白に染まる

スカートの中の通り道

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第十一話 本来あるべき道へ

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 しばらくして、ありさ先輩と安納先生は壁にもたれ、膝を抱えるようにして座り込んでいた。さっきまでのピリピリした空気が嘘のように、二人は自然に女子トークを始めていた。将来の夢やバスケ部での思い出、笑える話や少し後悔の残る出来事など、話は尽きることなく続く。その様子はまるで、長い間会っていなかった親友同士が再会し、懐かしさと温もりを共有しているかのようだった。
「私、本当に安納先生がいてくれてよかった」
 ありさ先輩は、柔らかな笑みを浮かべ、心からの感謝を口にした。
「冗談だろう?」
「冗談なんて言えません。知ってるんです、私。あの辛い時期、学校内で大きな問題になっていたとき、教育委員会では廃部の決定が出かかっていたと聞いています。それを止めてくれたのが安納先生だったんですよね」
 先生は照れ隠しのように、わざととぼけて見せた。
「どうだったかな? そんなこと、あんまり覚えてないな」
 だが、天井を見上げ頬を掻くその仕草は、どこか照れくさそうだった。
「大会に出るための部員が集まらなかったとき、先生がいろんな部活にお願いして、何とか出場できるように生徒を集めてくれたじゃないですか」
「うーん、それも記憶にないな」
「ふふ……試合には出られなかったけど、そのときの先生の姿を見て、私もっと頑張ろうって思ったんです」
「そっか、それは良かったな。まあ、誰の話か知らんが」
「先生がいてくれたから、今の私があるんです。もしあのとき廃部になっていたら、私、先生や仲間たちと出会えなかった。それに美原くんだって、きっと……」
 僕の名前が出て、ドキッとした。  
「確かに、それは間違いないな。ていうか、元々あいつはパシリにしてこき使ってやろうと思ってたんだけどな。意外にも働き者で驚いたよ。ははは!」  
 先生が豪快に笑い飛ばす。

 ーーいや、パシリって。ひどすぎるだろ!

「先生は、私たちの出会いを作ってくれたんです。本来ならありえなかった出会いを。そして、私に居場所を残してくれた。先生は何度も謝ってくれましたけど、私は何度でも、先生にありがとうございますって感謝を伝えたいです」
 ありさ先輩は立ち上がり、先生に向かって深々と頭を下げた。  
「本当にありがとうございました」  
 先生は意表をつかれたように驚いていた。しかしすぐに、鼻を鳴らして小さく笑った。  
「まだ早いよ。これからが本番なんだし、学生生活もまだまだあるぞ。感謝の言葉は、卒業式とか、もっと正式な場で言うもんだ」
「はい。でも、これからも何度でも伝えますからね」
「……お前、しつこそうだな。これは覚悟しとかなきゃな」
「夜遅くまで、秘密の特訓みたいに?」
「勘弁してくれ」
 二人は心から笑い合い、その空気が和やかに流れていた。
 僕は少し離れた場所で、その会話をただ黙って見守っていた。先輩と先生の間には、単なる教師と生徒の関係を超えた、深い絆が確かに感じられた。共に困難を乗り越え、時には涙を流しながら互いに支え合ってきたからこそ、築かれた信頼。それは、どんな力でも引き裂くことができない鋼のような絆だと感じた。
 その強さは、僕が今まで築いてきたものとはまったく違う。僕が入り込む余地などない、特別な関係。
 そのときふと、安納先生が僕の名前を出す。
「そういえば、今日は美原と一緒じゃないんだな」
「はい。さすがに本番前ですし、無理はさせられませんから」
 ありさ先輩は、真面目なのか冗談なのか、あっけらかんと答える。それを聞いた先生は、先輩の頭に軽くチョップを入れた。
「お前がそれを言うな!」
「はは、確かに……そうですね」
 先輩は少し照れたように苦笑いを浮かべた。そのやりとりに僕も加わりたかったけれど、今はただ遠くから見つめるだけ。先生の問いにツッコミを入れるのは僕の役割だったはずなのに、今の僕にはその資格はない。
 心の中で問いかける。

 ーーあの日の僕に戻れるだろうか? ただひたすらにありさ先輩の背中を追いかけていた頃に。もし戻れたら、今度はあの会話に混ざれるだろうか?

