執事の喫茶店

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8杯目【後編】

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夢の中、小さな喫茶店の空間は
品のある花の香りで満たされていた

砂が落ち、茶葉の花が咲くのを見守ってから
経営者はガラスポットからグラスに
ロータスティを注いで、口をつけた

独特な香りがさらに強く濃く
言葉にできないコクとともに口に広がる

少し青さも感じるが渋みがなく、飲みやすい

落ち着く味だ、と経営者は思った

二口三口、飲み進めてからグラスを置く

時間は有限

だからお茶に浸りきるだけでなく
やはりこの場で話がしたかった

『さて、少し私の話をしようかと思うんやけど
付き合って頂けるかな、執事さん?』

経営者のその言葉に

「ええ、もちろん。喜んで」

執事は笑みで返した

そうして経営者は語った

彼がこれまで歩んできた道のりは、決して平坦ではなかった

不器用だったからこそ、何度となく失敗をした

時に裏切り裏切られ、ぼろぼろになって
それでも夢を追いかけてきた

やっとできた信頼できる仲間
あるいは今から見極めていく原石たち
これから先に待ち受ける出会い

長く長く、時間を忘れて誰にも言えなかったようなことまで
経営者は自らを語った

『…これが私のこれまでです。
しんどくても、止まる気はとうにない』

経営者の言葉に、執事はただ頷いている。

『正直、話しすぎた自覚はあるんであんまり引かんといて下さいね。
ただ…あなたやったら大丈夫と、なぜか確信してるんです』

経営者は、執事の目を見た

目の奥に、自分の求める何かを見た気がした

「『まあこれ、夢ですしね』」

経営者と執事の声がぴったり重なる
そのタイミングがおかしくて共にくすりと笑う

とても初対面とは思えないリズムだ

が、おそらく本当に「初対面」とは言えない相手だからなのだろう

経営者はそう感じていた

「お話、ありがとうございます。
実は当店、お客様に成功を導く店といわれております。
ですが、お客様はすでにある程度成功されている。

なので、アドバイスというよりは…
お返しとして私の話を少しさせて頂こうかと。
きっとあなたの今後に少しは役に立つかと思いますから」

執事の言葉に
経営者は首を縦にゆっくりと振った

「私もあなたと同じように、不器用に積み重ねて
一定の成功を収めてなおその先が見たくて
必死に仲間と夢を追っていました。

最終的に、望んだ以上の成果を得ましたが、やはり
思うようにいかなかったことなんて無数にありましたね
特に人については本当に苦労があった」

執事の言葉には深い実感がこめられている

まだ望む成果を出せていないものの、彼の言葉に
共感ばかりの経営者は、何度も頷いた

「一緒に何かをしたい。そう思っても手を組んで、でも
見ている世界が違えば、関係は壊れて当たり前。
お金しか見ずに、短期的な一発逆転にすがってしまう。
そして搾取されていくような人たちも残念ながらいました。

あなたの今までにも、そしてこれからにも、同じような
望まぬ変化や裏切りはきっとあることでしょう」

経営者は軽く目を閉じた
出会ってきた人たちのことを思い出す

会社を担う、プロジェクトを背負う
だからこそ、経営の判断はいつだってシビアだ

せっかく積み上げてきたつながりを
切り捨てる必要が生じることだってある

情と判断はいつだって別で
決断に慣れたとはいえ、一人の人間として
経営者だって苦しい思いを何度も抱えた

切り捨てられる側からすれば恨みがあるだろう
でも、切り捨てる側もまた、苦しいものだ

『そうですね、これまでにもありました。
積み上げてきた関係が一度に壊れていく瞬間
今後もきっと、あるでしょう』

つぶやくように、経営者は言葉を返す。

『それでも、全員に手を伸ばせるほど
私には力がないし、そんな気もそもそもない』

自分で立とうとあがく者に
縁とタイミングがあえば、手を差し出す

経営者ができることは、それだけだ

「…ふふ、やはり当然ではありますが
『あなた』は私とよく似ている」

覚悟のこもった経営者の眼差しを
執事は受け取り、言葉を紡ぐ

「それでも出会いを重ねていけば、次につながる
縁が必ず生まれるものです。100あるうちの1か2かも
しれなくても、数を重ねなければ巡り合えない。

私も、ときに失望し、あきらめようかと思い
それでも数少ない相手との縁に、本当に支えられて
結果を出せました。今にたどり着きました」

執事は少し目を伏せたかと思うと
お茶の入ったガラスポットに目を向けた

経営者は、だいぶぬるくなったお茶の
残りを飲み干しながら、言葉の続きを待つ

「トップはいつだって泥をかぶっていくものです。
それでも、泥の中で輝く姿に周りが魅了される。

そう、美しく咲く蓮の花のように」

花の香りが強くなる。
経営者はくらりとめまいを感じた。

「さあ、夢はおしまいです。
強引にでも、お会いできてやはりよかった」

意識が遠のいていく。
もう目覚めの時間なのだろう。

「泥に負けず、あなたの夢が咲き誇る日が来ることを
私は知っていますから。

あなた方の成功を心より願っています」

経営者が目を開くと
自宅のベッドの上だった

顔色の悪さを周囲に指摘され、予定をやりくりして
家で仮眠をとったことを思い出す

時計を見れば、ほんの数時間
時間の割には、彼の疲れは随分と楽になっていた

経営者の判断が必要な仕事は今日も山積みだ
彼はぐるんと体をまわし、全身に血を巡らせる

『さて、自分のやるべきことをするか』

心には活力が満ちている
最近滅入ることが重なって少し弱っていた経営者は
ただひたすら仕事をしたいと心底思った

今日の仕事が明日につながる
そして、望む未来に変わっていく

(何かいい夢を見たような気がするな…)

自分が見た夢を、経営者は覚えていない

ただ、ベッドには薄く花の香りが残っていた
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