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レベッカ・ロルフの章
イギリスへの旅立ち
しおりを挟むレベッカがジョン・ロルフと結婚してレベッカ・ロルフとなって以降、二人はポウハタン酋長より提供された土地に小さな家を建てて、そこで過ごした。
ロルフは以前にも増して多忙な日々を送り、仕事で様々な場所へ赴いた。レベッカは彼の妻として家を守り、誠心誠意夫に尽くした。
★
一六一六年。ジェームズタウンの入植者であるジョン・ロルフとポウハタンの娘であるポカホンタス……否、レベッカの結婚から二年が経とうとしていた。
「気がつくと私も随分年を取ってしまった……出来れば、生きている間にポウハタンの森で続いている戦いを終わらせたいと思っている」
二人の仲が上手く行っていることを知ったポウハタンが、長年続いたポウハタン戦争の終結を総督代理のデールに申し入れ、それによってバージニア植民地の誰もが望んだ平和が訪れていた。人々はそれを「ポカホンタスの平和」と呼んだ。
ロルフは結婚後に、妻であるレベッカの協力でヨーロッパ人の嗜好に合うタバコの栽培に成功した。ポウハタンの知恵をこの上なく盛り込んだバージニアのタバコを喫煙するのが、イギリスで大流行の兆しを見せていた。
そんなある日のこと。レベッカが家の中で用事をしていた時、扉を叩く音が聞こえた。
「誰かしら?」
レベッカが玄関の扉を開けると、そこに立っていたのはデールだった。
群青色の髪に、鋭い眼、そして歴戦の軍人に相応しい日焼けした肌をしていた彼は立っているだけでも威圧感を放っており、そんなデールをレベッカは内心苦手としていた。
彼はレベッカに尋ねる。
「急で悪いんだが、ロルフの奴は何処だ?」
「夫は畑にいますが……」
レベッカは正直に答えた。
どうやら、彼はロルフに用があったようだ。だが、今日は畑での作業を終えたら、今後のタバコ栽培における植民地運営についての会議があると話していたので、いつ家に帰るのかは未定だ。彼女にはそう答える以外なかった。
「そうか。いつ戻る?」
「分かりません。今日は用事で遅くなると話していたので……」
「ふ~ん……まぁ、ちょっとずつではあるがタバコ農園もデカくなって来てるし、大方人員を増やしたいんだろう。今のままじゃ、すぐ人手不足になるだろうしな」
デールも畑の状況はキッチリ把握していた。
今のジェームズタウンに取って、ロルフのタバコは初めてまともに利益を生み出す輸出品だ。部下のロルフから受けた報告にも全て目を通して運営状況を確認し、時には自ら畑に出向いたり問題点を改善する為に会議を開いたりしていた。
だが、その一方でロルフの内に秘められた天賦の才能を危惧すると同時に、デールは無意識の内に嫉妬の感情を抱いていた。デール自身も凡人では超えられない壁の向こう側にいる人間ではあったが、ロルフは更にその先を行っていた。
周囲の人間はロルフを「他より僅かに要領の良い秀才」程度の男だと認識していたが、同じ天才であるデールだけは彼の潜在性を唯一見抜いていた。
そんな彼をよそに、レベッカは夫の夢を語る。
「夫は……ジョンはジェームズタウンとイギリスのことを真剣に思っていますから、今はまだ立ち止まれないでしょうね。私もジョンの妻として、彼を支えて行くつもりです」
「うん?」
「夫はジェームズタウンを救済し、イギリス国王の為にも全てを懸けたいと毎日のように話してましたから」
「……」
レベッカの話を黙って聞いていたデールは、目を丸くしていた。その表情はとても意外そうで、それでいて何処か憐れんでいるようでもあった。
ほんの少しの間を置いて、彼の口元が緩む。
「プッ……ハハ……アハハハハハハッ!!」
「!?」
大声で豪快に笑うデールの姿に、レベッカは驚きの表情を見せた。何故彼は急に笑い出したのか、そしてその笑いにはどんな意味が含まれているのか、彼女には分からなかった。
笑うのを止めると、デールはその答えを教えるようにレベッカに言う。
「あ~、なるほどねぇ。お前にはアイツがそう言う風に見えてるのか。その幸せそうな面を見てりゃ、何となく察せるわ。逆に羨ましいぜ」
「どう言うこと……?」
