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レベッカ・ロルフの章
新しい名前
しおりを挟む父であるポウハタンの元を離れ、ポトマックに身を寄せていた時に誘拐され、白き者達の住むへンリコ砦へと生活の場を移されたポカホンタスだったが、彼女は決して自分の運命を嘆いてはいなかった。それどころかポカホンタスは、愛するスミスに近づくことが出来たと喜んでさえいたのだ。
「ここに来れば、きっとスミスに会える……!」
ポカホンタスは、三年前に後先も考えず父を裏切ってスミスを助け、そしてスミスと生き別れになってから、ただひたすら彼に会いたいと願っていた。
いつかきっとスミスが迎えに来てくれるに違いないと夢見ていた。だから、白き者達に捕われ人質となっても、ポカホンタスは落胆することはなかった。イギリス流の言葉や生活や考え方を強制されることになろうが少しも嫌ではなかった。ポカホンタスに取って、それはスミスに近づくことを意味していた。
ポカホンタスにとってのイギリスは、他でもないスミスだったのだ。
国王ジェームズ一世の長男ヘンリー王子にちなんで名づけられたヘンリコ砦は、植民地であるジェームズタウンから川を遡ること四十五マイルの位置にあった。
そこは、川に突き出した尖った顎のような半島で、総督代理であるデールが戦術的に最も効果的で安全な場所として岩の建設を決めた場所だった。
ヘンリコ砦のウィテーカー牧師は、ポカホンタスにポウハタンの文化を捨てることを強く求めた。その為にヘンリコ砦でのポカホンタスの生活は、先ずイギリス風の外見と作法を身に付けることから始まった。だが、このウィテーカーと言う男、当時は何かと問題の多かったイギリス国教会の人間の中でも特に問題視されていた人物の一人で、異教徒に対しては過度なまでの暴力を振るい、力で強制的に改宗させる手段を率先して行っていた。
彼女の着ていたポウハタン部族の衣服は脱がされ、代わりに身をキツく締めるコルセットを付けられ、袖の長いブラウスを着て、くるぶしまで届く裾の長いスカートを履いた。
ウィテーカー牧師は、ポカホンタスがポウハタンの言葉を話すことを一切禁じた。
彼女が一人でポウハタンの歌を歌っていれば鞭で叩き、食事の前に大いなる精霊に感謝の祈りを捧げようとすればその場で殴って言い聞かせる等、徹底して英語を強制した。
最も、数年前にスミスからイギリスの言葉を教わっていた彼女は、それ程の苦もなくすぐに流暢な王室英語を身に付けた。そして、同時にイギリス上流階級の作法を学んで自然に振る舞うことも出来るようになった。
ポカホンタスが万一強制を拒んだ時のことを考えて、拷問に近いやり方で改宗させる手段も牧師は用意していたが、意外にも彼女は自らの意思でイギリスの文化を吸収した。だが、牧師はポカホンタスが見せる旺盛な好奇心の動機がスミスであることを知らなかった。
バージニア会社と、そしてデールをはじめとするジェームズタウンの指導者達が牧師に最も期待したのは、「野蛮な邪教を信じるポカホンタス」をキリスト教に導くことだった。
牧師はその期待に応えようと連日のように彼女の前で聖書を読み、安息日には朝から福音や教義を説いた。そして、ポカホンタスがポウハタンの文化に連なる行動を取ろうとすれば暴力を以てそれを禁止した。
★
ポカホンタスにとって、スミスの国の言葉やスミスの国の作法を学ぶこと自体は大して苦でもなかったが、ウィテーカー牧師の説くキリスト教の考え方やその教え方と言うのは、どうにも納得が行かないことだらけだった。
ある時ポカホンタスは、牧師が安息日である日曜日にたまたま砦の修繕作業をしていた職人を捕まえ、何故教会に行かず安息日に働いているのかと叱っていたのを見て質問する。
「牧師様、なぜ牧師様はあの人を叱るのですか?」
ウィテーカーは、週に一度の日曜日は教会へ行って主であるイエス・キリストの為に祈る日なのだと説明したが、ポカホンタスにはどうしても理解が出来なかった。
