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レベッカ・ロルフの章
空には光 大地に水を その心に強さを
しおりを挟むレベッカの身体に異変が起きたことを最初に気付いたのは、夫のロルフだった。
ロンドン到着後、絶え間なく人に会う生活を続けていたレベッカが、ふとした時に咳込むようになっていた。顔色も優れず、一晩休んでも疲れが取れなくなり、ロルフやトマス以外に誰もいなくなった時等に、時折苦しい表情を見せるようになった。
「医者に診せた方が良い」
「大丈夫。汚れた空気と毎日の緊張した生活のせいで少し疲れているだけだから」
ロルフの言葉に、レベッカは大丈夫だと気にする風でもなかった。ロンドンとそこにいる人達に対する好奇心、そしてロルフの農園経営を楽にすることに繋がるバージニア会社の為にと、彼女は無理をして毎日を過ごしていた。全ては愛するロルフの為であった。
だが五ヵ月、六ヵ月と経ち、凍り付くようなロンドンの厳しい冬が訪れると、彼女の病状が次第に悪化した。
「ポカホンタス、君は働き過ぎなんだよ!少し休んだ方がいい」
「レベッカ、具合が悪いんなら無理しちゃ駄目だ!このロンドンで来る日も来る日も知らない奴らと会って、殆ど休んでなかったじゃないか!」
トモコモやリノも彼女の異変に気付き、心配するようになったが、容態が回復する気配は一向になかった。それでもレベッカは休むことなくスケジュールをこなし続けた。
咳は酷くなり、呼吸が心なしか困難になり、嘗ては美しい小麦色をしていた肌は艶をなくしていた。それでも彼女は自分の役割を果たそうと努力した。イギリスの全てを一年の間に吸収しようとしていた。
しかし、それも長くは続かなかった。 レベッカが遂に倒れたのだ。
★
トモコモは、空気が澄んだ静かな土地に身を置けばレベッカの体調も少しは良くなるのではないかと考えて、ロルフに進言した。
彼の願いを聞き入れたロルフは、ロンドンから北へ九マイル程に位置するプレントフォードにあるノーサンパーランド伯爵の館に移ることにした。その頃ロンドン塔に幽閉されていた伯爵とは、ローリー卿の紹介で塔の中で一度会っていた。
彼は、スミスがポカホンタスを捜し出そうと思い立って評議会議長の職を譲ったあのパーシー暫定議長の長兄である。脱走の際に瀕死の重傷を負ったスミスに対して反逆罪を問う裁判を起こし、彼の帰国を遅らせたパーシーの兄だった。レベッカはスミスを死に追いやったとも言える男の兄の家に身を寄せることになったのだ。
だが、ロンドンを離れたもののレベッカの症状は回復するどころか悪化するばかりだった。彼女を診た医者が、レベッカが寝ている部屋を出てロルフに小声で言った。
「奥様は、結核ではないかと……」
当時のイギリスでは、それは死の宣告にも近い。ロルフは眉一つ動かすことなく、普段通りの冷静な口調で尋ねる。
「妻は、治るのでしょうか?」
ロルフの問いに対して、医者は首を横に振った。
「お気の毒ですが、そう長くはないでしょう」
「そうですか……」
ロルフは医者の言葉を受け入れると、屋敷の玄関まで見送った。
トモコモとリノも、レベッカを助けられない自分達の無力さを呪い、悔しがった。
レベッカの夢であった、ロルフと二人して丹精込めて育てたタバコ畑はまだまだこれからだと言うのに、この旅行を終えてバージニアに戻ればもう無理に自分勝手な上流階級と付き合うこともなく、再び大自然の中で家族の生活を始めることが出来ると言うのに……そして、二人の間に生まれた愛する息子トマスがいると言うのに!なのに、レベッカはもう長く生きられないと言う。
