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第2.5章 コンテスト!?
久遠明良の場合
しおりを挟む久遠明良の場合
――久遠明良の朝は早い。
学園一の不良と言われる彼だが、その生活は驚くほどに規則正しい。五時半にはベッドを出て、諸々の支度をした後、自室のキッチンに立つ。前日の夜に下ごしらえしておいた材料を主に用い、簡単に弁当箱に詰める作業は、彼の日課だった。入学から続けてきたことだが、最近はもう一つ、弁当箱が増えた。オレンジ色のそれは、図々しいクラスメイトのものだ。自分のものと同じものを、彼の弁当箱にも詰めていく。
豚肉の生姜焼き、白いご飯、ポテトサラダ、インゲンとトマトのサラダ。
四角い箱の中にバランスを考えて詰め込むと、久遠は小さく息を吐き出した。
昨夜やらかした傷が痛む。切れた口内を舌先で一度舐めて、眉を寄せた。
そもそも彼が学園一の不良と呼ばれるのには、理由があった。赤い髪に顎髭、鋭い目つき、そして着崩した制服と、姿かたちも真面目には程遠いものがある。たまに授業を抜けて屋上で煙草を吸ったり、昼寝をしたりと、素行にも問題はある。しかしそれくらい、かわいいものだ。彼の一番の問題点は、――喧嘩っぱやいところにある。
元々外見の派手さが目立ち、入学早々に上級生に絡まれた。絡まれたので、返り討ちにしてやった。一対多数の喧嘩は、久遠の勝利で呆気なく幕を閉じた。中学時代から喧嘩には慣れている身からすれば、所謂いいトコのお坊ちゃん崩れの不良の相手なんて、物足りないくらいだった。それから、毎日、その不良グループの誰かしらには因縁をつけられ、喧嘩を買う日々が続いた。
1年の久遠はヤバいらしい、そんな噂が、流れるようになった。噂というものは、尾鰭がついてまわるものだ。警察の世話になったらしい、薬の密売に手を出しているらしい、ヤのつく仕事にかかわっているらしい、等々。相手にする価値もない、根も葉もないものばかりだった。しかし、それ以降、無駄に絡まれることはなくなった。学園内では。
学園の外が、問題だ。久遠が一人で歩いていると、明らかに堅気ではないものから絡まれる。それも複数。最初は馬鹿正直に相手をしていたが、ナイフやらを持ち出されると流石に焦った。尾鰭がついた噂話が基か、いいトコのお坊ちゃんに目を付けられたのが基か、あるいはその両方か。自覚がないまま、多くの大人を敵に回してしまったようだ。一度喧嘩で大きな傷を負い、入院したこともある。その入院が元で留年し、それがさらに、あらゆる噂を呼んだ。
昨夜も、食材を買いにスーパーに出かけたら、帰り掛けに絡まれた。幸い素手の相手だったが、何発か食らってしまった。もちろん、倍にして返したけれど。
「うわー久遠くんどしたのその傷、痛くない?」
朝のホームルームに間に合うギリギリの時間帯に教室に入ると、口許についた傷を目敏く見付けた鈴宮が、声をかけてきた。2年で同じクラスになった鈴宮は、久遠に臆することなく話しかけてくる、数少ない人物だ。
「ああ、大丈夫だ」
「大丈夫そうに見えないけど。……使う?」
口許を撫でながら顎を引くが、心配そうに眉を顰めた鈴宮が、一枚の絆創膏を差し出してきた。キャラクターもののやけに可愛らしいそれを受け取り、思わず眉を寄せる。
「あ、違うよ、俺の趣味じゃないよ? 女の子にもらったのが残ってたんだって」
その久遠の表情に何かを悟ったらしい鈴宮が早口で弁明してきた。そうだ、彼は派手な見た目に違わず、よく遊んでいるらしかった。
「一応、礼は言っておく」
「どーいたしましてー。……あんまりさー、無理しちゃダメだよ」
鈴宮はたまに、人の心情を見透かしたような言葉を吐く。久遠は一瞬目を瞠り、それから、ふと微かに笑った。そして言葉の代わりに、腕を伸ばして鈴宮の髪をくしゃりと撫でる。鈴宮は驚いたようだったが、すぐに、笑った。