大いなる精霊と共に生きるポウハタンの人々は、日常生活の中の様々な機会の中で祈り、感謝して生きている。大いなる精霊は、いつでもどこにでもいる。本の中に教えがあり、週に一度だけ決まった建物に入って祈ることの意味がポカホンタスには分からなかった。しかし彼女は、それを否定するのではなく素直に受け入れた。
スミスの国の習慣なのだと理解し、牧師の言うことを信じてみることにした。英語を話したり聞いたりすることは出来るようになったが、読むことだけはどうにも苦手だったポカホンタスは、ウィテーカーが所有していたあらゆる種類の神学に関する本を読んでもらい、それを理解しようと努力した。
ウィテーカーは、熱心な信徒であるポカホンタスに洗礼を受けることを奨めた。彼女の中にある真意に気付くこともなく……。
「私は、邪教を信じる野蛮人を真の神の道に導く為にこのバージニアへやって来たのだ。ポカホンタスよ、君も神を崇め神と共に生きていかなければならない。神様は、この世に一人しかいないのだ。大いなる精霊だか何だか知らないが、そんな邪教など捨て去ってキリスト教徒としてその身を捧げなさい」
ポカホンタスは、ウィテーカーが言う「神」はポウハタンの「大いなる精霊」とどう違うのかを考えた。神は一人しかいないとウィテーカーは言う。だがポウハタンでは、大いなる精霊はどこにでもいる。山や川や花や木、そして人にも全て大いなる精霊が宿っている。全てのものは大いなる精霊の贈り物だ。ポカホンタスはずっとそう信じて来た。
だからこそ、ポカホンタスは混乱した。
理解出来ないからこそ、洗礼を受ける気にはなれなかったのだ。
「牧師様。イギリスの神様と大いなる精霊は、何が違うのですか?」
「いいか、大いなる精霊は我々の崇める神とは違うのだ!君は黙って神様に祈ればいい!」
ただ質問をするだけのポカホンタスに対し、ウィテーカーは何度も繰り返し恫喝した。
お互いがお互いの考えていることを尊敬し合うことが大切だとポカホンタスは小さい頃から言われて育った。本人が大切にしていることや大事に思っていることは、たとえそれが自分の意見と違っていても充分な敬意を払わなければならないと教えられていた。自分の考えを他人に押しつけるなと、父であるポウハタンにくどいほど言われていた。
ところがウィテーカーは、ポカホンタスが何よりも大切に思っている大いなる精霊に対する祈りや感謝を徹底的に禁止して、イギリス人の神を信じろと言う。
大いなる精霊のことをほんの少しでも口に出せば、ウィテーカーからの容赦ない暴言や暴力が待っていた。だが、ボカホンタスはそれをも受け入れた。
スミスが信じている神を、自分も信じてみようと思ったのだ。
(スミス……)
愛するスミスのことを想い続けるポカホンタスであったが、同時にへンリコ砦の環境は彼女の精神を徐々に……しかし確実に、蝕んで行った。
★
ウィテーカーの徹底した思想の弾圧はポカホンタスの身にも変調を来すようになった。
日が経つにつれ、彼女が幼き頃より見え、聴こえていた大いなる精霊の存在が次第に感じ取れなくなっていたのだ。ポカホンタスは激しく動揺した。
「フィリアンノ?フィリアンノ……?」
ポカホンタスがへンリコ砦に移された後でも、遠目から様子を見に来てくれていたフィリアンノだったが、彼女の姿は日に日に見えなくなって行った。
フィリアンノの方もポカホンタスの異変に気付いていた。まるでマニトウと心を通わせる力を失ってしまったかのように、彼女はフィリアンノの存在に対して反応をしなくなったのだ。
「一体、どうなってんの?ポカホンタスは何で、私が来ても何も反応しないの?」
自分の存在がポカホンタスの中から消えてしまったような感覚……フィリアンノは何処か寂し気な表情で、遠くから囚われの友人を見つめていた。
これまで自分を支え、導いてくれた存在……そして、大事な友達であったフィリアンノが自身の世界からいなくなる感覚に、ポカホンタスは震えが止まらなかった。
(スミスとアリーヤだけじゃない。フィリアンノまで……!)