「ふざけんな!俺はレベッカに救ってもらって、まだ全然恩を返してねぇんだ!それなのに……何で……こんな……」
リノは屋敷の廊下で悔し涙を流していた。汚れた街の一角でゴミのように生きていくだけの筈だった自分に救いの手を差し伸べてくれたレベッカのことをひたすら守りたいと願っていた……子供の自分でもそれぐらいは出来た筈だ。だけど、それももう叶わない。そんな時、
「メソメソ泣いてんじゃねぇよ!!」
突然リノの後ろから怒鳴り声が響き渡った。リノは思わず振り返る。声の主は、レベッカの義兄であるトモコモだった。トモコモはリノの腕を掴んで叫ぶ。
「ポカホンタスを助けられなくて、悔しいのはお前だけじゃねぇんだ!自分の義妹が苦しんでるのに、何も出来ねぇ……何もしてやれねぇ……出来ることなら代わってやりてぇよ。何で俺じゃねぇんだ……」
「……!」
絞り出すように言う彼の顔を見て、リノは気付いた。トモコモの眼は充血して、目元も赤くなっていた。まるで、ついさっきまで泣いていたかのような……。
バージニアにいた頃からレベッカのことをよく知っていて、実の妹同然に見ていた彼の方が辛いことを思い返したリノは、涙を拭いて言う。
「俺……やっぱり諦め切れない。まだレベッカは生きてるんだ。砂粒程度の可能性でも助けられる方法があるなら、何でもやってやる!!」
自分の中に確固たる決意を抱くと、リノは屋敷を飛び出した。
★
レベッカの症状は見る見る悪化して行った。すっかり寝たきりになってしまい、声を出すのもやっとの状態にまで弱り切っていた。
そんな彼女の元へロルフが訪れる。
「レベッカ……」
「ジョ……ン……」
今にも消えそうな声で、レベッカは夫の名前を呼んだ。ロルフは普段と変わらない優しい笑みを浮かべたまま、レベッカに報告をする。
「レベッカ、良いニュースだ。近い内にバージニアに戻ることが決定した」
「!それ……本当?」
「あぁ。君の病状を聞いて、バージニア会社はこれ以上僕達の滞在に意味は成さないと判断した。もうイギリスに滞在する必要はないんだ」
レベッカはロルフの言葉を聞いて、糸のような涙を流すと同時に何処か解放されたような微笑みを見せた。自分の死期は近い……だけど、その前に生まれ故郷の土を踏むことが出来るかも知れない。愛するポウハタンの地で最期を迎えられると言う希望に、レベッカは一筋の光を見た。だが、彼女の希望は直後に潰されることとなる。
「ただし……バージニアに戻るのは、僕一人だ」
「……え?」
ロルフの言葉を聞いて、レベッカの顔が凍り付いた。自分の聞き間違いだろうか、愛する夫が言う筈などないであろう非情な台詞に、彼女は自分の耳を疑った。だが、ロルフは表情を変えることなく淡々と繰り返す。
「聞こえなかったのかい?バージニアに戻るのは、僕一人……君はここに残るんだ」
「どう……言う……こと?何故……な……の?私達は……愛し合っ……て……」
「どう言うこと?何故?おかしなことを訊くね。君にも僕に殺されるだけの心当たりはあったんじゃないかな」
「!殺され……!?」
ロルフの言葉の意味がさっぱり理解出来ない……彼は自分を殺そうとしていた!?レベッカの頭の中は酷く混乱した。そんな彼女を見て、ロルフは溜め息をつく。
「そうか……何も分かっていないか。なら最後だ。手向けとして教えてあげよう」
ロルフは懐から小さな包みを出した。手の平に収まる小さな薬の包み……それをレベッカに見せながら説明する。
「僕が商人として、あちこちにコネクションを持ってることは知ってるよね。この薬は知り合いの商人から裏経路を通して入手した物で、結核に似た症状を引き起こすことが出来る。これを君の食事に混ぜておいたのさ」
「……!」