「もうお前らは結婚した後だから、このまま黙っとこうと思ったが……良い機会だ。本当のことを教えてやるよ」
そう言うと、デールは素早い身のこなしでレベッカを壁際に追い詰めた。叩き上げで軍の司令に上り詰めただけあって、レベッカではどうすることも出来なかった。
両手を壁に押し当て彼女の逃げ場を無くすと、デールは言う。
「この日常はなぁっ!全部アイツが作った野望の為の『道具』だったんだよ!!」
「道具ですって……!?」
「そうだ!お前らの結婚も、タバコ農園も、この家も……何もかも!!」
この男は何を言っている?あまりにも唐突なデールの発言にレベッカは混乱した。
しかし、デールも冗談を言っているようには見えない。それでも、彼女にはどうしても信じられなかった。到底真実だとは受け止められなかった。
半ば放心状態のレベッカにデールは言う。
「気付かなかったのか?誰よりもずっと近くで見てたのは、お前だろう」
「嘘よ……嘘よ……」
レベッカの瞳からは光が完全に消えていた。力ない声で、彼女は同じ言葉を繰り返す。デールは舌打ちをしながら、小声で呟く。
「……バカが」
★
後年、ロルフとレベッカの間に第一子が誕生した。性別は男子で、名前はトマス・デールの名にあやかり、トマスと名付けられた。だが、レベッカは家を訪れた姉達に「トマスはロルフの実子ではない」と後に説明している(実の父親は諸説あるが、真相は不明)。
タバコ農園もようやく軌道に乗り、幸せな家庭生活を送り始めていたいたロルフのそんなある日、彼を呼び出したデールはある命令を下す。
「ロルフ。レベッカを連れてイギリスに行け。これは国王陛下直々の命令だ」
そもそも植民地経営の主たる目的の一つに「野蛮なインディアンを教育してキリスト教に改宗させる」ことがあった。その最初のケースがレベッカだった。レベッカと言う成功例の存在を聞いた植民地の経営母体であるバージニア会社が、彼女を本国に連れて来るようデールに要請したのだ。
バージニア会社はレベッカを広告塔として植民地経営の成功をイギリスに広く宣伝しようとしていた。彼女は正に新大陸が殺戮と蛮行を繰り返す野蛮なインディアンの住む地であるというイメージを払拭する格好の素材だった。払拭して、投機的に充分な魅力を備えた地であると知らしめたかったのだ。故にレベッカとロルフは、デールによってもたらされたバージニア会社の要請を断れる立場にはなかった。
「……分かりました。では、すぐに帰国の準備に入らせて頂きます」
しばらくは手塩にかけたタバコ畑を誰かに預けてでもイギリスに渡らなければならないのだと覚悟して、ロルフは不服ながらも渡航の件を承諾した。
それから間もなく、ロルフ夫妻とその息子のトマス、ポウハタン酋長から白き者達の国を調査して来て欲しいと頼まれたボカホンタスの義兄であるトモコモ、そしてロルフ夫妻の後見人的存在でバージニア総督代理であるデールを乗せた帆船がジェームズ川を下り、ロンドンを目指して帆を広げた。
トモコモは部族連合の戦士だが、その中身はかなりのお調子者で、生来のそそっかしさがまだ残っている青年だった。その一方でバランス感覚が良く、その俊敏さは多くの戦士達からも高い評価を得ていた。
彼はレベッカのことを気にかけており、実の妹のように彼女の身を案じていた。
「ポカホンタス……大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫。心配してくれてありがとう」
名前が変わっても、自分のことをポカホンタスと呼んでくれるトモコモに、レベッカは昔のような微笑みを見せた。それを聞いたトモコモは安心すると同時に、愚痴をこぼす。
「それならいいんだけど……しかし、白き者達の衣類と言うのはどうにも窮屈だな。アイツらはいつも、こんなものを着てるのか?」
「フフ……似合ってるわよ。ピシッと引き締まってて格好良い!」
「そ、そうか?まぁ、それ程でも……あるけど!」
船で出航する際に、彼はロルフから「ポウハタン部族の恰好は向こうだと目立つから、滞在期間中だけでも着替えた方が良い」と衣服を渡されていた。最初は仕方がないと渋々着ていたが、本人もレベッカに褒められて満更でもない様子であった。
