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婚約者として

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「これは蒼井さん、お久しぶりです。そちらはお嬢さんですか?」

「玉木さん、ご無沙汰しております。はい、娘の華です」

「蒼井 華と申します。初めまして」

やってきたパーティー当日。
私は新調したネイビーのフォーマルドレスに身を包み、父さんと挨拶して回っていた。

「初めまして。お父上とは古いつき合いの、玉木不動産の玉木です。いやー、素敵な娘さんをお持ちですな、蒼井さん」

「いえ、そんな。男手一つで育てましたので、女性らしさがあまりない娘でして…」

「何をおっしゃいますやら。奥ゆかしくて清楚な雰囲気のお嬢さんじゃないですか」

ぶっ!と私は吹き出しそうになる。
そちら様こそ、何をおっしゃいますやら。

まぁ、いつもの私は封印し、顔に愛想笑いを貼りつけておとなしくしているから、思惑通りと言えばそうなのだが。

なにせ、キモ川常務が現れたら、私は婚約者として挨拶して回ることになる。
 
来るなら来い!と既に戦闘態勢に入っていた。

それにしても、なんと広い会場なのやら。

ホテルの上層階にあるバンケットホールに、数百人のゲストが集まっていた。

「ねえ、父さん。こんなに人が多いと、下川常務がいらっしゃるかどうか分からないんだけど」

ウエイターが配っているシャンパングラスを受け取り、少し口にしてから父さんに話しかける。

「すれ違いで会えないってことはない?」

「それなら心配ない。下川社長は今夜スピーチで登壇されるからな。常務がいらしたら、一緒に紹介されるだろう」

「そう。じゃあとにかく相手の出方を見るってことね」

気合を入れようと、私はグラスを一気に煽った。

*****

やがて時間になり、私は父さんと一緒に丸テーブルに着く。

主催者の挨拶と乾杯の後、しばし食事の時間となり、今のうちに腹ごしらえをと、ひたすら美味しい料理を堪能した。

「華、おい、華!」

ん?
どうやら食べるのに夢中になっていたらしい。
父さんに肩を叩かれて我に返る。

「ほら、下川社長が挨拶されるぞ」

おお、お父様が。
よくお顔を拝見しておかねば。

ステージに注目すると、品の良い白髪混じりの男性が、笑みを浮かべながらマイクの前に歩み出た。

おや?キモくない。
キモ川じゃないわ、お父様は。

「えー、皆様こんばんは。只今ご紹介にあずかりました、下川グループ代表取締役の下川 あつしでございます」

声もダンディ。
しゃべり方も大人の余裕が漂う。
さすがは大企業の社長だ。

ほんとにキモシとは親子なの?  

そう思っていると、お父様は建築や不動産業界の益々の発展を祈念すると述べたあと、少し口調を変えた。

「実は今夜は、我が下川グループの次期代表となる愚息を連れて参りました」

え、来てるの?

お父様の視線を追うと、前列の中央のテーブルにスーツのキモシと和服のママの姿があった。

「清、ご挨拶なさい」

お父様がマイクで促すと、キモシは、ええー?と間延びした大きな声を上げる。 

「やだよー。何話せばいいんだよー」

うわっ、相変わらずだ。 
どうする?お父様。 
無理なんじゃない?

他人事なのにハラハラしてしまう。 

「清、これからお前が仕事でお世話になる方々だ。きちんと自己紹介しなさい」

おおー、引き下がらないのね、お父様。

「清ちゃん、ほら。お名前を言うのよ。最後によろしくお願いしますってお辞儀してね」

お母様、ささやきましょう。

「えー、もう、仕方ないなあ」

そう言うと、キモシはノロノロと立ち上がった。

「下川 清でえす。よろしくお願いしまあす」

鼻にかかった締まりのない声。
語尾を上げて名前を名乗ると、最後にペコッと形だけ頭を下げた。

会場内にかすかなざわめきが広がる。

ニヤニヤと意味ありげに笑いながら、隣の人と何やらコソコソ話すゲスト達。

ステージには、まだお父様がいるのに!

