執事の喫茶店

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1杯目【後編】

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扉に招かれたイラストレーターは一歩境界線を越えた所で立ちすくんだ

違う世界に入り込んだ。そう直感する

こぢんまりとした空間はまさしく喫茶店だ

客席はカウンターの数席のみ、古めかしい蓄音機から流れている音楽はジャズのようだ

棚に並ぶカップや調度品は、アンティークで統一されているのかもしれない

イラストレーターは骨董に詳しくはないが、全体に古く愛された風格みたいなものを感じる

「さぁ、お好きなお席へどうぞ」

背中から男に促されたイラストレーターはゆるりと歩みを進め
一番端の席に腰掛けた

普段はせいぜいチェーン店のカフェを利用するくらいだからこそ
洒落た空間にそわそわしてしまう

「どうぞ気を楽に…申し遅れました。私この店のオーナーを務めております」

そういってカウンターの向こうに回った白の燕尾服が優雅に一礼した

「私の事は、執事とでもお呼び下さい」

どうやらオーナーが執事という設定らしい

以前流行った執事カフェのようなものだろうか

(まぁいいや面白いし)

『じゃあ執事さん…メニューを頂けます?』

私の問いかけに執事さんは首を振った

「申し訳ございません当店は私の道楽でして…
お客様に合わせたお勧めの一品のみご提供しております。ご満足頂けなければお代は結構です」

本当に変わった店だ。そもそも存在からして怪しいので今更ではあるが。。

アレルギーや好き嫌いがないイラストレーターは執事のおすすめを大人しく待つ事にした

彼女の目の前で執事の手が迷いなく踊る

おすすめの一品はもう決まっていたらしい

軽く目を閉じて花のような香りと音楽に浸る

心と体の重石が少しずつ外れていくようだ

「お待たせいたしました。貴方への本日のおすすめカモミールミルクティです」

目の前に置かれた大きめのカップに注がれたやさしい乳白色の液体からは湯気が薫る

カップの横に置かれたガラスのミニポットには、黄金色の蜂蜜がたっぷりと注がれていた

「甘さは控えめにしておりますからお好みで蜂蜜をお入れ下さい。
私としては甘めがおすすめですね」

ごくりと唾を飲み込んだ

イラストレーターはミルクティを一口含んで目を輝かせた

乾きが満たされ心がゆるんでいく

もっと甘くしたらきっともっとおいしい

迷わずポットの中の蜂蜜を追加してさらに一口甘さが染みる

しばらくの間イラストレーターは言葉もなくミルクティの味わいを堪能した

「よかったらお使い下さい」

舌に残る甘さの余韻に浸っていると、いきなり彼女の目の前にハンカチが差し出された

自分が泣いていたのだと、イラストレーターはそこで初めて気がついた

成果が出ない仕事けんか別れした恋人

思いばかり空回りする状況は、自覚のないまま彼女の心身を削っていた

執事は彼女を笑わず淡々と言葉を紡いだ

「…よかったらお悩みを話してみませんか?
あなたが望む成功をそして何が一体妨げているのか。お力になれるかもしれませんよ」

イラストレーターにとって執事は初対面だ

普通なら絶対に口を開かなかっただろう

でも

ミルクティにゆるんだ心のまま彼女はぽつぽつと自分の悩みを話し始めた

執事はところどころ相槌をうちつつ、彼女の話を聞いている

溜め込んでいた胸の内を話し終えたころ

イラストレーターの目の前にはお茶のお代わりが用意されていた

「いいものを作ろうと努力を重ねても安定した収入にならず、周囲にも理解を得にくい」

「多くのクリエイターが抱える課題…」

執事はカウンターから少しだけ彼女の方へと身を乗り出した

「そうですね…あなたはまず巨人の肩に乗ることから始められたらよろしいかと」

ピンと指を立てる執事の言葉にイラストレーターは首を傾げる

巨人の肩に乗るとは一体どういう意味なのか
彼女には見当がつかなかった

執事は薄く笑って彼自身の経験を語り始めた

かつて彼自身が多くのクリエイターと仕事をしていたのだという

イラストや動画など様々な商品・サービスを手掛けていたらしい

「最初はほぼ無料に近い価格でご提供していましたね。
もちろんクオリティは一切落とさずです。
クリエイターの方々へのお支払いを考えれば完全に赤字、それでも意図を持って続けていました」