そんな一行を乗せたのは、三年前にアーガルがポカホンタスを誘拐した時に使ったトレジャラー号。ポカホンタスの運命を大きく変えたその船に乗って、今やレベッカと名乗ることになった彼女は、海の向こうにあるロルフの国……そしてスミスの国であるイギリスを目指した。
★
航海は極めて順調で、特に大きな問題が起こることもなく船は大海原を横断した。
大西洋を越える七週間の航海の後、レベッカを乗せたトレジャラー号がプリマスの港に着いたのは六月二十二日のこと。ロンドンに入った彼女は、まず第一に人の多さに驚いた。
「これがイギリス……これがロンドン……」
その異世界のような光景に、レベッカはただただ圧倒された。
ポウハタン酋長の頼みでレベッカに同行したトモコモは、イギリスの人口を一人一人数えてその数を杖に刻んで帰って来いと言われていたのだが、ロンドンに着いた彼はその日の内にそれが不可能であることに気付き、
「これは全員分を数えるのは無理だな。ここだけでも夜空の星や、砂浜の砂や、森の木々の葉と同じぐらい人がいる」
と言って、杖を投げ捨てた。そしてイギリスと言う国の強大さを改めて認識した。
当時、ロンドンの人口は二十五万人を超えていた。レベッカを驚かせたのは、人の多さばかりではなかった。
ロンドンの街は息を大きく吸い込むことが出来ない程に空気は汚れていて、ポウハタンの森に吹く鮮やかな色の風と違ってじっとりと湿った色の風が行き場を失って瘴気のように淀んでいた。森の木々の代わりに石の家が立ち並び、そこから見える空は狭く、鹿やリスや野ウサギの代わりに汚水が流れ悪臭漂う剝き出しの下水溝を太ったネズミが走り回っていた。
だが、ロンドンの水質自体はこれでもかなり良い方で、一六一三年から翌一四年にかけてニュー・リバーの開削がなされてからは水道設備に革命が起こったと言っても良い程に変化が起きた。長さ三十八マイルに及ぶこの人工河川は、ハーファドシャー州アムウェルをはじめ多くの場所から湧き水を集めてクラーケンウェルの貯水池まで運び、水はそこからロンドン中へ供給された(開削を主導したのは、金細工商で銀行家のヒュー・ミドルトン)。
ロンドンの水質は何世紀にも渡って悪化の一途を辿っていたが、この河川の完成によって、ロンドンはようやく近代都市らしい水道設備を備えるようになった。それでもレベッカにしてみれば綺麗なものでもなかったが。
テムズ川のロンドン橋やロンドン塔、ウェストミンスター修道院にセント・ポール教会、そのどれもこれもが威圧的で息苦しさを感じさせた。
(何て酷い空気……息をするだけでも凄く苦しい)
手で口元を押さえながら、レベッカは極力空気を吸い込まないようにした。
トモコモも咳き込みながら、デール達に嫌味っぽく言う。
「こんな所があなた方の故郷なのですか?よく生活出来ますね……」
「フン、慣れれば何処だろうと住むことは出来る。何もないお前達の国なんぞよりはマシだ」
スミスやビリー同様、ポウハタンの言葉を(僅かながら)会得していたデールはポウハタンの言葉でトモコモに返した。二人は険悪な雰囲気で互いを見つめていた。
イギリスの人々がわざわざ船に乗って、海を渡り、新世界を求めるのは、そこに富を求める為と言うよりも、息の詰まるようなこの街から逃げ出したかったからではないか……レベッカはそう思った。スミスがバージニアに何を求めていたのか、そして夫のロルフがタバコ農園に求めているものが何なのか……それが少しだけ分かったような気がした。
「相変わらず汚い街だ。いつ訪れても、僕の肌には合わないね」
ロルフは不快感を露わにしながら、ロンドンの街を歩いた。
トモコモは頭を掻きながら、今後の動きを確認する。
「えーっと……確かこの後の予定じゃ、俺達が住む予定の家に向かうんだっけ?」
「そうだ。ここから馬車に乗って三十分程度の距離に、僕達が滞在する予定の屋敷がある」
「三十分……」
「分かり易く言うと、コイツの長い針が半周したぐらいで着くな」
ロルフはそう言って、自分の懐に仕舞っていた懐中時計をトモコモに手渡して見せた。この頃にはエナメル彩を使用した懐中時計が作られ始めており、ロルフが持っていたのは当時としては最新モデル扱いされていた高価なものであった。