私はなぜだか悲しくなった。

*****

「初めまして、下川社長。わたくしは蒼井 華と申します」

歓談の時間になると、私は真っ先にお父様に挨拶しに行った。

「やあ!君が華さんか。初めまして、清の父の篤です。今夜はよく来てくれたね」

「こちらこそ、お招きありがとうございます」

「いやはや、なんとも素晴らしいお嬢さんですね、蒼井さん。本当にうちの清に嫁がせてくれるのかね?」

「あ、いや、その…」

父さんは、苦虫を噛み潰したような顔でしどろもどろになる。

先程の清の態度を見て、どうやら頭の中が真っ白になったらしい。

もしかして変わり者なのか?と予想していたが、まさかここまでとは思っていなかったようだ。

「華、お前本気で結婚する気か?!」と肩を掴んで揺さぶられたが、私の意思は変わらない。

むしろお父様のお人柄をうかがい知ることができて、少々安心していた。

お父様になら、私の要望も聞き届けてもらえるだろう。

「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。君には心から感謝するよ。何不自由なく、毎日を楽しく過ごしてもらいたい。何でも相談してきてください」

「はい、ありがとうございます」
 
深々とお辞儀をすると、観念したのか父さんも隣で頭を下げる。 

「ほら、清。華さんを皆さんに紹介して差し上げなさい」

「ええー、なんで?」

「馬鹿者!お前のフィアンセになってくれた女性だぞ?きちんとエスコートしてご挨拶して来い」

一喝されて、清は渋々立ち上がる。

「こんばんは」

私が声をかけても憮然としたままだ。

「清!」

またお父様の鋭い声が飛び、分かったよ!とヤケクソに返事をする。

私は彼の隣に並び、近くのテーブルの人に挨拶して回った。

黒子はもちろん、ママだ。

「ほら、清ちゃん。こちらの方々にご挨拶は?」

「下川 清です。初めまして」 

続いて私が挨拶する。

「蒼井 華と申します。お目にかかれて光栄に存じます。どうぞよろしくお願いいたします」

そのセリフを繰り返しながら、少しずつテーブルを移動していく。

「清ちゃん。華さんをエスコートしなきゃ」

「なんだよ、それー。やり方知らない」

「華さんに手を貸すのよ」

「どうやって?」

「いいから。とにかく手を差し伸べて」

清は仏頂面のまま、私に投げやりに左手を差し出す。

その手に自分の右手を載せようとした時だった。

パンッ!と音がして、私に差し出されていたクリームパンみたいな手が弾かれる。

顔を上げると、誰かが私の前に立ちはだかり、清の手を払い除けていた。

「華さんに触れるな」

「はあ?誰だよ、お前」

黒子ママが後ろで小さく叫ぶ。

「あなた、空我くうがホールディングスの御曹司の…」

え?空我ホールディングスって、不動産からデパート、銀行、旅行会社まで手広く手がける、日本のトップ企業の?

そんな人がどうして私の名前を?
いや、この声…
どこかで聞いたことあるような?

「なんでお前が邪魔するんだよ!」

「こちらからも質問したい。あなたはこの女性の一生を背負う覚悟がおありですか?自分の生涯をかけてこの方を幸せにすると約束できるのですか?」

「はあ?何言ってんだこいつ」

「それはこちらのセリフです。結婚するとはそういうこと。親に言われて仕方なく従ってきたあなたの人生に、輝かしい未来あるこの女性を巻き込むのがどれほど罪深いことか、それすらも理解できないのですか?」