これは大いなる精霊を見捨ててイギリスの神を信仰した罰なのだろうか……ポカホンタスの心は強い不安に苛まれていた。そんな彼女の元に更に悲しい知らせが届く。
「スミスが……死んだ……?」
ポカホンタスは、その噂を聞いて呆然と立ち尽くした。
瀕死の重傷を負ったスミスが本国へ戻る途中の洋上で容態を悪化させて死亡したと言う噂が、パーシーによってジェームズタウンに流されたのは随分前のことであったが、ポカホンタスがそれを聞いたのは、その時が初めてだった。
ポカホンタスは自分の中の焦燥感を必死に抑え、ウィテーカーからスミスが怪我をした時の詳しい様子を聞いた。
「スミス大尉はまだ夜も明けぬ内に、一人でジェームズタウンの岸からボートを漕ぎ出したのだ。武器庫から持ち出したとされる大量の弾薬を積んでな」
「一体……彼は何処へ行こうとしてたのですか……?」
ポカホンタスが、流暢な英語でウィテーカーに尋ねた。
「確かなことは分からないが、ポカホンタス……彼は君を探し出して、何処か遠くへ旅に出ようとしていたのではないかと言う者もいた。ジェームズタウンを、そして祖国であるイギリスを裏切ってな」
あまりにも非情な言葉に、ポカホンタスは言葉を失った。そんな彼女のことなど無視するかのように、ウィテーカーは続ける。
「ところがボートを漕ぎ出して間もなく、森の奥に潜んでいたポウハタンの戦士が彼を火矢で狙った。そして、その矢がボートに積んであった銃の火薬に命中してスミス大尉は全身火だるまになってしまったのだ。その場では辛うじて一命は取り留めたのだが、朦朧とする意識の中でスミス大尉は何度も君の名を呼び続けていたそうだ」
父を裏切り、ポウハタンの村を追われるように離れ、白き者達に捕われ、ポウハタンの言葉や大いなる精霊を捨てることを強制されても尚、ポカホンタスが今日まで強く生きていられたのは、いつかきっとスミスに会えると信じていたからだ。
そのスミスがもうこの世にはいないとポカホンタスは聞かされた。それも、ポカホンタスを迎えに行こうとして致命的な怪我を負ったと言う。
死の際に瀕して尚、自分の名前を呼び続けていた……そのことにポカホンタスは胸を締めつけられた。そして突然訪れた大きな悲しみの中でポカホンタスは、スミスが自分を忘れてはなかったのだということに僅かな救いを見出して涙をこらえた。否、そうすることでしか自身の救いを見つけることが出来なかったのだ。
スミスは死んだ……アリーヤもいない……フィリアンノも見えなくなっていた。孤独の中でポカホンタスは絶望に打ちひしがれていた。
★
ジェームズ川とパムンキー川に挟まれた土地でタバコの栽培に挑んでいた二十八歳の入植者であるジョン・ロルフがポカホンタスと出会ったのは、所用で彼がヘンリコ砦に出かけた時のことであった。
安息日に教会へ立ち寄ったロルフは、そこで初めてポカホンタスを見た。そして牧師の説教を光が宿らない虚ろな眼で聴いているポカホンタスの姿に、ロルフは興味を抱いた。
「へぇ……」
アリーヤとはまた違う、禍々しい色彩の赤い髪に左右で瞳の色が異なる目(オッドアイ)をした彼は、不敵な笑みを浮かべながら見つめていた。
一六〇九年、スミスがジェームズタウンを離れる直前に、ニューポート船長の船に乗って妻と共にバージニアに入植したジョン・ロルフは、その妻と……そしてバージニア到着後に生まれた娘を、飢餓時代と呼ばれたその年の冬に亡くしていた。
その後独りになったロルフは、寂しさを紛らす為に畑仕事に精を出した。彼が着目していたのは、当時スペインが西インド諸島で成功を収め金や銀よりも富を生むと言われていたタバコの栽培だった。ロルフがポカホンタスに会ったのは、そのタバコの栽培がようやく軌道に乗り始めるかどうかという時期のことだった。
