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八
しおりを挟む突然現れた青年が、亨它郎と真理亜を元の世界に送りだす時に、真理亜にこう言った。
「わたしの忠告を無視したんだ。それだけの苦労はしてもらうよ……」
真理亜は、あの癪に触る声の持ち主の内包する力を知り、恐ろしさの余り気を失いそうになる。彼女には青年の正体が判らない。ただ、全身が警告を発していた。
(……何故あのような『者』がここに存在し、わたしに関わってくる?)
異界を出た後、背後で底冷えしそうな絶叫と、一つの空間が破壊された音をその耳に捕らえた。あの悲鳴は先程まで剣を交えていた魔物のものだった。
真理亜と亨它郎が彼と別れたのはホンの一瞬前である。余りの力の差に、真理亜はガクガクと震える膝を叱咤しながら、固く目と瞑った。
その消え去った異界から、自分を見つめる視線を感じた。
その視線が痛いほど真理亜にまとわりつき、そして、一つの意思を脳裏に言葉として、伝える。
「どうしたんだ?天地……」
何も知らないであろう、亨它郎がそんな真理亜に向かって不思議そうに問いかける。
「……な、なんでもない」
彼女の目の前に広がる景色は、商店街が少し行けば見える銀行の裏の細道。空にはすでに星が見えていて、チカチカと冷たい光を放っていた。
細長い三日月が、赤く染まってやや西寄りに顔を覗かせていた。それが、自分の行動を逐一注目している様で、嫌になる。
「天地、急ごうぜ!」
「えっ?どうしたの……」
亨它郎は、真理亜の腕を掴むと、商店街の方へ足を向けた。
「彼が言ってた。斗草と神尾さんがいなくなったって!」
銀行の前の交差点で信号機が変わるのをイライラしながら待ち、駆けるように渡りきる。「なんで!」
「俺に聞くなよ!取り合えず、奴の家に行くんだから……それに確かめないと」
「……な、何を?」
人通りが昼間と比べ、まったくないその商店街を二人は駆け抜け、突き当たりを右に曲がり、近道をするため、歯科医院の駐車場を横切る。
「鹿野郎が言っただろう?あいつの兄貴が玩具を手に入れたって!……あれ、もしかしたら、雪之達の事じゃねぇのか?」
「……だったら、絶対……」
真理亜は唇がかみ切れるかというくらい噛みしめると、前方を睨んだ。
「許さない!」
道路を渡り、田んぼに挟まれた道を二人で駆けながら叫んだ時、
「やあ、待ったよ」
空中から嬉しげな声が降って来た。
亨它郎と真理亜が反射的にその場に立ち止まる。すると、目の前の空間が瞬間、奇妙にぶれて、中から何かが飛び出した。
「準備運動にはなったかな?マリアージュ」
キラキラと何か、粉の様なものが散った。
それを浴びた亨它郎はそのまま声も上げる事なく倒れてしまう。
「……そういえば、あなたにはこれが効かないのでしたね」
畳二枚分はあるほどの蛾の羽根を羽ばたかせて舞い降りると、思い出す様にそう言った。
真理亜はしばらく昏倒してしまった亨它郎を心配そうに見ていたが、声をかけられゆっくりと目の前の魔物の方に振り返った。
振り返った時、真理亜は本来の姿に戻っていた。
流れるような長い金髪と、白磁の肌に緑の瞳。そして、背には双翼がそびえる様に生えていた。
「そうそう、あなたが求めるものは、この中にあるんですよ。僕って親切でしょう?教えて差し上げているんだから」
「…………」
真理亜は怒りに燃える瞳を真っ直ぐ魔物に向けていた。
「わたしの名はザイールと申します。ご存じとは、思いますが」
ザイールは、仰々しく会釈をすると、誘うように手を空中に翳した。すると、空中から、糸を吐きながら沢山の毒虫がブラブラとぶら下がり、真理亜に向かって威嚇するように牙を剥いた。そのそれぞれの小さな口からは、赤黒い毒がネバを引いて落ちる。シューシューという鳴き声がその場をうめつくした。
