ラインの向こう側

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6話

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 そろそろ居残り授業を止めようかと衛二は考えていた。生智の成績はじわじわと上がってきている。元々あまりに酷い成績と態度を見るに見かねて始めた補習だ。今の生智なら補習するほどでもない。
 それに、と衛二はため息を吐く。
 生智が「好きだ」と言ってきてからひたすら軽く流してきた。ガンガン行くからと宣言してきた通り、生智は隙あらば好きだと言いながら構ってくる。一応先生と生徒だという自覚はあるのか、人目を憚らない態度は取ってこないのだが、それが余計に「本当だから」という言葉を妙に裏付けてくる気がした。

 本気だとしても、本当だとしても、理解できないだろ。

 生徒のことは副担任でもあるのでそれなりにちゃんと見てきている。生智が同性愛者だという様子は今まで見られなかった。もちろんそうだとしても隠す人が多いだろうが、だからと言って異性と気軽に付き合ったりはしないように思う。
 また、衛二も今まで同性に対しそういう目で見たことがない。どう考えても性別上無理がある。
 とはいえもし生智が女子だったとしても、それはそれで面倒ではある。教師と生徒なのだ。だいたい歳も離れている。少なくとも十歳は歳の差がありそうだ。
 もし教師と生徒でなく、また生智が女性だったとしてもさすがに十代の高校生相手には何もできない上にその気にもなれない。

 ……向こうからしても俺なんておっさんでしかなくないか?

 さすがに自分のことをおっさんだと思うにはまだ二十代なので抵抗があるが、高校生からしたらそう見えそうなものだ。

「一体俺のどこが好きだというんだ……」

 ため息を吐きながら思わず呟いていた。
 生智は未来のある子どもだ。そして衛二はそんな子どもたちをわずかながらでも導く存在である教師だ。
 どうしたものかと思いつつ、やはり衛二が取れる行動としては、生智が真っ当な道へ進めるよう導くこと、要は拒否し続けることだった。

「なぁ先生。好きって純粋な気持ちだろ?」
「ああ、そうだな」
「だったらわかるだろ。相手が教師だとか生徒だとかそんなの関係ないってこと」
「なくはないな」

 居残り授業も最近では凄く真面目な態度で受けてくる。だが終わった後にこうして生智は話しかけてくる。衛二はひたすら素っ気なくあしらっていた。

「何でだよ。大体好きな気持ちは大人も子どもも変わらないだろ」
「変わるよ」
「は?」
「変わる。違うんだ。残念ながらね」

 確かに「好き」という感情は大人も子どもも変わらないかもしれない。だが大人になればなるほど、ただ好きだからというだけで無責任な言動を取ることができなくなる。
 別にそれがいいことだなどとは思っていない。むしろ学生の頃にしていたような恋愛を懐かしく思うし、憧れる。

「……変わらない。少なくとも俺は変わらねーし。そんなもん、先生が勝手に臆病になっただけだろ」

 すると言い返してきた生智の言葉に、衛二は内心少し驚いた。
何も知らない、わかっていない子どものようながむしゃらな気持ちを向けてきているだけだと思っていた。

 思っていたけど……案外わかってたりするのかな。

 自分は変わらないと思っているところは衛二からしたらやはりまだまだ子どもだなと思うが、臆病になっているという考えに関しては否定しない。

「そうかもしれないな。俺は臆病。臆病な大人の、じゃあどこがいいんだ」

 頬杖をしながら生智を見れば、生智は顔を赤くしながら少し逸らしてきた。言いにくいことを聞かれて困ったのだろうかと思っていたら「先生、そんな風に見ちゃ駄目だよ」と言われる。

「何故?」
「だって俺、先生好きなんだからな? そんな綺麗な顔でじっと見られたらドキドキするだろ」

 まさかそう返ってくるとは思っていなかった衛二は少々戸惑った。

 綺麗な顔、とは。

 愛想のない顔と言われたことはあるが、男の、それも十も下の生徒からそんなことを言われるとは、さすがに思ってもみなかった。
 ただそういうことをサラリと口にする辺り、やはり子どもだからかなと少し微笑ましくもある。
 戸惑ったせいで少々心臓の鼓動が乱れたが、衛二はふっと微笑んだ。

「お前は何を言ってるんだろうな。それこそ大人をからかうんじゃない」
「ちが――」
「でも、ありがとう。褒められるのは嬉しいよ」
「せんせ……」
「ただ、それとこれとは別。変なこと言ってないで帰りなさい」

 微笑んだ後に衛二は真顔になってきっぱりと告げた。途端、赤くなっていた生智がムッとした顔を向けてくる。

「変なことじゃねーだろ。つか先生に聞かれたこと、まだ答えてないし」
「聞かれたこと?」
「もう忘れたの? 先生なのに? 言った言葉には責任持たないと」

 お前に言われたくない、ともし基一に言われていたら即言い返しただろう。だが生智は今までどうみてもいい加減な態度しか取ってこなかったようにしか見えないというのに、思い返してもいい加減なことだけは言っていない気がする。一番いい加減だと思ったのが「好きだ」という告白じゃないだろうかと思う勢いだ。
 それ以外だとガンガン行くと言った通り、やたらと構ってくるし本気だということをわかってもらうためだと言ってきた通り、真面目に登校し授業も受けてくる。成績も実際少しずつではあるが上がっている。
 好きだと言ってくる前から、いい加減な回答をしてくる割に言われたことに対しては意外なほどちゃんと対応してきていた。

「本気で質問した訳じゃない」

 結果、言い返した言葉はまるで負け惜しみだと衛二は微妙な気持ちになった。

「何それ。大人のズルい見本ってやつ? 先生臆病なだけじゃなくズルいの? でもさ、それでも俺、先生が好きだから」
「正条……」
「だめだめ、遮ろうとかしちゃ。聞かれたことに答えてるだけだろ。例え先生が臆病でも好きだよ。むしろ余計好きかも。真面目で隙のなさそうな先生の弱点とか、何かかわいいじゃん」
「は?」
「要はさ、好きだってもう思っちゃってるってこと。好きって感情はさ、理屈で説明なんてできなくね? もちろんいくら好きでも嫌いになることだってあるだろけどさ。俺にとっては先生が臆病だとかそういう今みたいなかわいいズルさなんて、欠点にもならないよ」

 衛二は唖然とするしかできなかった。
 その後も顔を合わせればひたすら構ってくる生智に「いい加減諦めろ」とストレートに言ってみたが、逆に「どうしたら俺の気持ち聞き入れてくれんの」と言われた。

「正条は子どもだから無理」
「何それひどくない? そりゃ俺、先生より年下だし学生だけど、ちゃんと努力してるよ?」
「……努力してるのはわかってるし、偉いと思ってる」
「だろ?」
「だけど俺のためにするんじゃなくて自分のためにしろ」
「そんなの。目的がどうであれ、俺、先生が言うように進路もちゃんと考えて大学受験今から目指して勉強してんだろ。なにが駄目なんだよ。つかマジ、なにが足りねぇの? 愛? 愛なら溢れるほどあるけど」

 ああ言えばこう言う。元々頭も悪くないのだろう。その分口も達者だ。
 無茶振りや子供らしい甘さ、そんなものですらまるで正論を言っているかのように堂々と言い放ってくる。
 生智が努力し頑張っているのは衛二もよくわかっている。だからといって気持ちを受け入れる訳にいかない。
 ここのところ、家に帰ってもある意味生智のことばかり考えている気がする。どうせいずれ忘れるのであるならいっそ……と今も考えたところでハッとなる。

 いっそ、なんだ。

 衛二は深いため息を吐いた。
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