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1日目

002 入場試験

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 自宅に帰還した後、陽介は勉強用具一式を持って玄関を出た。現実に絶望して家出を決意……する度胸も意志も存在はしない。心で不変なのは、彩を何とかしたい焦燥感だけである。

 小走りで二つブロック塀の角を曲がると、そこはもう彩の家。穴あきブロックばかりで、耐震性に問題がありそうなのがこの住宅街のマイナスポイントだ。自治会への入会が強制とあっては、なるほど転入者が増えないはずである。

 近所に住むこの女子高生は、滅多な用事でないと外出しない。陽介の心を蝕むのは、その用事に『登校』も含まれていることだ。高校へ出席すること一つでも、彼女には敷居が高い。

 談話の間に溶け込もうと、本人は努力していた。自身をイジる雑談にも耐え抜いて、自らを奮い立たせようとしていた。過去のトラウマに打ち勝とうと、精神が崖っぷちに追い込まれながら授業に参加していた。

 限界を超えた我慢は、破綻を呼び込む。空気を注入し過ぎた風船が破裂するのは自明の理であった。気付かなかったのは、無茶をした彩と傍観者の陽介の二人だ。

 やるせない思いが繰り出す力で、人差し指をインターホンへ押し込んだ。壁の向こうで、彩の指を繋がっていたら嬉しい。

 家の向こうで応答があるまでの一時、陽介は独りぼっちの玄関前で待たされることになる。活気の感じられない周辺地区では、日中になるとゴーストタウンそのものになるのだ。

 彩が家を留守にしている可能性は限りなく低い。学校のある平日、厳密に時刻を守って彼女は生活している。昼休みに買い食いすることなく、五時限目に昼寝を敢行もせず、きっちり高校の時程が終わるまで家に籠っている。

『……お土産……、ある……?』
「なんにも持ってきてないよ。……強いて言うなら、勉強道具くらいか? 今日習った範囲はしっかりメモしてあるから安心しろ」

 スピーカーの故障で聞き取りが悪くなったと勘違いする来訪客も、以前には居たらしい。彩の肉声そのものだと言うのに、二度同じことを繰り返し発言させるとは。よほど熱狂的なストーカーだ。

 ロボットの機械音声モードであった返答は、変調しなかった。陽介が賄賂を持参していないことに憤慨したのか、それとも気遣いの心無しと割り切ったか、

『……この家では、訪問販売をお断りしています……』
「誰が訪問販売なんだよ。……カメラでも付けたらいいんじゃないのか? お小遣いはたんまり溜まってる癖に、セキュリティは不十分なんだから……」

 金で買えない単位を強奪しようと計画したとは思えない、節約家っぷりだ。身の安全への出費すら惜しまれるようでは、後々大金を失う羽目になるだろう。

 一度、彩に貯金箱を持たせてもらったことがある。円柱形をしたミニチュア郵便箱は、素材の重量しか感じなかった。彼女曰く『満杯でもう入らない』と豪語するとなれば、これはもう札束が詰め込まれていると確定するしかない。おもちゃの札で優位を取るような思考が、彩に出来るとは考えられない。

 親友の家を訪問するのに土産が必要なるローカルルールなど、扉に掲示したところで何人が遵守してくれるだろうか。陽介ならば、彩の言いつけを守って交流を断絶させる。露出している地雷にハンマーを振り下ろす輩は、爆破物処理班か変質者くらいのものだ。

 静まり返ってしまった向こう側の女子に畳みかけようとして、陽介は出かかった声を引っ込めた。放送禁止用語のフィルターに絡み取られたのではない。れっきとした理由あってのことだ。

 ……俺がこのままUターンした方が、彩の反応を引き出せるんじゃないか?