「そして、このイギリスで君が死ねば、世間は『イギリスの汚れた環境が原因で、レベッカは死んだ』と解釈する。当然、ポウハタン側もそう考えるだろう」
「そん……な……」
「いいじゃないか。君は良く働いてくれた。君のお陰で僕は、宮廷はおろかイギリス国内にまで名を響かせることが出来た。そこで最期の時を待つといい」
ロルフは冷徹な笑みを浮かべながら、用済みとなったレベッカを容赦なく切り捨てた。それでも納得が出来ないレベッカは、残された力を振り絞ってロルフに訴えかける。
「でも……あの時……あなたは私に言って……くれた……じゃない……『僕には君が必要なんだ』って。あの言葉は……嘘だったの……!?あなたはもう……私の知る……ジョンじゃない……の……!?」
「嘘も何も、君の知っているジョン・ロルフなどと言う者は初めから存在しない。そもそも何で白人の僕がインディアンの女性を愛さなければならないんだい?」
「!!」
次々と明かされるロルフの真意がレベッカの心を完膚なきまでに傷付けて行った。
そして絶望の中で、ようやく彼女は理解した。自分はただ利用されていたに過ぎないと……スミスを失い心に傷を負っていた隙を付け込まれ、イギリスに都合の良い人形にされていたと。
最後の情けと言わんばかりに、ロルフは言う。
「一人で寂しく死ぬのは辛いだろう。トマスもここに置いて行こう。どうせあの子は僕の実の子ではないからね」
「あなた……知って……」
「あぁ。それも僕が仕組んだことだ。君は僕がのし上がる為に必要な駒だからね。万一逃げられでもしないように、君を精神的に追い詰めさせてもらった。あの時にデール卿をけしかけたのは、やはり正解だったようだね」
初めてロルフと出会ってから、何もかもが彼のシナリオ通りに動いていた。
デールが話していた「全部アイツが作った野望の為の『道具』だった」と言う言葉は紛れもない真実だった。ロルフは己の野心の為に、裏で全てを操っていたのだ。
恐らくデールも彼に利用されかけていることに感付いていたのだろう。だが、そうされることを嫌う彼は敢えてレベッカに真実を打ち明けた。それすらもロルフの思惑通りだったのだろうが。
死に行く妻の前で全てを語り終えたロルフはゆっくりと立ち上がり、別れの挨拶を告げる。
「それでは、さようなら。君とは二度と会うことはないだろう」
ロルフが部屋を後にし、その場に一人残されたレベッカは深い絶望の底へ叩き落とされた。
★
ロルフが屋敷を出て行こうとした時、プレントフォードの館に一人の訪問者が現われた。
「ごめん下さい」
ロルフが正面の扉を開けると、そこに足元まで届くような長さの真っ黒なマントを纏った一人の男が立っていた。
「レディ・レベッカにお会いしたいのですが」
男はただ一言そう言った。彼の顔は右側に火傷の痕があり、そして右目は黒い眼帯に隠されていた。ロルフは冷静な口調で応対する。
「どちらさまでしょうか。生憎家内は病気を患っていまして、今どなた様ともお会い出来ない状態なのですが……」
「あなたが……ミスター・ロルフ?」
「えぇ、そうです」
「そうですか、あなたがロルフですか」
「あなたは?」
「スミス……ジョン・スミスです」
「スミス……そうか。あなたが……でしたか」
ロルフの目の前に立っていた男、ジョン・スミス。彼は生きていた。
彼が死んだという噂は、パーシーの作り話だとも言われていた。スミスが大怪我をして植民地を離れた後、スミスの議長職を継いでいたパーシーが植民地を引き締める為にその噂を流したのではないかと一部で囁かれていた。
