緋の花

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76話

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「秋星、いいから飲め!」
「いらん、言うてるやろ……」
「飲め!」
「嫌や!」

 抱きしめたままの邦一を秋星は引き離した。まだ力もちゃんとある。まだ大丈夫だ。そう思っていると邦一が秋星をつかんできた。そして布団の上に倒してくる。
 力ずくなら例え血を渇望していても負ける訳がない。まだ弱りきるところまではいっていない。ムッとしながら秋星が邦一を退かせようとする前に、邦一は何故か秋星が着ている着物の帯を解いてきた。

「クニ?」

 怪訝に思い呼び掛けるも、邦一は少し怒ったような表情のまま帯を解くと、今度は着物をはだけさせた。
 自分の裸体を見られようが今更気にもならないが、この状況が分からなさ過ぎて戸惑いを隠せない。何のつもりだと言いかけたところでのし掛かられてキスをされた。

「な、ん、っぅ?」

 合わさった唇の間から舌が差し込まれる。ぬるりとした感触に、訳がわからないままだというのに秋星は自然と受け入れ自ら絡め取った。
 今まで血を飲むためも含め何度も口付けをしているが、邦一が主導権を取ったことはない。そのためかそろそろ慣れてきているはずのキスがとてもぎこちないのだが、むしろそれが秋星にとって愛しさを増す。血を渇望してはいても昨日はまだ冷静にできていたキスを、今はできそうになかった。
 夢中になってぎこちないキスを受け、そして返す。唾液のやり取りに満たされ、興奮する。すると邦一の手が秋星の体を探るかのように滑ってきた。手の動きがまたぎこちないのだが、節くれだった指が愛しくて色んな気持ちが秋星の中の小部屋から湧水のように溢れ出てくる気がした。さざ波のようにじわじわと湧き起こる情欲と、涙ぐみたくなるような愛しさに胸が押し潰されそうになる。ふ、ふ……、と堪えきれない吐息が漏れる。
 感覚を研ぎ澄ませたくて、邦一の指が辿る筋をあえて見ずに脳内で追った。だがその指が秋星の下肢へとじわじわ進んで行くのに気づくとまた思い出したように戸惑った。

「な、なぁ、なぁって!」
「……何」
「っ、ん……、どーゆーつもりやねん、何なん……、っちょおっ」

 どういうつもりだと言っている間も邦一の手は止まらずゆっくりと動いていく。秋星ならその手を止めることは容易い。だが止めたくない。
 だが、訳がわからない。
 涙を飲むかのように勿体なく思う気持ちをグッと堪え、秋星は邦一の手首をつかんでジロリと睨んだ。

「クニにされるなんてな、希少価値高過ぎて止めたないけど、意味わからんままいいように体弄ばれんのは性に合わんねん」

 今ほど自分のプライドなどへし折れてしまえばいいのにと思ったことはない。だが仕方がない。
 邦一はというと、小さくため息を吐いて囁くように呟いてきた。

「お前が飲みたくなるように」

 言葉の続きを待ったが、どうやら続きはないようだ。

 飲みたくなるように。
 血のことだ。

 飲みたい。
 飲みたい。
 飲み、たい。
 プツリと優しく皮膚を裂いてプクリと溢れ出るものへ舌を這わせたい。

 秋星はフルリと首を振った。

「……何やそれ」
「何やって、そのままだけど」
「お前いつも飲まれるんそんな歓迎してへんやん。やのに俺がいらん、言うたら飲めって、ツンデレか」
「……は? ツン……? 何言ってんのかわからんけど、いつもはやたらと飲みたがるだろ。なのに……、……俺は倒れないから……頼むから飲んでくれよ」

 最後は少し掠れるような声で懇願してきた。その様子に秋星の胸が軋む。自分を心配してくれているのだろうか。そう思うと胸が甘くて痛い。
 だが秋星は邦一が心配だった。

 いや、違う。

 邦一は大丈夫だと言っているのに必要以上に怯え杞憂している自分の勝手な押し付け感情だ。それこそいつも勝手に好きに血を奪っていたくせに。

「……俺はワガママで勝手やねん」
「そんなの知ってる」
「そこは俺に仕えてんのやったら否定したるとこちゃうんか」
「お前みたいな勝手な主人、俺も好きに対応するに決まってるだろ。いいから飲め」
「……怖いねん」
「……だから俺は」
「お前が倒れるかもしれんだけが怖いんちゃう……」

 そう、そうだった。
 邦一が倒れるのが怖い。
 邦一が死んでしまうのが怖い。
 実際血を飲むことだけではそんなことにならないと頭でわかっているのに怖いのはトラウマ的な感情のせいだと思っていた。
 それもある。
 だがそれだけじゃなかった。

「お前が……俺に対して怯えてしまうんも……怖い……」

 あの怯えた目。
 誘拐されたあの日、秋星の本当の姿を見た邦一のあの怯えた目。

 俺はほんまに自分勝手や……。

 邦一に事件のことを思い出させる必要はないと思っているのは邦一のためだ。それは嘘じゃない。心から思っている。
 だがそれとともに、思い出した邦一が秋星をどんな目で見るのかと思うと怖くて堪らない。
 だから今も怖いのだ。ヴァンパイアの正体くらい、今の邦一なら怯える訳がないとわかっているが、あの時を思い出した邦一がどう思うかはわからない。秋星ですら未だに邦一の死を恐れているのだ。潜在的なことで意識を失った邦一が当時を思い出してどんな目で秋星を見るかなんて秋星にわかるはずがなかった。
 倒れてしまったことで邦一の死を身近に感じて怖いだけでなく、あの事件のせいで潜在的にトラウマとなっているのであろう邦一が吸血行為にまた倒れ、それをきっかけに思い出してしまったら──

「何で俺が今さらお前に対して怯えるんだよ」

 邦一が戸惑ったように秋星を見ている。

「秋星に初めて餌的な対象として見られた時に俺がちょっと怖がったからか?」
「餌……」
「間違ってないだろ。あと、得体の知れん雰囲気に怯えたくらい仕方がないって思ってくれよ。まだまだ子どもだったんだぞ。別に今はお前のこと、これっぽっちも怖くない」
「……」
「さんざん好き勝手しておきながら」

 邦一はため息を吐きながら、秋星にまた軽くだがキスをしてきた。そのまま秋星のものをそっとつかみ、ゆるゆると扱いてくる。

「ク、」

 クニ、と言いかけた秋星の唇にまたキスをしながら邦一は少し微笑んできた。

「お前が怖かったらこんなこと、できないだろうな」
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