロードされている、そのような感覚だ。流出させたつもりはないのに、脳内ネットで検索すると模倣品のプリントがウェブサイトにあげられているのだ。ウイルスサイトにアクセスした記憶なら、無尽蔵に生み出されている。きっとこれからも、内部情報を晒し続けるだろう。

「……もしも結莉が彼氏を作るとしたら、どんな人がいいの?」
「そうだなぁ……。少なくとも、近づいてこない人には興味が湧かないかなぁー……」

 ……もしかして、ケンカ売ってます?

 ケンカを有料で販売するビジネスを始めていたとすれば、先見の明がある。暴走した価格設定でも、隆仁は喜んで買う。

 自ら親しくなろうと誘った男子が目の前に立っているというのに、この無神経さは彼女の意識が足りない。破局届を役所に作成してもらって、一方の合意を元にカップルを解消してしまおうか迷う。

 ……まあ、その意識が全くないからなんだろうけどさ……。

 厚顔無恥な振る舞いが、クラスメートを金づるとしか捉えていないということをはっきりと伝えている。ボーイフレンドへの道のりはエベレストの登山道だ。

 放課後におんぶ抱っこしてもらっている人を視界に入れても、結莉が微笑みを崩すことは無い。結ばれた糸の存在を消すためなのか、目配せすらしてこない。

 ……佐田さんが言ってることが本当なら、俺は生涯見向きもされないってことだよな……。

 ハッタリだと主張するのはいつでもできる。だが、ひっくり返した盆の水がひとりでに戻ってくることはあり得ない。

 近づいてこない人というのは、積極性を持たないということ。良くも悪くも、刺激がないということだ。

 マッチングアプリ等で出会った男女は、奥手で双方の心に届かないのか一線を越えられない。そうなると、恋人ではなく友達フォルダに収納される。仲良く遊ぶ異性という捉え方であり、恋が芽生える土台は乾ききってしまうのだ。

 不良の道へ外れていくのも、夜の世界に麻薬のような憧れを抱いているからだ。成り上がりも失墜も起こらない平らな社会に、どこの異端児が魅力につられて飛び込むのか。

 ……もう、一週間も経つんだよな……。そろそろ行動を起こさないと、機会が無くなる……?

 結莉は、初見の問題も応用力で完走してしてしまう秀才だ。回転が速いからこその、悪魔に惹かれる刺激を求めているのかもしれない。平凡な日常に飽きていて、天変地異でも起これと念じている可能性はある。

「……平凡な人じゃ、だめなの?」
「だーめ! だって、何にも面白くないじゃん。何もしてくれないと」

 女子同士のやり取りが、雲の向こうへと流れていく。

 ……頭のぶっ飛んだ考えの持ち主には、こっちも吹っ切れないといけないよな……。

 人の良い金銭供給者だと思われないようにするには、どうすればいいのか。彼女と対抗するためには、何を強調すればいいのか。

 クラス解放チャイムまであと一分と迫られて、吐き出すようにそのアイデアは出た。

 ……クラス全員がいるこの場で、彼氏アピールするしかないか……。
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