もうスミスは助けてくれないのだ、スミスの友人ポカホンタスも助けてはくれないのだという意識をジェームズタウンの男達に植えつける為に、その噂を流したとされていた。それに敵対していたポウハタン酋長に対して、交渉相手はもうスミスではなくバージニア統治評議会そのものなのだ、パーシー議長なのだと言うことをスミスの死で印象付けたかったのだとも言われていた。
(この男が……ジョン・スミス)
やはりスミスは生きていたのか……そう思いながら、ロルフは目の前の男を見つめた。レベッカの瞳の中に今も見え隠れする男が今、自分の目の前に立っていた。そしてその男がレベッカに会いたいと言っている。
ロルフは考えた。死んだと思われていた男……自分に取ってイレギュラーとも言える存在を、今のレベッカに会わせるべきなのだろうか。報告書によれば、スミスは右眼と右腕、そして右脚を失っていると聞く。かたわ同然の彼をこのまま始末することは簡単だった。
レベッカは、スミスは死んだものと思っているのだ。ロルフは悩んだ。一旦スミスを玄関で待たせて、レベッカの部屋へ引き返した。
再び意識を失ったのであろう、彼女は静かな寝息を立てていた。その寝顔は、アン王妃が絶賛したような威厳のある王女の顔ではなく、一人の優しい母の顔だった。病気で随分窶れてしまってはいたが、そこにいるのは間違いなくトマスの母であり、そして曲がりなりにもロルフの妻だった。それに何かを感じた彼は部屋を出ると正面玄関に戻り、
「さぁ、どうぞお入り下さい」
とスミスを館の中に招き入れ、レベッカの部屋に連れて行った。
「妻は今寝ていますので、そのままにしてやって下さい」
「分かりました」
ロルフがドアを閉めて部屋を出て行こうとしたその時、スミスが小声で彼に声をかけた。
「ありがとう、ミスター・ロルフ」
ロルフは、スミスをそのまま残して、そっとドアを閉めて部屋を出て行った。
スミスは、嘗て愛した女性の寝顔を静かに眺めていた。
ウェロウォコモコの凍った川の上でポカホンタスと生き別れになってから、既に八年もの歳月が経っていた。スミスは何度もバージニアに戻ってポカホンタスを捜そうと思った。ポカホンタスを捜し出して広大な世界を旅しようと思った。
新バージニア会社に掛け合って船に乗せてくれと何度も頼んだ。だが、誰も右半身を失ったスミスを植民地に送り出すことに賛成する者は一人もいなかった。
スミスが去って、デラウェア卿やデールの尽力で軌道に乗り始めたジェームズタウンに、ポウハタンの王になろうとしたのかも知れない問題児を送り出そうとする者はいなかった。
それにスミス自身、船に乗って大西洋を渡るだけの体力は既になかったのだ。
スミスは、ポカホンタスのいるバージニアに二度と戻ることが出来ないのだと悟ると、嘗ての友人であったビリーの生家を訪ね、機械の義手と義足を作ってもらった。
義手と義足が手足に馴染み、本物の手足のように動かせるまでに五年近くの歳月を費やした。そしてこの時、スミスは自分のことを誰にも告げないように頼んでいた。
その後はポウハタンの森に似た田舎に籠って隠遁生活を始めた。川で魚を釣り、森で木の実を拾った。ジェームズタウンでウンザリする程に体験した生きる為だけの生活から、いつしか離れられなくなっていた。彼には、風の歌声を聴くことの出来ないロンドンでの生活は、最早何の魅力もないものになっていたのだ。
そして、マニトウの姿が見えなくなっていたレベッカとは対照的に、彼はバージニアにいた頃以上にマニトウの姿がハッキリと見えるようになっていた。
隠遁生活で都会の情報から離れていたスミスは、ポカホンタスがキリスト教に改宗し、ポウハタンの地でタバコを栽培している青年と結婚し、レディ・レベッカとなってイギリスへ来ていたことをつい最近まで知らなかった。
だからこそ、ここ数年は流さなかった涙が溢れていた。
