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第5話 妖狐
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「そんなの願い下げだ」
互いに怒り、悲しみ、傷つけ合い、苦しみに満ちた対話の先に、強固な信頼関係がある。それを知ってしまった以上、対話を止める選択肢はない。例え黒狐さまがどんな存在であろうと、長い時間をかけ、じっくりと話し合えば、手を取り合える。それを、この数週間で学んだのだ。
しかし、ツキの体は動かなかった。
通り過ぎてしまう。黒狐さまが行ってしまう。でも、動かない。恐怖と怠惰だけが原因ではない。羞恥心だ。一人の時だったら、声をかけられるかもしれない。でも、大勢の同級生の中で引きとめるのは、いくら何でも気恥ずかしすぎる。黒狐さまが、自分と目を合わせられなかった気持ちが、ようやく理解できた。
諦めかけた時、突然、背中を押された。住良木さんだった。
「ほら、行きな」
ツキは振り返る。そうだった。なんだかんだいって一番肝心な時に支えてくれるのはこいつ──
「玉砕してこい」
──じゃなかった。住良木さんの顔には、シャーデンフロイデの笑みが浮かんでいた。ぶん殴りたい。が、そんな暇はない。癪に障るが、この機会を無下にするわけにもいかない。
ツキはそのまま数歩前に踏み出し、黒狐さまへ近づいた。
黒狐さまも取り巻きの同級生に進められたらしい。露骨に嫌悪感を出しつつ、こちらへ歩み寄ってくる。
手を伸ばせば届く距離で、立ち止まった。黒狐さまは、冷たい視線を突き付けてきた。以前とは違い、恐怖の他にマゾヒスティックな快感も感じてしまう。自分のあまりの滑稽さに、力が抜けて、自然体になれた。
沈黙のまま見つめ合う。
先に動いたのは黒狐さまだった。重い空気に耐えきれなかったらしい。方向転換し、ツキの右を横切ろうとする。ツキは、勢いよく右手を伸ばした。服の袖をつかもうとする。が、それて左手首をつかんでしまった。もういい、どうにでもなれ。
「無視は、ダメ」
その時、黒狐さまの表情が融解した。目を大きく見開かれていく。潤んだ唇が、だらしなく上下に開く。キョトンとした黒狐さまに、ツキは繰り返した。
「無視は、ダメです」
周囲がざわついていたが、もう気にならなかった。それよりも、黒狐さまの次の反応だ。怒るのか、振り払って去るのか、さもなくば照れるか。
ツキは黒狐さまの手を放した。そのまま手を引こうとする。引けない。なんと、今度は黒狐さまから手を握ってきたのだ。
柔らかい感触が手全体を包み込む。肌は滑らかで、暖かかった。強く握ったら折れてしまいそうで、力の加減がわからない。
「行くぞ」
黒狐さまはそのまま手を引っ張ってきた。後ろへ引きずられる格好だ。唖然としている住良木さんを置いて、その場を離れた。
「昨日の夕方まで、顔すら合わせられなかったくせに」
「お主こそ、わらわの前で住良木といちゃつくなぞ、いい度胸じゃ」
「僕は嫌だって言ったんですが、彼女が言うこと聞かなくて」
「わらわとあやつ、どっちが大事なのじゃ!」
「どっちを答えても地雷な質問しないでください」
「答えないってことは、わらわはどうでもいいんじゃな!」
「どうしてそうなるんですか。大事じゃなかったら黒狐さまについていくわけないじゃないですか」
しばらく、どうでもいい罵り合いを続けた。
ツキは、名残惜しさを感じながらも手をほどき、体を前へ向けた。が、方向転換した瞬間、再び黒狐さまが手を握ってきた。住良木さんを意識しているせいで、いくぶんか大胆になれているらしい。普段の黒狐さまなら、赤面してそれどころではない。
「逃さんぞ? 住良木にどれだけわらわたちが仲良しか、よぉーく見せつけんとな。ここからさらに体の距離を詰めようか?」
「でもこれ、別の誤解を産みません?」
黒狐さまは数秒固まった。その後、慌てて手をほどいた。
「わらわたちはまだ付き合ってなどおらん」
「いや、家呼んだ翌日、手を繋いでいたら、そうとしか思いませんって」
「のっ、のじゃー!?」
「ってか、『まだ』って何ですか! それじゃあまるで付き合うこと前提……」
そこまで話してから、気づいた。
