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青年トルコ革命失敗す!

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 西園寺公望が辞意を表明した。前々から「委任状内閣」などと揶揄されていたものの、日露間に条約が締結され漸く一息つけるようになり新しく戦後用の内閣を作るためであるとされている。
 まだまだ、元老の藩閥政治の様相を見せていたものの、首相には予想外の人物が成ることになる……。
「しかし、予想外だったな。まさか会津出身者が首相になるとは」
「ああ、山県は怒髪天を衝くだろうが、選挙の結果だ。やむを得まい」
「それはそうと、次の内閣だが……」
 ……内藤魯一、板垣退助の秘書である。




「宜しかったのですか?」
「アメリカ合衆国への移民が制限されていない現状、別に構わんだろ」

 西暦に直して1908年、直前までアメリカかブラジルかで迷っていた移民先は、無事アメリカ合衆国に定まった。一方で、帰りの便でアメリカ合衆国より第一次黒人移民を乗せることも決定しており、正式に交換移民制度が決定したと言える。後に、西海岸総ての土地を買い占めたとすら噂される日本人移民は順調にアメリカ合衆国に根を張ることになる……。
 一方で、ある工事が計画を放棄することになった。パナマ運河である。一説には東海岸を買い占められることを恐れたとも言われているその背景は今だ謎であるが、此によりアメリカ合衆国の水運は大きく停滞することになる。
 一方で、大日本帝国はアメリカ合衆国の市民感情を刺激しないためにも満州にも移民を画策していた……。
 そんな折である。

「首相っ!!」
「ん、どした」
「満州開拓団より至急の連絡事項です、何卒極秘裏に……!!」
「ん?……これ、嘘じゃないよな?」
「ですから、何卒極秘裏に……!!」
「……わかった、貯金は必要だろうからな」
「何卒……!!」

 満州に於いて、油田発掘の前兆とも言える妙な湿地帯が発見されたのはこの年だと言われている。



 皇紀2568年、西暦に直して1908年は7月下旬のことである。オスマン帝国において予てより計画されていた青年トルコ革命が露見するに至った!詳細は定かではないが、バルカン半島の危険化を憂いたある将校がスルタンであるアブデュルハミト2世に密告したからだとされている。
 これにより将校はスルタン派と革命派に分裂、あわや内戦寸前というところにまで亀裂は発展した。
 だが、この騒動はある人物の手により早期に決着がつくことになる。まだロシアの工作より帰還していない明石元二郎らがたまたま通りかかったことにより、日本軍の調停という形とはいえ、内戦になることはなかった。
 エルトゥールル号に続き、大日本帝国はまたしてもオスマン帝国に恩を売った形になるが、明石もただ恩を売ったわけではない。彼は、ある密約をオスマン帝国に持ち掛けた。その内容とは……。

「しかし、ロシアで革命が起こるのは想定通りなのでは?」
「革命にも起こし方というものが存在しますので」
「はあ……なんにせよ、否とは言えませんな」
「ええ、よろしくお願いします」

 通称、「日土協定」と称される世界で初めての防共協定は果たして吉凶やいかに。
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