トモコモが懐中時計を珍しそうに眺めていると、突然彼の手から時計が消える。
「えっ?」
トモコモが思わず周囲を見渡すと、道行く大勢の人の中に混じって小さな人影が走り去って行った。その手には懐中時計が握られている。ロルフは軽く溜め息をつきながら言う。
「……やられたね」
「し、しまった!待ちやがれ、この野郎!」
時計をスられたと気付いたトモコモは、走って人影を追いかけた。懐中時計が白き者達の所有物であるとは言え、借りた物を第三者に盗まれたままにすることは出来ない!時計をスられたのは、完全に自分の落ち度だ……そう思いながら、トモコモは駆け出した。
「待って、一人じゃ危険よ!!」
レベッカも彼に続いて後を追った。デールは二人を引き止めようとするが、あっと言う間に人混みの中へ消えて行った。
「オイお前ら!勝手なことは……クソ、世話が焼ける!ロンドンの地理なんて、右も左も分からねぇクセに!」
「デール卿。既に憲兵を呼びました。彼女達を捜すなら、人手は多い方が良いでしょう?」
ロルフは近くにいた憲兵を呼んで、追う準備を整えていた。
彼の手際の良さに、デールは感心する。
「気が利くな。よし、二手に分かれるぞ!」
「了解」
デールとロルフは広い通りを二手に分かれて、トモコモとレベッカがどちらへ行ったのか捜索することにした。
★
「あ゛ーっ、クソッ!何て人だかりだ!これじゃあ、泥棒に追い付けねぇ!」
道行く人の海に遮られて思うように走れないトモコモは、段々時計を盗んだ犯人に引き離されて行った。その後方を走るレベッカは、周囲を観察しながらあることに気付く。
「あなたはそのまま泥棒を追って!私はあっちから追うから!」
「へ?……って、オイ!」
トモコモがまだ返事をし終わらない内に、レベッカは路地裏へ続く狭い通路へ入って行った。
彼女は昔アリーヤから教えてもらったことを思い出す。あの時アリーヤは、
「アタシ達は基本的に素早い獲物を狩る時、二手に分かれて猟を行うことが多い。片方は獲物を後方から追って、もう片方は迂回しながら前方から獲物を追う。つまり、挟み撃ちの形になる訳だな」
そう言っていた。
ある程度走って、抽象的ながらも頭の中にロンドンの地図を形成したレベッカは、幼馴染から教わった狩りの手法を実践した。
(もう誰も追って来ねぇ。上手く撒けたか!?)
ロルフの懐中時計を盗んだ犯人は度々後ろを振り向きながら、人混みの隙間を駆けた。そして、そのまま路地裏へ逃げ込もうとした時、突然人影が路地裏から飛び出して来た。
「んなっ!?」
「追い付いたよ!そして……捕まえたっ!」
人影の正体はレベッカだった。突然現れた追っ手に、犯人は「信じられない」と言わんばかりの表情をしながら取り押さえられた。犯人を抱き止めるようにして捕まえたレベッカは相手の顔を確認する。
「え!?」
今度はレベッカが驚愕した。何故なら、犯人はまだ十一、二歳ぐらいの少年だったのだ。何で、こんな子供が盗みを……自分の胸の中で暴れる少年に、彼女は尋ねる。
「ねぇ。どうして、こんなことをしたの?人の物を盗むのは、良くないんだよ」
「うるせぇ!お前には関係ないだろ!」
「関係あるよ!あなたが盗んだ時計は、私の大切な人の物なんだから」
「大切な人?」
「うん、私に取って大切な……少しお話ししない?大丈夫、私は敵じゃないから」
レベッカは少年に優しく諭すように語りかけた。
彼女の話し方、そして柔らかな声はついさっきまで激しく抵抗していた少年をあっと言う間に大人しくさせたのだった。
少年……リノ・セザールはロンドンに住む孤児で、物心つく頃には既に独りで生きていた。現在は手先の器用さを活かしてスリ等で生計を立てており、主に港や市場を拠点としていた。
リノだけではない。彼以外にも家がない孤児は大勢いた。こうした背景には、イギリスの開拓事業が密接に関係しており、毛織物を主産業としていたイギリスが新たなマーケットへの参入が大きな原因だった。
当時、問題視されていた急激な人口増加への対策として、国は羊毛産業の発達に便乗して農地の囲い込みを推進、それによって多くの農民が土地を追われることとなった。帰る場所を奪われた彼らの中には新たに生まれた産業の中で何とか職を見つける者もいたが、一方で職を見つけられなかったり国の方針を受け入れられずに浮浪者になる者も多数いた。