ロルフは、ポカホンタスとスミスの関係を知っていた。スミスの命を一度ならず助け、このジェームズタウンが飢餓で苦しんでいる時に幾度となく救いの手を差し伸べた天使だと言うことを多くの人から聞かされていた。
そのポカホンタスに、ロルフは次第に心を奪われて行った。何処か憂いを秘めたポカホンタスの黄金に輝く瞳に惹き込まれてしまった。妻子を亡くして四年……ポカホンタスと新しい人生を共にして行きたいと、ロルフは彼女を一目見た瞬間に強く思った。
そして初めて会ったその日から、ロルフは度々ヘンリコ砦に用を作っては牧師の所に足繁く通い詰めてポカホンタスに会った。それはたちまち植民地の噂になった。
ポカホンタスと会うようになって、ロルフは彼女が最近になってスミスの死に関する噂を聞き、深く嘆き悲しんでいることを知った。当然ながら、ロルフにはどうすることも出来ない大きな悲しみだった。
ある時、ロルフはウィテーカー牧師の許しを得て、塞ぎ込んでいた彼女を自分の農園に連れて行った。そこは金や銀より貴重だと言われるタバコを栽培する畑だった。
「凄い……これ全部がタバコの?」
「あぁ、そうだ。だが、今のジェームズタウンを支えて行くには、まだ足りない。僕にはこれからやらなければならないことが沢山ある」
ロルフは、溢れる太陽の日差しの中でポカホンタスに夢を語った。
彼の運営するタバコ畑は、ポカホンタスにポウハタンの生活を思い出させた。そこには柔らかな土があって、澄み切った空があって、全てを包み込む風が吹いていた。
イギリス上流階級の生活に馴染もうと努力していたポカホンタスに取って、ロルフの畑は心の翼を広げることが出来る唯一の場所だった。
スミスの死を悼み、毎日嘆き悲しんでいたポカホンタスに取って、その場所は彼女が「空と大地の子供」であることを思い出させる第二の故郷だった。
まるでスミスと共に過ごした頃が戻って来たようだ……そう思うようになったポカホンタスは、自分に出来ることだけでもロルフを支えて行けたらと考えるようになった。
「ロルフ……だったかしら?私で良かったら、力になるわ」
「本当かい?ありがとう、ポカホンタス」
ポカホンタスは、ロルフにポウハタン流のタバコの栽培法を教えた。畑の耕し方、種の蒔き方、収穫の仕方、それに葉の乾燥法を季節毎に手を取って丁寧に教えた。タバコはポウハタンの男達の必需品だ。大いなる精霊に捧げる祈りの道具でもある。ポウハタンの娘であるポカホンタスは、知っている限りの知恵をロルフに授けた。
そうしている内にポカホンタスは、(少しずつではあるが)心が和んで行くのを感じた。やがて彼女は、ロルフの中にスミスの面影を見ている自分に気が付いた。
ポカホンタスとロルフが惹かれ合って行くのにそう時間はかからず、ロルフは思い切った行動に出る。
「デール卿、ポカホンタスと結婚させて下さい」
ロルフは、バージニア総督代理であるデールに相談した。
彼は迷っていた。ポカホンタスの指導でタバコの栽培は思いの外成功し、植民事業としてロルフの畑は経済的に上手く行く兆候を見せ始めていた。ロルフは、いつの間にかバージニア会社の期待の星になっていた。だが、ポカホンタスとの結婚となると話は別だった。誰もがそれを祝福してくれるとは限らない可能性もロルフは考慮していた。
ただ彼女と結婚したいと言ったところで「邪教を信じる野蛮人の娘と結婚だなんて非道徳的だ」と、植民地はおろか本国からも激しい非難を浴びせられるだろうと想定していた。
「ふ~ん……で、彼女の気持ちはどうなんだ?」
意外なことに相談を持ちかけられたデール本人は、二人の結婚自体に反対するつもりはなかった。寧ろ戦争状態にある敵方の将であるポウハタンの娘と、植民地の期待の星であるロルフが結婚することは、様々な点で有益だと考えた。
