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1章

絶望の影と希望の光

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依頼された絵の仕上げに取りかかり、ふと考えた。

「この絵の人物像が、誰なのかを考えていない。」
と、何気無く気付きがあった。

今の今まで、法令に順したイラストしか、描いたことすらなかった。

「絵の人物に性別を与えてはならない。」

これは今の時代の鉄則であり、多少のものなら法には引っ掛からず、元々の憲法で定められた「表現の自由」によって、書き手の権利や身分は守られているのだが、絵に『性別』を与えた時点で、タブーとされてしまう。
しかし、今回はミスによって、絵の人物に『女性』という『個性』が与えられたのだ。
これは飽くまで、直感である。
生まれてこの方、そういったものは目にしたことはなかったし、どういったものなのかも全く知らない。
ただ、ふわふわとした曖昧模糊な知覚が、私に語りかけてくる。

『これが女性なのだ。』、と。

同時に、これは知ってはならなかった、古の林檎や中世のトマトのようなものだとも感じた。
一度味をしめたら、もう二度と後戻りはできない。
日本は法治国家である。
いくら憲法で守られていたとしても、当然法に触れることは許されない。
それでも脳が、体が、反射的に反応する。
そして、とても美しいものとして映ってくる。

「なんだろう、この感じは?」
何かが胸に刺さる感覚がする。
今までに感じたことのない、理解不能な感覚だが、不思議と不快感は無く、寧ろ心地いい。

すると、パソコンのモニターが点滅した。
イラストのクライアントからだった。

「こんにちは……今回、絵を頼んでいた者ですが……。」
「はい…モニカ様ですね?」
「その通りです…ユーチューバーの近澤モニカと言います。」
今回の仕事は、ユーチューバーのチャンネルのアイコン画像と背景、キャラクター画像に関する依頼だった。
その為、オーダーはパステルカラーやファンシーカラーをふんだんに使用して欲しいとのことだったが、今回はかなりポップな色を使用している。
「今日はどういった御用件でしょうか?」
「いやー、絵の仕上がり具合が見てみたくて……確認のために、お邪魔させていただきました。」
そういうと、クライアントのモニカは画面の向こうで頭を垂れた。
「わかりました……少々お待ちください。」
私は驚きつつも、平静を保って返事を返した。

見せてくれと、頼まれたときには、少し躊躇いがあった。
何せ、塗りの時に選色ミスをして、予定とは違う仕上がりになって、打ち合わせしたものと印象が変わってしまっているからだ。
だが、そこは躊躇せずに見せることにした。
敢えて、クライアント……否、クリエーターでもある『モニカ』さん自身に、見て判断してもらうべきだと、考え直したからだ。
私は、眼下にある一枚の絵を見せた。

「描いている過程で、こう言った形になったのですが、如何でしょうか?」
私は遠慮がちに、ミスを匂わせるようにして、伺いを立てた。
すると、予想外の返事が返ってきた。
「良いんじゃないですか……何が、不満なのでしょう?」
「いや……実を言うと、人物の服の色を間違えて、違和感が無いようにリカバリーはしたのですが、見るひとによっては、宜しくない印象を与えてしまうかと……。」
相手の反応は好感触だったのだが、自分としては納得ができていない。
所詮、あの不思議と心地良い感覚も、自己満足でしかないのだ。
クライアントに是非を問うと言ったって、私のこれは『否定』から入っている。
「『悪い印象』ねぇ……こんなことを公的に言うつもりはないけれど、今の風潮ってさ……『悪く見ない様に』とか、『みんな平等に』とかって、言うのか法律から決まっていて、それに準じて生きているけど……それって、『価値観』が統制されていて、『自分』を無くしてはいないかって、思うことが沢山あるのよ。」
「具体的には……?」
「難しいな……なら、学校での出来事とか思い出してみてよ。」
「と言いますと?」
「『賛否両論』すらないのよね……細かく分ければ、確かに色々な意見があるかもしれないけど、大局的に分けたら、良くて『賛否両論』……他の他面的な意見や、全く別方向の別意見というものは無い。」
私は、講義の時の課題を思い出していた。

出された、とんでもない課題に対して、皆は期待や考察ではなく、否定意見ばかりしか出さなかった。
それに怯まずに意見を出した教授は、今の時代にはない人物像だろう。
ただし、その姿は『古臭いもの』としてしか、生徒は認識していない。
正しく、これは日本が、民主主義から全体主義へと変革してしまったのだと、そう確信した。
それだけ、『性別』を縛るということは、その人の無意識の欲求や嗜好を、一旦フラットに、無きものにしてから、好きなように作り上げるということだ。
つまり、強い拘束力と決定力を持った、一種の洗脳である。
ここまで考えると、この国の現状に、ゾッとするような恐怖と嫌悪感を禁じざるを得ない。

「そこまで、深く考えませんでした……勉強になります!」
「まあ……それは兎も角、この絵の醸し出す雰囲気って、何だか好きだわ。」
「どうしてでしょうか?」
「この絵って、正しく『私』の一部を映し出してない?」
「あ……確かに。」
私は彼女の意見に、深く同意した。

彼女は私が見た限り、恐らく元の『女性』という姿で『あろうとしている』。
この世界では流石に、服装や外見までも縛ろうとしてはいない。
彼女の場合は動画を見ても、とにかく『生まれ持った性別』を強く見た目で、美しく映し出そうとしている。
……私も、もしかしたら同じだ。
私は、意識こそしたことは無いが、『可愛くなりたい』という願望を持って、今の外見と性格が形成された。
一昔で言えば、それは『女性らしく』なろうとしているという認識だったと、何処かで聞いた話を合わせれば、合致する。
だけど、私自身は、そういったものを感じたことも、考えたことも無い。
ただ、『可愛く』いたいだけ。

「それにしても、こうして見ると、あなたって本当に不思議。」
「はい?」
「どの『色』にも、あてはまらない……すごく魅力的な、独特の色をしている。」
そういって、彼女は微笑んだ。

最終的に、彼女のオーダーとは少しズレはしていたものの、それが反ってウケて、大絶賛ということになった。
「あなたともっと仕事がしたいわ……今後とも、よろしくお願いします。」
そう言うと、会話中に見せたミステリアスな雰囲気から、イマドキの若者らしい、明るい天真爛漫な女性に戻っていた。
「私こそ、今後とも御贔屓に。」
「ふふふ……イマドキ珍しい言葉遣いですね!」
「これも一応、商売ですので……お話、楽しかったです。」
「ははは……ありがとうございました!」
そう会話を交わして、郵送の手筈を確認して、お互いにモニターを切った。

今後も、彼女に度々救われることなど、このときは夢にも思ってなどいなかった。
私は、荒廃したこの世界で、一筋の希望を見つけた。
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