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第二章 サイケデリック革命ラバーズ

わん、つー、すりー

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 キーン、コーン、カーン、コーン……。


 騒々しいチャイムの音にも慣れてきた。神井の号令に合わせて、腰を折って教師に礼。そのタイミングでローザをこっそりと見やる。妖精学校と同じできれいな分度器の角度で腰を曲げていたが、顔は不快そうにぎゅっとしかめっ面になっている。……慣れてないんだな、まだ。そりゃそうだ。人間界にちょくちょく来ていたはずのオレだって、人間界の学校の喧騒というのは正直一日めの今ではまだちょっとキツいものがある。


 挨拶を、教室の全員で。きれいに揃えて。
 ありがとうございました――。


「……ましたっ」


 ……あー。ローザ。授業中はよかったが、また出遅れたな。この挨拶のタイミング。要領はリズムゲーと一緒なんだが……ううむ。ここに来て、ローザにゲームを押しつけなかったことが悔やまれるとは……。別にローザに趣味を共有してほしいみたいなのはなかったしなあオレ。


 オレは、普段より少し長めに腰を折っていた。ああ、やはりだ。……今は十分休みの区分だけど、まだ誰も喋っていない。他の教室の声は風に乗ってくるようにして聞こえるというのに、だ。


 オレは既に知っている。全員が顔を上げ、教師がふっと身体の角度を逸らすのとほぼ同時で、神井はあの言葉を言う。そうしたらやっと、この教室にもふわっと喧騒ができあがる。……そういうもんなんだ、この空間は、神井が喋らなければまるで他の人間は喋ることさえもいけないことみたいだ。

 公民の担当教師は教室の様子など気づいても気にしてさえもいないようすで、あっさりと教室を後にする。


 教師の背中を見送るようにして目を細めながら、神井は薄く微笑んでいる。今か。さあ今か。言うんだろ?
 ぞっとしない猫なで声でよ。ねえみんな、お疲れさま――って。


 だからオレは――ぶっ込んでやった。


 空気を、流れを、変えてやる。……こんな紫色の教室。


 最初に発言するのはかならず神井じゃなきゃいけないだなんて、それこそ思い込みでしかないのに。


「なあ、ローザ。お疲れお疲れーっ」


 言いながらオレは、スッスッスッと身軽に教室内を移動し、ポンポンとローザの肩を叩いてやった。……ローザは恐ろしい形相で呆然としたまま固まっている。

 確かに教室の空気はピンと静止している。時空系の魔術を誰かが使ったわけでもないのに。そもそもがオレとローザは未成年妖精なのだから、時空系の魔術は使えない。もちろんオレだって今使っていない。というかオレの能力では許可されたところで時空系の魔術は無理だ。ローザはともかくオレは優等生でも何でもねえんだから。

 けれども今この教室は、何なら魔術なんか使わずともオレが時を静止させていた。

 クラス全四十人中、三十七人は、今この瞬間においてまるでただのはりぼてのようだ。今はいい。それでいい。いつもはおまえらにも自我も人生もあると知っている、だが背景レベルのモブキャラというのはそういうモンなんだ、実際このごろはゲームでもアニメでもなんでもそういう手法が流行っているだろ、のっぺらぼうの人間の形だけで済ましちゃうあの感じだよ。おまえらが人間でないと、キャラに値しないと言いたいわけではない、ただ、今はモブでいてくれとただそれだけのこと。

 今この教室において顔も身体もちゃんと色づいているのは、オレと、かろうじてローザと――いけすかない神井の野郎。


 神井は何も言わない。


 あくまでも――転入生でありこの教室においては底辺ランクのオレに、先に事情を説明させようとしている、ってことか。そう思わせるくらいにはコイツは余裕ぶっていた。……ハッ。いつの時代のお殿さまだよ。確かにおまえ、まろとかいう一人称でも違和感ねえな。でもそういうことだってこの教室の誰も言ってくれやしないんだろ、神井、おまえをからかえるやつなんかこの教室にはいないんだ。……そういうのってさ、さみしくねえのかな。


 その完璧な程の微笑みを見ていたらなんだかかわいそうになってきた。


 妖精は善良を本質とするが、人間はそうではない。だからこそ、オレは人間界に来るのが楽しみだったのだ。妖精界では、からかう、などという発想がまず存在しない。妖精は互いを褒めあい励ましあい慰めあうだけだ。……それっていうのは偽善ではないのだ。妖精は、他者の欠点が認識できない。わざと言わないとかそういうレベルでもない。まず、わからないのだ。欠点、という概念をわかる妖精というのは、オレは自分とローザ以外には知らない。……ローザだって、そういういわゆる闇ということをオレが教えてやらなければ、たぶん生涯気づくことはなかっただろう。


