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2日目

013 お叱り

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 血流が滞り、脚がしびれてきた。正座を崩すことが認められず、懲罰房に入った凶悪犯の待遇を受けている。人権団体に訴えて、この治外法権のさばる久慈宅から救出してもらえないだろうか。あいにく携帯電話の入ったバッグも没収されていて、連絡手段がない。

 仁王立ちした彩が、どこから取り出してきたのか鞭を振るっている。先端に行けば行くほど細くなっている鞭で、しならせる度に爆音が発生する代物だ。鼓膜のすぐ横で鳴らされたらたまったものではない。

 ハチの一件でお咎めを受けている……のではなく、ベッドに靴下で上がり込んだのが原因だ。関与していないハチ事件に巻き込む不条理は彩も避けてくれた。

 焦点となるのは、緊急回避だと認められるかどうか。災害を逃れる為に車を運転するのは良くても、それを継続すると無免許運転になってしまう。

 正面に飛んでいたハチを抹殺するべく、机を乗り越える大ジャンプを敢行した彩。ややベッドとの距離が近かったと言っても、誤差の範疇である。反対側に避けられた以上、近所住みの親友と言えども侵入罪が成立しそうだ。

 ……脳が、感覚で『飛び乗れ!』って……。

 思い返しても、ドア側に避難しなかった理由はよく分からない。中枢神経を司る本能の声に従って、我に返った時にはベッドに飛び乗っていた。陽介には、多重人格の疑いがある。

「……私の……、重大犯罪……!」
「名詞を省略されたら、何言ってるのか分からないんだよ……」

 日本語でない日本語を操る彼女は、翻訳するのも一苦労。これまでの経緯から判断するよりなく、誤解はすれ違いを招く。彩と付き合っていく上で、一、二を争う重大事なのだ。

 不敬な態度を見せると、音速を越える鞭が猛威を振るう。暴力的少女に成り下がってしまった彩が可哀想でならない。背中に『私は暴力女です』と張り紙をして過ごしてもらわなくてはならなくなる。

 あまり怒り慣れていないのか、彩が口ごもってしまった。マスクを付けていても、三回聞き返すほどくぐもりはしない。後に続く単語が完成半ばで崩落し、文章のストックが尽きているのだ。

 ……説教したこと、一度もないんじゃないか……?

 まず、武器を片手に正座させることが現実離れしている。ドラマやアニメの体罰教育に影響を受けた可能性が高い。深夜に夢中な陽介の口から放てる言葉ではないが、空想と現実の分別ははっきりさせた方が身のためになる。

 指摘しようとする箇所も、時によってバラバラだ。開けっ放しにしていた窓を注意したかと思えば、ハチ退治を率先してしなかったことに怒りの矛先を変える。一貫性が無く、その場の勢いで陽介を打ち負かそうとした感じが否めない。

「……ベッド……、乗るな……」

 彩がベッドを指差すが、陽介が飛び乗ったのは枕元ではない。シーツが乱れているのは陽介が訪問した時からそのままで、恐らく彼女の寝癖の問題である。自身の事を棚に上げて他人に説教する度胸が羨ましい限りだ。

 巨大風船に風穴があき、後は萎むのを待つばかり。突風が空気を供給したところで、いつかは地面にへたりこむ。彩は、その途中だ。反論を固く封じて我慢すれば、自ずと勝機は見いだせる。

 ……もう、来た目的が何だったか忘れちゃうな……。

 人生で訪れる山や谷を、先払いで体験しているかのよう。緊急停止装置のついていないジェットコースターは、同乗者の自由気ままに振り回されてコースを進んでいく。

 このハチャメチャ遊園地に、『留年』の二語は溶け込んで見えなくなっている。少しでも彼女の心境を楽にしたい思いが天に届いたのなら、幸いだ。

 忘れてはならないのは、彩の死が背中合わせで進行している事実。調味料で味を変えても、海水は海水。水分補給には向かない。

 喜怒哀楽がミキサーされて棒立ちする彩は、見ていて気分を愉快にしてくれる。何が起こるか分からないワクワクと、地獄に真っ逆さまの不安が、いい塩梅で配合されるのだ。

 いくら少女観察が興奮すると言っても、脚のしびれには勝てない。一発逆転を賭ける猫じゃらしも全て居間にしまわれてしまっている。陽介に味方する環境は、全て消え失せた。

 考え事に沈んでしまった彩の目前で、陽介は姿勢を崩した。このまま正座を続けていれば思考力が瓦解する工程を観戦できるのだろうが、自身の健康には変えられない。それに生命の危機さえ乗り切れば、またいつでも見られる。

 視線に熱意がこもっていなかった彼女も、目の前の年上男子高生が膝を伸ばしたことに気付いたようで。

「……姿勢……、戻せ……」
「……いつまでこんな茶番続けるんだ? 俺だって、怒られるために午後も居座ってるんじゃないぞ……?」

 彼女の怒りは、時間を潰す手段の成れの果て。思い込みをなくしてやれば、正常運転に戻ってランプも緑色になる。

 明日が休日だと決まっていても、叱られるだけの残業は引き受けたくない。ストレスで二日間以上寝込むようなことがあれば、迷惑するのは彩の方だ。適切な判断を願う。

 昔からの付き合いである少女が虚勢を張ったことは、一度や二度ではない。突発的に怒りを込み上がらせ、陽介に勝負を仕掛けてくるなどざらにあった。陽介から言わせてもらうと、ただの兄弟ゲンカだ。そこに良いも悪いも無い。

 そして、それは決まって後半に起こっていた。別れの時間近くに、温厚で冷淡な彼女が豹変するのだ。ある時は髪の毛を根こそぎ持っていこうとするワシになり、ある時は水中に獲物を引きずるワニになった。陽介を制圧するには不十分だったが。

 ……小学校くらいまでは、毎日のように一緒だったからな……。

 家庭で食卓に並んだことこそ無かったが、学校でも放課後でも二人一組。ケンカしては雨が降って地面が固まり、また手を繋いでいる。時空が捻じれて、過去に帰られたらどれほど素晴らしいことだろうか。

 引きこもり気味になったこの頃も、陽介は彩と会っている。だが兄弟姉妹の様相では無くなってきたのが気がかりで、もう再現できないものと思っていた。

「……茶番……、かも……」

 強く主張し続けてきた光速の弾丸も、遂に威力を失ったようだ。鉄板に弾かれ、白旗を空高く掲げた。上下関係が、この時を以って逆転した。

 重力に逆らってまで偽りの答弁を繰り返し、疲労が溜まっていたのだろうか。彩は、その場にへなへな座り込んだ。両手を後ろについて、攻撃性を金庫に封印したアピールをしている。

「……陽介、……時間が……」
「大半は彩が持っていったんだけどな」

 彩の両親が帰ってくる前に魔境から出発すると決めていたので、…あと一時間半しか残されていない。おやつのお菓子は、家に帰ってから食すことになる。お手製で彩が何か作るつもりだったとしたら、喜んで受け取ろう。

 ハチが侵入する前からもそうだったが、彩は壁掛け時計を気にする素振りがあった。算数の復習をしているのでは無かったようだ。時間に追われるのを気にするならば、自分でその時間を黄金に塗り替えてしまえばいい話なのだが。

 彩は、チョキを差し出した。ジャンケンに全財産を賭けるギャンブル狂には見えない。

「……おにごっこ……」
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