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 実央はドアの前で体を震わせていた。もちろん恐怖でも緊張でもない。いや、緊張はあるのかもしれないが、主に喜びでだ。
 だって仕方ない。小学生の頃からずっとずっと好きだった人との同棲生活がこれから始まるのだ。そんな状況に震えない人なんているだろうか。
 その人を好きだと思うようになってからもう十年くらい経つ。これから同棲するその人は岬 実央(みさき みお)が高校二年の時にようやく思いが実って晴れて恋人となれた相手だ。幼馴染とはいえ六歳年上で、付き合った当時は社会人になりたてだった。実央と同じ男であり、それはもうずるいくらい恰好がいい。小学生の頃から憧れ、好きになるのも仕方なかった。
 宮野 貴(みやの たか)という名前で、まずとても背が高い。百八十は間違いなく余裕であるだろう。多分、辛うじて百六十はあるのではないだろうか、といった実央と雲泥の差だ。そして本当に正統派イケメンといった、その上穏やかそうな優しい顔立ちをしている。モテていたのも幼馴染だから知っていた。だから余計に付き合うなんてあり得ないと実央は思っていた。
 第一、高校を出てからずっと貴は実家を出て東京で一人暮らしをしていた。会いたい時に会えない距離だ。
 見た目は実央も綺麗な顔立ちだと言われることもあるにはあるが、ただでさえ背が小さい上に貴より六つも下なのだ。大人になってからの六歳差は大したことないと親に聞いたことがあるものの、子どもの六歳差はかなり大きい。それだけでもモテる貴が実央を相手になどしてくれないであろう理由になる。現に実央が生まれた時、貴はすでに小学生だった。赤ん坊だった実央のこともよく覚えてくれていたようで、その頃からずっとかわいがってくれていたらしい。嬉しいしありがたいことではあるが、ずっと弟のような扱いを受けてきた。
 遠距離や見た目や年齢差を抜きにしても何より期待するだけ無駄だろうと思わせられたのは同性であるということだ。世間ではマイノリティであるだけにこれが付き合うなんてあり得ないと思う理由ナンバーワンだった。
 その後幸せなことに恋人という関係になれたが、貴は実央に何もしてこなかった。最初はキスすらしてくれなかった。ただでさえ気軽に会えないというのに、これはもしや恋人となったと思っているのは自分だけであり、ただの勘違いだろうかとさえ思ったりもした。しかし喧嘩、とはいえ一方的に実央が機嫌を悪くするだけではあるが、喧嘩したりしてようやく理由がわかった。

「みぃのこと、大好きだよ。そりゃ確かに昔は弟のように愛しかったけど、今はちゃんと恋人として好き。嘘じゃない。でもね、俺は大人だけどみぃはまだ未成年だから手、出せない」
「何で。俺がいいって言ってんのに?」
「けじめ、かな。大好きなんだ。ちゃんと。大切で大好きな子だからこそ、いい加減なこと、したくない」
「……俺、男だから傷つくとか、そーいうのねえけど」
「男だからとか関係ない。第一みぃのことを好きになって悩んだりもしたけど、自分の中で認めた時点で男だからとか女がどうとか考えてない。ごめんね。わかって。それに体の関係がなくったって、俺とみぃはお互いかけがえのない相手で恋人だと思ってる。みぃはそう、思ってくれないの?」

 正統派イケメンに見つめられてそんなことを言われて平然とできる人なんているはずがないと実央は思った。熱くなる顔がみっともなくないよう、唇を尖らせながら顔をそらした。

「みぃ」
「……わかったよ。仕方ねえから言うこと、きく。その代わり俺の言うこともきいてよ」
「何?」
「俺、来年東京の大学、受験する。絶対に受かるから、そしたら絶対俺と一緒に暮らして」
「……うん。いいよ」

 貴は実央の胸がぎゅっと潰れそうなほど甘くて爽やかでいて切なくなる笑顔で頷いてくれた。
 そして今に至る。
 体を震わせても仕方ない。ようやく、ようやく実央は貴とずっと一緒にいられるし、そして貴は実央に手を出してくれる。一緒に住むのだ、きっとこれから毎日が蜜月になる。
 親は貴と一緒に住むと聞いて諸手をあげて賛成してくれた。むしろこちらからお願いしたいとまで言っていた。

「実央が東京で一人暮らしするなんて、絶対心配すぎるからね」
「……貴にぃと一緒に住めるのは俺もありがたいから別にいいけど、さ。何で絶対心配なんだよ、失礼だな」
「よく言うよ。何も料理、できないくせに。掃除とかだってちゃんとできんのかどうか。洗濯の仕方すらわかんないでしょ、あんた」
「ネットで調べたらどうにかなるし」
「なるもんですか。ほんとにもう。何でこう、甘えたな末っ子気質になっちゃったんだろね」
「甘えたじゃねえし……! 馬鹿にすんな。末っ子なのは変えようねえけど甘えてなんかねえし!」
「すぐムキになるし。猫みたいに威嚇してないで、さっさと上京する準備しなさいよ。あと貴くんに渡すお土産も忘れず持ってってよ」
「お母さん買いすぎ。うざい」
「ああもう、ほんとあんたみたいな子、外に出すの心配だわ。ほんと貴くんいてくれてよかった」
「うざいって言っただけで何でだよ!」

 そんなやり取りを思い出して微妙になりつつ、実央は震える指でようやくインターホンを押した。

 ああ、本当にこれから、貴にぃとの蜜月同棲生活が始まるんだ……。俺、もう明日には童貞、じゃねえな、処女? 男でも処女でいいのか? 何しかそれじゃなくなってんだな。ようやく……とうとう……俺は貴にぃと……!



 そう思っていた時もありました。

 実央は手慣れたやりかたで洗剤を洗濯槽の左上にあるポケットに入れると閉めて、スタートを押しながら少し遠い目になった。
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