「そんな長々しゃべられたら、わかんねーよ!」

「それが答えですね。あなたにこの女性と結婚する資格はない」

会場中が静まり返り、ニ人のやり取りを聞いている。

やがてお父様が近づいてきた。

「久しぶりだね、翔平しょうへいくん」

「下川社長、ご無沙汰しております」

「お父上は、今ミラノでしたか?」

「はい。代わりに今夜はわたくしが参りました。父も下川社長にはくれぐれもよろしくと申しておりました」

「そうか。またお会いする時には、色々お話をさせてもらうよ。ところで君は、華さんとお知り合いだったんだね」

「はい」

え?そうなの?!
翔平なんて知り合い、いたっけ?
『世界の翔平』なら知ってるけど、素敵な奥様と結婚されたわよねえ。
うっとり…

「君の言った通りだよ。うちのドラ息子に華さんをお嫁にもらう資格はない。私もようやく目が覚めた。会社も清には継がせない。血縁関係のない社員から選ぶとする」

あなたっ!とお母様が驚いたように止めるが、お父様は気にも留めない。

「華さん、ご迷惑をおかけしたね。妻と私は政略結婚で、互いに気持ちがないまま結婚してしまった。寂しさを紛らわすように、妻は一人息子の清を甘やかし、結果としてこんなにも世間知らずな人間に育ててしまった。全て私の責任だ。これからは、家庭をしっかりかえりみるよ。君まで巻き込んでしまって、本当にすまなかったね。でもここで踏みとどまれて良かった。どうか幸せになってください」

「お父様…」

最後にお父様は、私の父さんに声をかけた。

「蒼井さん。お嬢さんを幸せにできるのはうちの息子ではない。翔平くんと華さんの幸せを、陰ながら私も願っていますよ」

「下川社長、そんな…。何と申し上げてよいのか」

「父親なら、娘を幸せにしてくれる男性に託さなきゃ。翔平くんなら間違いない」

すると『世界の翔平』ではない、日本の翔平が父さんに口を開いた。

「初めまして、久我 翔平と申します」

「ギャー!!久我くん?」

ジロリと久我くんは、私を振り返る。

「このシーンで、そんなバケモノ見たような声出さないでくれる?」

「だ、だって、驚きすぎて声が出なくて…」

「充分出てるよ」

仕立ての良いスリーピースのフォーマルなスーツに、綺麗に整えられた黒髪。

こんな久我くん、見たことない。

ポカンとしていると、久我くんはまた父さんに向き直った。

「結婚を前提にお嬢様とおつき合いさせていただきたいと思っております。お許しいただけるでしょうか?」

「ええー!聞いてないんですけど?!」

「華さん、ちょっと黙ってて」

 またジロリと視線をよこす。

「どんな時もそばでお嬢様をお守りし、必ず幸せにいたします。大切なお嬢様をこの先もずっと愛し続けます。どうか私達の結婚をお許しください」

「ちょっと、久我くん!どうして先に父さんにプロポーズするのよ?」

ジロリ…、いや、久我くんがまた睨んできた。

「お父さん、申し訳ありませんが、一晩お嬢様をお借りしても?」

「はっ?借りるって何?」

ジロリはもうキリがないと諦めたらしい。
私を振り返らず、父さんの返事を待っている。

「そ、そんな。私はもう、何も言えません…。どうぞお持ち帰りください」

「父さん!おかしいでしょ?」

「ありがとうございます。また後日、改めてご挨拶に伺います。今夜はこれにて、失礼いたします」

翔平=ジロリ=久我くんは、最後に会場のゲストを見渡した。

「皆様、お騒がせいたしました。このあともどうぞ楽しいひとときを。我々はここで失礼いたします」

深々とお辞儀をする久我くんに、わあっと拍手が起こった。

「行くぞ」

私のウエストを抱いて歩き始める久我くん。
ちょっと!どさくさ紛れに何やってんのよ!

ゲストの皆様が花道を作ってくれ、お祝いの言葉をかけてくれる。

「おめでとう!」
「お幸せにね」

いや、あの、どうも。
これまた、どうも。

仕方なくペコペコしながら、私は久我くんにガッチリ腰を抱き寄せられたまま、会場をあとにした。
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