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1杯目【前編】
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深夜23時
鉛筆を走らせる音だけが部屋に響いていた
机に置かれた資料本の山が
今にも崩れそうだが、
机の主たるイラストレーターは見向きもしない
大枠のラフにさらに描き込みを加えていく
デッサンや構図は色でごまかしがきかない
描き込むごとに鼓動を感じるような
この瞬間がイラストレーターは好きだった
今回の仕事はSNS経由でのヘッダー作成
依頼人のイメージを紙に落とし込んでいく
仕事の対価はアルバイトの日給以下
制作時間を考えればとても割に合わない
毎日仕事が入るわけもないから
週3日はアルバイトを入れざるをえない
できればイラストをずっと描いていたい
描きたい世界には自分の技量はまだまだ及ばない
イラストだけでは生きていけない現実を認めよう
それでも自分はプロとしてありたい
そう決めてから全ての仕事は彼女にとって、
いつだって真剣勝負だった
深夜0時
リズミカルな描き筋は、鈍く芯が折れた音で
思わぬ中断を迎えた
集中も切れたし明日のバイトを思えば
早めに眠るべきだろう
「そういやコーヒーも切らしていたか…」
思わず舌打ちしてしまう
仕事の合間はもちろん、
朝をすっきり始めるにはコーヒーは不可欠だ
寝る前に朝用のコーヒーだけ調達してこよう
家の近くの自販機まで徒歩5分
夜だし部屋着のままでいいだろう
使い古したスラックスに色褪せたTシャツ
サンダルに素足を通して財布を片手に
イラストレーターは深夜の小散歩へと繰り出した
100円玉を自販機に突っ込んでボタンを押す
缶コーヒーはおいしくないが
予備を含めて念のため3本買っておこう
缶3本を手に抱えてふと辺りを見回した
時間も時間だ
人通りはほとんどない
そもそもサンダル履きの時点で今更だが
急に人の目が気になったのだ
今の自分の格好は周囲からどう映るのか
特にあの男だったら嘲笑うだろうか
女を捨てていると非難するだろうか
もうどうでもいいことだ
イラストレーターは一ヶ月前に
恋人と別れたばかりだった
イラストで生きていきたいという彼女を
最初は応援していた男も次第に
現実を見ろと言うようになった
どうせ食えない仕事なのだから
さっさと諦めろと彼は繰り返した
最後の頃は会うたびに喧嘩を繰り返した
そうして彼女は恋人よりも自分の仕事にかける夢をとった
いつか作品をもっと多くの人に広めたい
イラストの力で色んな人を幸せにしたい
SNSで作品を公開するたびに
もらう反応の数々
そして少しずつでも頂く
仕事の依頼が彼女を支えていた
夜空を見上げれば赤い月が
他の星たちを圧倒するように輝いている
イラストレータはぐっと拳を握りしめた
「私は、イラストの仕事で成功する…!」
彼女の声を聴く者は誰もいないはずだった
瞬間強い光が襲った
車のヘッドライトか何かだろうか
イラストレーターは耐えきれずぎゅっと目を閉じた
(今のはなんだったの…まだ目がチカチカする)
時間にして数秒
恐る恐るまぶたを開く
目の前には自販機
それはいい
問題はその横だ
自販機の横には扉があった
アンティークじみた木の扉にドアノブがついている
「え、嘘。さっきまでなかったよね…」
目の前にあるものが信じられない
いつの間にか実は夢の中にいたのだろうか
明らかにおかしな事態なのに
扉の向こうから漂う甘い香りのせいか
心はむしろ落ち着いている
(扉ってそういえば、どこかで何か見たような…)
現実感は置き去りで頭はうまく動かない
その場から動けずにいたイラストレーターの前で
カシャンと鍵が開く音がした
「おや、お客様ですね。こんばんは」
固まる彼女に届いたのはやわらかな夜の挨拶
落ち着いた少し低めの声が耳に心地よく染みる
扉の向こうから現れた白ずくめのタキシードに
イラストレーターは目を丸くした
抱えていたコーヒー缶が落ちそうになり、思わず慌てる
「さて、よろしければお茶でもいかがですか?
こう見えて、知る人ぞ知る喫茶店なのですよ」
ちらりと扉を覗いてみるとコーヒーのサイフォンや
真っ白で綺麗に磨かれたカップが並ぶ棚
そして木のカウンターと椅子が目に入った
どう考えても怪しい
でも好奇心が疼く
(明らかに格好が場違いだけどね…)
ためらうイラストレーターに、
店主と思わしき男性はウインクをひとつ
「どうぞ気を楽に。
あなたは大事なお客様です、歓迎いたしますよ」
イラストレーターには男の優しい声には
嘘がないように思えた
何よりこの扉を待ち望んでいたのだと
彼女はどこかで知っていた
「では、お茶だけ…」
軽く会釈して扉をくぐる
そうして、イラストレーターは
扉に招かれたのだった
招いたお客様は今宵はおひとり
「彼女はどんな成功を望まれるのでしょうね?