そんな路頭に迷う者達をどうにかするべく、権力者達は土地を追われた彼らを新大陸……つまり、バージニアへ送り込むことで問題を纏めて解決しようとしたのだ。
「リノは、ずっと独りで生きて来たの?」
「イヤ。昔は仲間もいた……けど、数年前に大きな船に乗せられてどっか行っちまった」
リノは寂しい目をしながら、遠くを見つめて言った。
一六〇九年、スミスがイギリスへ送還された年のこと。この頃、植民地の出資者がバージニア会社からバージニア・トレジャラー会社に移っていた。実はこの時、バージニア会社は経営困難に陥っており、当時のロンドン市長と参事会員に手紙を送っていた。
手紙の内容は、新たな投資家を求めると共にロンドンの余剰人口をアメリカに送り出す為の資金面での協力要請だった。これにより出資者がバージニア・トレジャラー会社に変わることとなり、それに先立つ形で新たな入植者がクリストファー・ニューポートによって連れて来られた。だが、その中には年端も行かない孤児達も乗せられていた。
一六一〇年五月にニューポートが指揮を執るデリヴァランス号が植民地に到着したが、途中のアクシデントで行動を共にしていたパティエンス号が行方不明となる。そして、パティエンス号には強制的に連れて来られた孤児が乗せられていた……。
孤独の中で生きていたリノを慰めるように、レベッカは言う。
「苦しかったんだね……」
「苦しくないって言や、嘘になる。同じように苦しんでる奴らのことも、国にしてみりゃただの厄介者程度でしかないんだろう。だけど俺は、そんな厄介者以前にこのイギリスの子供なんだ!連れ去られた俺の仲間だって同じ……それなのに、権力者共は都合の良い商品みたいに国民を扱いやがって……!」
リノは国が推し進めている政策の実態にありったけの憎しみを込めて、本音を漏らした。彼もまた、イギリスが推進していた植民事業の犠牲者だったのだ。
リノの仲間がバージニアに送り込まれることから始まった孤児の強制移住はパティエンス号の件で一度は頓挫するものの、後に再開されることとなり、一六一九年からの三年間では約二百人もの家なき児童がバージニアへ送られた。
(リノの為に、何かしてあげられることはないかな……)
イギリス国内の情勢を、少しずつではあるが把握して行ったレベッカは自分に出来ることはないか考えた。そして、彼女は一つの答えを導き出す。
★
「オ、オイオイ……ポカホンタス、お前本気で言ってるのか?」
「お願い!」
トモコモ達と合流したレベッカは、リノを連れて深々と頭を下げた。トモコモが困惑する一方で、ロルフとデールは彼女のお願いを黙って聞いている。
デールはリノを見ながら、確認するように尋ねる。
「お前、本気で言ってるのか?この餓鬼を連れて行きたいって……大体、コイツはロルフの時計を盗んだ犯人だろ」
「確かにその通りです。でも、この子だって好きで盗みを働いた訳ではありません!どうかリノを許してあげて下さい!」
レベッカはデール達に懇願した。時計を盗まれたトモコモとリノのせいで無駄に時間を消耗したデールが黙っている中、突然拍手の音が聞こえる。拍手をしたのはロルフだった。
手を叩きながら、ロルフは言う。
「イヤイヤ、素晴らしい。それでこそ一流の淑女だ。孤児にも救いの手を差し伸べる姿は正に天使だ。リノ君……だったかな?我が妻の優しさに免じて、僕も君の罪を許そう。そして、その懐中時計も君のものだ」
「オイ、いいのかよ。あの時計、相当値が張るモンなんだろ?」
「構いません、デール卿。僕も貧困の中で生きてたら、彼と同じことをしていたかも知れない……そして、力なき者を救済するのが力ある者の成すべきことでしょう?」
ロルフは落ち着いた口調で、そう言った。
時計の持ち主であるロルフが許すと言った以上、誰もリノを責めることが出来ないと判断したデールとトモコモは、やむなくリノを捕まえることはしなかった。そしてレベッカの要望通り、彼を一緒に連れて行くことにした。