ポカホンタスを捕虜にして以来、いつになっても実現しないイギリス人捕虜の解放や奪われた武器の返還等、ポウハタンとの交渉に大きな進展が起きるのではないかとデールは考えたのだ。それに二人の結婚が上手く行けば、バージニア会社に取っても絶好の宣伝材料になり、植民地経営の為の出資者集めに貢献するだろうとの読みもあった。
「ポカホンタスには、デール卿のお許しを頂いてから結婚を申し込もうと思っております」
「ほぉ……俺の許可ねぇ」
「はい」
デールの反対を覚悟していたロルフは、彼を何とか説得しようと言葉を重ねた。説得の材料になりそうなものを頭の片っ端から引き出して行き、得意の交渉術で進言する。
「私がポカホンタスと結婚しようと言う重大なる決意をしたのは、何も独り身に耐え切れずに女性を求めようとしているのではなく、祖国イギリスと国王ジェームズ一世の名誉の為、そして神の栄光の為であり、邪教を信じる野蛮なインディアンの娘であるポカホンタスを神とイエス・キリストの子として真実の道に導こうとする為なのです」
「クッ……ハハハハハハ!」
「デール卿……?」
「あぁ、イヤ。お前ぇの言いたいことは、よく分かったよ。本気なのは充分に伝わった。いいぜ、好きにしろよ」
デールは笑ってロルフの演説を止めた。そしてポカホンタスが了解しさえすれば何も問題はないとロルフに告げた。この時点で、二人の結婚はほぼ決まったようなものであった。
後日、ロルフはポカホンタスの所へ赴き、彼女に自分の気持ちを伝える。
「ポカホンタス。僕と結婚して欲しい」
二人が育てたタバコ畑で、ロルフはポカホンタスに結婚を申し込んだ。ロルフは、ポカホンタスが彼の中にスミスを見ていることを知っていた。だが、それでも構わないと思っていた。
ポカホンタスは、ロルフの優しさを感じていた。スミスを失ったポカホンタスの虚ろな心はロルフの愛で次第に満たされ始めていた。そして、囚われの身であるポカホンタスは、ロルフからの求婚を断わることが出来る立場でないことも知っていた。
だが、彼と結婚することに対して、父や部族連合の皆はどう思うのだろう。本当に彼との結婚を受け入れても良いのだろうか……そんな葛藤も、彼女の中に渦巻いていた。
「……本当に私でいいの?」
「勿論。僕には君が必要なんだ」
ロルフは真っ直ぐな瞳で、ポカホンタスの目を見ながら言った。
ロルフの姿にスミスを重ねたポカホンタスは、彼に一つ条件を出す。
「なら、約束して……絶対に死なないって。もう、誰にもいなくなって欲しくないから」
自分は一度、愛する人を失った……だからこそ、ロルフにも消えて欲しくない。ポカホンタスはそんな思いを胸に、ロルフへ言った。ロルフもまた、スミスを想い続けている彼女の気持ちを察して、返答する。
「あぁ……誓おう。この命ある限り、君を護り抜く。そして、君の前では絶対に死なない」
彼女の言葉に応えるようにロルフは静かに、そして力強く宣言した。
「ロルフ……」
ロルフの真摯な言葉を聞き入れたポカホンタスは、彼の求婚を受け入れた。
バージニア総督代理であるデールはロルフの報告を受け、ポカホンタスの父であるポウハタンにも、一応二人の結婚に関して事前に伝えておこうと考えた。
万が一何の通達もなしに事を進めた場合、後から娘を取り戻そうと植民地に大襲撃を加えられても困る。それに、ひょっとすると結婚を阻止する為に「捕虜と武器を返還するから娘を返せ」と言い寄って来ることもなくはない。それはそれで可能性としては有り得るし、その時はイギリス流の歓迎をするつもりだった。