真理亜は、ピクリとも動かない亨它郎に結界を張ると、自分にも張って腰し下げた破魔刀をすらりと抜いた。ザイールはニイッと笑うと、彼女を戦いへ誘った。
「さあ、第二ラウンドと行きましょうか」
空間のあちこちから手繰る様にぶら下がった毒虫達は、真理亜を敵と認識すると、牙を剥いて襲いかかった。
「ふん!」
真理亜は破魔刀を構えなおすと気を刀に注ぎ込む。刀は彼女の気を受けて、紅蓮の炎を吐き出した。それを逆手に構え直して足元に突き刺す。
「……火炎よ。この忌まわしき物共をその聖なる焔にて食らい尽くせ!」
真理亜の口から声が消えるや否や、炎が割れて四方に走った。炎は抵抗する様にのたうつ毒虫達を次々に捕らえ、炭化するまで焼き尽くす。あちこちで、ギイギイと虫の悲鳴が谺し、残った虫は一か所に集まって来た。それは、みるまにドロドロと溶け合い、一つの大きな芋虫になる。
真理亜の放った炎は、生き物の様に身体をうねらせやはり一か所に固まると、全身から炎を吐く獅子に変わった。
双頭の獅子である。
鋭い咆哮を上げ、獅子はヒラリと紅の残像を残しながら巨大な芋虫の背に飛び乗ると、双頭でもって食らいついた。巨大な芋虫は毒液とネバネバする糸を吐きながら振り落とそうともがくのだが、食らいついた獅子の顎は丈夫なもので、末は青黒い液体が噛み千切った場所から噴水の様に吹き出した。
「この程度の小道具は効かないわ、ザイール!」
「ええ、判っていますとも。だって、アレは余興ですから」
細長い蝶の様な口を丸めたり延ばしたりしながら、当然とばかりにいう。真理亜は苛立たしげに破魔刀を構えなおすと、切っ先をザイールに向けた。
「あなたが全ての元凶なの?」
それに対してあっさりと答える。
「遊びとしての元凶なのは確かに僕だけど、全ての元凶かと言われればそれは違うと答えるね」
「……なによ、それ」
ザイールは、緑色の刃を持つ剣を空間からするりと抜くと、にっこり笑った。
「争いは全て矛盾から生まれる。魔界と天界が争われたのも、結局は互いの根底にある矛盾から生まれた様なもの。僕が君と戦うのは、僕の玩具を君が欲しがるから、僕は取られない様に守るため。君が僕と戦うのは君の玩具を取り戻したいだけだからさ。玩具は早いもの勝ちだろうに?」
真理亜は顔を顰めてイライラしながら言った。
「不愉快な言い回しで理屈をこねるわねっ!」
「不愉快?あれらは僕にとっても君にとってもその程度の価値だろう?」
真理亜は怒気を孕んだ眼差しでザイールを睨むと、破魔刀をブンッと一振りし、構えなおす。
「あなたと一緒にしないで!」
ザイールは肩を竦めて見せた。
「上が何を考えようと、あなたが何をしようと、わたしは知らない!わたしは彼らを助けるの。そのためならば、この命だってかけるわ!」
そういって高く跳躍すると、背の双翼を羽ばたかせて急降下を図った。ザイールは楽しげに顔を歪めると、頭部の左右に生えている大きな羽根を使い舞い上がる。
こうして剣と剣の切り結ぶ戦いが始まったのである。
羽毛が舞う。鱗粉が散る。体が刃を反って交わす。赤い血が惜しげもなく互いの全身を朱に染め、真理亜の風体など、ほとんど全裸に等しかった。
力と力がぶつかり合い、ゴウゴウと音を発てる。質量の計りしれぬ光が互いの手から生まれ、互いを飲み尽くそうと暴れ狂った。
ザイールの八本ある足の内の三本は戦いのためすでに失っていた。その癒える事ない傷跡から、赤い血を滴らせる。
壮絶で孤独な戦いが繰り広げられていた。
その戦いの現場から少し離れた場所で、彼女の結界に守られた亨它郎が、空中にプカプカと浮かんでいた。彼はピクリとも動けなかった。しかし、意識はあった。そして、その光景をつぶさに見ていたのだ。歯がゆい気持ちで。
(……くそ……くそう!)
