満月の夜

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73話

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 改めて、変なものを感じ取る体質でもあるのかなと馬鹿みたいなことを考えていると「ひろくん」と名前を呼ばれた。

「なに」

 ハッとなり返事をする。

「赤い月は俺の想像に過ぎなかったのかな。ただ大きな満月だけだったのかな」

 別にこれに関しては言っても差し支えないだろうと海翔は思った。赤い満月の時は魔界でも力が高まるらしいが、別に赤い月自体に直接魔界もワーウルフも関係している訳ではない。
 こちらの感覚では科学現象に過ぎない。月時たちの捉える月と自分たちの捉える月は違うのかもしれない。例えば月が出たばかりもしくは沈む直前で地面に近いところにある場合に赤く見えることがあるらしい。夕焼けや朝焼けの原理と同じだ。
 大気は低い位置程厚く、上に行けば行く程薄くなる為、地平線近くに月があると月からの光が分厚い大気の中を通過することになる。その時、青い光は届きにくく赤い光が届きやすいので人の目には赤く見えるのだ。
 もしくは大気中に水蒸気やちりが多い時も赤く見えるらしい。その際も分厚い大気を通るのと同じように月の光が散乱されてしまい、赤い光だけが人の目に届くのだ。

「ううん。俺も見たよ。赤かった」

 輝空が言うように、海翔もあれ以来あそこまで赤い月には出会ったことがない。それなりに赤い色をしている月は幾度か見ているが、本当にあの日の月は特別だった気が今でもしている。

「凄く赤かったよね。というかピンクがかってた。やっぱり俺の想像じゃなかったか。なのにそれをわざわざ見ようと一人で夜抜け出すんだからひろくんって凄いよね」
「……月が気になって他のこと考えてなかった」
「……ひろくんらしいよ」

 ふ、と少し笑う気配がした。そして改めてギュッと抱かれる。

「そんで後で怖くなっちゃうとこもね。……ひろくん、いつも後からくるんだから」

 その言葉に海翔はそっと唇を噛み締める。

「なのに絶対後悔はしないとこもね、俺は凄いなって思うよ……」

 声がだんだんフェイドアウトしていく。海翔はまた涙が落ちそうになり、輝空の腕の中で動かず暫くじっとしていた。

 そうなんだ。

 後から凄くやってくる。ちゃんと分かっているつもりで、その上で選択したことであっても。
 今までもこうして時折家族とゆっくり過ごしてきたというのに、と海翔は目を閉じた。

 兄さん……兄さん、ごめんね……。

 心の中で何度も謝った。それでもやはり、輝空も言うように後悔はしていない。
 だがそれでも今だけは、と海翔は恐らく腫れるであろう目を明日の朝輝空になんと誤魔化そうかと思いつつも流れるままに涙を流した。
 翌朝は案の定腫れぼったい目を輝空は心配してきたが、ひたすら「うつ伏せだったからかな」などと適当に流しておいた。
 数日に渡って、後悔はしなくとも家族を思って気持ちが塞いでいたが、なんとなく持ち越した気がした。持ち直すではなく持ち越す、だ。
 先延ばしにしているつもりはないが、実際また本契約を結ぶ時に海翔は激しく落ち込む気がする。こればかりは仕方がないし、むしろ落ち込まないほうがおかしいんだと自分に言う。
 ただ、今は乗り越えたような気分だった。昨日のキャンセル分を取り戻すべく、彼女に会いに行った輝空を苦笑しながら見送ると、海翔はスケッチブックを取り出した。俯瞰の絵は月時にあげたいと思いながら描いていた。それはもう仕上がっている。今からはゆっくりと時間をかけ、愛情を込めて兄を描こうと海翔は思った。
 家族を描くのはさすがに切ない。そこに自分が居ない絵は切ない。かといって自分の絵を描く訳にいかない。

「……そういえば俺の持ち物とかって本契約した後ってどうなるのかな……」

 ふと疑問に思って呟いた。また月時に聞いてみようと思ったところで、そういえば今日は特に予定が無いし親も出かけている。そして輝空もデートに出かけたんだと改めて気づく。

 これって。

 少しだけ口をアヒル口のように歪めながら考えた後で、海翔は月時にメッセージを送った。

『今から俺の家に遊びに来ないか?』

 気づかなければそれはそれで、と思っていたら速攻返ってきた。

『行く! 凄く行く!』

 日本語……、と思わず呟きながら微妙な顔になる。だがすぐに笑みを浮かべると『待ってる』とまた返した。
 待っている間、じっとしているのも落ち着かなくてなんとなしにシャワーを浴びてみる。そんな行動を自ら取っている自分にそして微妙になった。

 ……ヤる気満々か。

 そんな風に自ら突っ込みつつも気づいたことがある。実際するかしないかは別として、ローションどころかコンドームすら持っていない。ハッとなり月時にメッセージを送ろうとして躊躇する。

 ……なんて送るんだよ。「ゴムとローション買ってきて」か? ヤろうと宣言しているようなものじゃないか。

 悠音には「遠慮や配慮が足りない」と言われることもあるが、さすがにこれは遠慮してしまう。自分は男なので淑女ぶるつもりはないが、さすがに堂々と言う程ではない。

「……まぁ、仕方ないか」

 絶対ヤりたいという訳ではない、と思う。それらがなければ無理なので次の機会にと思うしかない。男同士について全然詳しくはないが、ローションがないと難しいことくらい分かっているし、後ろの穴を使うならコンドームも絶対必要だと思っている。

「……ところでもしするならどっちなんだろうな」

 改めて思った。ただ、やはりなんとなく自分が受け入れる側のような気はしている。キスやその他の行為でも、受け入れる側の落ち着かなさと心許無さは半端ない。だからこそ、それを月時に味わわせるよりは自分が受けようと思った。挿入なら尚更のような気がする。
 男相手というのは今更もう気にならない。自分もそして月時もお互いがお互いに対して勃つのは恐らく間違いない。ただ実際の行為を考えると、やはり自分が頑張って受け入れよう、と思う。

「……まあ、どのみちアレらがないと無理だし……」

 もしかしたらコンドームくらいなら輝空の部屋にあるかもしれない。分からないが。ただ兄のを拝借するというのもなんとなく居た堪れない気分になりそうだし、どのみちローションがないと話にならない。初めてだというのに、さすがにサラダ油やオリーブオイル、ハンドクリームなどで試すのは嫌だ。
 ひたすらぼんやりと考えているとチャイムの音が聞こえた。そこで我に返って、そんなことを考えるくらいなら少し部屋を片付けたら良かったと微妙に思った。

「今開ける」

 インターホンのカメラで月時だと確認するとそう告げ、海翔は玄関へ向かった。ドアを開けると中に入ってきた途端、月時に抱き着かれる。海翔は微妙な顔をしながらそんな月時を引きはがした。

「なんで」
「あんたはもう……。こんなとこ親に見られたらどうすんだよ」
「そっか、ごめんなさい。お父さんもお母さんも奥に居るの?」
「いないけどね。皆留守だから」
「……」

 月時が変な顔をしながら海翔を見てくる。だがその後で「二人きり!」と嬉しそうに言いながら、また抱きしめてきた。
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