 口数が少なく、それと比例して攻撃の手数も減少する彩は、攻略の糸口を掴みにくい。仮に一回突破を成功させても、翌日になると通用しなくなる。弱点をみすみす放っておく弱敵には非ず、綿密に組まれた計画が必要となる。

 陽介の慢心だらけな背中をさらけ出すことにより、敵の追撃を誘う。引き出しから空いての情報を取り出したところで、反転攻勢を取るのだ。成功させれば名将、失敗すれば愚将の烙印を押されるトップの役目はいつの時代も大変である。

『……入室許可が欲しいのに……、攻撃する……?』
「そうだよ。開けてくれなくても、最悪ダイナマイトで破壊すれば済む話だし。……彩が木っ端微塵になるのは後始末に困るけど」

 トラウマを細切れにして今夜のハンバーグに混ぜ込めば、彼女を押し付けている重量物を取り払える。副作用で陽介に過剰反応する恐れがあるが、彩の留年には代えられない。

 一般の金属が内側に仕込まれた扉如きで、爆発物の威力を受け止められるとは甲谷寧法が良い。つるはしでは時間のかかる採掘を簡略化する為に導入されたダイナマイトが、家庭の家一個に屈するはずがないのだ。

 押して駄目なら、退いてみろ。物事でも恋愛でも、必須の方策だ。陽介は中学校三年間引き続け、世界の果てに辿り着いた頃には誰もついてこなくなっていた。彩は別次元の親友なので、ここではノーカウントである。

 自らの匂いが付かないよう、慎重にエサを捕獲機に仕掛けていく。獲物は、もちろん不登校系女子高生、彩だ。

『……ダイナマイトなんかに、私が……? 花火の爆発で……何ともないよ?』
「それは彩が特殊なだけだ。普通の人なら、花火大会なんか行けなくなるぞ……?」

 ぶっ飛んだ回答をあしらいつつも、彼女ならダイナマイトの爆風に耐えられる唯一無二の存在だと誇る自分がいるのも事実だ。

 花火の打ち上げ場所に連れられた若かりし日の彩は、不運にも管理されていないマッチを手に入れてしまった。火気を子供の手に渡すなというしたきりは、時代が変化してもそう錯誤することは無いのである。

 火起こしの経験も知識もない彼女にマッチ棒が渡っても、危険性は少ない。冷静に周囲の状況を把握すれば、その結論に至る。そう、普通ならば起こらない事故だった。

 重大事故は、偶然の重なりで発生してしまう。

 火薬が満タンに充填された花火は、あろうことか女の子の目の前で着火してしまったのだ。

 導火線を火が伝る光景に恐れをなした彩が数メートル退避したが、子供の脚力で安全圏までは逃げきれない。どちらかと言うと出席日数の方が危ういのだが、身体の危機と進路の危機は別物として扱うのがよいだろう。

『……病院に……連れていかれたんだっけ……? あんまり、記憶が……』
「爆音で慌てて駆けつけたら、火花を纏った彩がつっ立ってたんだよ……。全く、どうしたら至近距離で爆発に遭って無傷で居られるのやら……」

 現代文明では説明できない、謎の現象だった。浴衣に火花を付けて、彩は主役だと主張していた。ある意味その祭りで注目の的になったのだから強ち間違いとも言えない。

 陽介は、爆発時には現場に居合わせなかった。恐らくその場に居たのならこの場に立っていないと思われるので、当たり前ではあるのだが。

 今まで陽介が証言した状況は、全て彩が語ってくれたことだ。人体の神秘が解明されることを祈って、この悲劇を忘れぬようメモにしたためている。

 ……いけない、いけない。罠を仕掛けてるのは俺なのに……。

 インパクトの強い思い出話に思考が引っ張られ、彼女の手のひらで泳がされるところだった。話術で人を惹きこませる能力は、衰えるどころか日に日に強くなっている。金銭をせびられて拒否できなくなる日も、きっとそう遠くはないはずだ。

 陽介は、改めてインターホンに向き直った。扉の覗き窓から監視されていないとは言い切れず、姿勢だけでも正しておこうとしたものだ。

 懲りずに、健全な爆弾を設置していく。警察官も、この一瞬は刑法を適用しないでもらいたい。

「……それで、入らせる気があるのかないのか、どっちなんだよ? インターホンでやりとりするなら、正対して雑談したい」
『……私は……貴族。陽介は……庶民。釣り合わない……』
「その庶民を名前で呼んでる貴族は落ちぶれて無いのか?」
『……うるさい』