学校裏に着いていた。しかも、回りに人だかりができており、その規模は先程よりずっと大きくなっていることも。
互いに怒り、悲しみ、傷つけ合い、苦しみに満ちた対話の先に、強固な信頼関係がある。それを知ってしまった以上、対話を止める選択肢はない。例え黒狐さまがどんな存在であろうと、長い時間をかけ、じっくりと話し合えば、手を取り合える。それを、この数週間で学んだのだ。
しかし、ツキの体は動かなかった。
通り過ぎてしまう。黒狐さまが行ってしまう。でも、動かない。恐怖と怠惰だけが原因ではない。羞恥心だ。一人の時だったら、声をかけられるかもしれない。でも、大勢の同級生の中で引きとめるのは、いくら何でも気恥ずかしすぎる。黒狐さまが、自分と目を合わせられなかった気持ちが、ようやく理解できた。
諦めかけた時、突然、背中を押された。住良木さんだった。
「ほら、行きな」
ツキは振り返る。そうだった。なんだかんだいって一番肝心な時に支えてくれるのはこいつ──
「玉砕してこい」
──じゃなかった。住良木さんの顔には、シャーデンフロイデの笑みが浮かんでいた。ぶん殴りたい。が、そんな暇はない。癪に障るが、この機会を無下にするわけにもいかない。
ツキはそのまま数歩前に踏み出し、黒狐さまへ近づいた。
黒狐さまも取り巻きの同級生に進められたらしい。露骨に嫌悪感を出しつつ、こちらへ歩み寄ってくる。
手を伸ばせば届く距離で、立ち止まった。黒狐さまは、冷たい視線を突き付けてきた。以前とは違い、恐怖の他にマゾヒスティックな快感も感じてしまう。自分のあまりの滑稽さに、力が抜けて、自然体になれた。
沈黙のまま見つめ合う。
先に動いたのは黒狐さまだった。重い空気に耐えきれなかったらしい。方向転換し、ツキの右を横切ろうとする。ツキは、勢いよく右手を伸ばした。服の袖をつかもうとする。が、それて左手首をつかんでしまった。もういい、どうにでもなれ。
「無視は、ダメ」
その時、黒狐さまの表情が融解した。目を大きく見開かれていく。潤んだ唇が、だらしなく上下に開く。キョトンとした黒狐さまに、ツキは繰り返した。
「無視は、ダメです」
周囲がざわついていたが、もう気にならなかった。それよりも、黒狐さまの次の反応だ。怒るのか、振り払って去るのか、さもなくば照れるか。
ツキは黒狐さまの手を放した。そのまま手を引こうとする。引けない。なんと、今度は黒狐さまから手を握ってきたのだ。
柔らかい感触が手全体を包み込む。肌は滑らかで、暖かかった。強く握ったら折れてしまいそうで、力の加減がわからない。
「行くぞ」
黒狐さまはそのまま手を引っ張ってきた。後ろへ引きずられる格好だ。唖然としている住良木さんを置いて、その場を離れた。
「昨日の夕方まで、顔すら合わせられなかったくせに」
「お主こそ、わらわの前で住良木といちゃつくなぞ、いい度胸じゃ」
「僕は嫌だって言ったんですが、彼女が言うこと聞かなくて」
「わらわとあやつ、どっちが大事なのじゃ!」
「どっちを答えても地雷な質問しないでください」
「答えないってことは、わらわはどうでもいいんじゃな!」
「どうしてそうなるんですか。大事じゃなかったら黒狐さまについていくわけないじゃないですか」
しばらく、どうでもいい罵り合いを続けた。
ツキは、名残惜しさを感じながらも手をほどき、体を前へ向けた。が、方向転換した瞬間、再び黒狐さまが手を握ってきた。住良木さんを意識しているせいで、いくぶんか大胆になれているらしい。普段の黒狐さまなら、赤面してそれどころではない。
「逃さんぞ? 住良木にどれだけわらわたちが仲良しか、よぉーく見せつけんとな。ここからさらに体の距離を詰めようか?」
「でもこれ、別の誤解を産みません?」
黒狐さまは数秒固まった。その後、慌てて手をほどいた。
「わらわたちはまだ付き合ってなどおらん」
「いや、家呼んだ翌日、手を繋いでいたら、そうとしか思いませんって」
「のっ、のじゃー!?」
「ってか、『まだ』って何ですか! それじゃあまるで付き合うこと前提……」
そこまで話してから、気づいた。
学校裏に着いていた。しかも、回りに人だかりができており、その規模は先程よりずっと大きくなっていることも。
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