一六一四年三月。デールはロルフとポカホンタス、それに念の為としてジェームズタウンの男達百人余りを引き連れ、アーガルの操舵するトレジャラー号に乗って、懐かしきウェロウォコモコを訪れた。だが、ポウハタンは直接デール一行に会おうとしなかった。彼は心を鬼にして、ポカホンタスと会うことを避けた。もし会ってしまえば、捕虜や武器と交換してでも娘を取り戻したくなるのが分かっていたのだ。
自分の私情で、白き者達と拮抗している部族連合の立場を少しでも揺るがす訳には行かない……そう思いながら、敢えて非情な選択を取った。
ポウハタンは代わりとして、ポカホンタスの異母兄弟二人を船に行かせた。敵との交渉の場では如何に強気な姿勢を見せていても、やはり最愛の娘が無事かどうかが気がかりだったのだ。二人は久し振りに見るポカホンタスが、見た目も身のこなしも随分と変わってしまったことに驚いた。だが話をして、元気にやっていることを知ると安心した。
彼らはデールにポウハタンの伝言を伝えた。
「酋長は『それが娘の心の道ならば、私は結婚に反対しない。どうか相手の方にはポカホンタスを幸せにしてやって頂きたいと思う。私が願うのは、ただそれだけだ』と仰ってました」
事実上の完全追放宣言。
ポカホンタスは父の伝言を聞いて、自分がもう二度とポウハタンには戻れないのだと悟った。ポウハタンの森で生きる酋長の娘としてではなく、イギリスの植民地であるバージニアでタバコを栽培するジョン・ロルフの妻として生きて行くしかないのだと、この時ポカホンタスは覚悟した。
(これが私の選んだ道。さようなら、お父様……さようなら、部族連合の皆……)
ポカホンタスは、涙が流れ出そうになるのを必死でこらえながら、ただ前だけを見つめた。
★
ポカホンタスの誘拐から一年が経とうとしていた。
イギリス上流階級の教育を受け、どこから見ても立派な淑女となったポカホンタスは、ヘンリコ砦の教会でデール達が列席して見守る中、キリスト教の洗礼を受けた。
ウィテーカー牧師の執拗な説得や、ロルフとの結婚にはその前にキリスト教徒として洗礼を受けなければならないという事情があったのだが、もうポウハタンに戻ることは出来ないのだと覚悟を決めた彼女は、ロルフが……そしてスミスが信じていた唯一絶対の神を信じることを選んだ。改宗するしか生きて行く道は残されていなかったのである。ポカホンタスは、牧師に促されて祭壇の十字架に跪いて祈った。
「我らが神であるキリストにより授けられし、汝の新たな名は……レベッカ」
ウィテーカーは無機質な口調で、淡々と述べた。
彼女が授かった洗礼名は『レベッカ』。この日を境に、ポウハタンの少女であるポカホンタスはこの世から消え、バージニアの淑女であるレベッカが誕生した。
洗礼を受けたその日、レベッカはへンリコ砦を出て夕暮れに染まる大きな川を眺めながら一本のナイフを取り出した。そして、自身の長い髪を切り落としたのだ。
「もう、あの頃には戻れない……私には何も残ってない……過去も……名前も……帰る場所も……だから、私はレベッカとして生きる。ただ、前だけを見つめて……!」
悲し気な表情をしながら、レベッカはさっきまで自分の一部だった黒い髪を見つめた。そんな彼女を見てたかのように、突然風が強く吹いて彼女の手にあった髪を攫って行った。
ふと、夜空に輝く一番星がレベッカの目に入る。彼女はいつまでも星を見続けていた。
一六一四年四月五日。この日ジェームズタウンの教会で、ジョン・ロルフとその妻であるレベッカの結婚式が盛大に行なわれた。教会の周辺は美しい春の花々で埋め尽くされた。それはジェームズタウンに訪れた、初めての春らしい春だった。
花嫁は腰までスッポリと覆うモスリンのチュニックと宝石が散りばめられたローブを身に付け、ふわりとしたベールを被り、父の贈り物である真珠の首飾りをして式に臨んだ。