イラストレーターは眉をしかめた

どう考えてもビジネスとして採算に合わない

「私たちは信頼をまず築くことを選びました。
もちろん相手は厳選し、採算を抜きに価値を積み重ねた。結果どうなったと思います?」

今まで彼女が考えたこともない切り口だった

執事の楽しげな口調から察するに、良い結果に繋がったのだろう

「やがて積み重ねたものが何倍にもなって返ってきたのです。
紹介が次々と起こり、赤字を埋めるどころか先につながる利益を生み出した」

一仕事ごとの売上に、一喜一憂していた

イラストレーターからすれば未知の世界だ

でも自分の仕事を紹介してくれる人が次々と現れたならどれほど幸せなことだろう

「あなたはがんばっていらっしゃる。
親しい方に反対されてでも、諦めずに自分の夢を叶えようと
作品のクオリティを高めるべく身を削られている」


言い聞かせるような執事の言葉に彼女はただ首を縦に振る

結果がなかなか出なくても、自分が積み重ねてきたことを今は認めてやりたかった

「それでも十分な売上につながらないのならいっそ損を覚悟で相手を見定めて、
すでに力を持つ巨人にとことん価値を提供してみては?と思うのです。そうすれば肩を借りられる」

ただし、と執事は言葉を続けた。

「騙そうとする相手もいるでしょう。思う結果にならないこともあるでしょう。
成功するには、全てを経験値に変える強さが必要です」

イラストレーターは息を呑んだ

本当にお前は成功したいのか?

今、自分は覚悟を問われているのだ

彼女は少しだけ目を閉じた

今まで描いてきた作品や頂いたお客様の声を次々に思い出す

もう仕事をやめようかと悩んでそれでも結局描き続けることを選んだのは自分だ。

最後に別れた恋人の顔を一瞬だけ脳裏に浮かぶ

彼女は目を開けて未練ごとその像を消し去った

「私は、強くなりたいんです。自分のイラストで、自分の力で生きていきたい」

執事の視線から目をそらさずイラストレーターは告げた。

それが今の彼女にとっての成功だった

彼女の決意を、執事は見届ける

そして、小さな拍手を彼女に贈った

「素晴らしい。やはりお招きして正解でした。
あなたにカモミールティをおすすめした甲斐があった」

カモミールは生命力の強いハーブだ

花言葉は「苦難の中の力」

今夜の決意を忘れなければ、彼女はきっと自らの成功をつかむだろう。

「さあ、あなたの心が固まったところで、今夜はもう店じまいといたしましょう」

少し名残惜しさを感じつつ、イラストレーターは席を立つ。

財布の中に入れていたお金は心もとなかったが幸い、
執事が提示したお茶代には足りていた。

「おやすみなさい。あなたの成功を心よりお祈りしております」

執事に見送られ扉を開ける。

まずは価値を提供したいと思える巨人を探すところからだ。

一歩踏み出したところで彼女はふと思い出した。

いつだったか目にした「成功へと導く扉」の噂。

(まさか、そんなわけない…ってえ!?)

イラストレーターは振り返るそこにあったのは自販機だけ。

扉はもうどこにも存在しなかった。


~執事からの成功へのステップ~


相手を見定め損得を抜きに価値と信頼を積み重ねましょう。

そうすれば、積み重ねた何倍もの成果が返ってきます。

ただしときに、うまくいかないことがあるのは常。

失敗も含めて経験に変える強さは必要不可欠です。
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