白に染まる

スカートの中の通り道

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第十八話 分かれ道

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「出よう」
 そう告げたのは、僕だった。
 入店してから一時間あまり、玉津は当然のように文句を言っていたが、仕方ない。もう我慢の限界だったんだ。
 外に出ると、大粒の雨が地面を叩きつけるようにして降っていた。しばらく止みそうにない勢いだった。
 僕は空を見上げる。雲が低く垂れ込めていて、これまで感じたことのないような寂しい灰色をしていた。眺めていると、まるで胸の奥が深い穴に沈んでいくような妙な感覚を覚えた。
 僕は適当な理由をつけて玉津と別れ、傘を差してそのまま駅に向かった。そして家とは反対方向の電車に乗った。
 なぜ? 自分でも理由はわからなかった。ただなんとなくというか、無意識というか……。でも、不思議と予感があったのかもしれない。そのときの僕は、心の底からありさ先輩に会いたいと願っていたから。
 学校の最寄駅に着くと、僕は正門には向かわずに外側を迂回するように歩いた。そして体育館の裏にたどり着き、ひと呼吸してからフェンスをよじ登ろうとした。しかし、濡れたフェンスに足を滑らせてしまい、土の上に横倒しに落ちてしまった。脇腹の辺りが泥で汚れた。無地の白いTシャツだったから、その汚れがひどく目立った。しかもよく見てみれば、ジーンズの側面も汚れていた。
 僕はうんざりして、ひとつ大きなため息を吐いた。
 それからもう一度、今度は傘を先にフェンスの向こうに放り投げ、両手でしっかりとフェンスを掴みながら、慎重に足を引っかけてよじ登った。何とか登り切ったものの、調子に乗って飛び降りた瞬間、足首をひねった。痛みが走るなか、前回も同じような失敗をしたことを思い出し、我ながら呆れてしまった。
 体育館の扉をそっと引くと、鍵はかかってなかった。誰かいるのかと思い中を覗き見たが、誰もいなかった。
 僕は靴を脱ぎ、そのまま素足で体育館の中央へと歩いていった。足の裏に伝わるひんやりとした感触と、湿り気を帯びた木の香りがどこか懐かしい。外のざわめきがゆっくりと遠ざかる。誰もいない空間に、心が吸い込まれていく。
 中央にたどり着くと、僕はその場にゆっくりと腰を下ろし、仰向けに寝転がった。高い天井をぼんやりと眺めた。重たく湿った静寂に身を委ねると、音もなく時間が流れ、遠い雨音が聞こえてきた。夏の気配が薄れていく気がして、胸の奥に小さな孤独がひっそりと現れた。閉ざされた空間の中で、僕はただ一人、黄昏れるわけでもなく静かにその雰囲気に浸っていた。

 ……それからかれこれ、三十分ほど横たわっていただろうか。あれほど熱を帯びていた体の興奮はすっかり冷めていた。滾っていた股間も、今では何事もなかったかのように収まり、普段の青臭い姿へと戻っている。

 ーー帰ろうか……。

 そんな考えがふと頭をよぎったときだった。静寂を押し退けるみたいに、体育館の扉が開く音がした。その硬い音に、僕は体を起こして振り返った。外の雨音が微かに流れ込む中、制服姿のありさ先輩がぼんやりと浮かび上がる。
 先輩がゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。けど、その足取りは重く、まるで全身が重石に引っ張られているかのように感じられた。顔は蒼白で、肩は力なく垂れ下がり、全身から疲労の色がにじみ出ていた。真っ赤に充血した目は、既に流し尽くされた涙の痕跡を残し、乱れた髪が雨に濡れて頬に貼りついている。その姿は、試合に負けたというだけでは説明できないほどの深い傷を抱えているように見えた。
 ありさ先輩は僕の目の前まで来ると、立ち止まったまま何も言わなかった。僕もまた、言葉を失い、先輩の顔を見上げるしかなかった。何を言えばいいのかまったくわからず、口を開こうとしても、喉が詰まって声が出てこない。
 先輩の視線が、まっすぐ僕に向けられる。その瞳の奥には、怒りや悲しみだけでなく、深い失望の色が宿っていた。
「……どうして?」
 それはまるで、今にも崩れてしまいそうな薄氷の声だった。
 僕はどうにか言葉を探そうとしたが、喉は干上がり、息さえもまともに吸えなかった。
 先輩が、首を振った。
「……負けちゃったよ」
 その声は、今にも消え入りそうだった。吐き出す一言一言が、体育館の広い空間に虚しく吸い込まれていくように消えていく。
「みっちゃん、もう少しだったんだよ? 私……頑張って、みんなのために一生懸命プレーしたんだ……。でも、やっぱり無理だった」
 僕はただ頷くことしかできなかった。何かを言うべきだと頭ではわかっていても、その言葉は見つからなかった。
「点差が開いちゃってね……追いつこうとしても、時間だけがどんどん過ぎていって……焦れば焦るほど、ボールが手につかなくなって……シュートも全然できないし……。何をしてもうまくいかなくなっちゃって……途中で、なんでこんなことになっちゃったんだろうって……自分でもわからなくなって……」
 その声はますます弱々しく、まるで風に吹き飛ばされそうなほどかすれていた。
「それで、先生が……交代って……。私、耐えられなくて……。ベンチに戻ったら……もう、涙が止まらなかった……」
 言葉を吐き終えると同時に、ありさ先輩は崩れるようにして僕の前に座り込んだ。うなだれた姿が、その疲労と絶望の深さを物語っていた。
「……ねえ、みっちゃん。私……間違ってたのかな……? 教えてよ……」
 先輩の言葉が僕の耳に響くが、僕は何も答えることができなかった。心の中には、言葉にならない思いが渦巻いていたが、それを表す術が見つからず、ただ先輩の絶望に沈黙で応えることしかできなかった。
 やがて、ありさ先輩が両手で顔を覆った。張り詰めていた緊張の糸が途切れ、涙がせきを切ったように溢れ出す。肩を小刻みに震わせ、嗚咽をこらえきれずに僕の目の前で泣きじゃくった。その姿は今にも壊れてしまいそうなほどにか弱かった。
 僕はゆっくりと先輩の背後に回り、震えるその体をそっと包み込むようにして抱きしめた。力を込めて、ぎゅっと。

 ーー間違ってないですよ……。

 背中越しに伝わるありさ先輩の温もりと鼓動、そして雨に濡れたブラウスに透けて見える真っ白いブラ……。
 心臓が、躍った。
 一度は鎮まったはずの体が、真っ赤な熱と共に、僕の欲望を再び駆り立てた。
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