無力感が全身を支配していた。自分は何も出来ないのだ。先程の戦いは何故か楽観視していた。しかし、今、目の前で繰り広げられているのは先程の戦いとレベルが違う。
悔しくて情けなくて、突っ伏したまま虚ろに開いている目から涙が溢れた。
- 泣くな -
何処からか声が聞こえた。
- 人の子よ、泣かなくてもよい。だが、よく見ておくのだ……-
澄んだ声だった。極最近、聞いた事がある様な気がする。
- 戦うという事がどういう事か、その目に焼き付けておくがよい。どれだけ酷いか、どれだけ悲しいか……どれだけの孤独を背負う事になるか…… -
そっと亨它郎の背に声の主は触れた。触れた所が熱を持ち、それが全身を駆けめぐる。それから数秒もしないうちに、身体中を束縛していた何かが消えた。
- 彼女にそれを知る「心」があるなら我は敵にはならぬ…… -
ガバッと起き上がって自分を開放してくれた者に向き直ろうとしたが、すでに側には誰もいなかった。
- ……戦いで失う物を知るのなら…… -
「あっ……おっおい!」
回りは何も無く…いや、一つ変わった事があった。一枚の純白の羽根が亨它郎の横に落ちていたのだ。亨它郎はそれを拾おうと手を延ばした。だが、それは雪か何かで出来ていたかの様にじわりと溶けて消えてしまった。
亨它郎はそれをじっと見つめていた。しばらく無言で見つめていたが、視線を別な方へ向けた。真理亜達が戦っている方へと。
双方の荒い息づかいだけがその場に響いていた。二人とも人で言えば重傷である。
そろそろ何方ともなく次の攻撃が勝敗を決するものだというのが判っていた。
真理亜は、嘔吐感に慌てて口許へ手をやると、血がべっとりと甲についた。
顔を顰め、ベッと勢い良く吐き捨てると、前方を睨む
もう互いに羽根は使えなかった。真理亜の羽根は怪我を負っていて折れては居ないにしろ、ズクズクと抉られた所が鈍痛を訴え、それがかえって戦闘に支障を来す。相手であるザイールは彼女より怪我が酷く、片羽根をもがれて顔面を鮮血で染めていた。
互いの視線が絡み合う。そうして微笑んだ。それは憎しみではない。悲しみでもない。好敵手である相手への賛美である。
シュンッと空気を裂く音がして、密度の濃い真空が真理亜の側をすり抜けていった。
鎌鼬だ。
それは真理亜の頬の皮を薄く切り裂き、赤い滲みを新たに作る。鎌鼬は木の葉の様に舞った。真空の木の葉の向こうで傷だらけの顔に喜色を浮かべ瞳が問いかける。
(さあ、どうする?)
真理亜は、にっと不敵に微笑むと、ベロリと舌で流れ伝う血を嘗めた。そして、持っていた破魔刀の刃を立てると、何事かぶつぶつ呟き似たような言葉を唱え、ザイールの作りだしたものと同じものを作りだすと、自分の進路に邪魔なそれらにかみ合わせ相殺させる。
(これでどうかしら!)
真理亜は強気で微笑んで破魔刀を相手に向けたまま構えなおし、相手に対して数百という目くらましの光の玉を放った。
ザイールは、まさか攻防を兼ねたそれを消されるとは考えていなかったらしく、初めて動揺を見せる。その瞬間を突いたかの様に彼の視界を光の乱舞が邪魔をした。どれもが攻撃的に見え、判断力を欠かす。
真理亜は、その瞬間の隙を狙って、力強く、高く跳躍したのだ。
「これで、最後。覚悟───っ!」
「うっ……うわああああっ────!」
次の呪文も相手にたいする対処も行う前の一瞬だった。彼は慌てて刀を斜めに構え、衝撃に持ちこたえる様な体制をとったが、刀を振り下ろしたその瞬間の真理亜の力は、ザイールを完全に圧倒したのだ。
刀と刀は鋭い音と共に絡まり合い、ザイールの剣は、全てを受けきれず高い音を響かせて破砕した。その衝撃は、そのままザイールの頭に直撃し、彼の頭を破壊する。蒸発するかの様に一片の肉片も残さずその場からザイールは消えたのだ。
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