いずれにせよ心ばかりのおもてなしと導きを」
男は扉を閉めながら
誰に聴かせるでもなくつぶやいた
鉛筆を走らせる音だけが部屋に響いていた
机に置かれた資料本の山が
今にも崩れそうだが、
机の主たるイラストレーターは見向きもしない
大枠のラフにさらに描き込みを加えていく
デッサンや構図は色でごまかしがきかない
描き込むごとに鼓動を感じるような
この瞬間がイラストレーターは好きだった
今回の仕事はSNS経由でのヘッダー作成
依頼人のイメージを紙に落とし込んでいく
仕事の対価はアルバイトの日給以下
制作時間を考えればとても割に合わない
毎日仕事が入るわけもないから
週3日はアルバイトを入れざるをえない
できればイラストをずっと描いていたい
描きたい世界には自分の技量はまだまだ及ばない
イラストだけでは生きていけない現実を認めよう
それでも自分はプロとしてありたい
そう決めてから全ての仕事は彼女にとって、
いつだって真剣勝負だった
深夜0時
リズミカルな描き筋は、鈍く芯が折れた音で
思わぬ中断を迎えた
集中も切れたし明日のバイトを思えば
早めに眠るべきだろう
「そういやコーヒーも切らしていたか…」
思わず舌打ちしてしまう
仕事の合間はもちろん、
朝をすっきり始めるにはコーヒーは不可欠だ
寝る前に朝用のコーヒーだけ調達してこよう
家の近くの自販機まで徒歩5分
夜だし部屋着のままでいいだろう
使い古したスラックスに色褪せたTシャツ
サンダルに素足を通して財布を片手に
イラストレーターは深夜の小散歩へと繰り出した
100円玉を自販機に突っ込んでボタンを押す
缶コーヒーはおいしくないが
予備を含めて念のため3本買っておこう
缶3本を手に抱えてふと辺りを見回した
時間も時間だ
人通りはほとんどない
そもそもサンダル履きの時点で今更だが
急に人の目が気になったのだ
今の自分の格好は周囲からどう映るのか
特にあの男だったら嘲笑うだろうか
女を捨てていると非難するだろうか
もうどうでもいいことだ
イラストレーターは一ヶ月前に
恋人と別れたばかりだった
イラストで生きていきたいという彼女を
最初は応援していた男も次第に
現実を見ろと言うようになった
どうせ食えない仕事なのだから
さっさと諦めろと彼は繰り返した
最後の頃は会うたびに喧嘩を繰り返した
そうして彼女は恋人よりも自分の仕事にかける夢をとった
いつか作品をもっと多くの人に広めたい
イラストの力で色んな人を幸せにしたい
SNSで作品を公開するたびに
もらう反応の数々
そして少しずつでも頂く
仕事の依頼が彼女を支えていた
夜空を見上げれば赤い月が
他の星たちを圧倒するように輝いている
イラストレータはぐっと拳を握りしめた
「私は、イラストの仕事で成功する…!」
彼女の声を聴く者は誰もいないはずだった
瞬間強い光が襲った
車のヘッドライトか何かだろうか
イラストレーターは耐えきれずぎゅっと目を閉じた
(今のはなんだったの…まだ目がチカチカする)
時間にして数秒
恐る恐るまぶたを開く
目の前には自販機
それはいい
問題はその横だ
自販機の横には扉があった
アンティークじみた木の扉にドアノブがついている
「え、嘘。さっきまでなかったよね…」
目の前にあるものが信じられない
いつの間にか実は夢の中にいたのだろうか
明らかにおかしな事態なのに
扉の向こうから漂う甘い香りのせいか
心はむしろ落ち着いている
(扉ってそういえば、どこかで何か見たような…)
現実感は置き去りで頭はうまく動かない
その場から動けずにいたイラストレーターの前で
カシャンと鍵が開く音がした
「おや、お客様ですね。こんばんは」
固まる彼女に届いたのはやわらかな夜の挨拶
落ち着いた少し低めの声が耳に心地よく染みる
扉の向こうから現れた白ずくめのタキシードに
イラストレーターは目を丸くした
抱えていたコーヒー缶が落ちそうになり、思わず慌てる
「さて、よろしければお茶でもいかがですか?
こう見えて、知る人ぞ知る喫茶店なのですよ」
ちらりと扉を覗いてみるとコーヒーのサイフォンや
真っ白で綺麗に磨かれたカップが並ぶ棚
そして木のカウンターと椅子が目に入った
どう考えても怪しい
でも好奇心が疼く
(明らかに格好が場違いだけどね…)
ためらうイラストレーターに、
店主と思わしき男性はウインクをひとつ
「どうぞ気を楽に。
あなたは大事なお客様です、歓迎いたしますよ」
イラストレーターには男の優しい声には
嘘がないように思えた
何よりこの扉を待ち望んでいたのだと
彼女はどこかで知っていた
「では、お茶だけ…」
軽く会釈して扉をくぐる
そうして、イラストレーターは
扉に招かれたのだった
招いたお客様は今宵はおひとり
「彼女はどんな成功を望まれるのでしょうね?
いずれにせよ心ばかりのおもてなしと導きを」
男は扉を閉めながら
誰に聴かせるでもなくつぶやいた
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