 僕は、その疑問を否定するように、首を大きく振った。

 ーーいや、戻らない! 僕はここからまた始めるんだ。そして一からまた信頼を築き上げる。今度は、もう追いかけない。一緒にありさ先輩の隣を、並んで走り抜けるんだ。

 そう心に、新たな決意を抱いた。
 直後、安納先生の浮ついた声が聞こえてきた。
「なあ、宮城、お前……美原のこと、好きなのか?」
 僕は思わず耳を疑った。
「えっ、いきなり、ど、どういうことですか!?」
 ありさ先輩の声が急に高くなる。動揺した先輩の声に、僕は心臓が跳ねるのを感じた。なんでそんなに慌ててるんだ? なんで、そんなに顔を赤くしてるんだ?
「ははは! お前、ほんとにわかりやすいな。でも、まあまあ、ここには女二人しかいないんだ。正直に白状しろ」
「い、いえ、そんなこと……! もう、先生、イジワルです」
 先輩は焦りながら、もじもじと言葉を重ねるけど、その様子は明らかに普段と違っていた。恥じらいを隠そうとする先輩の仕草に、僕の胸の奥がざわつきまくる。
「ちなみにな、今朝守衛さんと少し話してたんだ。そのとき、何て言ってたと思う? きっとあの坊主、お嬢ちゃんに惚れてるな、だって。まさに青春だな! ははは!」
「も、もうっ! 本当にやめてください!」
 ありさ先輩の声は、ますます恥ずかしそうに震えていた。顔を両手で覆いながら、耳まで赤く染まっている先輩の姿に、なぜか僕まで恥ずかしくなってきた。
「なあ、宮城。明日からの大会がどうであろうと、今をしっかり楽しめ。もう二度と、今日という時間は訪れないんだ。だから、そのときそのときの時間を大切にして、その気持ちのいく末をしっかりと明確にしろ。大会と同様に、その思いも今しかない一生のものだ。だから、後悔はするなよ」
 先輩は、先生の言葉を宝物のように、大事に胸に抱えた。それから大きく頷き、
「はい」
 その声はとても小さかったけど、大きな意味が込められた決意だった。僕は、そんなふうに感じた。
 すると、先生がパンと両手を叩く。
「よし! なら大会が終わったら、デートにでも誘ってやれ。きっとあいつ、まだ童貞でデートもしたことないはずだ、喜ぶぞ。あっ、もし恥ずかしかったら、私がセッティングしてやるからな、遠慮するなよ。……おっ、なんだか気合が入ってきたな、よし、やるぞー!」
「な、なんで先生が張り切ってるんですか!? ちょちょちょ! 本当にやめてくださいっ!」
 先輩の焦った声が耳に入るたび、僕は心の中でニヤけるのを止められなかった。ありさ先輩があんなに動揺するなんて、まるで夢を見ているようだった。普段はあんなにクールで、どんな困難もひるむことなく正面から向かう先輩が、からかわれて顔を真っ赤にしているなんて。なんだか可愛らしくて、僕にとっては最高に新鮮だ。
 胸の奥からじわじわと、嬉しさと興奮が湧き上がってくる。先生の言葉が冗談だってわかってはいるけど、でもその冗談の中に、先輩が僕に対して抱いているかもしれない気持ちが見えた気がしてならなかった。あの反応は、ただの恥じらいじゃない。間違いなく、僕に対して気がある。
 もうそんなことを考えてしまったからには、僕の心の中は有頂天だ。いや、先輩の口から直接好きなんて言われたわけじゃないし、先生だって本気で言ってるわけじゃない。わかってる、わかってるんだ。でも、あの瞬間に見せた先輩の顔、それだけで十分。僕の胸に、これからのありさ先輩との未来がキラキラと輝き始めた。
 そして、もし僕たちが優勝できたら……。そんな甘い想像が次々と浮かんできて止まらない。

 ーーああ、先輩とデートして、もっと近づいて、それから……。

 僕はこぶしを握りしめ、大きく一振り。自分でも信じられないほどの勢いがみなぎっていた。絶対に優勝して、絶対に先輩とデートして、そして絶対……。

 ーーうおおおおお!

 そのあまりにもメラメラした、燃え上がるような性的闘志を抑えきれなくなった僕は、急いで体育館を出ると、フェンスを飛び越え、線路を跨ぎ、砂浜を駆け抜け、目の前に広がる海に向かって猛然とダイブした。
 それから僕は、心の中で勝利宣言をして、満面の笑みを浮かべながら、太陽に向かって叫んだ。
「絶対、エッチするんだー!」

 そして僕は、翌日から始まるインターハイに、胸を高鳴らせた。
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