言葉を交わそうと口を開くが、ちょうど担任が入ってきて、前を向かざるを得なくなった。
窓際の席からは、外の様子がよく見える。担任の話を聞き流し、頬杖をついて窓を眺めると、窓に映る、後ろの席の鈴宮が目に入った。朝一番だからか眠そうで、船を漕ぎそうになるのを必死に耐えている。その様子につい口端を持ち上げて、久遠は空を見上げた。普段の非日常が嘘のように、平和な一日の始まりだ。
久遠の一日の中で最も平和な時間が、訪れた。
「マジ、すげーうまいー」
「そうか」
屋上で二人、鈴宮と並んで弁当を食う。オレンジ色の弁当箱は、いつだったか鈴宮が自分で用意してきたものだ。最初は余ったタッパーに詰めてやっていたのだが、流石に申し訳なく思ったらしい。それを緑色の風呂敷のようなクロスに包んでやり、毎日持って来ている。
弁当を渡すと鈴宮はわくわくとした表情になり、大事そうに蓋を開ける。そして目に入る今日のおかずたちに、瞳をきらきらと輝かせた。
「もーほんとさー、料理人になれるよ」
一口含むと、本当に美味そうに笑って、本心なのだろう久遠を持ち上げる言葉を告げる。勿論それに悪い気はしない、久遠は目を細めて、自分でも弁当を食べた。
「あーもー、ちょお、しあわせー」
もぐもぐと米を咀嚼しながら、噛み締めるように言う鈴宮に、つい、ふっと笑ってしまう。
「それはよかった」
「俺の癒しの時間です……」
最近、鈴宮も鈴宮で、生徒会が大変らしい。元々明るい性格だからか愚痴らしい愚痴は聞かないけれど、疲れの滲む表情を見せることが多くなった。しみじみと呟かれるその言葉にも疲労が見え隠れして、久遠は顔を上げた。
「お前こそ、無理するなよ」
「うー久遠くんがやさしい」
「当然のことを言ってるだけだろう」
やる、と言って、デザートに付けたさくらんぼを、鈴宮の弁当箱に乗せた。それに鈴宮はぱっと顔を上げて、とびきりの笑顔になる。
「マジやさしー、ありがとお久遠くん、ちょーあいしてる!」
見えるはずのない、ぱたぱたと振られる尻尾が見えた気がして、久遠は瞬いた。
「そういうのは、もっと重く言ってくれ」
「え、……えー? 重く言ったら駄目じゃない?」
「軽く言われる方が、複雑だ」
「複雑って、……そっかあ」
此方の意図が伝わっているのかいないのか、何か考えるように、鈴宮は下を向いた。弁当箱の中身は順調に減っていて、美味いという言葉に違わずに、彼の好みの味だったことを実感する。
「ね、久遠くん」
呼びかけられて、顔を上げる。そこには真剣な顔をした鈴宮の姿があった。
「大好きだよ」
そして告げられる台詞に、思わず久遠の動きが固まった。
雲一つない青空の下、向かい合った、年下の同級生。少し恥じらうような眼差しで、短く言われて、不良と謳われる男の中にも、流石に動揺が走る。
「鈴宮、」
「その、……久遠くんのご飯」
久遠がゆっくりと手を伸ばし、その頬に触れようとした瞬間、目を逸らした鈴宮が、ぽつりと言葉を付け加えた。意味を捉えて、行き場のなくなった自分の手を握る。
「ああ、……ありがとう」
いつも通り冷静に言葉を返すものの、その胸の中はまさに複雑だ。「重く言ってみたんだけど、どお?」なんて笑う鈴宮を叱る気にもなれず、代わりに大きな息を吐いた。
まったく、いつだって適う気はしない。
倒置法の存在を憎らしく思いながら、けれどそんな心情は億尾も表に出さず、久遠は弁当を掻き込んだ。隣の鈴宮は、「あまー」と暢気にさくらんぼを齧っている。
――願わくは、この日常(しあわせ)は、このままで。
おしまい。
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