 客観的な答えしか下さなかった向こう側の受話器に、感情が初めて籠った。負の思いだとしても、己の本心を剥き出しにしたことに意味がある。

 頑丈に編まれた服から、遂に一本の糸が垂れた。第一関門をクリアした音が鳴る。強く引っ張りすぎて千切れないよう、適切な力で素早く手繰り寄せなければならない。

 親友に暴言を吐かれて、陽介との親密度に疑問を持つ新参者もいることだろう。安心して欲しいのは、彩の第一声は貶しから入る事である。これは、信頼関係が構築された仲でなければ出来ない。

 女子高生に罵倒されたい能無しがアポを取らずに突撃したところで、彼女に塩対応で平然と追っ払われる。目的を果たせないまま、警察に緊急通報されてブタ箱へ直行までがワンセットだ。

「……そうか、入れてくれる気はないのか……。これじゃあ、諦めるしかないな」
『……私も……同意する……』
「いやいや、そこは引き留めてくれないのかよ。流れがあっただろ、流れが……」
『……女子の家に……無断で上がり込む……不審者……』

 彩の門前払いが止まらない。家の前はおろか、この地域一帯から陽介の家族を排除しようと言うのだろうか。村八分は文明開化以前の施策であり。協力しなくとも自立できる現代には通用しない。

 傍から陽介を観察する人間研究のスペシャリストは、致命的なすれ違いのある男子が同級生に突撃していると捉えるだろう。親しい間柄なのならば、インターホンを介して会話しない。常人の常識である。

 推察は、合っているようで何もあっていない。過失があるのは、酷な事を言えば彩であり、勝手に恋心を持って交際を強要する自己中心人間と陽介は程遠い……と信じたい。

 インターホンが会話の道具になるのは、いつものこと。つまらない用事は、対面せずとも済ませられる方がお手軽だ。傾向が先行して、今日のような定時報告会ですら使うようにはなってしまっているが。

 扉を開けずに困るのは、教科書とワークブックだけで高校を乗り越えようとする彩。口頭で伝えられる豆知識や裏技は、自宅学習で獲得できない。第三者の推察など、当てにはならないのだ。なんなら、同級生という仮定まで誤りである。

 陽介は、全艦船に反転するよう指示した。袋小路に敵艦隊を追い込み、包囲殲滅する狙いだ。戦時中でも使える知識なので、覚えておいて損は無い。

「……分かったよ。彩がそこまで嫌なら、俺も強制はしない。……じゃあ、また月曜日、な」

 週末を境に、彩との会合は二日間空白が生まれる。気分が乗らない日は遊びに行くこともあるが、基本は家でぐうたらして過ごす。

『……さよなら……。今更懇願されても……後戻りできない』
「言われなくても」

 陽介は、両足でコンクリートの舗装路を踏みつけた。上から覆いかぶさったエネルギーが板挟みになり、爆音へと逃げていく。

 インターホンに背を向け、対岸へと大袈裟に歩いた。インターホンが聞き取れていなければ、とんだ近所迷惑極まりない男子高校生の悪評が独り歩きすることとなる。近隣住民に白い目で見られないためにも、白旗を揚げてくれないだろうか。

 彩が意地を曲げないのなら、潔く引き下がるしかない。相手側に対話を拒否されては、取り付く島もないのだから。

 ……見放すことにならないのか、これ……。

 まさか、猶予期間を消費してからフル出場する魂胆は無いだろう。告知が遅れると、彼女の高校生活の終焉をみすみす早めてしまう。

 自宅へと一歩一歩進んでいるが、心は玄関前に置いてきてしまった。忘れ物をとりに行く名目で、彼女の家に居座れないだろうか。抗議活動よろしく、土下座で彩に重要事項を伝えるのが良いのかもしれない。

 肩が上下に動いて、肺に空気が提供される。フルマラソンを完走したのではないのに、息切れが激しかった。胸の繊維が、ねじ切れるように痛む。

 彩の家の視界から、陽介の体が死角に入ってしまう分岐点。曲がり角にさしかかったところで。

『……まって! ……いかないで……』

 無口少女らしからぬ悲嘆の叫びが、インターホンから発せられた。
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