表向きはバージニア総督代理であるトマス・デールと、彼の同行者であるジョン・ロルフとレベッカ・ロルフの護衛として扱われ、(実質的権限はないが)少尉の階級を与えられた。
リノ・セザールは、新たな居場所を見つけることが出来たのだった。
「レベッカ……」
「ん?」
「何で、レベッカは俺なんかにここまで優しくしてくれるんだ?理由がどうあれ、俺がやったことは泥棒だってのに……」
馬車で屋敷を目指す中、リノはレベッカに質問した。
レベッカは、ほんの少しだけ黙ってから答える。
「義を見てせざるは勇無きなり、天は自ら助くるものを助く、情けは人の為ならず!大いなる精霊、マニトウの教えよ」
「マニトウ?」
「そう。これがポウハタンの……ううん、人の生き方。それに……」
「それに?」
「子供の頃からの経験でね、苦しんでる人や困ってる人のことは放っておけない性分なの」
レベッカは小さかった頃……自分がまだポカホンタスだった頃から自分を導いてくれた大いなる精霊のことを思い出しながら言った。
神樹、フィリアンノ……今はもう見ることのない、顔や声も思い出せない遠い存在だが、彼女の中には確かな思い出があった。キリスト教に改宗して、大いなる精霊の元から離れても、ポウハタンの娘としての精神は失われていなかった。
ロルフとデールも同じ馬車の中で二人の会話を聞いていたが、敢えて聞こえないフリをしていた。本当はインディアンの邪教を広めないようにする為にもレベッカには大いなる精霊の話題は出さないようにさせていたのだが、その日だけは彼らも大目に見ることにした。
★
バージニア会社は、レベッカに強硬なスケジュールを課した。
およそ一年を予定していた一行の滞在に関する費用は全て会社側が負担することになっていたのだが、会社は将来的な植民地への投資者を募る為に、レベッカを王室のメンバーや各界の名士や聖職者に会わせ社交界に紹介した。僅か一年の間にロンドンにいるほぼ全ての著名人とレベッカを会わせるつもりだった。その為、既に病気で本国に帰国していたデラウェア卿ことトマス・ウェストが積極的にレベッカを上流社会に紹介した。
レベッカは、デラウェア卿の妻が念入りに見繕ったスチュワート朝風の上品な衣装を身に付けて、宮廷の晩餐会に出席し、国王であるジェームズ一世やアン王妃に謁見し、舞踏会で華麗に踊った。アン王妃はレベッカの気高さに胸打たれ彼女をまるで何処かの国の王女のように特別にもてなした。このアン王妃の寵愛を受けたことがまたイギリス中のレベッカ熱をより一層過熱させることになった。
「す、すげぇ……ジェームズ一世やアン王妃に謁見出来ることもだけど、こんな舞踏会場であそこまで堂々と踊れるなんて……レベッカ、何て度胸だ」
「おぉ!やっぱポカホンタスは最高だーっ!流石我が義妹よ!」
リノがレベッカの高貴さと美しさに感心する一方で、トモコモはレベッカの振る舞いに感動していた。その横でデールが「うるせぇ」とボヤいている。
彼女は「アメリカの女王」と呼ばれ、イギリス中の注目を集めた。同時にロルフも大衆から「イギリスとインディアンの間に和平を築いた英雄」として、世間からもてはやされた。
レベッカは来る日も来る日も人に会った。時には観劇もした。彼女がロンドンに到着する直前に亡くなった、人気劇作家であるシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を観て、対立する二つの家の争いの中で死んで行くジュリエットの姿にレベッカは自分の運命を重ねた。
(私も最期はジュリエットと同じ道を辿るのだろうか……)
ポウハタンとイギリスの戦いに振り回され、スミスと引き離された自分もきっと同じ末路を辿るのだろうと寂しい目で劇を見つめていた。
また、彼女が会った大勢の中には長い間ロンドン塔に幽閉され、ようやく自由を許されたばかりのウォルター・ローリー卿がいた。彼はジェームズタウン建設以前に北アメリカに探検隊を派遣し、その時に発見した土地をバージニアと名付けた人物だ。
イギリスに初めてタバコをもたらしたのはローリー卿の探検隊で、彼はヨーロッパで最初の喫煙者とされていた。
(世の中には、不思議な縁があるものね……)
