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第2章 スポーツ!!!

14 なんかもう、すごく、疲れた。

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14









 なんかもう、すごく、疲れた。

 体育祭から、いろんなことがありすぎた。

 精神的にも肉体的にも、疲れがきている。

 重い足取りで自分の部屋まで辿り着き、いつもと同じ動きで鍵を開けてドアノブを回す。「ただいまー」といういつもと同じ挨拶も、覇気のないものになった。一歩玄関に足を踏み入れると、そこには、豪華なソファも家具もない、いつもと同じ、二人部屋が待ち構えていた。



「おー、おかえり」



 そしていつもと同じ、同部屋の幼馴染が、出迎えてくれた。その声に、心がほっとする。聞き慣れた声は、悔しいけれど、やっぱり心地良い。

 雫は、自分の机に座り、何か作業をしていたようだった。その手を止めて、俺に向き直る。



「なんかすげー疲れてね?」



 俺の顔を見るなり、眉を寄せてそう訊ねてくるから、思わず動きが止まってしまった。



「うーわーなんでわかんの? 引くわー」



 肩に背負った荷物を置き、雫の方に歩み寄る。上着を脱いでTシャツ一枚になり、机と向かいになっている二段ベッドの下に、腰かけた。ふわりとした布団の感触が心地よくて、そのまま倒れるように、布団に背を預ける。雫も後からベッドに乗り上げ、俺のことを見下ろしてきた。ぎしり、二人分の体重に、ベッドが軋む音がする。



「そりゃあね、いつも見てますから」

「なにそれこわい」

「あら、ガチで引いてる?」



 いつもみたいな爽やかな笑顔を浮かべて言うから、俺はつい身構えた。それに雫は楽しげに笑って、俺の顔を覗き込んでくる。



「つうかさー、マジで、つかれた」



 そんな軽口の応酬にもついていけないほど、身も心もへとへとだ。掛け布団代わりにしている薄いタオルケットを抱えるみたいに持って、誤魔化せずに小さく洩らす。雫は微かに笑って、俺の髪に触れてきた。――最近、やけに頭を撫でられる気がする。いろんな人から。



「お疲れさん」

「ほんとだよー、もーやだーあそびたいー」

「遊べないほど忙しいのか?」

「超絶多忙だよー」

「そんなにか」

「会長が抜けた穴は絶大だったんだよ……」



 ううう、会長、という言葉を出しただけで、少し前の衝撃体験が頭に過ぎるのはナイショだ。雫にも絶対、死んでも言えない。



「でも、他の人も仕事してるんだろ?」

「してるけどさー、今さら感半端ないっつーか」

「まさか、お前に全部負担がいってるわけじゃねーよな」



 副会長もいるしな、と呟く雫の声に、俺は緩く首を横に振った。



「そのまさかだよ、雫くん」

「はー?」

「まあ今日は初日だったからさー、仕方ないと思うけどさああ」



 あああダメだ、また愚痴モードに入ってしまう。あんだけ会長のとこでも吐き出したのにまだ足りないとか、どんだけ溜まってんの俺。これは、よろしくない。



「お前は、大丈夫なのか?」



 雫が、声のトーンを落として聞いてくる。大丈夫なのか、そんなの俺にもわからない。



「あっは、むりかもー」

「明るく諦めてんなよ」

「だってさーもー、あの流クンが、こんなに働いてんだよ。これちょっとやばいよ。まさに青天の霹靂」

「そりゃそうか、つーか自分で言うな」



 納得したじゃん、と反論する前に、軽く頭を叩かれた。雫と目を合わせると、意外に真面目な顔をしていた。



「無理だけはすんなよ、マジで」

「なに、心配してくれてんの?」

「当たり前だろ」



 それがちょっとくすぐったくて、茶化すように聞いた問いに、返ってくるのは即答だった。



「じゃあさー、癒してよ」

「は?」



 間の抜けた声が聞こえるのは無視して、俺は、雫の背中に腕を回す。そしてそのまま、抱き寄せた。ベッドの上で、俺の上に雫が覆い被さるような体勢で、ぎゅう、と抱きしめる。何度か雫の方からされたことを、今日はそっくり、お返ししてやった。薄くて硬い身体は抱き心地が良いとは言えないけど、まあ仕方ない。



「な、流クン?」

「俺ってばすげー疲れてんの。ちょお疲労困憊。だからさあ、」



 ――今日だけ、抱き枕になって?