「そうか……君は今、イギリスにいるのか」
スミスはポカホンタスが生きていたと言う、ただそのことを大いなる精霊に感謝した。だが、しばらくするとレベッカが病の床に伏せているという噂を聞いた。それもかなり悪いらしい。スミスはレベッカを……否、ポカホンタスを訪ねずにはいられなかった。
スミスは、目の前にいるレベッカを見つめていた。確かに今の彼女はイギリス流に洗練されていた。しかし、スミスの目に映っているのは、あの日のポカホンタスだった。身を投げ出してポウハタンの処刑から救ってくれたポカホンタス、食糧を持ってジェームズタウンを訪れたポカホンタス、ウェロウォコモコで父を裏切ってまで自分を助けてくれたポカホンタス、そしてポウハタンの森を見下ろす山の頂の空に浮かぶ椅子のように張り出した岩の上に立っていたポカホンタス……スミスのポカホンタスがそこにいた。
「……!」
スミスは驚いたような表情で、レベッカの顔を改めて見た。レベッカの瞼がゆっくりと開いて行ったのだ。
夢ではないだろうか……目の前に嘗て愛した人がいる。レベッカは震える手で、スミスの顔の火傷にそっと触れる。そして、今にも消えそうなか細い声でただ一言。
「やっと……会えたね。スミス」
「あぁ……待たせて済まなかった。ポカホンタス」
ポカホンタスの柔らかい手……スミスの温かな頬……互いの感触を肌で確認し合った二人はようやく再会することが出来た。二人の長い旅がようやく終わりを告げたのだ。
ほんの少しだけ開いていた窓の隙間から空に架かる七色の虹が見えた。柔らかな風がレースのカーテンを潜って部屋の中に舞い込んだ。そしてグルッと部屋を一回りすると、ポカホンタスの頬をそっと撫でた。ポカホンタスは再び眠りについた。
スミスは懐に大事に忍ばせていた白い羽根を取り出した。それはスミスが大火傷を負った時に半分焼け焦げてしまったが、間違いなくスミスがポカホンタスからもらったあの白い羽根だった。スミスはその羽根を、そっとポカホンタスの手に握らせた。
あの時と何ら変わらない柔らかな手だった……温かな手だった。
スミスは、ポカホンタスの手を名残り惜しげに放して立ち上がった。そして心の中でポカホンタスに別れを告げ、静かに部屋を出て行った。
★
レベッカは夢を見ていた。
真っ白な羽のマントを翻してポウハタンの森を走るポカホンタスがいた。顔馴染みの鹿やリス、野ウサギが一緒になって走っていた。花や木や滝や川や空や風が歌っていた。
「あら?これって……」
気がつくとポカホンタスは手に白い羽根を握って、山の頂にある張り出した岩の上に立っていた。眼下にポウハタンの森が広がり、空には大きな虹が架かっていた。手の中の白い羽根は少し焼け焦げていて、お世辞にも綺麗とは言えなかったが、どんな雪よりも澄んだ白い色をしていた。そして、凄く懐かしい感じがしたのだ。
ふと振り返ると、そこにポウハタンが立っていた。
「お父様!」
ポウハタンは優しい笑顔で大きく頷いた。ポカホンタスは父に感謝した。
次にアリーヤとフィリアンノが手を振っていた。
「アリーヤ!フィリアンノ!」
ポカホンタスは、アリーヤとフィリアンノに感謝した。気が付くとロルフがトマスを抱いてそこにいた。
「トマス!ロルフ!」
トマスとロルフが、微笑んでいた。ポカホンタスは、トマスとロルフに感謝した。
すると今度はそこにスミスがいた。
「スミス!」
スミスは笑った。ボカホンタスはスミスに感謝した。
風がポカホンタスの長い黒髪を揺すった。ポカホンタスは、神樹に訊いた。
「神樹様、私は進むべき道をちゃんと進むことが出来たのでしょうか?」
自分なりの道を歩いて来ても、まだ答えは分からない。神樹が答える。