スミスと出会い、タバコを栽培するロルフと結婚し、そしてトマスを産んでイギリスに渡ることになった遠因が、目の前にいるローリー卿の新大陸に対する執拗なまでの夢にあったと知ったレベッカは、人生の出会いの不思議をまざまざと感じた。
連日強硬なスケジュールをこなしていたレベッカだが、見た目麗しい姿は勿論、優雅で気品のある身のこなし、それにまるで王女のような威厳を兼ね備えた立ち振る舞いは、洗練された社交界の夫人方にも称賛され、彼女と接する全ての誉れ高き人達に敬意を以て迎えられた。
レベッカはどこに行っても最上級のもてなしを受け、バージニア会社の期待以上の働きをしたのである。
★
ある日、レベッカは意外な人物と邂逅を果たす。
いつものように豪華な屋敷へ招かれた彼女は、護衛のリノと共に馬車で目的の場所へと向かう。街の中心部から少し離れた場所に建っていたその屋敷は、これまで訪れた場所とは何処か違う雰囲気を放っていた。
初めて訪れる筈なのに懐かしさにも似た感じ……無性にレベッカの胸が高鳴った。
(何だろう……あそこに住んでる人は、私と何かしらの接点を持っている)
レベッカは、馬車の窓から屋敷を見ていた。
リノも心配そうに彼女を見ている。
「レベッカ……?」
「大丈夫だよ。だから、そんな顔しないで」
リノに心配をかけまいと、レベッカはいつもの柔らかな笑みを見せた。
屋敷の使用人に案内され、そのまま応接間に入ると、レベッカは部屋のある物に目が行く。それは眼鏡をかけた青年の肖像画。彼女は青年の顔に見覚えがあった。
「それは私達の息子、ビリーです」
部屋の出入口から男性の声が聞こえた。
レベッカが声のする方へ顔を向けると、そこに立っていたのは四、五十代ぐらいの夫婦と思しき男女だった。男性は丁寧な口調で自己紹介する。
「私はアルバート・ストラトス。こちらは妻のマノンです」
「ビリー……それにストラトス……まさか!」
レベッカは全てを思い出し、二人の正体に気付いた。そう、彼らは嘗てジョン・スミスの友人として植民事業に参加し、アリーヤと心を通わせた青年……ビリー・ストラトスの両親であったのだ。アルバートは言う。
「息子がバージニアにいる間、あなたのお友達のアリーヤさんと共に色々助けて頂いたことは手紙でよく聞いております。ずっとあなたにお礼が言いたかった、レベッカさん……いいえ、ポカホンタスさん」
アルバートは懐から手紙を出した。
彼の話によると、ビリーは植民地に補給船が来る度に両親へ手紙を送り、ジェームズタウンの状況を報告していた。そして、バージニアで出会った少女のアリーヤとその友人であるポカホンタスのことも書いていた。
ジェームズタウンが危機に陥る度に、小競り合いをしながらもポウハタンの人々が救いの手を差し伸べてくれたこと、そしてその裏で奔走していた二人の少女のこと、全てが克明に記されていたのだ。
そしてビリーがポウハタンの戦士に捕らわれ行方不明になったことも、スミスからの報告書を通じて知っていた。だが、それでもレベッカを責めるようなことは決してしなかった。
「バージニア……いえ、ポウハタンの地で何があったかは私共にも想像は出来ます。だからこそ、我々イギリスがやったことを許して欲しいとは申しません」
「ストラトス卿……」
「本当に申し訳なかった。そして、息子を支えてくれてありがとう」
アルバートはそう言って、マノンと共にレベッカに深々と頭を下げた。
レベッカはビリーとアリーヤ……二人のことをゆっくりと思い出した。
何故ビリーがあのような人柄だったのか、何故アリーヤが彼のことを好きになったのか、目の前のストラトス夫妻を見て理由が分かった気がした。
レベッカの頬を一筋の涙が伝った。だが、その表情は晴れやかなものであった。
「頭を…………上げて下さい」
故郷から遠く離れたイギリスの地で、レベッカは初めて人の温かな心に触れることが出来た。
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脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
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