 わざと雫の耳元で小さく囁くと、息を呑む音が聞こえた。その後に、俺の背中にも腕が回され、ぎゅう、と強い力で抱きしめられる。から、俺はすかさず制止した。



「なが、」

「あ、違う違う。動かなくていーから」

「あ?」

「強くぎゅーとか苦しいじゃん。抱き枕は動かないんだよ、はい雫はそのままー」

「なんだそれお前ふざけんな、」

「抱き枕はしゃべりませーん」



 しー、と言って雫の唇に立てた人差し指を当てると、素直に唇を結ぶ。うん、いい感じ。満足した俺は微かに笑って、雫の胸元に顔を埋める。嗅ぎ慣れた洗剤の匂いが鼻を擽り、僅かに目を細めた。



「流サン」

「んー、なに」

「まさかこのまま」

「はい、おやすみ雫ー」

「普通はここでおやすみのちゅーとかいやむしろうっかり一線越えちゃいましたとかそういうドッキリイベントがあるんじゃねーの?!」

「雫うるさいー」

「ごめんなさいね!」

「うん、おやすみー」

「はいはいいい夢見ろよチクショウ!」



 雫のよくわからない垂れ流しの妄想は置いておいて、俺は確かに目を閉じた。人肌は、好き。薄いシャツ越しに感じる体温とか、ちょっと速い気のする鼓動の音とか、そういうものに包まれている感じが安心する。だからこう、できればゴツゴツ硬くて薄いのじゃなくて、ふわふわ柔らかくて丸いのがいいんだけど、この際贅沢はいえない。せっかく隣にある、爽やかイケメンの体温を拝借しよう。口では煩い雫だが、なんだかんだで受け入れてくれる。ほんとにお前いーやつ、という気持ちを込めて、俺はぎゅうと、もう一度だけ、強く抱きしめた。答えるようなため息が降ってくるが、気にしない。

 人と抱き合って眠る心地良さに、すぐに意識を手放すことになった。











 ――無自覚ほど、怖いものはない。



 お前はいつからビッチ系男子になったんだ、いやむしろ小悪魔系か、ていうか完全に誘い受けだよなえっ俺今誘われてる?! これってもしかして据え膳喰わぬはなんとやらまさに据え置いてある膳なんじゃねーのいやいやでもほらすげー寝てるしマジ熟睡だしていうかなんか睫毛長ェなじゃなくて寝顔可愛いなとかじゃなくてくっそ安らかに寝てんじゃねえよマジでもーどうすりゃいいんだこれはあれだ完全に、理性を、試されている……!

 天乃の葛藤も虚しく、腕の中の鈴宮は、完全に安眠モードである。天乃に抱き着きながら、心地よさそうな寝息を立てているその姿は、永遠のフリーマンと称され、学園のカワイコちゃんたちの憧れの的である王子様とは程遠い。安心しきった寝顔を近い距離で見つめていると、次第に、天乃の中の荒ぶった気持ちが落ち着いてきた。相変わらず背中にある腕は離れる気配がないからそのままにして、自由になる方の手で、そっと、鈴宮の髪を撫でる。むずがるように一瞬だけ眉を寄せて首を振る仕草がおかしくて、つい悪戯しそうになるが、起きたら勿体ないとばかりに腕を離した。

 体育祭の準備から、駈けずり回っていたのを知っている。本来だったら分担するはずの仕事を、会長と鈴宮の二人だけでこなしていたことも。普段からおちゃらけているからか、辛い素振りを見せることもなかった。そこで、天乃は眉を寄せる。



 ――気付いてやれたらよかった。



 いや、本当は気付いていた。無理していることも、疲労が蓄積していることも。鈴宮だけではない、会長もだ。けれど自分が出る幕はなくて、どうすることもできなかった。ただの幼馴染、ただの同室者に、そこまでの力はない。