 人間たちは気づいていない。自分たちが闇だ病みだとヤミヤミと繰り返すその、本質が、妖精界のヌルさにうんざりとしているオレには、たまらなく甘美な毒であり、魅力であるのだと。……だからオレは人間界の娯楽のひとつであるゲームにも、ハマりまくったわけなのであって。

 だから……かわいそうだ。神井基樹は。

 どうせコイツは妖精ではないのだ。善良であることに関して言うのならば妖精のほうが明らかにその才能がある。鳥は空を飛ぶだろう。魚は水を泳ぐだろう。鳥に泳げと、魚に飛べと、そんなことを言うのは無茶ってモンだろう。理屈で言えばたったそれだけの話ではあるのだ。……それなのに。


 神井が人間であるのだから、オレも、妖精であることを意識することによってフェアな立場に立とう。


 妖精であるはずのところのオレは、人間のまねっこをすることで、ちょっとでも善良でないモノを知りたいんだ――。


 ……なーんて。まあ。そんでもまだ俺は妖精ぶってたんだな。

 ローザの為? ……そんなのはいつもだ、もちろんだ。当たり前すぎて、わざわざ自分のなかで自覚するまでもないコトなんだよそんなんは。


 オレのローザに対する気持ちというのは……他の妖精たちが勘違いしているように、友愛だなんてぬるま湯ではない。もっと――非、善良的なモンであって。まあ。こんなのはそもそもローザだって知らないし、簡単に気づかせる気もないが。

 だから、好奇心なのだ。ああ、それでもまだ表現がきれいすぎるか。――オレはこの教室をぐっちゃぐちゃにしてみたい。かき乱してみたら、なあ、どうなるんだろうなそのとき、変だけれども淡く儚い、幽霊というよりは亡霊に似た紫色のオーラがボヤボヤと漂うこの教室は。――オレの本気の青色を入れたら、一体、どうなってくれるんだ?


 オレはわざとらしく両手を上げる。やれやれ、と。大袈裟であることはわかっている。わかっているから、そうしている。外国からの転入生、って設定なんだっけ? じゃあ、そういうふうに見りゃいいさ。――異なる文化圏から来たって意味じゃあその通りなんだからな!


 演技のように、大仰に。


「なあ、イインチョ? や……神井? 何の儀式か知んねえけどよ。おまえ、自分がセレモニー担当の偉いやつにでもなったつもりなのかよ、馬鹿らし、たかが中学校の教室で。妖精界のセレモニーじゃねーんだからよ。全員おんなじ制服着てるだろが、地味な学ランにセーラー服でさ、や、オレはこういうの嫌いじゃないけど? ――そんで、なんでおまえがいっつも授業後最初に喋んの? ぶっちゃけ、キモいわ。そういうの」

 オレは神井だけを見ている。神井は、オレだけを見ている、――不快そうな様子もなくただただ静かに微笑んでいる。いつも通りに。……さざ波さえも立っていないのだ。


 なんだかもっと苛立ってきた。


「ってか。なんだよ、その笑顔。ニヤニヤしやがってよー。神井っていつもそういう顔してるよな。自分でキモチ悪くねえの、そういうの? ってか男だろ? なんかナヨナヨしちゃってよお。そうやってオンナのみならずオトコをたぶらかすってのがそうか、いま人間界ではトレンドなのかっ――」

 オレは最後まで言葉を言い切ることができなかった。目の前で起こるこのできごとに釘づけとなる。

 ワン、ツー、スリー。つまり、神井はまるで三拍子のリズムでこちらに迫ってきたのだった。とてつもなく速い。俺だって一応は武術の授業は上から二番めのA評価を取った。それなのに……俺はあっという間に間合いを詰められていた。


 神井はオレの顔の目の前、オレの視界が神井のツラで全部埋まってしまうほどの距離で、今もなおその笑顔の仮面を装着し続けている。


 女の声が聞こえる。


 ……わん、つー、すりー。


 この声――春子。恩田春子。囁くようでいて、歌っている。


 声は重なる。


 わん、つー、すりー。


 重なっていく。


 わん、つー、すりー。


 もはやこれは――コールだ。


 わん、つー、すりー。わん、つー、すりー。わん、つー、すりー。
 どんどんどんどん加速している。どういうことだ。
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