絆の序曲

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 聞こえるか聞こえないかといった静かな音楽に、ほんの少し薄暗いというのに観葉植物のせいか全体的な雰囲気のせいかどこか明るさも感じられる、落ち着いたカフェ。
 永尾 梓(ながお あずさ)はそっと微笑んだ。とてもいい雰囲気だなと思う。静かに流れる音楽もとても好みだ。時給だけで考えると家庭教師などのほうがよさそうだが、自分にはこういった仕事のほうが合っている。働いている店員も、皆若いがどこか落ち着いている。今コーヒーを運んできてくれた店員は特に若そうだったが、丁寧な接客だった。コーヒーはブレンドを頼んでいたのだが、酸味がほどほどの、コクに特徴のある味だった。ほんのりとした甘味も感じられる。別にコーヒーに詳しくはないが、おいしいなと思った。

「うん……ここにしよう」

 家へ帰ったら電話を入れて履歴書を用意しようと梓はまた微笑んだ。



「いってきます」

 片倉 灯(かたくら あかり)は弁当を忘れず鞄へ入れるとそう声をかけた。そして妹の恋(れん)に手を差し出す。

「行くよ」

 笑いかけ、繋いできた小さな手を引いて家を出た。
 今日もいつもと変わらない日常が始まる。もちろん、変わらない日常に文句はない。変わらず親子三人で元気に過ごせる日々に感謝すらある。

「はよー」

 玄関先で声をかけられ、灯が顔を上げると友人である永尾 柊(ながお ひいらぎ)が立っていた。

「ひーちゃんだ!」

 灯が挨拶を返す前に恋が嬉しそうに叫ぶ。そして灯と繋いでいた手を離して柊に抱きついた。柊はそんな恋を抱き上げて笑顔になる。

「れんちゃんおはよ」

 灯は離された手に苦笑しつつも、そんな光景をニコニコ見ていた。
 その後保育園に恋を預けてから、灯は柊と一緒に学校へ向かう。歩きながらふと思った。

 ……れんに向けたシュウの笑顔、クラスの連中が見たら卒倒するんじゃない?

 そうして普段は無愛想な柊を見た。

「……何だよ」

 視線に気づいた柊が不思議そうに灯を見てくる。

「何でも」

 灯はクスリと笑って誤魔化した。柊は少し困ったような表情で首を傾げてくるが、気にしないことにしたのか歩きながら今日にある小テストのことなど、他愛ない話をしてきた。
 柊のことを「ひいらぎ」ではなく「シュウ」と呼んでいるのは、知り合った最初の頃に読み間違いをしたところから来ている。柊はシュウと呼ぶことに最初は微妙な顔をしていたが、最近は全然気にもしていないようだ。
 背がスラリと高い柊の髪が、今日も所々がピンと跳ねている。それを指摘すると「こういうスタイルなんだよ」とムッとしたように返ってくるのがわかっているので何も言わないが、灯はそっと笑った。

「だから何だよ」
「何でもない」

 笑いながら言うと結局ムッとした顔をされたのでまた笑った。

「気になるだろ」
「恋はシュウのこと大好きだなあって」
「れんちゃんかわいいよな」
「うん、ありがとう。それにシュウも恋のこと大好きでいてくれて嬉しいなって」
「……何だよ」

 今度は照れたようだが、柊はまたムッとしたような顔をしていた。
 柊は女子にそれなりにモテているのを灯は知っている。背が高いし頭がいいし、運動もできる。もちろん顔も整っている。
 ただ整った顔立ちではあるが柊の目つきが少しキツいからか、それともやはり無愛想だからか、基本的に周りからは無口で少し怖い人だと思われている節がある。
 確かに無口気味ではあるが、本当は真面目で優しい。灯の妹である恋のことも凄くかわいがってくれる。改めて、柊が友人でよかったなと灯は思った。
 昼休みになると弁当を柊と食べた。基本的に灯はいつも弁当を作っている。恋は保育園で出るのだが、働きに出ている母親の分と一緒に用意することは習慣になっているので特に苦ではない。中身も別に凝ったものではなく、昨夜の残り物や冷食も積極的に使う。

「それ、旨そうだな」

 鶏のささみをシソの葉で巻いてフライにしたものを柊がじっと見てきたので「一個あげるからシュウの卵焼き代わりに一個くれよ」と笑いかけた。柊のおばさんが作る卵焼きは何気に好みだった。
 昼食後、灯は一人で屋上へ来た。屋上は基本的に立ち入り禁止なのか、いつも人は滅多にいない。たまに誰かいることもあるが、大勢で賑わうことはなかった。今日も誰もいないようだ。灯は日陰に座ってノートを広げ、ペンを取る。よし、と思ったところで「アカリ、何してんだ?」と声をかけられた。あわてた灯は咄嗟にノートを背に隠す。当然、あからさまな様子に声をかけてきた主は興味を持ったようだ。

「ん? お前今何隠したんだ? 見せろ」
「シュウ、いきなり現れんのやめてよ」
「悪い。そして見せろ」
「何それ! ちょ、駄目だって!」

 口だけで謝りつつ、柊はニヤリとしながら灯に抱きつくようにして後ろに手を回してきた。柊より断然低い灯に為す術もなく、簡単にノートは奪われた。
 灯の体に倒れ込むような体勢になっていたことに気づいた柊は慌てて体を起こしてくる。

「ごめん、怪我してねえか」
「うん、それは大丈夫だけど……」

 大丈夫だけど返して。

 そう灯が思っていると、柊もちゃっかりと手にあるノートに改めて気づいたようだ。

「ノート……? 何々」

 好奇心に満ちた目で柊はノートを開く。灯は真っ赤な顔になって柊を睨むように見つめた。カエセ、と目で訴えるも柊は気にせずノートの中身を見る。

「……? 詩……?」
「ま、まあ」

 例え柊であっても知られたくなかった灯はどもりながら柊を見る。今にも頭が沸騰しそうだった。

「……と音符……」

 楽譜だけどね! と内心言いながらも灯はさらに顔が熱くなった。恥ずかし過ぎて、今なら死ねるかもしれない。いや、死にたくはないのだけれども。
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