父であるポウハタンは、ジェームズタウンに赴くことがイギリス国王に服従することを意味するとして式に列席することを辞退したが、その代わりに彼の弟でボカホンタスに取っては叔父に当たるオペチャンカナウを代理で出席させた。そしてポウハタンは二人に、結婚の贈り物としてジェームズタウンの北四十マイルに位置する実り多き土地を与える旨を伝えた。
式の間、オペチャンカナウは終始厳しい表情をしていた。
(スミスよ……もし、お前が生きていたら今の状況をどう思うだろうか。あの時に別の道を選んでいたら、今のポカホンタスの隣に立っていたのは……)
レベッカの美しい姿を見つめながら、オペチャンカナウはそう思った。
スミスが最終的に歩んだ道は、間違いにも等しい道だった。だが、彼は本質的には根っからの悪人でもない(寧ろポウハタンの人間に近い)ので、選択を誤らなければ違う未来に辿り着くことも出来た筈だとオペチャンカナウは考えていた。
牧師の説教の間、ロルフはポカホンタスを……否、レベッカを見た。ベールの下で幾分俯き加減だった彼女が、ロルフの視線に気が付いて顔を心持ち上げた。ベールに透けて見えるその黒い瞳には、ロルフの妻として、そしてイギリス人の妻として生きて行くことに対する強い意思が隠れていた。そしてその瞳の中には、まだスミスがいた。
ウィテーカー牧師は、説教を終えると集まった会衆を見渡して言った。
「ここで念の為、ご出席の皆様にお尋ねします。この結婚に対し、正当な理由で異議のある方は今すぐに申し出て下さい。後日異議を申し出て、この結婚を壊すようなことがあってはなりません」
二人の結婚式を一目見ようと集まっていた大勢の男達が静まり返った。
ウィテーカー牧師は会衆をグルリと見回した。ロルフは、イギリス人女性ではなくポウハタンの娘を妻とすることに誰かが異議を唱えるのではないかと怖れた。だが、そこで声を上げるものは誰一人としていなかった。
「……ご異議ないものと認めます。今後、皆様方にはこの結婚に異議を挟んで両名の平和を乱すことのないよう、お願い致します」
宣誓が始まった。ロルフが結婚を誓い、次に牧師がレベッカに尋ねる。
「あなたは神の教えに従って、妻としての分を果たし、常に夫を愛し、敬い、慰め、助け、変わることなく、その健やかなるときも病めるときも、貧しきときも富める時も、命の限りあなたの夫に対して堅く節操を守ることを約束しますか?」
ウィテーカーの言葉を受け、レベッカの心臓が高鳴った。
ここで「約束する」と返答すれば、もう後戻りは出来ない。だが、帰る場所などとうにないレベッカに取っては、後戻りも何もあったものではなかった。
「……」
「約束しますか?」
牧師が繰り返した。
レベッカは、大きく息を吸って、そして言った。
「神と会衆の前で、お約束します」
全てが整った。ロルフは、宣誓を終えたレベッカの耳元に声をひそめて言った。
「ありがとう」
レベッカは、小さく微笑むと再び頭を垂れた。ロルフは、そんなレベッカの横顔をしばらくの間ジッと見つめていた。その瞳の奥には何が秘められているのか、それを知る者は誰もいない……。
荘厳な雰囲気の中、教会の鐘がバージニアの森に鳴り響いた。
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戦国時代、北武蔵を治める藤田氏の娘大福(おふく)は8歳で、新興勢力北条氏康の息子、乙千代丸を婿に貰います。
平和のために、幼いながらも仲睦まじくあろうとする二人ですが、次第に…。
二人三脚で北武蔵を治める二人とはお構いなく、時代の波は大きくうねり始めます。
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
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