 自分の無力さに唇を噛むと同時に、ふつふつと怒りも湧き上がってきた。全てを二人に任せた体制に、仕事を放棄していた役員に、そして大事なところで倒れてしまった会長に。そこまで考えて、天乃はハッとする。



 ――これじゃあ、まるで。



「ガチで恋してるみたいじゃね、」



 こんな気持ちは、ただの幼馴染に抱く感情ではない。「あーあ」、声にならない声が、宙に浮いた。



「三次元デビューかぁ、……責任とれよ?」



 呟いた言葉が、やけに切ない響きになって、空気に溶けた。

 もちろん、聞こえるはずはないとわかっていて、鈴宮の耳元にそう囁く。案の定鈴宮は、一瞬だけ眉を寄せた。睡眠の邪魔をするなとばかりの反応に天乃は笑い、彼が満足するまでただの抱き枕に徹しようと誓う。

 ――一瞬だけ、その髪先に口づけたのは、ある意味事故の範囲内だ。

















 翌朝、目が醒めたら雫が隣にいるから、思わずベッドから追い出した。いやいや、俺の隣は、可愛い女の子専用なんだってば。



「お前、何にも覚えてねーの?」



 雫が不服そうに言う。



「えー? なんのはなし?」

「雫くん抱いてーって、お前が俺に迫ってきたときの話」

「うん、一回死んで来ようか雫くん」



 とうとう妄想と現実が一緒になってしまったようだ。笑顔でさらりと言い返して、俺もベッドから出る。大分よく寝た気がする、あんなにぐったりと重かった身体が、嘘のように軽い。



「すげー、よく寝たあ」

「そりゃーよかったなあ、……やっぱお前、疲れてたんだな」



 棒読みの声掛けの後、ふと真面目なトーンで雫が言った。どこかしみじみとしている。

「うん、ちょお疲れてたよ」

「まあ、元気になったんなら、いいか」

 

 よしよし、と、何故か満足気に頷いて、雫が俺の頭をぽんぽんと撫でてきた。だから、撫ですぎだってば。年上のおねーさんにされるんならともかく、同じくらいの背丈の同級生にされても、嬉しくもなんともない(いや、俺より背が高い先輩ならいいってもんでもないけど)。



「昨夜のこと、俺は忘れねーから」

「はい?」



 俺がベッドを下りると、すれちがい様に、そう囁かれる。



 ――昨夜のことってなに、歩き出す雫の背中に、尋ねる勇気はなかった。



 ……知らないほうがいいことも、きっと、ある。……よね?















 結局、会長が復活するまでの間は、俺が中心になってなんとか仕事を回して行った。途中から副会長が勝手を思い出したらしく、さらにそんな様子を見て「椎葉さんすごいです!」なんて剣菱くんが目をキラキラさせるものだから副会長が調子に乗り、良い具合に仕事がはかどった。そもそも、あんだけ仕事をしていなかったこの人たちが、毎日休まず遅れず来ているってだけでも奇跡的なのに、ちゃんと仕事も進めてくれてるから、有難いといえば有難い。

「流、あとどれくらい進めておけばいいんだい?」

「明日、会長が復活だろう?」

 双子の問いかけに、はっと思い出す。そうだ、明日でいよいよ、体育祭が終わってから一週間が経つ。今日、保健医からのオーケーサインが出れば、会長は仕事に復帰できる。あの調子だと、元気そうだから、問題ないだろう。

 それまでに、会長の負担にならない程度まで、仕事を終わらせなければいけない。

「活動報告書と、体育祭の決算は出さなきゃいけないと思う。ていうか、とにかく体育祭関係かな」

「オーケー」

「了解」

 双子はふざける調子もなく、頷いた。ただ、二人で何か目配せをして含み笑いをしたのが気になるけれど、そんなこと尋ねる暇もなかった。次々と上がる別件の仕事の処理が、待っている。

 剣菱くんも交えた会長不在の生徒会室は、仕事に追われている所為もあるかもしれないが、不思議と、違和感がなくなっていた。これに会長が交われば、きっと、新生生徒会の誕生だ。……うん、そう信じるしかない。



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