「お前さんは、お前さんの心の道を歩いた。そうじゃろう?」
「えぇ。時々走ったり、迷ったり、立ち止まったりもしましたけれど」
「そうか。その心はいつも、愛に満ちていたかの?」
「えぇ、いつも」
「進むべき道とは、心の道。心を愛で満たすものこそ、お前さんの進むべき道じゃ。さぁ、お前さんは大いなる精霊に見守られた空と大地の子供。今度は少し空で休むが良い」
「はい……」
ポカホンタスは全ての大いなる精霊に感謝した。
空には聖なる光、大地に清き水を、そして自分の心に強さを持って、ポカホンタスは空を見上げた。ポウハタンの広くて高い空に、天まで届く虹が架かっていた。虹の彼方で、優しく包み込むような大きくて眩しい光がポカホンタスを呼んでいた。
★
リノとトモコモは、次第に息が弱くなるレベッカを見て、死ぬ前に一目でいいからバージニアを見せたいと思った。遠く離れた異国の地ではなく、彼女を生み彼女を育てたバージニアの森で、ポウハタンの森で死なせてあげたいと思った。大いなる精霊の加護を受けた大自然に囲まれながら、旅立って欲しいと思った。
ひょっとすると、大いなる精霊の力でレベッカの病が癒えるかも知れない……もしかすると死なないで済むかもしれない……二人は藁にも縋る思いで、意識が遠のいて行くレベッカを励ました。
「レベッカ、バージニアに帰ろう!ポウハタンの森に戻ろう!」
「ポカホンタス、こんな所で死んじゃ駄目だ!もうすぐでお父様にも会えるぞ!」
リノとトモコモは折りよくバージニア会社がジェームズタウンに向けて出航させようとしていた船にレベッカを乗せた。ロルフは先にアーガルが船長を務める船に乗ってバージニアに向かっていた。そして、船が出てから間もなくレベッカの容体が急変した。レベッカの最期が近づいていた。
「レベッカ、俺達だよ!レベッカ!!」
レベッカが、リノの声に応えるように静かに目を開けた。
「リ……ノ……」
弱り切った声で、彼女はリノの名を呼んだ。
トモコモもレベッカに呼びかける。
「ポカホンタス、ポウハタンへ帰るんだ!俺達の故郷に帰るんだぞ!!」
義兄の顔を見て、レベッカの目が笑った。
もう、殆ど喋ることなど出来ない状態で出来た、彼女なりの返事だった。
「死ぬな、レベッカ!まだまだこれからじゃないか!!」
慟哭。子供の自分でも、最早どうすることも出来ないことぐらい分かってる……泣きながらリノがレベッカを呼んだ。レベッカがか細い声で、だが優しく包み込むような声で言う。
「泣かないでリノ……誰もが一度は死ぬのだから……さぁ、泣かないで……笑って、リノ」
笑える訳なんてない……リノは涙を止められなかった。
そして、彼女の口から小さく本音が漏れる。
「最後にもう一度……ポウハタンの地を……見たかったな……」
「レベッカ……」
「皆……ありがとう……」
レベッカはそう言うと、リノとトモコモの手を取り、眠るように目を閉じた。
一六一七年三月二十一日。
レベッカ・ロルフの遺骸を収めた棺は、テムズ川の河口にあるグレイヴズエンドの港からリノ・セザール、トモコモ達に付き添われ、海を望む丘の上にある教会に運ばれた。そしてイギリス国教会の牧師により祈辞書が読まれ、キリスト教の伝統に従って葬儀が行なわれた。リノは棺の中の妻レベッカに最後の別れを告げる時、スミスが残して行った焼け焦げた白い羽根を彼女に持たせた。
レベッカ・ロルフは、遠い異国の地で白い羽根を抱いて天に架かる虹を渡って行った。やがて日没の西色の空がグレイヴズエンドの丘を覆い、悲しい程に真新しい墓碑が迫り来る夕闇に溶けて行った……。
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